第21話 どこにでもいる、普通の女の子 The girl was just ……(第一章 完)
煌びやかな夜の光を雨がガラスのように反射している道を、僕らはコンビニへとむかって歩いていた。訓練を終えたエリがデザートを食べたいと言い出したのだ。
「やっぱり疲れてる時にはさ、甘いものを食べないとね」
イートインスペースでエクレアを頬張ったエリが僕に笑いかけてきた。
「でもホントにセンパイはよかったの? 美味しいよ?」
「嫌いなんだよ、甘いものは」
「なんで?」
「虫歯になるから」
冗談でしょ? とエリは笑った。もちろんそのつもりだったけれど、僕は曖昧な微笑みを持って答えとすることにした。
それからコンビニを出た僕らはエリを送って行くために基地へと引き返す道を歩いた。
滝よりかは幾分マシな雨が傘を叩いている。冠水していないのが奇跡に思えるような雨だった。一体いつまで降り続けるのだろうと考えると、なんとなく沈んだ気持ちになる。油断すると思わぬ泣き言を漏らしてしまいそうだった。
もしかすると、それはエリもおなじだったのかもしれない。
「……ねえ、センパイ」と、半ばまで来たところでエリは呟いた。「あたしさ、なれると思う?」
「なれるって、何に?」
訊ねる僕に、湿った楽器のような声を出してエリは言った。
「——風戸アンリみたいな魔法使いに」
「それはまた、大きく出たね」
「茶化さないで。あたしは本気で訊いてるの」
その言葉通り、雨越しに僕を見るエリの表情は真剣そのものだった。だから僕は正直に答えた。
「……無理、だよ」
「どうして?」とエリは言った。「どうして無理だって思うの? そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない」
その声に込められた感情に僕は気づけなかった。だから僕は不用意にも言葉を続けてしまった。
「風戸アンリは特別だったんだ。天賦の才を持っていた。たとえきみがこれから先どれだけの努力をしようと、彼女のような魔法使いにはなれない」
僕らが必死でオールを漕いで進んでいる傍らで、彼女だけがジェット機に乗っているようなものだった。僕らのような凡人には、逆立ちしたって彼女の領域には辿り着けない。
天才。
それは神に選ばれた特別な存在を指す言葉だった。
「……バカみたい」
けれど杉屋町エリはそう吐き捨てた。親の仇でも見るような目で、僕のことを睨みつけながら。
「風戸アンリは特別だから無理? 天才だから誰も追いつけない? ……ふん、呆れるわ」
いつもの語尾を捨てて、吐き捨てるようにそう言うと、杉屋町エリは叫んだ。
「——特別だから何だっていうの? あなたたちがそんなふうに彼女を見るからっ! 彼女はすべての責任を背負ってしまったんじゃない!」
止まらない勢いのままにエリは叫び続ける。
「——風戸アンリはぜんぜん特別なんかじゃなかった! 紛れもなく、普通の人間だった! 普通の、どこにでもいる女の子だったのよ!」
いつのまにか歩みは止まり、土砂降りの雨のなかに僕らは佇んでいた。街灯がエリの顔を照らしている。頬に光るものが見えた気がした。あるいは雨だったのかもしれないけれど、僕にはやはり涙だったように思えた。
「……好きな男の子のことで思い悩むような、普通の、どこにでもいる一七歳の女の子だったんだから……」
彼女の静かな叫びは高く、高くこだましていく。しかし分厚い雲に遮られた叫びは空へと抜けていくことはなく、しばらくの間、夢をなくした旅人のように僕らの周りを彷徨っていた。僕は何も言い返すことができなかった。ただじっと嵐が過ぎ去るのを待った。
「……だけど」と、彼女は最後に小さな声で呟いた。「だけどセンパイなら……センパイだけは、わかってると思ってた。あの人が一番信頼していたあなたなら……」
「……」
非難の感情がハッキリとした風となって僕の胸に届いた。それでも僕は何も言葉を口にしなかった。謝罪も、疑問も、弁解も、何も。いま何かを言っても、それはきっと言い訳にしかならないと僕は思った。
杉屋町エリはそんな僕から顔を背けると、
「……ごめん。きょうは先に帰るよ。……訓練、付き合ってくれてありがとう」
「……ああ、気をつけて」
走り去っていく杉屋町エリを見つめながら、僕は不思議に思った。
いったい、どうして彼女はそんなにも風戸アンリのことを理解しているみたいに話すんだろう。彼女にとって風戸アンリという存在は憧れではあるかもしれないけれど、身近な存在ではなかったはずだ。それなのにいったいなぜ? 僕にはわからなかった。
だけど確かに彼女の言う通りだった。
僕らは風戸アンリに全てを頼り切っていた。並々ならぬ重圧を押し付けてしまった。
でも、そんなことはエリに言われるまでもなくみんな理解していた。僕が特別だと言ったのは、あくまでも彼女の持つ才能に関してのこと。彼女が普通の女の子だったことを僕らはみんな理解していた。
理解していたからこそ、彼女がいなくなった後の僕の世界からは色彩がなくなり、エリックの世界からは甘さが消え、来栖凛太郎の世界からは軽やかさが失われた。
風戸アンリを特別にしていたのはこの世界じゃない。ほかでもない、僕たちだ。
〝魔王〟を倒すことがたとえ彼女にしか果たせない使命だったとしても、世界の命運をたったひとりの女の子に背負わせていい理由にはならない。
いったい僕らは……僕は、どれだけのことを彼女に頼りきっていたのだろう。
彼女がいなくなってからの日々は、まるで三十枚の銀貨を手にしたユダのように、後悔ばかりが積もっていく日々だ。




