第12話 〝G〟討伐作戦
山林の中にいると雨がよりいっそう激しくなったように感じるのは、きっと葉にあたる水滴の音がうるさいからだ。
午後五時三十分。僕とエリはあらかじめ決められたポイントへと移動し、作戦決行の合図を待っていた。
降り続ける雨は僕らの視界を霧のように覆っている。戦闘を行うとしては決して芳しい条件とは言えない空を、僕は憂鬱な気分で見上げた。
本来なら雨中での戦闘は避けたいところだった。雨は気分を下げるだけでなく、身体の調子も落とす。万全の状態でない〝残滓〟との戦いはリスクを高めることになるだけだ。
しかしいついかなる時に他の〝残滓〟が現れるかわからない今の状況では、いつやむともしれない雨を待っている余裕はなかった。時間を掛ければかけるだけ人類を危機へと追いやることになるのだ。
「準備はいいかい、エリ?」
僕は最終確認のためにエリに問いかける。
もうまもなく来栖くん率いる別動隊が、僕らの潜むポイントまで〝G〟を誘導してきてくれるはずだった。それまでに僕はエリの状態を再度把握しておかなくてはならない。
先の様子から推測すれば、エリは青い顔をして身を震わせているはずだった。これから現れる〝G〟の姿を想像し、錯乱していてもおかしくはない。もしもエリが戦えない状態であるならば、最悪の場合、撤退も考えないといけなかった。
しかしエリは血色の良い顔をして僕の言葉に応えた。
「もちろんいつでも大丈夫! なんでも来いって感じ!」
ぐっと両の拳を握り締め、気合十分といった様子を見せるエリ。まるでピクニックにでも行くかのような気楽な様子に僕は感心する。——エリにではなく、キャリバンの誇る技術に対して。
むろん彼女は〝G〟を克服したわけじゃない。トラウマを克服するには一時間という時間は短すぎた。
普通ならここまでの急激な態度の変化に、現実逃避をしているのか、あるいはなにか危ない薬でも飲んだのかと疑うところだけれど、しかし事実もそう遠くはない。
催眠暗示プログラムを受けたのだ。
僕も受けたことがあるけれど、アレは本当に凄い。僕らの場合それが魔法によって行われるのだからなおさら強力になる。もしも悪用されたとしたら、きっと世界はひとりの独裁者によって支配されることになるだろうと僕はいつも思っていた。
しかしどんなモノもそうであるように、正しく使えば心強い武器になる。
あくまでも一時的にだが、今のエリの目にはゴキブリの姿がエメラルドのような輝きを放った魅惑的な存在に見えていることだろう。暗示が切れた後で身悶えるかもしれないけれど、敵との交戦中に動けなくなるよりは数億倍マシだった。
未来のエリを襲う不幸を思い複雑な目で彼女を見ていると、キャリバンから支給されている端末が震える。
来栖くんからの通信のようだった。
『——あー、こちらラッキー1、聞こえるかラッキー4。作戦は成功。繰り返す、作戦は成功。〝G〟はランデブーポイントまで移動中。予想到着時間は百二十秒後だ。あとは任せたぜ幸人。オーバー』
「こちらラッキー4、了解した。アウト」
通信を切るとすぐにエリが声を掛けてきた。
「いよいよ出番だね、センパイ。どうする? もう強化しとく?」
「ああ、頼むよ」
「おっけー。じゃあ行くね——」
と、エリはさっそく呪文の詠唱を開始した。乱雑な雨の音に混じって、滑らかな心地の良い音が紡がれる。
幾らかの例外を除いて、基本的に魔法使いが魔法を放つためには呪文の詠唱が必要だった。
強力なものになればなるほど詠唱は長くなり、動物型の〝残滓〟を一撃で倒そうとする魔法ともなると、最低でも三十分以上の詠唱が必要になる。
しかしその間、魔法使いは完全な無防備になってしまう。通常時であればどんなに時間が掛かろうが良いけれど、〝残滓〟との戦いでは致命的な隙を生む行為だ。むろん敵も詠唱が完了するまで黙って待っていてくれるほど優しくはない。
だからこその僕ら〝騎士〟の存在だった。詠唱中の魔法使いを護るがゆえに騎士。
とはいっても、強力な力を持った〝残滓〟の前に出ることは、魔法使いではない僕らにとってまさしく自殺行為でしかない。いくら重厚な鎧で身をかためたとしても、彼らの前では紙屑も同然だった。
ゆえに僕らもまた魔法によって身体を強化される。ひとりの魔法使いに付きひとりの騎士にのみ掛けることのできるその魔法によって、僕らは人外の怪物たちに立ち向かうことができるのだ。
——魔法使いと騎士。
まるでおとぎ噺のように互いが互いを補い合うその関係は、まさに一蓮托生と呼ぶべき関係だった。
「……ふぅ、よし!」
詠唱を終えたエリは額をぬぐいひと息つく。それから僕に手のひらを当てて、
「——〝プリバラム〟」
僕の身体が淡い光に包み込まれる。身体に力がみなぎっていくのが感じられた。
「ありがとう」
「うん。だけど無理はしないでね、センパイ」
「大丈夫、わかってるよ」
それから僕は懐から得物を取り出した。普段は胡椒引きのような形をしているそれは、戦闘時になるとビームセイバーよろしく刀身を曝け出す。幾多の修羅場をともにくぐり抜けてきた僕の相棒だった。
そして、全ての準備を終えたところで、――〝G〟が視認できる位置にまで現れた。
「うっ……」
「あはは、綺麗!」
実物を目にして多少の嫌悪感を抱く僕に対して、エリは狂信者のように笑っている。どうやらきちんと催眠が効いているらしい。
効きすぎて突撃していったりしないか心配になるが、しかし幸い頭は冷静だったようだ。エリは即座に僕の邪魔にならない、けれど〝G〟を視界に収められる位置にまで移動した。
詠唱を始めたらしいエリの気配を背中で感じながら、僕は〝G〟と対峙する。もう嫌悪感はない。結局のところ、室外で見るゴキブリなんてものは、室内でカブトムシのメスを見るようなものだった。
〝G〟は自分が罠に嵌められたことを理解しているのか、追い詰められた捕食者が浮かべる、あのある種独特の表情で僕のことを見ていた。
僕は気を引き締める。これからは一瞬の油断も許されない。油断した先に待つのは死だけだ。
僕は自分の役目を心に言い聞かせる。
〝G〟を仕留めるのは僕の役目じゃない、エリの役目。僕ら騎士の役目は、詠唱のあいだ魔法使いを守ることだ。
風が唸りをあげ、雨は激しく木々を打つ。そして、戦闘が始まった——。
「——GYAAAAA!!!」
言葉にならない咆哮を発し突進してくる〝G〟を、僕は剣を構えて迎え打つ。
〝G〟の繰り出す連撃を僕は余裕を持って捌いていく。手数は多いが単調な攻撃。前回出現した植物型の〝残滓〟である〝スギ〟に比べれば、特殊な攻撃をしてこないぶん楽に戦えていた。
だけど油断することなく僕は気を張り続ける。ここは戦場。何が起こるかわからない場所。格闘技の世界でだって、一発のラッキーパンチで勝敗が逆転するなんてことはザラにあるのだから。
背中ではエリが集中を高めていくのを感じていた。
エリの実力であれば、昆虫型の〝残滓〟を倒すための魔法を放つための時間は五分もあれば充分のはずだ。あともう少し。その時間を耐え切れれば、僕らの勝ちだ。
十月の冷たい雨が容赦なく身体を打ち付けるなか、僕は決死の打ち合いを続ける。一合、二合、三合——。
どれくらい攻撃を凌いだだろうか。〝G〟の力に腕が痺れ始めたところで、遂にその時がやって来た。
「――離れて、センパイ!」
「ッ!!」
声に反応し、慌てて飛び退く僕の目の前で、エリによる渾身の魔法が発動した。
「――〝エア・ゾ・ゲイル〟!!」
爆風が広がった。衝撃が大地を揺らし、雨を吸い込んだ泥を周囲に舞い散らせる。避け切れず吹き飛ばされた僕はなんとか頭を庇いながら転がり続け、太い幹に衝突して止まった。
「ぐっ」
痛みに息が漏れた。しかし僕はすぐに身体を起こして立ち上がる。まだ決着がついたわけではない。
だけどそれは杞憂だったようだ。
衝撃が収まったあと、地面には、圧縮された〝G〟の残骸が転がっていた。僕は痛む身体に鞭を打って近づいていく。それから〝残滓〟としての力を使い果たした〝G〟が光のシャボン玉へと変わるのを見届けたあと、そっと呟いた。
「……やり過ぎだよ、まったく……」
やはり生理的嫌悪感を誤魔化しきれなかったのか、エリは〝G〟に対して必要以上の力を使ったようだ。
文句を言いたくなるが、けれど〝残滓〟を倒した事実に変わりはない。僕は呆れながらもエリの元まで歩いて行き、労いの言葉を掛けることにする。
「お疲れ、エリ。さすがの威力だったよ。もう少しで僕も巻き込まれるかと思ったけどね」
「……」
しかしエリは僕の言葉に反応せずに、魔法を放ち終えた格好のままじっと虚空を見つめている。
「……エリ?」
聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかける。
やはりエリからの反応はなかった。
「——おいエリ! どうした!? しっかりしろ!」
流石に事態の異変を察した僕は、エリの肩を揺する。しかしエリは力なく僕の身体に崩れて落ちてきた。
「おい! エリ! くそ——」
即座に端末にむかって叫んだ。
「——大変だエリック!! エリが倒れた!」
『落ち着いて。すぐに救護班を回す。とにかく君は周囲の安全を確保するんだ』
僕とは対照的に、エリックは冷静に指示を飛ばしてくる。不測の事態にこそ冷静になることがオペレーターの役目。今は何よりも有難い。
僕は上着を脱いで、エリの身体を包むと、これ以上雨に打たれないように木陰に寄り掛からせる。
そして彼女の手を取りながら、
「目を開けてくれ、エリ!」
僕は祈る。彼女の無事を。祈るべき神に一度は裏切られながらも、しかし僕にはそれに祈ることしかできなかった。