海月になったお姫様と三人目の求婚者
とある国でお触れが出された。
呪われた姫の呪いを解いた者に姫を与えよう。
そう、とある国の姫は呪いを受けて人ならざるものになっているのだ。
その国の姫はとても美しい姫君だったというのに。
いや、美しい姫だからこそ呪いを呼んでしまったのだろう。
彼女は美しすぎ、海を越えた敵国の王子でさえも彼女を妻に欲しがったほどである。
しかし当時はそれこそ停戦を呼ぶ素晴らしい事だと両国は湧き、その結果として、両国の友好の証として姫は敵国に嫁ぐことが決まった。
美しき姫は真っ白のドレスを纏い、金銀財宝で着飾らされた。
その花嫁姿は海の底のサンゴのように美しかった。
姫は類まれなる宝石の扱いで船に乗せられ、敵国に向かって船出した。
けれども、姫が乗った船は敵国に辿り着くことは叶わなかった。
突如航路に現われた海賊船に襲われて、姫の乗る船は海に沈んだのである。
誰もが姫の生存に望みは無いと諦めた時、彼女は金色に輝きながら波間に浮かんだ。
誰もが喜び、急いで彼女を海から取り上げたが、彼女は既に以前の彼女では無かった。
助け出されたはずの姫君は、抱き上げられたそこでドレスからつるんと零れて人々を驚かせた。
驚かせたばかりではない、恐慌を生んだ。
甲板に落ちた彼女は、時々金色に輝くゼラチン状の塊でしかなくなっていたのである。
阿鼻叫喚で人々が混乱する中、姫の侍女が姫であった物体が誰かに踏みつぶされる前にと、大きなガラス瓶でもって彼女をそこに入れ込んだ。
そして、侍女はその瓶を姫の両親である王と王妃の前に差し出したのである。
恐れながら、と。
王妃は気絶し、王は一週間は言葉を失った。
しかし王は言葉を取り戻すやすぐに、娘を救おうとお触れを出した。
魔法使い魔術師、あらゆる祈祷師を呼んで姫を元通りにしようと試みたのである。
けれども、何をしても何を唱えても姫君の体は元には戻らない。
姫君はガラス瓶の中でぷよぷよと震える半透明のゼラチンのままである。
姫の不幸の報によって、敵国だった王子は自国内で一番美しい女性と結婚し、姫との婚姻を無かったことにして逃げた。
その王子の薄情な行為によって、皮肉ながら両国間の和平は尚更に固くなった。
王子の国は王子の行為を取り繕うために友好的になり、姫の国は傷心だからこそ感謝の気持ちでその友好的行為を受けいれたのである。
そして、当の姫君は、彼女の部屋のベッドの中に置かれた。
王にも王妃にもとても大事な娘であり、彼らは大事な娘がまだ生きていると信じ、信じるために娘が生きているものとして振舞う事にしたのである。
このままでは喪失感だらけの王によって国は滅んでしまうかもしれない。
そのような未来を心配した宰相達が王に提案したのは、瓶詰の姫君を誰かに嫁がせるという事だった。
王城にガラス瓶という姫君の墓標がある限り、王も王妃も姫君を思い切ることは出来ないだろう。
彼らはそう考えたのである。
そして、王も王妃も、愛される事で娘が元に戻るという夢物語に縋った。
そこでの今回のお触れである。
呪われた姫の呪いを解いた者に姫を与えよう。
一人目の求婚者は、王位を望んだ姫君の従兄であった。
姫君の従兄だけあり、姫と同じ輝く金髪に真っ青な瞳を持った、国中の若き女性達の誰もが結婚したいと夢見る王子様である。
しかし彼は、姫君入りのガラス瓶を手に入れた者が王位を継承できるどころか国外退去となると聞いて、すぐさまその申し出を引っ込めた。
二人目は、婚姻の見返りに船が欲しいと望んだ男である。
一夜にして全ての持ち船を失った破産者でもあった。
真っ赤な髪にエメラルドグリーンの瞳をした彼は、若く美しいだけでなく大柄な体も相まって、海の商人というよりも奪うばかりの海賊のように見えた。
そんな荒々しい雰囲気の若い男の出現は、一瞬で城の女官達を沸き立たせたほどだった。
彼は船さえあれば海の果てまで姫君を連れて行けると豪語した。
けれども、豪商は姫君入りの瓶を手にしようとしたそこで、突如雪崩れ込んで来た粗野な風貌の男に襲いかかられて床に打ち付けられた。
王の間において、首の骨が折れる音が無情に響いた。
「何をするのだ!無礼者が!」
宰相が突如現れた慮外者に叫んだ。
しかし男はその怒号に怯むどころか、堂々と言い返した。
「この男が姫の船を襲った海賊の首領です!」
王の間はよくとおる男の声に静まり返った。
そして、男はさらに言葉を続けた。
「求婚させてください、姫君に。それにふさわしくあるように、姫の船を沈めたこの男の船を全て沈め、この男と通じていた将軍バルビヤスに罪の咎を受けさせました。」
王の間の人間達は言葉を失うだけである。
バルビヤスは名ばかりの将軍ではなく、戦においては残虐非道な狂戦士ともなれる男であったのではないのか、と。
全員が全員、バルビヤスを倒したと告げた男、三人目の求婚者となる男を見つめた。
三人目の男の風体は、元奴隷と言っても良い姿であった。
髪は短く刈られ過ぎている。
筋肉質の体には傷だらけで、纏っている衣服は異国の物にしか見えないが、それでも下級の民のものとしか見えない粗い布地の粗末なものだ。
そんな男であったが、王と王妃に跪いた素振りは気品があった。
そのため、王の間にひしめく者達は、その男を玉座に座る王と王妃の前から追い払うタイミングを完全に失った。
そして跪いている男は、誰もが見守る中、静かな声で王と王妃に訴え始めた。
「姫様を守り切れなかったのは私の不徳の致すところ。私の邪な心によるものです。私は姫様に焦がれ、姫様を守ると誓ったのに、姫様が他国に嫁ぐというその絶望で全てが見えなくなった愚か者です。私が失意のまま閉じこもっていたせいで、姫様の身に不幸が起きました。ですが私は姫様を愛しています。姫様を愛していました。姫様の御身を戴けるのならば、地の果て海の底、どんなところにも私は参りましょう。」
男は百人隊長の一人であり、デューンと言う名の戦士だった。
黒い髪に焦げ茶色の瞳をした筋肉質の大柄な男。
剣を持てば重装騎兵でも一振りで打ち払える、一騎当千は彼を表す言葉だと言われていたほどの猛者でもある。
軍においては下級兵士達から守護神と呼ばれ尊敬を集めていたが、無骨さばかりが目立つ大男である彼は高官や貴族におべんちゃらを使うという政治が出来ず、前線ばかりに追いやられていた境遇の人でもあった。
姫君の船出の警護になど、彼が閉じこもっていようがいまいが、彼が選出されるはずも無かったのである。
よって、デューンの物言いに返って来たのは、嘲笑だった。
もちろん、王と王妃が笑ったのではない。
王の間にひしめく臣下達だ。
船出の責任者はあいつでは無かっただろうに。
可哀想に、バルビヤスに責任を取らせられてのあの姿なのか。
それの報復にバルビヤスを殺したのでは。
まあ、良い。海の底にその咎で沈めてしまえ。
「姫の夫となる男はこの国から出て行かねばならぬ。それは覚悟の上か?」
王の声は周囲の嘲笑の悪意をも黙らせるような、威厳のある、また、自分に跪く臣に対して思いやるような声音を持っていた。
そして、デューンが王に答えた声は、死刑をも受け入れそうなものだった。
「どこにでも参ります。」
さらにその後に続けたデューンの声は、苦痛に満ちているものだった。
「そもそも、姫様を愛していたならば、私は姫様を連れて逃げるべきでした。」
絶望を抱えた者が振り絞って出したような声で、先程まで彼を笑っていた者でさえも胸が痛んで言葉を失った。
王も、王妃も。
いや、王妃はデューンに尋ねていた。
「あなたがそこまで娘に恋をしているのは、娘が誰よりも美しかったからでしょうか?あなたは幻影や月に恋をしたのでは無くて?」
デューンはゆっくりと首を振った。
「では、あなたは我が娘のどこに恋をしたの?」
デューンはゆっくりと顔を上げた。
そこで王妃は初めてハッとした。
大きくて怖いと誰もが思っていたはずの男の顔は、こうしてしっかりと眺めてみれば、目鼻立ちも下卑たところも無く整っているではないか、と。
また、自分を見据える瞳は知的な輝きも見え、額から鼻筋は高貴ともいえる見事なものではないかと見惚れてしまうほどなのだ。
王妃だけでなく、王こそも。
見下していたはずの単なる兵士が、自分の親族の誰よりも威厳もある男であったのではないかと初めて気が付いたのである。
「百人隊長だったデューンよ。妻の質問に答えよ。お前は姫の美しさでは無いどこを愛したのだ。」
デューンはゆっくりと目を瞑り、そのまま夢を見ているようにして答えた。
その声は滑らかで、低音の笛が音楽を奏でるようでもあった。
「姫様は私にありがとうと言って下さりました。あなたが守って下さるから私達は安心して暮らしていける、と。私の存在を認めて下さっておりました。」
再び王の間で嘲笑が起こった。
なんて馬鹿な男だと、王族のリップサービスに本気になった阿呆だと、居合わせている彼らはさざめき合って笑い合った。
どん。
王は杖で床を打った。
自分の臣民を黙らせた後、王妃が抱える小さな瓶、赤ん坊程度の大きさのガラス瓶を手に取ると、それをデューンに差しだした。
「やろう。我が娘を貴様に。」
「ありがたき幸せ。」
デューンは瓶を受け取り、壊れ物のようにして、だが、しっかりと胸に抱いた。
「姫様。プルモー様。一生あなたを愛します。」
ぱひゃん。
瓶が粉々に割れ弾け、デューンの腕の中には白き美しき娘がいた。
金色の髪は太陽を反射する波間の輝きであり、彼を見返す大きな瞳は真っ青な海の色そのものである。
唇も頬も桜貝の様な仄かなピンク色だ。
そんな女神か妖精かと見紛うばかりの美しい彼女は、生まれた時のままの姿で、デューンの腕に抱かれているのである。
けれども、宝石が一つも無くとも、生まれたままの姿だったからか、彼女は月の輝きよりも輝いて美しかった。
デューンは姫を抱いたまま器用に自分のボロボロの服の上着を脱ぎ棄てると、その服で姫君をそっと包んだ。
彼女はデューンを見上げると、嬉しそうに微笑んだ。
「愛しているあなた以外の人に嫁ぐのならば、私は死んでしまいたいと思いました。だから、海の底に沈んでいくときも全く怖くはなかったわ。そして、脅えが無かったから、海の魔物が私を気に入って下さったの。私の宝石と引き換えに私の想いを叶えて下さるとおっしゃったのよ。」
「あなたの望みはクラゲになることでしたか?」
「私が愛している人が私を愛してくれるその時まで、私は海の生き物になってしまうという呪いを頂いたの。醜くて私とは思えない海の生き物。」
「クラゲでもあなたは美しかったですよ。」
「まあ!もう一度戻りましょうか?ふふ、嘘です。ガラス越しの恋はもう十分よ。」
白く美しい両腕はデューンの首に巻き付いた。
デューンは妻となる最愛の人を抱き締め、彼女の肩に顔を埋めた。
「美しい人、最愛の人。私から一つだけ尋ねても良いですか?」
「愛しているあなた。なんでもよくってよ。」
「私は片思いでしか無いと思っておりました。あなたは私のどこを愛して下さったのですか?」
デューンが愛する女性はデューンの腕の中でくすくすと心地よい笑い声をあげながら、彼の目をうっとりと見つめながらはにかみながら答えた。
「素晴らしいご自分を飾ることに無頓着な所ですわ。でも、だからこそ私自身をあなただけは見つけて下さっていたのね。」
姫君とデューンはその日のうちに婚礼をあげて夫婦となった。
デューンと一緒にさせないと、姫がまたクラゲに戻るかもしれない。
王も王妃もそう考えて脅えてしまったからである。
さらに、二人は国外退去になどならなかった。
元通りになった姫を王も王妃も手放すわけはなく、また、姫が愛した男性が国を守るには最高の男であるならば、誰が外に出すというのか。
お読みいただきありがとうございます。
いつもと違って魔法がありきの古代に近い大昔の世界です。
寡黙で武骨な、そして貧乏くじが多い人生に生きる男という設定は好きです。