聖女様、村へ行く(2)
この村の村長、アズラと名乗った彼へ向けられたアノリアの切っ先が震えている。
一方、バンパイアロードと呼ばれ、剣を向けられている彼は怯えることも、私達を襲うような素振りも無く、ただ酷薄に笑みを浮かべている。
彼はバンパイアを統べる者。ただの一介の聖女である私ではどうしたって勝てることなんてできない相手。それは剣を向けるアノリアもそれは分かっているのでしょう。高位神官による祝福を受けたそれであっても、彼女では手も足も出ないでであろうことは分かり切っている。
だからこそ、彼女は自らが犠牲になってでも私をこの場から逃がそうと動いた。
十字の意匠が施された大楯を左手に構え、私を背に庇う。
「答えろバンパイアロード。いったい何が目的で主殿をこの村に誘い出した!」
アノリアの問いかけに、アズラ様はふむと頷いてみせた。
「セイクリッドナイトの少女。私の正体が何なのか知れば確かにその態度は正解だ。しかし、私はただ聖女派遣協会に依頼をし、そこの聖女様に来てもらった」
「セラですわ、アズラ様」
「おっと、これは失礼を、セラ様。そちらのセラ様に来ていたのだよ。そして、この依頼は正式に聖女派遣協会に依頼として受理されている。そうでしょう、セラ様?」
「ええ、その通りです。盾と武器を下ろしなさい。アノリア」
聖女派遣協会に依頼が来た場合、まずは協会の職員がその依頼者の事を徹底的に調べ上げる。それは過去に協会の聖女を害そうとする不逞の輩が多かったことから、依頼者については身元を明らかにすることが徹底されている。そうして、その依頼者から提示された情報に不備が無いことが確認されてから依頼が受理されるのだ。
そしてそれは、依頼主について、何の悪意も無いことを協会が認めたという事でもある。
「協会の事はアノリアも知っているでしょう。彼が依頼主である以上、私が何かされることはありませんよ。そうでしょう、アズラ様?」
「そうだとも、誓ってセラ様を害することは無いと誓おう。生憎と私の誓いを立てられるような相手は今はいないがね」
アノリアの背に手を当て、落ち着かせる。
「あなたがいつも私を一番に考えてくれているのは知っていますが、過保護に過ぎます」
「……承知いたしました」
そう言って、彼女は渋々といった様子で武器を下げた。
「依頼主に対しこのような態度、申し訳ございません」
「何、君の態度は正しいものだ。気にすることは無い。立派な忠誠心ではないか。それでは改めて、デッドマンズヴィレッジへようこそ」
頭を下げたアノリアに特に気にした様子も無く、彼は彼女の肩を叩いた。
そうして彼が開いた扉を私達は潜った。
◇◆◇◆
村長の家はよく見る村の住宅といった様子だった。
木製の住居はリビングには質素な作りの椅子やテーブルが置かれ、奥には台所があることも見て取れる。そこに人影が立っていた。質素な黒いドレスを着ていることから女性ということがわかる。
「アズ、お客様かしら?」
「ああ、エリーゼ。話していた聖女様が来てくださったよ」
台所に立っていた人物が振り返った。青白い顔とダークブラウンの髪。切れ長の目元と、赤い瞳が印象的な女性だ。
彼女と目が合う。ふ、と柔らかな笑みが向けられる。
「セラ様、彼女は私の妻、エリーゼです。エリーゼ、彼女は聖女派遣協会から来ていただいた聖女、セラ様とその護衛のセイクリッドナイト様だ」
「アズラの妻、エリーゼと申します。遠路はるばるようこそいらっしゃいました、セラ様」
エリーゼ様が優雅に礼をする。その姿に育ちの良さを感じられるけれど、そこは詮索するまい。
「ご丁寧にありがとうございます。エリーゼ様。聖女を務めさせていただいております、セラと申します。それとこちらは私の護衛を務めております、アノリアです」
「アノリアと申します。どうぞよろしくおねがいいたします。エリーゼ殿」
「エリーゼです。よろしくお願いいたしますね、アノリア様。ドワーフの方を見るのは久しぶりだわ」
「さあ、早速依頼の話をいたしますので、そちらにお座りください」
アズラ様がダイニングの椅子を指し示す。私が椅子に腰かけ、アノリアは私の斜め後ろに立つ。
「私はただの護衛ですので、どうかお気になさらず」
そんな彼女の言葉に彼は小さく肩を竦めた。
そして、彼は私が向かいに腰掛け、口を開いた。
「さて、私が聖女派遣協会へ依頼した内容をお話いたしましょうか。協会から簡単には依頼内容は伺っておりますでしょうか」
「はい、結界術式の修繕と伺っておりますが、合っておりますでしょうか?」
「ええ、その通りです。実は、この村には特殊な結界が施されているのですが、その効力が最近弱まってきていまして、セラ様にはその結界術式の修繕をお願いしたいのです」
「……どのような結界なのか伺ってもよろしいでしょうか」
一般的にはこういった村や町に施される結界は主に魔物除けがほとんどです。けれど、この村に住む者達はアンデッド。つまりは魔族や魔物に分類される者達。だから彼らにとって、一般的な結界は害にしかならないはずです。
それに、この辺りの魔物が仮に襲ってきたところで、目の前のアズラ様やこの村の者達であれば蹴散らすことくらい造作も無いだろう。
「ふむ、あなたの疑問ももっともですね。この村の結界は外界から来る者を拒む結界なのですよ。見ての通り、この村はアンデッドの村ですから、外界の者に知られてしまえば我々は討伐されかねませんから」
「なるほど、ですが、人除けの結界であれば私達がこの村には入れたのは何故なのでしょうか」
「それも結界の効力が弱まっているのが原因でしょう。本来はこの村へ来る意思の強い者でないとここへは来ることが出来ないのですよ」
「だから私にその結界の修復をお願いしたいという事ですか」
「ええ、聖女の奇跡にはそのような結界もありましたから」
「お詳しいのですね」
「私も過去聖女の奇跡を目の当たりにした者の一人ですから」
「なるほど、分かりました。それでは、まずはその術式を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「おや、早速ですか」
「ええ、その結界の術式には私も興味がありますから」
聖女の奇跡に関係する結界なんて気になるに決まっている。
「分かりました。では、ご案内いたします」
そう言うとアズラ様は席を立った。
私も席を立ち、彼の後ろを付いて歩き、私の前にアノリアが付いた。
案内されたのは村長宅の地下室だった。台所の脇にある床の取っ手を引き上げることで床の扉が開いてそこにあった階段を下りていく。
アズラ様が脇に備え付けられた燭台に火を灯すと薄ボンヤリと辺りが照らされる。
「私は種族柄暗闇に慣れておりますが、足元にお気を付けください」
「主殿、私の手を」
アノリアの差し出した手を取り、木製の階段を下りていき、保存食等が棚に整然と置かれた保管庫といった様子の地下室の奥にそれがあった。
レンガ造りの壁に金色に輝く私の掌ほどの大きさの円陣が描かれていた。
「アズラ様、これですか?」
「ええ、そうです。これがこの村の結界の術式です」
明かりが無くともそれ自体が薄く発行し、神聖文字が円の縁をなぞる様に緻密に書かれている。
そして、何故だか私はそれを懐かしいと感じていた。
「アズラ様、私何故かこれを知っているのです」
私はこの村を訪れたことなど無いし、目の前の術式も見た事なんて無かった。
けれど、私ではない私の記憶が、それを知っていると語りかけてくる。
「やはりそうですか。どうか修復をお願いいたします」
私の指先が円をなぞる。私の指の動きに合わせて神聖文字が輝きだす。
そして、自らの意思とは関係なく唇が言葉を紡ぐ。
それはこの地に住む者達を慈しむ言葉。彼らを尊び、守ることを願った想いそのものだった。
それが終わった時、私の中から魔力がごっそり抜き取られ、疲労感にその場に膝を付いていた。
「主殿、大丈夫ですか!?」
そんな私をアノリアが後ろから支え、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
小さな身体でも私の事をしっかりと支えるその力強さには安心する。
「大丈夫よ、アノリア。少し疲れただけだから。でも、これで術式の修復は済みました。どうですか、アズラ様?」
「少々お待ちを。……ふむ、確かに昔のような効力を感じます。修復、ありがとうございます」
アノリアに支えられる私に視線を向けて、アズラ様は頭を下げた。
「お二人とも今日は結界修復の礼も兼ねて、我が家にお泊りください」
「ですが」
「そのようにお疲れなのです。それに私は、そんな女性を用が済んだからとすぐさま放り出すような人でなしではないつもりですよ。人ではありませんが」
私の言葉を遮り彼は話を進め、彼の言葉に素直に頷いたアノリアは私を横抱きにして地下室の階段を昇って行った。
それからアズラ様から私達が今日は泊っていくことを聞いたエリーゼ様が目を輝かせて、「我が家に泊まるお客様なんて何十年ぶりかしら」と嬉しそうに語った。
◇◆◇◆
村長宅の二階にある客室に案内され、私はそこにあるベッドに転がされた。
「体調はいかがですか、主殿?」
「魔力を使いすぎただけだから、一晩休めば回復するわ。心配しすぎよ、アノリア」
この部屋に一つだけのベッドの脇に椅子を置き、それに腰掛けるアノリアを見る。
鎧を脱ぎ、身軽な服装の私の騎士は、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
そんな彼女の頭を撫でる。
「言ったでしょう。私は大丈夫だから。ん、あら?」
ふと、ベッドの傍の窓から見える村の様子は等間隔で松明が灯され始め、そこかしこで賑やかになり始めていた。
見える範囲にいるのは大半がスケルトンだけれど、そこに交じってグールやバンパイアの姿もあった。
彼らは皆理性的に振る舞う、昼夜は逆転しているけれどまるで人間のものと変わらないごく当たり前の村の景色だった。
「ここには本当にアンデッド達だけしかいないのですね」
彼らアンデッドが人間の様に語り合い、共に生活をしている。
一般的に人が死した後、魔族の持つ魔力が空となった遺体に収まることによりアンデッドが誕生すると言われている。
けれど事実は、彼らは自然発生する魔力の発生スポット、魔力溜まりに遺体が長期間晒されることによって高濃度に圧縮された魔力が、生存本能という原初の意思のみを宿した存在なのである。それが、長い時を掛けて生と死に向き合い続けてきた私達聖女の見つけ出したアンデッド発生の解答だった。
故に彼らアンデッドには意思はあるが意識は無い。錬金術師が生み出すゴーレムの様に魔力から与えられた命令に従うだけの人形に過ぎない魔物と呼ぶような存在のはずだった。
「不思議なものね」
私達聖女にとって、本来彼らアンデッドは浄化という救済によって救われるべき存在だ。
けれど、彼らには救済は必要無く、二度目の生を精一杯に謳歌しているように見えた。
「彼らに、意識が存在するのが不思議かしら?」
声を掛けられ、見れば扉の前にはエリーゼ様が立っていた。
「突然ごめんなさい。お夕飯を持ってきたのだけれど、食べられそうかしら?」
言った彼女の手には何やら湯気を立ち昇らせる皿が二枚乗せられた盆があった。
彼女は部屋の木製の小さな円形のテーブルにお盆を乗せる。
「はい、いただきます。ありがとうございます」
「アタシがお持ちします」
椅子から立ち上がり、皿を手に取ったアノリアが私の隣に戻ってくる。
それは乳白色のシチューだった。
一口程度に切られた野菜と、僅かながら小さな何かの獣の肉が浮いていた。
湯気と一緒に、良い香りが私の鼻腔を擽る。
「冷めないうちにどうぞ」
エリーゼ様の言葉に頷き、皿に差し込まれた匙を手に取ろうとして、それを横から攫われた。
「主殿に負担を強いるわけにいきませんから、アタシがお世話いたします。はい、主殿あーんですよ」
「ちょ、ちょっとアノリア、私は一人で食べられるから! ンむグ!」
私の口に無理やり匙を差し込むアノリアに抗議の視線を送るが、そんなものにはまるで意に介さないといった様子で彼女は私の口元にシチューを運ぶ。
私の世話にご満悦の様子のアノリアに目を瞑りつつ、やはり香り同様に素晴らしい味にしばし料理を楽しむことにする。
「ふふ、お二人は仲がよろしいのですね」
私達の様子を目を細めて眺めていたエリーゼ様が小さく微笑む。
「私達聖女と護衛騎士は運命共同体ですから、自然と仲が良くなるのです」
「運命共同体、ですか?」
「はい、私達聖女を守り戦う彼女達護衛騎士、セイクリッドナイツは聖女と契約を交わしています。それは自身の主となる聖女を生涯を掛けてあらゆる害悪から守り抜くという、絶対の契約。そして、それが果たされなかった場合、彼女達は主である聖女と共に命を落とすのです。だから、私達聖女と護衛騎士は運命共同体なのです。良好な関係を築くことのできない主従は早死にしますから」
「そうです。主殿にはアタシだけいれば良いのです」
私の言葉に、微かに仄暗い瞳を輝かせるアノリアに嘆息する。
「まるで、愛を誓う夫婦のようね」
「確かにそうかもしれませんね」
エリーゼ様に肩を竦め、私は口を開け、そこに適切なタイミングで匙が突っ込まれる。
「それで、この村は一体何なのですか? これだけのアンデッド達が人知れず村を形成し、今日まで人間に知られること無く平穏に暮らしている、この奇跡のような村は」
「……それは、また明日の朝お話いたしますよ、セラ様」
私の言葉に、エリーゼ様の後ろからアズラ様が顔を出した。
「エリーゼ、セラ様はお疲れだから、あまり話し込むのは良くないよ」
「アズ、そうね。私ったら、ごめんなさいね。セラ様。明日、またお話ししましょう。お皿は扉の前に置いておいてくれたら、後で引き取りに来るわね」
「はい、ありがとうございます。美味しいシチューありがとうございます」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
私に一つ礼をしてエリーゼ様はその場を後にして、アズラ様はその後を追いかける様に私達に背を向けた。
「今日は本当にありがとう、セラ様。あなたが来てくださったおかげで、この村は救われた」
彼は私達に声を掛け、静かに扉を閉めた。
それから、揃ってシチューを食べ終えた私とアノリアはこの部屋に一つしかないベッドに一緒に潜り込み、互いを抱きしめ体温を感じながら眠りについた。
そして、私は夢を見た。