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黒塗りの高級車

 妹たちに危害が及ぶかもしれない。

 そう考えると、朝食もろくに喉を通らなかった。

 授業にも集中できない。

 腹がゴロゴロしている。

 自分がこんなにプレッシャーに弱い男だとは思わなかった。いや、うすうす気づいてはいたのだが、こうして現実を突きつけられると、みずからの無力感に負けそうになってくる。


 いつの間にか放課後を迎えていた。

 俺は人のまばらな駐輪場で自転車にまたがり、ぼうっとしたままこぎ出した。


 初夏の昼下がり。

 まださほど暑くもなく、むしろ春の気配をかすかに残していて、穏やかでさえあった。


 校門を出ると、いきなり男に呼び止められた。

「八十村さま。失礼ですが、少々よろしいでしょうか」

「えっ?」

 体は大きくない。背も俺と同じくらいか。だが、学校に似つかわしくない風体。スーツを着た品のいい初老の男性だ。

 まさかとは思うが、榎本将記の放った刺客ではなかろうな。


 すると黒塗りの車がやってきて、行く手をさえぎるように停車した。窓が開き、顔を覗かせたのは髪をオールバックにした榎本将記。

「そう警戒するな。少し話がしたい」

 いきなりご本人がお出ましとは……。


 初老の男が後部座席のドアを開き、入るよううながした。

 罠かもしれない。

「いや、自転車は……」

 俺がそう言いかけると、榎本将記は静かに応じた。

「部下が駅まで運ぶ。お前はなにも心配するな」

「どこに連れてくつもりだ?」

「駅まで送る。その間、話をしたい」

「そんなこと言って、俺を消すつもりじゃないだろうな……」

 俺は精一杯の勇気を振り絞って言い返した。

 敵はこんな黒塗りの高級車で乗り付けて来たのだ。自分の力を見せつけているとしか思えない。


 だが、榎本将記はフッと笑った。

「見ろ。俺たちの姿はすでにカメラに納められている。もしお前の身になにかあれば、まっさきに疑われるのはこの俺だ」

「……」

 振り返ると、帰宅途中の生徒たちが、この物珍しい光景を納めようとスマホで遠慮なくパシャパシャやっていた。本当にこいつらは、当人の了承も得ず勝手に撮る。

 俺は自転車からおり、スタンドを起こした。

「分かったよ。話に乗る。平和な話し合いだっていうなら、だけど」

「約束する」


 車のことはよく分からない。が、やわらかな革張りのシートに身をうずめた時点で、自宅の安物とは桁違いの車だと理解できた。

 ガタイのいい運転手までついてやがる。


 榎本将記は赤い学生服を着ていた。

 たしか有名な進学校のものだ。全寮制だったはずだが……。わざわざ俺と話をするために、外出してくれたのかもしれない。


 自動車はゆっくりとスムーズに発進した。

「結論から言うぞ。俺に手を貸せ、八十村博士」

「はぁ?」

 相手はおそらく上級生だ。普段なら、俺だってこんな失礼な態度はとらない。だが、事情が事情だ。仲良くするつもりはなかった。

 彼は余裕のある表情を変えなかった。

「もう少し勘のいい男だと思っていたが」

「昨日……いや今日か。互いに敵だってことを確認したばかりだろう」

「あの世界ではな」

「話が見えない」

 俺が疑っていると、彼はかすかに溜め息をついた。

「アルケイナですべてを語ることはできない。ソフィアに知られるからな」

「えっ」

「お前も気づいているはずだ。俺たちを戦わせようとしているのがソフィアであることを」

「アイツはたしかに怪しいが……」

「アレは敵だ。俺たちの手で倒す」

 結論が早すぎる。

 いや、俺だって、ソフィアと戦うことになるかもしれないとは、ぼんやり思っていたが……。

 こちらが返事に困っていると、榎本将記はこう言葉を続けた。

「アルケイナについてはいろいろ調査した。これがその資料だ」

「えっ」

 渡されたのは小冊子。プリントされた紙を束ねただけの簡素なものだが、きちんと表紙まであり、タイトルには『アルケイナに関する調査結果』とあった。

「過去に似たような現象がなかったか、あらゆる調査網を使って調べあげた。とはいえ、所詮は夢の話だ。公的な記録はほとんど存在していない。手がかりのほとんどは、インターネット上で見つけた。真偽の怪しい情報も含めて、な」

「これ、ぜんぶ一人で?」

「まさか。大人の力を借りた」

「すごい。でもネットかぁ……」

 こんなふざけた戦争が、そうそう頻繁に起きているとは思えない。おそらくは数百年に一度。そんなレア情報が、インターネット上で見つかるだろうか。


 榎本将記はオールバックの髪をなでつけた。

「なにもないよりマシだ。事実かどうかはともかくな。分かったことは、似たような事件が、数年単位で起きているということだ」

「えっ?」

「そして参加者は、追跡できた限り、ほとんどが短期間で死亡している」

「はぁ? え、いや、だって……そんなに頻繁に?」

「すべてを疑え。俺たちは騙されている。あそこで起きているのは戦争などではない。俺たちを使ったデスゲームだ」

「……」


 そんなバカな、と、言いかけた。

 だが、バカげているというのなら、そもそもの話からしてバカげている。異世界での戦争。壊されるためだけに現れる自動機械オートマタ。そして殺し合う運命の戦士たち。

 あまりにもデキすぎている。

 ゲーム形式のチーム戦。負ければ寿命を奪われる。俺たちは必死で戦うだろう。

 榎本将記の説を信じたほうが、まだしっくり来る。


「ソフィアの目的は?」

「まだ分からない。だが、なにか明確な目的がある。八ページ目を見てみろ。生存者の証言によれば、ソフィアは参加者の戦いを……戦いによって生じるエネルギーを、何者かに捧げているらしい。その結果として、なにが起きるかまでは不明だが」

 俺は必死でページをめくった。

 数少ない生存者。イギリス人女性。キンバリー・ブランダイス。顔写真まである。二十代だろうか。まだ存命中とのことだ。

 プリントには彼女の証言が記載されていた。

 ソフィアは参加者同士の戦いを、とにかく煽っていたらしい。戦いそれ自体がなにかの儀式なのかもしれない。一連の戦いが終わってブランダイス氏が解放されたとき、ソフィアは「願いは叶わなかった」と嘆いたという。


 頭にすべてのデータが入っているのか、榎本将記は資料へ目も向けずこう続けた。

「キーを握っているのは、おそらくフォルトゥナだろう」

「フォルトゥナ?」


 どこかで聞いた名前だ。

 フォルトゥナ……。フォルトゥナ……。フォルトゥナ……。

 体の奥底に、奇妙な感情が湧いてきた。

 なにかを思い出しそう。

 だけど、違うかもしれない。


「ローマ神話に出てくる運命の女神の名だ。そいつがアルケイナ界に、参加者として紛れ込んでいる」

「えっ?」

「驚くことはない。おそらく女神を自称しているだけの……なにかだ」

「じゃあ、俺たちと同じ人間?」

「それは分からない」

「どういう……」

「ページ下の注意書きを読んでみろ。フォルトゥナに関する情報がある」

「うん……」


 記述によれば、ブランダイス氏は、何度かフォルトゥナに助けられたらしい。

 そいつは神出鬼没で、どのチームにも属さず、戦局をひっくり返す力を有しているという。役割ロールは「車輪ホイール・オブ・フォーチュン」。


 ソフィアの話では、今回、十七の戦士が参加しているという。うち十枠がチーム・ブラックとチーム・ホワイト。だからフォルトゥナがいるとすれば、残り七名のうちの一名ということになる。


 俺はふと疑問をおぼえた。

「で、えーと、このフォルトゥナって人……今回も参加してるってこと?」

「ああ」

「じゃあ、この付近に住んでるの?」

「所在はまだつかめていない」

 榎本将記は浮かない顔で窓の外を見た。

 もしかしたら不安なのかもしれない。


 車は駅の駐車場に入ったが、俺はまだ腰を落ち着けていた。

「じゃあ次の質問。このフォルトゥナって参加者が、俺たちの戦いにどう関わってくるんだ?」

「ヤツには特別な力が備わっている。ソフィアの定めたルールさえ簡単に超える。昨日も俺たちは、領域テリトリーを超えてお前たちに会いに行っただろう? あれもフォルトゥナの力によるものだ」

「えっ? じゃあ、そっちの味方ってこと?」

「違うな。おそらく誰の味方でもない。俺たちの前に現れたのも、ただの気まぐれだろう。領域テリトリーを超えたのだって、俺たちの提案じゃない。彼女から、会って話をしろと言われたのだ。理由は知らない。なにせフォルトゥナは、自分の要求をするだけで、俺たちの質問には答えようともせんからな」


 俺はその女を知っている。

 いや、知っている気がするだけかもしれない。

 過去にそんな女と会った記憶がある。

 いつ、どこで会ったのかは思い出せないが。

 ぼんやりとなにかがつかめそう。

 けれども……その記憶は、心の奥底に沈められている。俺自身の手が届かないほど深くに。


 とかなんとか言って、むかし見た映画やアニメの記憶と勘違いしているのかもしれないけれど。あるいは夢の記憶かもしれない。

 それでも「フォルトゥナ」という名前。そして一方的になにかを要求してくる態度。

 これは知らない存在ではない気がしている。


 榎本将記は強い目で、まっすぐにこちらを見た。

「とにかく、真の敵はソフィアだ。俺たちは協力して戦う必要がある」

「協力はいいけど、でも具体的にどうしたら……」

「フォルトゥナは俺たちの協力を望んでいる様子だった。もしこれがうまくいけば、次の道筋をつけてくれるかもしれない」

「罠だったら?」

「ヤツも倒す」

 迷いのない言葉。

 この男は、自分が生き延びるためになにをすべきなのか、きちんと優先度をつけて行動している。全体像を把握して、そのためのプランを立てている。

 ただ漠然と、目の前に迫った危機に対処している俺とは違う。


 こちらが黙り込んでいると、榎本将記はシートへどっと背を預けた。

「言っておくが、お前とて例外ではない。すべてのプランが失敗し、もし一方のチームしか生き残れないとなった場合、俺はお前たちと戦い、勝利する」

「分かってる」

 いざとなれば味方でも切る。

 それをコソコソやるのではなく、事前に通達してくれたのだから、この男は信用できるかもしれない。互いに敵ではなく、素直に味方として出会いたかった。


 俺はぐっと頭をさげた。

「なんであれ、いろいろ教えてくれてありがとう」

 彼はなんとも言えない表情ながら、フッと笑った。

「礼を言うのはまだ早い。これは俺が、俺自身のためにやっていることだ」

「けど、協力するにしても、必ず領域の奪い合いにはなるんだ。そのときはどうする? 引き分けなんてないぜ。もし領域を取得できなければ、寿命を十年減らされる」

 そう。

 俺たちがどんなに演技をしたところで、領域を取得できなければ、チーム全員の寿命が強制的に奪われる。


 すると榎本将記は、ふたたび窓の外を見た。学生たちが駅を出入りしている。社会人の姿はほとんどない。

「その前になんとかしたいところだが、もし始まってしまったらフォルトゥナがなんとかする。あの女は、戦局を自在に操れる」

「来なかったら?」

「交互に勝利を譲る、というのが妥当な線だろうな」

「勝利を譲る? どうやって? ゲートはすぐに消えるから、決着をつけるには……」

「覚悟を決めて、戦うしかあるまい」

 結局は、そういうことなのだ。

 戦って傷ついて、その上で命を奪い、奪われるしかない。


 彼は駅を眺めながら、つぶやくように言った。

「メンバーは納得しないかもしれない。だが、そこはリーダーとしてうまく誘導してくれ。くれぐれもアルケイナでは相談するなよ。ソフィアに知られる」

「分かった」

 だが自信はなかった。

 いくら夢の中とはいえ、一方的に「殺せ」「殺されろ」だなんて。

「なんにせよ、フォルトゥナ次第だ。あの女の協力がなければ、ソフィアとは戦えん」

「意外と弱気なんだな」

「勘違いするな。自分を特別視せんようにしているだけだ。これは個人で解決できる問題ではない。過去にあらゆる人間がソフィアに挑んで来たが、勝者はいなかった。生還できたのは、あくまでゲームに勝利したものだけだ」

 いちおう反論してきたが、語気は強くなかった。

 ベストな策を見つけられず、落胆しているのかもしれない。

 榎本将記はこちらを向き、言葉を続けた。

「ともかく、メンバーの寿命だけは把握しておけ。もしかしたら、あと十年ないものもいるかもしれん」

「……」


 寿命――。

 そういえば把握していなかった。

 俺は、自分の残りが八十年ということしか知らない。みんなはどうなんだろう。特にあのライオンは。


(続く)

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