チーム・ブラックの始動
月曜、普通に登校した。
遅刻はめったにしない。したとしても、だいたいは電車の遅延が原因だ。真面目に通っている。
教室に入り、鞄から取り出した教科書類を机に突っ込むと、もうなにもすることがなくなってしまう。ホームルームが始まるまで寝ているしかない。
これが俺の朝のルーティーンだ。
そして昼休み。
俺はほっとひと呼吸して、弁当を取り出した。
なにかすべきことがあるというのは素晴らしいことだ。それがただ弁当を食うという素朴な行為だとしても。
廊下が少しにぎやかになった。
まさか有名人でも現れたか? あるいはどこかのアホがなにかやらかしたか?
ガラリとドアが開き、向井六花が現れた。
彼女は近くの女子になにか伝えた。するとその女子が俺のところまで来た。
「あの、向井さんが少し話したいって……」
「分かった」
まだ弁当箱さえ開けていなかったが、俺は廊下へ行った。
ファンを引き連れた向井六花が、複雑そうな表情で待ち構えていた。
「ご用は?」
「お弁当持ってきて」
「弁当? 俺の? なんで?」
まさかこの子、弁当を忘れたのか? それで俺から弁当を、決闘で奪おうとでもいうのか?
彼女は少し怒ったように眉をひそめた。
「話が長くなるから」
「ああ、メシ食いながらってこと? いいけど、どこで?」
「部室……」
剣道部の部室でメシを……。あまり気が進まないが、しかし取り巻きから逃れるためには、それしかないのかもしれない。
*
ファンどもの呪詛を背に受けながら、俺たちは部室に入った。
剣道部には、道場とは別に、ミーティング用の教室が割り当てられているようだった。窓から光も入るし、きちんと清掃もされている。机も椅子もある。
「呼び出してごめんなさい。ただ、いろいろ話したいことがあって……」
「いいよ」
彼女は怒っているのではなく、照れているのかもしれない。いや、怒っているようにしか見えないが。なにせ視線が鋭すぎる。
彼女は水筒にほうじ茶をいれて、俺へ勧めてきた。
「どうぞ」
「いいの?」
「どうぞ」
「ありがとう」
空気がピリピリしているのは気のせいだろうか。
俺はひとまず茶をすすった。焙煎された茶の香ばしさが、心の緊張をときほぐしてくれた。だが目の前の女の顔を見ると、すぐまた緊張してしまう。
彼女はなかなか用件を言わない。
「い、いい天気だね……」
「そうね」
正面に鷹がいるような緊張感。写真だと鼻筋の通った美少女なのだが、実際に見ると威圧感のほうが強い。
「じつは昨日、上島さんと内藤さんとで一緒に訓練してさ。今度は君も誘おうってなったんだけど。もしよかったらどう?」
「行く」
少し身を乗り出した。
断られるかと思ったが、意外とあっさり承諾してくれた。
彼女は呼吸とともに座り直し、こう続けた。
「私、反省したの。自分を過信してた。戦えば誰より強いと思い込んでた。でも、あなたに二度も命を救われた」
「お互いさまだよ」
「違う。私は自分勝手だった。あなたはいつも周りを見ながら戦ってたのに……」
まあそうだ。
本音を言えば、彼女は自分勝手だ。ちっとも周りを見ていない。ムキになって突撃しているようでさえあった。
俺が黙っていると、彼女は茶を飲み干し、ダンとカップを置いた。
「だから、あなたにチームの指揮をお願いしたいの」
「指揮?」
「リーダーってこと。剣に頼ってるだけじゃダメだって思い知らされた。私、誰にも死んで欲しくなかったから、必死で戦ってたつもりだったけど。私のやり方じゃダメだって理解した」
仲間を守ろうとするあまり、みずからの身を危険にさらしていたわけか。
不器用だな、じつに。
だが、愚かではない。
「分かった。引き受ける。神輿は軽いほうがいいって言うからな。俺があれこれ口を出すことにするよ。みんなには従ってもらう。その代わり、こちらは考えうる最高の戦術を提供する」
女帝や女教皇に指示を出す愚者というのもよく分からないが。ま、そういうことをするのが愚者なのだ。
「助かるわ。それと、いままでの態度、反省してる。あなたに対する敬意が足りてなかった」
彼女はぐっと頭をさげた。
本当に、武士みたいな女だ。
「敬意なんて大袈裟な。人の価値観はそれぞれだ。べつに構わないぜ」
「ダメよ。あなたは命の恩人なんだから」
「君だって仲間のために戦ってきたんだ。次は俺が命を救われる番かもしれない。言いっこナシで頼む」
「分かった」
先日の乱入事件は最悪だったが、おかげで向井六花が心を入れ替えてくれたようだ。
もともと能力は高い。彼女が協力的になってくれるなら、チームはさらに強くなるだろう。
向井六花はまっすぐにこちらを見た。
「最後に、一点だけ確認させて」
「なんだ?」
すると彼女は、やや言いづらそうに一度視線を落とした。
深刻な話だろうか。
「八十村くんは、上島さんと付き合ってるわけではないのよね?」
「は?」
「大事なことだから。ちゃんと答えて」
「付き合ってないよ。それさ、あの子にも聞いたんでしょ? 俺ら、べつにそんなんじゃないから」
そうなって欲しいと思わなくはないが。
「ふむ……」
彼女は考え込むような顔になった。
なにが「ふむ」だ。
余計なお世話だろう。どう考えても。
「もし付き合っていないのなら、二人きりで出かけるのはよくないと思うんだけど……」
「チームのことを話し合ってたんだ。それもダメなのか?」
「間違いが起こるかも」
「なんだよ間違いって……」
「とにかくダメだから。そういうのは、ちゃんと将来のことを考えた上でね?」
この女子、想像以上にめんどくさいのでは?
いや、分かる。言いたいことは、俺にも分かる。もし琥珀が彼氏を連れてきたら、その場で卒倒する自信がある。瑠璃はまあいい。だがそわそわするのは間違いない。
なんといっても、まだ学生だしな。
彼女は力強くうなずくと、弁当箱をあけた。
「そろそろ食べましょうか。時間がなくなってしまうわ」
「ああ」
彼女は日の丸弁当だった。おかずはシャケ、卵焼き、ホウレンソウなど。
こっちはハンバーグ、ミートボール、唐揚げ。ほぼ茶色い。食いごたえがあって俺は好きだが、瑠璃はいつも苦情を言っている。
*
教室に戻った俺は、クラスメイトたちの視線にさらされた。
この俺が、なぜあの向井六花と一緒にメシを食っていたのか、ひとつも理解できないといった様子だ。もちろん俺にも理解できていない。事故のようなものだ。
連絡先まで交換してしまったしな。
さて、こうなるとメンバー全員で訓練したいところだが……。
しかしレオはどうだ。現実世界でライオンと対面するわけにはいかない。居場所も不明。動物園か、サーカス団か、あるいはどこかの私有地か。
ともあれ、まずは四人での顔合わせだ。
自動機械との戦闘ならともかく、人間が相手となれば、模擬戦などでの対策が要る。何度も試して、ミスをして、そして解決していく。トライ・アンド・エラーだ。それしかない。
*
帰宅した俺は、部屋で筋トレを始めた。
成果があるかは分からない。だが、こなせる回数は徐々に増えている気がする。単に体調がいいだけかもしれないが。
一人でふんふんやっていると、ドアが乱暴にノックされた。
「兄貴! ちょっと来て! 集合! 早く来て! 五秒以内に!」
瑠璃だ。
またなにか始めるつもりか……。
リビングに行くと、琥珀が困ったような笑みで体育座りしていた。
対する瑠璃は仁王立ち。
「遅い! 五秒以内って言ったでしょ!」
「ムチャ言うなよ。なんの騒ぎだ?」
「裁判よ! 姉として、近ごろの琥珀の態度には我慢がならないわ!」
怒るようなことか?
琥珀はずっと素直でいい子だし、きちんと瑠璃を姉として扱っていると思うが……。
だが、瑠璃はぷんぷんしている。
「この子ね、なにかっていうと兄貴のことヒイキするのよ!」
「はぁ?」
「こないだクイズ出したの。一緒に遊ぶならあたしと兄貴どっちか、とか、無人島に行くならあたしと兄貴どっちか、とか。そしたら半々くらいで……」
「半々ならいいじゃないか」
「ダメ! 全部あたしの勝利じゃなきゃ!」
よくもこんなクソくだらない理由で怒れるな、こいつは。
琥珀が困り顔なのもうなずけるというものだ。
「琥珀! こないだ一緒にプリン作ったよね? 楽しかったよね?」
「うん」
「お出かけもしたよね? お菓子買ってあげたよね?」
「うん」
「あたしが全勝じゃないのはなんでなの? 説明しなさい」
もっと有意義な時間の使い方はできないのか。
琥珀は振り子のように体を左右に揺すっている。
「えー、でも、お姉ちゃんとはいつも一緒だし」
「不満なの?」
「たまにはお兄ちゃんがいいなーって」
「もー」
俺は冷蔵庫からコーラを取り出し、ひとりで飲み始めた。
聞いちゃいられない。
「諦めろ、瑠璃。これが現実だ」
「はぁ? 納得いかないんだけど。ていうか琥珀は、兄貴のどこがいいワケ? ちっともなんもしない漬物石みたいな存在じゃん」
「おい」
漬物石は無害だし、べつにいいだろ。
琥珀はまだ体を揺すっている。
「お兄ちゃん優しいもん」
「まあ、それは分からなくもないけど……。でもあたしのほうがいろいろしてるでしょ?」
「うん。お姉ちゃんも優しいよ。だから、どっちか選ぶのはムリ」
「またプリン作るって言ったら?」
「そしたら、そのときはお姉ちゃんかな」
「そうよね」
堂々と買収するんじゃない。
琥珀はこっちを見ている。
プリン以上のなにかを求めている目だ。
「なら俺は、琥珀の命令なんでも聞くぞ」
「じゃあお兄ちゃんの勝ちぃ」
当然だな。
瑠璃は、しかし悪い笑みを浮かべていた。
「へえ、なんでも?」
「男に二言はない」
「兄貴さ、あたしの兄貴でもあるってこと忘れてないよね?」
「は?」
「つまり兄貴は、私の命令もなんでも聞くってことでしょ?」
「そうはならんだろ」
「あー、ムリなんだ? じゃあ撤回しなさいよ。それであたしの勝ちだから」
なんなんだこいつは。
日々の戦いに疲れている兄を追い詰めおって。
張り合うのもバカバカしくなってきた。
「分かった。じゃあお前の勝ちでいいよ。もう行っていいか?」
「いいよ。情けなく敗走して」
「お前な……」
琥珀も「お兄ちゃんまたねぇ」と無邪気に手を振っている。
どうやら茶番に付き合わされただけのようだな……。
俺は過酷な筋トレでバキバキにならねばならんのだ。
古い探偵小説も「タフでなければ生きていけない」と言っている。「優しくなければ生きている資格がない」とも。
優しさは琥珀が保証してくれたから、あとはタフになればいい。
仲間は一人も死なせない。もちろん俺自身も生き延びる。
強くなるのだ。
(続く)