ピクニック
朝、俺は慌てて飛び起きた。
目覚ましがセットされていなかったのだ。しかし枕元のスマホを見て、すぐに休日であることを思い出した。うちの高校は、土曜も休みだ。
上島明菜とのミーティングは月曜になってからでいいだろう。
つまり、今日の俺は、特にするべきことがない……。
リビングに入ると、父親がトーストをかじっていた。
「おはよう」
互いにもごもごと小声で挨拶を交わす。
母親がミルクを出してくれた。
「今日は博士が一番なの? 珍しいわね」
「そういう日もある」
我ながらくだらない返事をしてしまった。だが親との会話など、このようなものだろう。
父親がチラとこちらを見た。
「学校どうだ?」
「まあまあかな」
「そうか」
きちんと勉強はしている。勉強だけはな……。
すると、琥珀がちょっとだけ顔を覗かせ、またすぐどこかへ行ってしまった。
意味が分からない。
「なんだ? ケンカでもしたのか?」
父親がテキトーな憶測を口にした。
「するわけないだろ」
「じゃあどうしたんだ?」
「俺が聞きたいよ」
ただでさえテレビがよく分からない政治のニュースを流しているところへ、父からも具体性のない質問を投げられる。せっかくの休日だというのに、朝から脱力だ。
寝ぼけ顔の瑠璃が入ってきた。
「おはよ」
「瑠璃、琥珀どうしたんだ?」
「知らない。あたしに聞かないで」
「……」
自分で聞けばいいのに、父はなぜか遠回しに他人に聞く。
すると察したらしい母が、琥珀を探しにいった。
瑠璃も溜め息だ。
「最近のあの子、よく分かんないのよね」
「お前、姉だろ」
「そっちこそ父親じゃん」
「いや、だからそういうことをさ……」
「もーうるさい。たまたま部屋が一緒ってだけでしょ? なんでもかんでもあたしに押し付けないでよ」
「押し付けてないだろ」
「……」
瑠璃はミルクだけ飲んで部屋へ戻ってしまった。
いまのは父が悪い気がする。
母が戻ってくると、父がそわそわしながら尋ねた。
「どうだった?」
「分かんない。お兄ちゃんに話があるみたい」
その報告を聞き、父も溜め息をついた。
「博士、ちゃんと聞いておけよ」
「うん」
できれば俺も、瑠璃のように言い返してやりたかった。だが、妹と同じことを立て続けにやるのは、なんだか気が引けてしまう。それに、いま大事なのは琥珀のことだ。
しばらくダラダラ過ごしていると、父は家を出た。私服だから仕事ではないはずだ。ゴルフの練習にでも行ったのかもしれない。
母は洗濯を始めた。
俺がひとりでテレビを見ていると、ようやく琥珀が入ってきた。
「お兄ちゃん、これ見て」
「どうした?」
スマホの画面だ。
メッセージが来ている。送信者は「くらら」。
『琥珀ちゃん、お兄さんの連絡先教えて』
『なんで?』
『話したいから』
『どんな用なの?』
『いいから』
トゲトゲしい会話だ。
その後、琥珀が返事をしなかったせいで、会話が途絶していた。
「お兄ちゃん、くららちゃんとどういう関係なの?」
なぜか尋問されている。
どうもこうも、会話相手があの「内藤くらら」なのだとしたら、アルケイナの件しかない。まさか琥珀の友人だとは思わなかったが。
「えーと、なんだろうな……。ちょっとした知り合い、みたいな……」
「二人で会ってるの?」
「もしそうなら、お前に連絡先なんか聞かないだろ」
「そっか……。でも……」
瞳をうるうるさせている。
そんなに哀しそうな顔をしないで欲しい。
「なにか相談ゴトでもあるんだろう。琥珀、その子に連絡先教えてやってくれないか?」
「なんで? なんでお兄ちゃんが、くららちゃんの相談に乗るの? そんなことする必要ある?」
「困ってるのかもしれない」
「そうやって誰にでも優しくするの、よくないと思うよ」
「そうは言うけどさ。もしかしたら俺じゃなくて、俺の友達に用があるのかもしれないぜ? だって俺、その子のことよく知らないしさ」
ウソをついた。
まあ、よく知らないのは事実だが。知らないと断言できるような関係でもなかった。
琥珀は「うー」とうなって左右をキョロキョロしたが、もちろんなにかが見つかるわけではない。
「分かった。じゃあ連絡先教えるけど……。なに話したか、あとで私にも教えてね?」
「言える内容ならな」
「なんで……」
「言いづらい内容かもしれないじゃないか」
「……」
納得していない様子だったが、琥珀はスマホを操作して連絡先を送信した。
「送った」
「ありがとな、琥珀」
「……」
しかし琥珀はむくれたまま、リビングから出ていってしまった。
かわいい妹なんだが、たまにめんどくさい感じになる。ま、そこも含めて琥珀だ。
*
部屋へ戻ると、俺はすぐさまスマホを確認した。
さっそくメッセージが来ていた。
『連絡先、琥珀ちゃんに聞いた』
『アルケイナのこと話したい』
いきなり本題から来た。
もう少し社交性が欲しいところだが。
まあいい。
『状況は把握している』
『なんでも相談してくれ』
俺がそう打ち込むと、返事はすぐに来た。
『ボク、強くなりたいの』
『手伝って』
一人称が「ボク」なのはひとまずスルーしよう。
簡潔ながら、切実な内容だ。
昨晩、彼女はまったく活躍できず、ずっと上島明菜に守られていた。そのことを気に病んでいるのかもしれない。
『分かった』
『上島さんも呼ぼう』
かくしてスマホを使い、三人で軽くミーティングをした。
今日は上島明菜の都合がよくないということだったので、明日、みんなで集まって対策を練ることにした。
じっとしていても勝てる相手じゃない。
自分たちで動き出さなくては。
一通りミーティングが終わったところで、ドアがノックされた。
「お兄ちゃん、ゲームしよ?」
琥珀だ。
きっと様子を知りたくてうずうずしていたのだろう。
俺はベッドから立ち上がり、ドアを開けた。
「ゲーム? いいぜ。なにするんだ?」
「ゾンビ倒すやつ」
「お前それ好きだな」
「お姉ちゃん、一緒にやってくれないから」
瑠璃はパズルゲームしかしない。
しかも一人だけクソ強いから、俺は対戦しない。琥珀もやらない。
その瑠璃は、すでにどこかへ出かけたようだ。
俺たちはリビングに行き、床に座ってゲームを始めた。
ゾンビを倒すガンシューティングだ。琥珀もけっこうウマい。
「で、どうだったの?」
ゲームが始まってすぐ、琥珀がそんなことを尋ねてきた。
「どうって?」
「くららちゃん」
「あー、それな……」
ゲームに集中しているフリをして、俺は答えを引き伸ばした。
が、琥珀がウマすぎて、すぐにゾンビを倒してしまう。
「どうだったの? 教えて?」
「強くなるコツを聞かれて」
「なんで?」
「知らない」
「あとでスマホ見ていい?」
「ダメだって。ほかの人も入れたから……」
「誰?」
「高校の知り合い」
「女の人?」
「そう……。あーと、共通の知り合いでさ。ちょっとしたサークルみたいな……」
すると琥珀は「サークル? 三人で?」と首をかしげてしまった。
二人きりでなければ、ひとまず大丈夫そうか。
いや、なぜ俺がそんな気を使わねばならぬのか理解に苦しむが。琥珀はむかしから独占欲が強かった。
*
翌日、俺は短パンにパーカーという動きやすい格好で家を出た。
デートをする格好ではないから、怪しまれてはいないと思う。まあデートをするような服なんて、そもそも持っちゃいないのだが。
指定された公園へ行くと、上島明菜が待っていた。
顔と髪型はギャルなのだが、服装はセーターにロングスカートというおとなしめの格好であった。しかも手には小さなバスケットまで持っている。
あきらかに運動をする格好ではない。
「あ、八十村くん!」
「早いね」
「ちょっと時間ミスっちゃった」
笑ってごまかす仕草がかわいすぎる。
もしこれがデートだったら最高なのだが。
すると内藤くららも来た。
上下ジャージだ。
ショートカットだから少年にしか見えない。
「うわ、なにそのカッコ……」
内藤くららは露骨に顔をしかめている。
上島明菜は、しかしなにが問題なのか分かっていない様子だ。
「え、ダメ? お姉ちゃんに選んでもらったんだけど……」
「修行するって言ったじゃん」
「作戦会議じゃないの?」
「違う。強くなるための修行」
「サンドイッチ作って来ちゃった」
「はぁ?」
ダメだ。完全にピクニック気分でいやがる……。
だが、あきらめるしかあるまい。よく晴れた公園。そしてサンドイッチ。ここから導き出される結論はひとつしかない。
*
俺たちはビニールシートに腰をおろし、サンドイッチを食い始めた。
「紅茶もあるよ」
上島明菜は用意がよかった。
もはや求婚したいレベルだ。
しかし俺と結婚する女は、例外なく大統領夫人という重圧にさらされることになる。彼女は耐えられるだろうか。
内藤くららはずっと不機嫌そうだった。
「そういう女子力アピールとかいらないから」
「ほら、くららちゃんもどうぞ」
「うん……」
なんだかんだ言いながらも、カップを差し出された途端、おとなしくなってしまった。
初夏の気配を感じる過ごしやすい天気だった。
ときおり吹き抜ける風が、木々をかすかにさざめかせた。
「いやー、もう動きたくないね」
俺がそうつぶやくと、内藤くららがぐっと睨みつけてきた。
「まだなにもしてない」
「まあまあ。落ち着いたら始めるからさ」
「ウソだよね? こんなに危機感ないなんて……」
いや、危機感はあるのだ。
あるだけに、この幸福な時間を噛み締めたくなってしまう。
俺は尋ねた。
「内藤さんさ、強さってなんだと思う?」
「は? そんなの簡単だよ。敵を倒すための力のこと」
「それじゃあ半分かな」
「ほかになんかあんの?」
むくれてしまった。
こういうところは琥珀と同年代という感じがしてかわいい。
「意思の力だよ。どんな力も、意思がなければ働かない」
「そんなの分かってる」
「本当に? なら、こないだ君が戦えなかった理由も、もう分かってるってことかな? あれは戦闘力の問題じゃなかった。心の問題だ」
「……」
「べつに、前に出て戦えとは言わない。無謀な突撃はこっちも困るしな。ただ、君の場合、恐怖を克服するほうが先だと思うぜ」
内藤くららは不安そうな表情になってしまった。
ま、徐々にでいい。
ハッキリ言って、恐怖の克服など不可能な話だ。感覚を麻痺させるほかない。ほんの一瞬でいい。自分を無敵の英雄だと思い込むのだ。すると一歩を踏み出せる。
あるいは理詰めでもいい。怯えてちぢこまっているほうが生存率はさがる。回避不能の暴力には、相応の暴力で応じるほかない。
あの空間は普通じゃない。
俺たちも、普通のままじゃ生き残れない。
(続く)