そしてありふれた日々へ
学校でもずっとニヤニヤしてしまった。
琥珀が生きてる。
今朝もいつも通り中学へ向かった。
そう! いつも通り!
こんなに嬉しいことがあるなんて!
俺はついに成し遂げたのだ。
これはもう、心の大統領に就任したと言っても過言ではなかろう。たとえ世界中の誰も俺を認めなかったとしても、俺自身が、俺を認めたいと思っている。
クラスに友達がいなかろうが、そんなことはたいした問題じゃない。
*
だが昼休みになり、俺はふと素に戻った。
あの戦いのドサクサにまぎれて、向井六花にフラれた気がする。
もう、会うべきではないのかもしれない。
かといってずっと教室にいるのも……。
いずれにせよ、ちゃんと話し合ったほうがいい。
剣道部の部室へ行くと、すでに向井六花が待ち受けていた。
部屋はムシムシする。
まだ暑いが、それでもピーク時よりはマシといった感じ。
「えっと、昨日は……お疲れさま。やっと終わりだね」
「うん」
彼女はなんとも言えない顔をしていた。
ま、そりゃそうだろう。
おかずのパックを出して「どうぞ」と言ってくれた。
俺も「いただきます」と頂戴した。
食事は、ほぼ無言のまま進んだ。
腹の調子はよくなかったけど、それでも味がよかったのは救いだった。
俺たちは、ほぼ同時に箸を置いた。
このタイミングしかない。
「向井さん、俺、言っておかなきゃならないことがある」
「うん」
もう、なんの話か分かっている顔だ。
それでも、言わなくては。
「君が、俺のことどう思ってるのかは分かってる。けど俺、君のこと好きになってた。だから戦いが終わったら、告白するつもりでいた。迷惑なのは分かってる。でも、ケジメだけはつけておきたかったから……」
「はい?」
責めるようなリアクションが出た。
眼光が鋭い。
だがここで言葉を濁していたら、もっとみっともなくなってしまう。
「フるならキッパリとフッて欲しい。それで諦める」
「あのー」
「頼む」
俺は机に手を付き、頭をさげた。
せめて介錯を。
彼女は盛大な溜め息をついた。
「私が離婚って言ったの、そういうふうに受け止めたんだ?」
「う、うん……」
「逆なのに」
「うん?」
顔をあげると、彼女はすまし顔で目をそらした。
「べつに、フッたわけじゃないから。ていうかそもそも、アレはなにかの間違いだし……。だからなかったことにして。恥ずかしいから」
「つまり?」
「だ、だから、つまり……。あ、一回お茶飲もう? 八十村くんも飲んで?」
「はい」
水筒のお茶をもらった。
このタイミングでティーブレイクとは……。
彼女はほっと息を吐き、こちらを見つめてきた。
「あのー、だから最初からお願い。ややこしくならないように」
「また? 最初から?」
「いいから!」
「う、うん」
なんて言ったかおぼえてないぞ。
俺は咳払いをして、頭の中で言葉を組み立てた。おかしくならないように。
「向井さん、俺と付き合ってください」
「うっ……」
まるで寒気をおぼえたかのように、ふるふるっと震えた。
この子はサディストなんだろうか。
「悪かったよ……」
「ち、違うの! ちょっと恥ずかしくなっただけ! ていうか、私もいいから。ホントは私から言おうと思ってたし」
「えっ?」
「いいの! 付き合うって言ったの!」
「……」
ホントに?
夢、じゃないよな?
心臓が止まりそう。
胃もムカムカして吐きそう。
嬉しすぎて頭の中がおかしくなってる。
「あ、でも、付き合っても変なことはナシだから! 私、その……ホントに結婚するまでは……」
「う、うん……」
「あとは、大統領とか言ってないで、ちゃんと働いてくれたらね……。そこだけ不安だから」
「もちろん! ちゃんとするよ!」
「あと、琥珀ちゃんにもうまく説明しておいてくれると……」
「うん……」
いや、解決できるだろうか。
*
午後の授業は、まったく頭に入らなかった。
考えることは、向井六花のことばかり。
動悸のせいで倒れそうだった。
帰りの自転車をこぎながら、俺は幸福を噛み締めていた。
なにもかもが好転し始めた。
失われた寿命はもう戻らないけれど、残された時間は有意義に使いたい。
*
だがその晩、俺はアルケイナ界に呼ばれた。
もう、すべてが終わったはずなのに。
青空の下、ソフィアとフォルトゥナが出迎えた。
さらには、十字架に磔にされたカラス男。
仲間たちの姿はない。
「なんだ? なにか始まるのか?」
俺は不安になってそう尋ねた。
ソフィアは小さな翼をパタパタ動かしている。
「神さまが、悪魔を捉えてくれたんだ。もう二度と悪さしないように」
するとカラス男は、ジタバタと暴れ始めた。
「助けてくれ! 私はみんなの願いを叶えたかっただけだ! 信じてくれ!」
そのスネを、ソフィアが蹴った。
「静かにして」
フォルトゥナは溜め息だ。
「この悪魔をアルケイナ界で管理するようにと、神々の長が」
長というのは、あの巨人だろうか。
ソフィアも顔をしかめた。
「ここは刑務所じゃないんだけどなぁ」
いや、刑務所よりもっとひどかっただろ。
命の搾取工場だったぞ。
俺が困惑していると、フォルトゥナが補足してくれた。
「ここはもう、二度と人間を入れないことになったわ」
「ホントに? じゃあ俺は?」
「あなたはもう、人間ではないから」
「……」
名誉なのか不名誉なのかは分からないが。
きっと長い付き合いになるのだろう。
仲良くなる努力だけでもしておくか。
「そういえばフォルトゥナ、妹の命が救われるよう、長にかけあってくれたんだな。感謝するよ。おかげですべてがうまくいった」
「私は、できることをしただけ」
「謙遜しないでくれ。俺が大統領になったら、デカい銅像を建てるよ」
「ううん? いえ、そういうのは、遠慮しておくわ」
やや迷惑そうだ。
じゃあやめておこう。
大統領とか言ってると、向井六花にも怒られそうだしな。
ソフィアは笑みを浮かべた。
「ま、そういうこと。この悪魔が二度と悪さしないよう管理しておくから安心して? 次に会うのは五十年後だよ」
俺も親指を立てた。
「頼んだぜ。俺の管理もな」
「もし邪龍になったら、そのときは戦士を集めて退治してもらうけどね」
「分かってる」
それも含めた管理システムということなんだろう。
だが、もういたずらに人の命を奪うことはあるまい。
*
その後の俺たちは、めいっぱい「日常」を楽しんだ。
秋にはピクニックに出掛け、冬にはスケートなんかもした。ちっとも滑れなかったけれど。
体のアザは消えなかった。
医者にも診てもらったのだが、変色してるだけで異常はないと言われた。だから、いまもそのまま。
二月、バレンタインデー。
めっきり寒くなった剣道部の部室で、俺は向井六花からチョコレートをもらった。市販品だ。自作も試みたのだが、まったくうまくいかなかったのだという。
じつは昨日のうちに瑠璃と琥珀の手作りを受け取っていたが、それは言い出せなかった。
「お、お返しとか、べつに期待してないから。そういうつもりじゃないし。あげたかったからあげただけ」
「ありがとう」
もちろんなにかお返しするつもりではいる。
おかずだってもらってばかりだし。
「で、そのぅ、妹さんからは、もらったりしたの?」
「えっ? いや、まあ……いちおう」
「どんなの?」
「んー、なんか溶かして固めただけのやつ……かなぁ」
ごまかそうとしたのだが、これが墓穴となった。
「は?」
「え、なに?」
「溶かして固めただけ? それがいかに難しいことか、八十村くん分かってる?」
「……」
分かってないです。
彼女の眼光は鋭い。というか凶悪になっていた。
「私、溶かして固めることさえできなかった」
「そんなことある?」
「あるの! ほら分かってない! 一回自分でやってみてよ!」
「なぜ俺が……」
すると向井六花は、俺の箱を回収し、代わりに小さな箱をよこしてきた。
「八十村くんには、こっちでじゅうぶん」
「え、どういうこと?」
「こっちは明菜さんにあげる友チョコ。でも交換ね。今年はこっちで我慢して」
「はい……」
つまり放課後、女子だけで会う予定ということだ。
俺は呼ばれてない。
もちろん仲が悪くなったわけじゃない。
みんなで集まるときは、普通に顔を合わせる。
最近では、チーム・ホワイトとも交流がある。みんなもそれぞれ輪を広げているようだ。
「そんなに落ち込まないでよ。冗談だから」
よほど不景気なツラでもしていたのか、向井六花は大きな箱を差し出してきた。
「いいの?」
「もちろん。八十村くんのために選んだんだから」
「ありがとう。俺が大統領になったら、百倍にして返すよ」
「あの、返すなら一倍でいいから、大統領とかやめて」
「うん」
そういえばそうだった。
すると彼女は、急にキョロキョロし始めた。
「えーと、ついでといってはなんなんだけど……」
「なに?」
「そろそろ、私たちも下の名前で呼び合ったらどうかなーって……」
「六花さん?」
「うっ……」
ふるふるっと震えた。
恥ずかしいときのリアクションなのは分かるけど、寒がっているようにしか見えない。
「嫌ならやめるけど」
「待って! 違うの! わ、私も言うから」
そして深呼吸。
大丈夫かなこの子……。
「ひ、博士くーん……なんちゃって……」
なんちゃって?
顔立ちは大人っぽいのに、耳まで赤くしている。
恥ずかしさに耐えられなかったか。
かなりかわいいと言わざるをえない。
どちらからともなく笑いが出た。
俺たちの関係は、まだぎこちない。
けれども、それは時間をかけて前進させていけばいい。
命はまだまだあるのだから。
窓の外では、冬空の向こうに、春を予感させる日差しが見えた。
季節は巡る。
この先も、何度でも、ずっと。
(終わり)