終極戦 後編
真っ先に飛び出したのはワゴンだった。
そいつは邪龍の鼻先をかすめ、注意をそらした。
横を向いた途端、その首筋へ、榎本将記が猛スピードでハルバードを突き込んだ。さすがに邪龍の身もビクリと震えた。
魔法が降り注ぎ、その隙に榎本将記が離脱。
チーム・スペクトラムも、チーム・ブラックも、フェントを交えながら次々仕掛けていった。
攻撃は当たる。
だが、どれも致命傷には至らなかった。
邪龍の身体から光が放射され、空を灼いた。
やむことのない攻撃にイライラしているらしく、ぐるんぐるんと旋回している。
俺には見守ることしかできない。
またドロドロを吐いてくれれば、因果律の変更も選択肢に入ってくるのだが。
だが、俺はただお荷物になるつもりはなかった。
ソフィアに虚無を返却してみて、改めて理解したのだ。
俺は、象徴などなくても戦えると。
通信機で、地上のソフィアに尋ねた。
「なあ、ソフィア。生命の樹はどうだ?」
『百十年のままだよ』
「それさ、俺に使えないか?」
『えっ?』
するとフォルトゥナが近づいてきた。
「なにを考えているの?」
「俺の体、そのうち邪龍になるんだろ? だったら、命を喰らえば、あいつと戦えるんじゃないかと思って」
「やめて。考え直して。いまならまだ間に合う」
「ほかに手があるならな」
彼女は黙り込んでしまった。
気持ちは嬉しいのだが、この局面を打破するためには、俺はなにかを手放さないといけない。選択肢はそう多くない。いま天秤にかかっているのは、俺が邪龍になるリスクと、琥珀の命。
「ソフィア、どうだ?」
『……』
「どうしたソフィア?」
『……』
返事がない。
見ると、ソフィアの正面に琥珀が立っていた。
石板を抱きしめている。
いつの間に移動したんだ……。
通信が来た。
『お兄ちゃん、つまらないこと考えないで』
「なにをする気だ!」
『みんなのことは、私が救うから』
「やめろ! お前がそんなことする必要はない! 内藤さん! あいつを止めてくれ!」
だが内藤くららは哀しそうな顔をして、そっと背を向けてしまった。
この間も、仲間たちは邪龍へ攻撃をしかけ、あるいは吹き飛ばされていた。
命が削られてゆく。
『私、お兄ちゃんの妹でよかったよ。いっぱいワガママ言ったのに、優しくしてくれて……』
「待て! いま行く!」
『ソフィアちゃん、始めて』
俺は全速力で琥珀のもとへ向かった。
絶対に止めなくては。
琥珀は石板を差し出し、ソフィアが手を添えた。
『神さま、私の願いを聞き入れて……』
エーテルの満ちてくるのが、遠くからでも分かった。
因果律の変更――。
空間全体に、なんらかの変化が起きたことはすぐに分かった。
琥珀がふらっと倒れそうになったのを、俺は後ろからつかまえた。ぐったりしていて、自分の意思というものが感じられなくなっていた。
アルケイナ界の有するエネルギーが、いずこかへ抜けてゆく。
体を浮かせているのが、少しつらく感じられた。
邪竜も困惑して鳴いている。
「琥珀! 琥珀!」
呼びかけるが、まったく返事がなかった。
体を揺すってみても、うなだれた頭が揺れるだけ。完全に力が抜けきっている。
「ソフィア! どうして待たなかった!?」
俺が叱責すると、彼女もこちらを睨み返してきた。
「琥珀ちゃん、真剣だった」
「だからなんだよ! 俺は許可してない!」
「君の力じゃ救えなかった! 私だって、いろいろ考えたの!」
「待てって言っただろ!」
「自分の意見ばっかり……」
「……」
喚いても、事実は変わらない。
遠くの空で、仲間たちが戦っている。
俺は妹を抱きしめて、ただ見上げているだけ。
琥珀の体はまだあたたかい。
でも、そのうち、そうでなくなってしまう……。
「ソフィア、もし邪龍が死ねば、あいつの腹の中の命は解放されるんだろ? その命を、琥珀に与えることはできないのか?」
「ムリだよ。そんなに簡単に奪ったり与えたりできない」
「生命の樹があるだろ!」
「法則が違うの。期待しないで」
俺は自分でも信じられないことに、もう、事実を受け入れていた。
過去に何度も起きたこと。
それがまた起きただけのこと。
「フォルトゥナ、もし過去に戻りたいと言ったら……」
俺が尋ねると、彼女は静かにかぶりを振った。
「言ったはずよ、これが最後のループだと。もう『楔』は機能していない」
「そうか」
いつしか茜色に染まっていた空。
戦士たちは、邪龍へ果敢に挑んでいた。
俺は草むらに、そっと琥珀を寝かせた。
「戦ってくる。琥珀のことを見ていてくれ」
二人からの返事はなかった。
かわいらしい無垢な寝顔。
いつも「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と慕ってくれた。
自分の命を使って、邪龍の力を弱らせてくれた。
妹のことは守れなかった。
だったら、その代わり、世界くらい守れなくてどうする。
泣いてる場合じゃない。
呼吸をし、一気に飛んだ。
矢のようなスピードが出た。
風のごうごうという音。
俺の存在に気づいたみんなが、進路をゆずってくれた。
拳を握りしめ、俺は邪龍の顔面を殴り飛ばした。
トランポリンを殴っているような感覚。
的がデカすぎる。
だが、構わず突き込む。
敵は喉の奥から情けない声を出し、身をよじらせた。
邪龍は、想像以上に弱体化していたようだ。
いや、こっちがおかしくなっているだけかもしれない。
虚無を使いすぎたせいで、本来以上の力がみなぎっている。
俺は構わず二発目を叩き込み、ひるんだ隙をつき、旋回して後頭部へ蹴りを叩き込んだ。
邪龍はふらっとした拍子にバランスを崩し、そのまま落下。大地へ激突した。
俺たちは一斉に追撃。
そいつに悪意はなかったのかもしれない。
それでも、邪龍はあらゆるものを壊してしまう。
ここで止めなければ……。
*
誰の攻撃がトドメになったのかは、正確には分からない。
だが、邪龍はしばらくのたうったかと思うと、口からドロドロを吐き出して、もう、動かなくなった。
善悪をもたず、ただ破壊することしか知らない哀しい怪物。
殺すことでしか止められなかった。
この世界は、理不尽にできているとしか思えなかった。
すでに日は没し、大きすぎる真円の月が山頂を照らしていた。
戦士たちの勝利。
だが、歓声はなかった。
いや、いいんだ。
勝利を祝ったっていい。
喜んでくれたほうが、琥珀だって報われる。
あいつが見たかったのは、こんなしみったれた光景じゃないはず。
だが、俺はみんなの配慮に感謝しつつ、琥珀を抱き上げた。
「終わったぞ、琥珀。一緒に帰ろう」
妹の体は、あまりにも軽かった。
ソフィアが転移門を出現させた。
ひとり、またひとりと、領域を出た。
俺は踏ん切りがつかなかった。
ここを出たら、本当に、琥珀とは最後になってしまうかもしれなかったから。
やがてソフィアが去り、フォルトゥナが去り、俺と琥珀はふたりきりになった。
涙は出ない。
かけたい言葉もたくさんあるのに、喉を通らない。
この感情を、どこへどう振ったらいいのか、それさえ分からなくなっていた。
*
どれだけ時間をかけたか分からないが、俺は転移門を抜けた。
いつかはそうしないといけなかった。
黄昏の雲上。
黄金色の空が広がっていた。
眼前には、ひときわ巨大な神殿。
いつもと様子が違った。
最後だから、出口も違うのだろうか?
俺は琥珀を抱えたまま、誘われるように神殿へ入った。
壁もなく、柱が支えているだけの建物へ、まばゆい光が容赦なく差し込んでくる。
脇に並んでいるのは黒曜石のような石像。
太古の神々だろうか。
奥に進むと、半裸の男が寝そべっていた。
ヒゲをたくわえた、見事な体躯の巨人だ。
俺の三倍はある。
彼は、眠たげな青い瞳をこちらへ向けてきた。
「お前の戦い、見ていたぞ」
「……」
そう。
見ていたんだろう。
だが、見ていてなお手を貸してはくれなかった。
おそらくは神かなにかだろう。
悪魔が言っていた通り、怠惰を絵に描いたような姿だ。
「我々は、もう、人間に干渉するつもりはない。だが、お前たちにとっては、あまりに理不尽だったろう」
「はい……」
「邪龍を倒したのだし、いちおうは英雄として扱わねばなるまい。だから、契約を提案しよう。その娘に、三十年の命を与える」
「えっ!?」
生き返る、のか?
本当に?
男は、しかしにこりともしなかった。
「もちろん代償はある」
「それは、俺の命?」
「そうとも言えるが、そうでないとも言える。お前の命は、残り五十年だったな。その命が尽きれば、お前は地上での生活を終える」
「はい……」
なにを要求されるのか、まだ分からない。
とんでもない内容でなければいいが……。
男はけだるそうに目をつむった。
「その後、お前にはアルケイナ界に入ってもらう」
「えっ?」
「お前は力を使いすぎた。いずれ次の邪龍となろう。ゆえにソフィアの管理下で暮らしてもらう。永遠にな」
「……」
死後、アルケイナ界でソフィアと暮らす……。
それはあまり嬉しい提案ではなかった。
俺はもうソフィアを責めるつもりはないが、かといっていい印象を抱いてはいなかったからだ。
とはいえ、他のどの可能性よりも、おそらくマシではある。
いや、マシなんてものじゃない。奇跡だ。断ることはできない。
「契約内容は理解したか?」
「は、はい! もちろん受けます!」
「では決まりだ。もう行け。私は人間の顔など、見たくもないのだ。フォルトゥナめがうるさく言ってきたばかりに、余計な働きをするハメになった」
*
朝、俺は飛び起きると、ノックもなしに妹たちの部屋へ飛び込んだ。
「琥珀! 琥珀!」
「えっ? ちょっとなに? まだ六時前じゃん……」
瑠璃の苦情に構わず、俺は二段ベッドの階段に足をかけた。
「琥珀! 生きてるか! 琥珀!」
「んぅ? なぁに、お兄ちゃん……」
眠たそうな顔。
あきらかに生きてる!
俺は頭をなでくりまわした。
「生きてるな!? な!?」
「もー、お兄ちゃん……。もう少し寝かせてよぅ」
「悪かった。安心して寝てくれ。うん。俺は部屋に戻るから。な?」
「んー」
我ながらテンションがおかしい。
だが、仕方がない。
琥珀が生きてた!
これ以上のことがあるだろうか。
俺は高揚したまま布団に戻ったが、もちろん二度寝などできなかった。
琥珀の寿命は三十年しかない。
だけど、それでも、生きてる!
まだ信じられない。
もういちど顔を見てこようか?
いや、邪魔したら悪い。
興奮しすぎて頭がおかしくなりそうだ。
いまはすべてを思い出せる。
過去の俺たちは、そもそも協力してさえいなかった。
バラバラのまま邪龍との終極戦を迎え、必ず犠牲者を出してきた。次々と命を奪われる仲間たち。俺は琥珀に因果律の変更を依頼し、結果として死なせてしまった。
そのたび邪龍に勝利した。
神も、俺を英雄として扱った。
それでも、琥珀の命を救ってはくれなかった。
なぜなら、俺の意思で命を奪ってしまったからだ。別の願いなら叶えてもいいと言われ、俺はその契約を突っぱねた。
アルケイナ界での戦いは、それで終わり。
見かねたフォルトゥナが、俺にループを提案した。
その繰り返し。
いったいどこが転換点だったのかは分からない。
もしかすると、少しずつなにかが違ってきて、今回たまたまうまく行っただけかもしれない。
ともあれ、こんなにうまくいったのは初めてだ。
かすかに残存していた記憶が、有利に働いてくれた。
神に感謝する習慣など、もともと持ち合わせちゃいない。
けれども、琥珀に命を与えてくれた神と、そしてフォルトゥナには、最大限の感謝を捧げたい。
あのカラス野郎だけは許せないけど……。
いや、もう過ぎたことだ。
もう二度と会うこともなかろう。
(続く)