終極戦 前編
邪龍は頭をもたげたまま、虚空を見つめていた。
さっき喰われた俺が言うのもなんだが、デカいだけの無害な生物に見えなくもなかった。
もしかするとカラス男の言葉通り、俺たちが刺激するから応戦するのではなかろうか。
「あいつはホントに邪悪な存在なのか?」
俺が尋ねると、哀しげな表情で応じたのはフォルトゥナだった。
「邪悪、というのは正確ではないかもしれない。あの子は善悪の判断がつかないの。言ってみれば、大きな赤ん坊ね。だからなんでも欲しがってしまうし、遊び半分で命を奪ってしまう」
「それをカラス男が復活させた理由は?」
「きっと世界が壊れるのを見たかったのよ」
最悪だ。
ま、悪魔らしいとは言えるか。
ぼうと遠くを見つめていた邪龍が、突然、びくりと身をしならせ、口からドロドロの液体を吐き散らかした。
もちろんみんな回避した。
ここでは空を飛べる。
問題は吐かれたもの。
ドロドロの中に混じっていた何体かの人骨が起き上がり、それがドロドロを身にまとい、泥人形となった。彼らはふらりと宙を浮いたかと思うと、ゆっくりとこちらへ迫ってきた。
助けて、と、つぶやきながら。
「あれは死んでいった戦士たちだよ」
ソフィアは哀しそうにつぶやいた。
自分のせいだという自覚はあるようだ。
俺は虚無を槍に変え、彼女に尋ねた。
「どうすればいい?」
「解放してあげて。私が生命の樹で吸収するから。そのほうが、きっと苦しまずに済む」
「分かった」
つまり俺たちは、戦士たちの魂を救いながら、邪龍とも戦うというわけだ。
「行くぞ」
俺は槍を構え、泥人形へ突っ込んだ。
弱い。
一撃で破壊できた。
余勢を駆ってさらに加速。
俺は邪龍の頭部めがけて距離を詰めた。
にわかに、邪龍の口が開いた。
かと思うと、喉の奥からごうと灼熱の炎を吹き出してきた。
俺はとっさに進行方向を変えたが、やや間に合わず、炎に包まれてしまった。エーテルに保護されているとはいえ、全身がひどく熱い。
大きく距離をとると、やがて火も消えた。
安易に近づくべきではなかった。
すると地表スレスレから北条真水が仕掛け、前腕を切りつけた。俺の突撃を囮に使った格好だ。
まあ役に立ったのならそれでいい。
魔法も降り注いだ。
稲妻、火球、氷の矢、光の柱……。
色鮮やかな花火大会のようだ。
だが、どんな攻撃も、邪龍をひるませることはなかった。俺たちの攻撃など、蚊ほどのものなのかもしれない。
迫りくる泥人形は、服部大輔がワゴンで蹴散らしていった。内藤くららもエーテル銃で狙撃。他のメンバーも臨機応変に戦った。
順調だ。
いまのところは。
しかし邪龍に近づけない。
かと思うと、邪龍は地響きのような咆哮をあげ、翼を広げた。
バッサバッサと動かして風を起こし、やがて空を飛び始めた。
本気を出す気になったか……。
榎本将記が号令した。
「まずは動きをよく見ろ! どんな攻撃が来るか分からん!」
その横を、ワゴンがすっ飛んでいった。
「フゥーハハハー! この俺に命令するなど百年早いわーッ!」
スピードをあげる服部大輔。
邪龍の前足がぐわんとうなりをあげ、その残像を切り裂いた。
激突はまぬかれたようだ。
とはいえ、戦車のスピードをもってしても対処されてしまうことが分かった。
誰かを囮にして、別の誰かが攻撃をしかけるしかなさそうだ。
俺は向き直った。
「ソフィア、精霊を召喚できるか?」
「四体だけなら」
「一体でいい。邪龍に突っ込ませてくれ。その隙をついて仕掛ける」
「分かった」
光の魔法陣から太陽が現れ、敵へ突撃した。
俺は時間差で、死角へ回り込む。
向井六花も大剣を構えて並走してきた。
予想通り、邪龍はまず太陽の精霊を薙ぎ払った。
俺たちはその隙をつき、側面から突撃。スピードを合わせ、脇腹へ象徴を叩き込んだ。
手応えはない。
出血にも至らない。
分厚すぎる皮膚に、ほんの少し刃が入っただけだ。
すっと距離をとると、ようやく気づいた邪龍は、追い払うように後ろ足で宙を掻いた。
エーテル銃が眼球を直撃したが、それさえ鬱陶しそうにするだけ。
これは時間がかかるかもしれない。
「因果律を変更するしかないわね」
フォルトゥナがそんなことを言い出した。
彼女は以前も、琥珀の命が鍵になるとか言っていたな。
もしかして、こうなることを知っていたのか?
俺は少しムキになって応じた。
「琥珀の寿命は使わせない。もし変更したいなら、生命の樹を使わせてもらう」
ソフィアはしかしかぶりを振った。
「少し足りないと思う」
少し?
なら、もっと泥人形を「救済」すれば足りるんだな?
俺は槍を構え、泥人形へ突撃した。
邪龍は定期的にドロドロを吐き出しているから、数だけはいる。
だが、俺にはよく分からなかった。
なぜ邪龍は、こんな戦力にもならないものを吐き続けるのだ?
俺たちを利するだけではないのか?
あるいは、それさえノープランなのだろうか。
ごうと炎が吹かれた。
離れていてもかなりの熱だ。さっきは端の方だったからまだ助かったが、直撃を受けていたら灰になっていたかもしれない。
それに、気のせいかもしれないが、邪龍の動きがだんだん機敏になっている気がする。
最初は浮いているのもやっとだったのに、まるで水を得た魚のように、その場で旋回などを始めた。
フォルトゥナは眉をひそめた。
「きっと食べすぎだったのね。吐いて、体が軽くなったんだわ」
ムリヤリ体内に餌を押し込まれていたせいで、邪龍も不調だったということか。
となると、いずれ本調子になる。
ひときわ大きな咆哮が響いた。
空気がビリビリ振動するようなやつだ。
かと思うと、ごうと航空機のような音を立てて突撃。
距離があったからか、こちらはターゲットとはならなかった。
直撃コースで喰い散らかされたのは、動きの派手だったチーム・ホワイト。
邪龍が通り抜けたあと数名が姿を消し、残された手足だけが森へと落ちていった。
邪龍は頭をあげてごくりと飲み込み、ゆっくりとこちら側へ頭を向けた。
次のターゲットは誰だ……。
琥珀が決意を秘めた表情で近づいてきた。
「私、やりたい」
「えっ?」
「因果律、変えるんでしょ? 私、やるから。このままじゃ負けちゃうよ!」
「ダメだ! お前はさがってろ!」
「寿命だって延びたんだよ? なんでダメなの?」
絶対にダメだ。
いったいなんのために戦ってるのか分からなくなる。
だが、フォルトゥナは無情だった。
「因果律の変更に必要な命は、約二百年分。いま生命の樹に溜まっているのが、だいたい八十年分。そしてあなたの寿命が九十年。まだ足りないわ」
余計なことを言うな。
俺はつい強めに息を吐いた。
「そんなに命を使って、いったいなにをどう変更するんだ?」
「アルケイナ界そのもののエネルギーを外部へ放出するわ。あなたたちの力も少し弱まるけど、それ以上に、邪龍が弱体化する。行くところまで行けば、あの子は自分の存在を保つことができなくなるはず」
大掛かりな工事だな。
そのための二百年、か。
俺は槍を構え直した。
「要するに、あの泥人形をぜんぶ始末すりゃいいんだろ?」
「それでもあと三十年分確保できるかどうか」
「はい?」
「八十村琥珀の寿命は残らない」
ふざけんな。
いや、いい。
もっと邪龍に吐かせればいいのだ。
俺は虚無を変化させ、アーマーとして身にまとった。
力が一気にみなぎってくる。
のみならず、体にしっくり来る。
「いまから吐かせてくる。俺がいいというまで、絶対にやるなよ? ソフィア、精霊を一体突っ込ませてくれ」
「うん」
魔法陣から星が現れた。
そいつを先に行かせ、俺は大回りで側面へ向かった。
邪龍も動いた。
大気をかき分けながら、こちらへ急接近。距離感がつかめないほどのスピード。あと少しで星の精霊が喰われる、と、俺が予想したときには、すでにそこを通過していた。
精霊は粉微塵。
俺は過ぎ去った邪龍を追うこともできず、ただ置き去りにされた。
これでは戦闘にもならない。
「そろそろ正義の出番ですわ」
呼んでもいないのに、縦ロール子が近づいてきた。
百地青子。
名前は青だが、衣装は赤い。
「なにをする気だ?」
「わたくしの天秤を使いますわ。戦場に均衡をもたらしますの」
「均衡?」
「難易度調整みたいなものですわね。こちらの戦力と、敵側の能力を拮抗させますの。もちろん厳密に調整されますので、なかなか勝負がつかなくなりますけど」
意味は?
邪龍が弱くなるのは歓迎だけど。
俺が困惑していると、彼女は「もうっ」と頬を膨らませた。
「時間稼ぎをすると言っていますの」
「たぶんそういうことなんだろうけど……」
チーム・スペクトラムの陣営には、巨大な鏡が見えた。
藤原咲耶は、邪龍相手にアレを使うつもりだろうか。
「あら、お気づきになりまして?」
「鏡が邪龍に通じるのか?」
「鈍器にはなりますわ」
「はい?」
鈍器――。
デカいから、邪龍の頭をぶん殴るにはいいかもしれない。しかし、いったいどうやって振り回す?
彼女の言葉はこうだ。
「わたくしたち、あそこに邪龍を突っ込ませる予定ですの」
「相手のスピードを利用するってワケか」
「いま、みんなで誘い込む手順を確認しているところですの。それが済むまでは、わたくしの能力でバランス調整させていただきます。その間、あなたはドロドロでもいじめてらっしゃればいいのでなくて?」
時間稼ぎのついでに、やりたいことをやっておけ、ということか。
好都合だ。
いまいる泥人形だけでも始末しておきたいのは事実。
「けど、さっきの理屈だと、泥人形も強化されるんじゃないのか?」
「桁違いの邪龍が基準になりますから、ほかはあまり変わらないと思いますわ。あ、それと、邪龍がこちらへ突撃するタイミングで能力を解除しますので、その点だけはご理解を」
「オーケー」
すでに邪龍の動きは鈍くなっていた。
これならよほどのヘマをしない限り、喰い散らかされることもなかろう。
少しずつでも、戦況を進めていかなくては。
(続く)