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二学期

 それからしばらくは平和な時間が続いた。

 アルケイナ界に呼ばれることもなく、俺たちは夏休みを過ごした。盆には祖父母の家へ行き、日焼けして戻ってきて、友人と遊びに出掛け……。

 やがて二学期が始まった。


 まだ暑い。

 俺もそうだが、クラスの生徒たちも夏休みのダルさから抜け出せていないようだった。プールからあがったばかりのような倦怠感が続いている。


 俺の右腕には、鱗状のアザがふたつもできていた。

 いまは日焼けのおかげで、なんとかごまかせているが……。


 翌日の昼休み、俺は剣道部の部室に入った。

 中では向井六花が待っていた。

 しばらく会わないうちに、かなり日焼けしていた。もともと健康的ではあったが、いまはさらに健康的に見える。


「今日も暑いね」

 俺は言わずもがなのことを言った。

 向井六花が妙にそわそわしていたものだから、なにか喋らねばと思い、あせってしまったのだ。

「そ、そうだね。暑い、ね」

 視線がキョロキョロしている。

「なんかあった?」

「な、なんかって? いえ、べつに。あ、えーと、こないだ明菜さんと海に行ったの。楽しかったんだけど、ナンパ男ばっかりで、ちょっと疲れちゃって……」

 なにかをごまかそうとしている。


 俺は腰をおろし、弁当箱を広げた。

「ま、メシでも食いながら、今後の作戦を立てるとしよう」

「うん……」


 今日も大量のおかずを提供してくれた。

 もらってばっかりだ。

 いずれなにかお返しせねばなるまい。


 *


 その後、特に事件もなく、食事は終わった。

 あとは教室に戻って、午後の授業を受け流して終わり。

 そのはずだった。


 ふと、向井六花が、さらにもうひとつおかずパックを出してきた。

 いや、おかずではないのだろうか。

「えーと、これ……。ちょっと実験的に作ってみたの。味見してみて欲しいんだけど、いい?」

「いいけど、なに?」

「お菓子……」

 フタが開かれると、そこには勾玉まがたまが絡み合ったようなデザインのクッキーが詰められていた。

 太極図かな?

 いったいどんな意味が……。


 俺が正体をつかみかねていると、彼女は照れたように続けた。

「これ、ネコちゃん……」

「ネコ……」

 ええっ?

 いや勾玉では?

 だってこれ、どこからどう見ても顔ってレベルじゃ……。

「ちょっと崩れちゃったけど……」

「あ、うーと、そうだね。うっすらネコっぽいかな」

「分かってもらえる?」

「うん」

「みんなに見せても、笑われたりしないかな?」

「う、うーん……」

 声が甲高くなってしまった。

 いかん、堪えろ。

 人が一生懸命作ったんだぞ! 笑ったら失礼だろ!


「あ、やっぱりおかしい……よね」

 さすがにごまかしきれず、向井六花を哀しそうな顔にさせてしまった。

「おかしくないよ!」

「笑ってるもん……」

「笑ってないです!」

 自分で自分を殴りたい!

 痛いからやらないけど!


 俺は震える手でパックジュースを飲み、なんとか気持ちを落ち着けた。

「大事なのは味だよ! ひとつもらってもいいかな?」

「うん……」

 料理は上手なのだ。

 味はいいに決まってる。


 食感はちょっとカタかったけれど、基本的にサクッとしていた。いやザクッかな。

 味は悪くない……か?

 ちとしょっぱ過ぎる気もするが。

 砂糖と塩を間違えたのだろうか? いや、ちゃんと甘みもある。単に塩の加減をミスっただけかもしれない。というより、そもそもクッキーに塩なんて入れるのか?


 俺が首をかしげていると、彼女は容器にフタをしてしまった。

「ごめん。失敗作食べさせちゃったね。これ、持って帰るから」

「待った! そういうつもりじゃないんだ!」

「でも変な顔してた」

「変な顔!? いや、味わってたんだよ……」

「その優しさが人を傷つけることもあるの」

 その点で言えば、たぶん俺は、かなりの人を傷つけまくってると思う。

 気をつけてはいるけれど。


「じゃあ正直に言うよ。ちょっとしょっぱかった。でも、マズくはないよ。これは本当」

「でも、ちゃんとしたクッキーじゃないよね?」

 戦場ではびっくりするくらい強気なのに、なぜこんなに弱気なのだ。

 分野が違うとこうなるのか。

「俺は好きだよ! ぜんぶ食べたいくらい!」

「ホント?」

「ホントホント」

 一気に食べたら塩分摂取量がヤバいことになりそうだが、でも夏だしきっとなんとかなる。

 すると彼女はフタをとり、自分でもひとつつまんでかじった。

「う、しょっぱ……」

「えっ?」

 初めて食べたみたいなリアクション。

 まさか、味見していないだと?

「無塩バターがなくて、普通の使っちゃったから、それが原因かな……」

「たぶんそうだね」

「あと目分量だったし……」

「それもだね……」

 しかし逆を言えば、いつもは目分量でおかずを作っているのに、味がいいということだ。

 料理とお菓子作りは別スキルなのかもしれない。


 いや、それよりも、だ。

 俺はずっと疑問に抱いていたことがある。

「これ、試しに作ったんだよね? 成功したら、誰かにあげる予定だったり……」

「あ、うん。今度みんなで集まったときに、食べてもらおうかなって」

「あー、なるほど」


 だが、これをネコだと言って出したら、琥珀と内藤くららは首をかしげるだろう。

 あのふたりのネコに対するこだわりは人並み以上だ。


「これさ、太極図ってことにしたら?」

「は?」

「いや、だって勾玉っぽいよ、これ」

「はぁ?」

 しまった。

 確実に怒らせている。

「や、もちろんネコなんだけども……ちょっと……暑さで溶けてるかなーって」

「ふーん」

 目つきが鋭すぎる。


 俺はごまかし気味にジュースをすすった。が、もう中身はなくなっていたらしく、ズズーッとむなしい音を響かせただけだった。


 向井六花は溜め息だ。

「もしうまくいったら、バレンタインにあげようと思ってたのに」

「えっ?」

「あくまで友チョコみたいな感じ! 私、誰にもあげたことなかったから」

「そ、そう。それは悪いことしたね……」

 かくいう俺も、誰にももらったことがない。

 琥珀と母はくれるけど。あとたまに瑠璃が、小さいのを投げつけてくる。


 すると彼女は、容器をこちらへ押し付けてきた。

「罰として、これ全部食べて。一日で全部食べなくてもいいから」

「いいの?」

「うん。なに喜んでるの? あくまで罰だからね……」

「ありがとう」

 クソ、求婚してぇな。

 部屋が暑すぎる。


 片付けが終わると、彼女は別れ際、こう教えてくれた。

「あ、そうだ。いちおう教えておくね。縁談の話、正式になくなったから。だから私、いま自由なの。体が軽くなった感じがする」


 おめでとう。

 まずはその言葉が浮かんだ。


 それと同時に、寂しさも感じた。

 彼女は、いずれ誰かと結ばれてしまう。

 もちろん、これまでだってあのサメ男と一緒になる予定ではあったのだが……。


「よかったね」

「うん。これでアルケイナ界のことにもっと集中できると思う」

「それはいい。そろそろ終盤だし、お互い、気を引き締めて行こう」

「うん」

 空疎な会話だった。


 俺の勘違いでなければ、彼女はなにかを待っているように見えた。

 いや、そんなこととは関係なく、俺は俺の気持ちに正直であってもよかったのかもしれない。


 だが、いまは大事な時期だ。

 作戦外のことに執着している場合ではない。

 俺は百回以上、このループを繰り返してきた。

 アルケイナ界のことに集中しなければならない。


 ソフィアが改心した以上、もう二度と戦いは起きないかもしれない。

 けれども、どうしても落ち着かなかった。

 邪龍ファーヴニルの存在が気にかかる。

 過去の俺は、その姿を見たことがある。


 *


 チーム・スペクトラムとの交渉は、榎本将記がよきように進めてくれているらしい。

 だから俺は、いまは報告を待つ身だ。


「ただいま」

「お帰りぃ」

 帰宅すると、琥珀が出迎えてくれた。

 クッキーの存在を悟られてはいけない。

 きっと面倒なことになる。


「お兄ちゃん、ポテチ食べよ?」

「おう」

 食欲はないが、食わねばなるまい。


 俺は顔を洗い、リビングで麦茶を飲み干した。

 生き返る。

 この冷蔵庫なる文明の利器は、じつに素晴らしい。内部が常に冷えている。


 ポテチが皿へぶちまけられ、テーブルの中央に置かれた。

 俺はひとつつまんで食った。

 まあうまい。塩分がやや鬱陶しい気もするが。


「琥珀、学校はどうだった?」

 俺がそう尋ねると、琥珀は顔をしかめてしまった。

「いまの聞き方、なんだかお父さんみたい」

「そう言うなよ」

「学校はね、特に変わりはないよ。普通」

 まあそうだよな。

 俺たちはずっとそうだった。一学期も二学期も、特に変わりがない。平凡な毎日を続けてきた。


 すると琥珀は、ティッシュで手を拭いてから、スマホを操作し始めた。

「あとね、最近、岩波先輩となかよくなったかも」

「岩波さんって……チーム・ホワイトの?」

「うん。とっても優しいんだぁ。くららちゃんも最初は警戒してたけど、もう仲良くなっちゃって。今度三人でお出かけするの。お兄ちゃんも来たい?」

「俺が行ったら邪魔だろ」

「そんなことないよ」

 いや、ある。

 ないと思ってるのは琥珀だけだ。


「ま、なんであれ、友達が増えたのはよかったな……」

 あと三十年しか生きられない琥珀。

 楽しい思い出をいっぱい作って欲しい。


 もし許されるのなら――。

 生命の樹に溜め込まれた命を、少しでいいから、分けてもらうことはできないのだろうか?

 ほんの少しでいい。

 現状のままだと、琥珀が結婚して子供を作っても、その子が大人になる前に寿命が尽きる可能性がある。

 父や母よりも先に逝くだろう。

 そんな日が来るなんて、俺には耐えられない。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

 考え込んでいたら、琥珀に心配されてしまった。

「いや、なんでもない。アルケイナ界もそろそろ大詰めだから、油断しないようにしないと、って思って」

「もう誰とも戦わなくていいんだよね?」

「ああ、きっとそうなるよ」


 あんな不毛な戦い、二度としたくない。

 世界は平和なほうがいいに決まっている。


(続く)

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