草草の草
はい!
プールは終わりました!
結局、ガン逃げされてほとんどタッチできなかった。
あんなに必死に逃げなくても……。いや遅かった琥珀にだけはタッチできたけど。おかげでずっと俺と琥珀で鬼を交代するハメになった。
くたくたになった俺は、帰宅すると同時にベッドに倒れ込んだ。
充実感がハンパじゃない。
生まれてこのかた、こんなに楽しい夏休みはなかったんじゃなかろうか。まだ始まったばかりだけど。もう運を使い果たした気さえする。
スマホの中では、チャットが賑わっていた。
『楽しかった』『また行こうね?』
『いいけど』『あくまで訓練だから』
『琥珀ちゃん、今度水着買いに行こう』
などなど。
俺の入り込む余地はない。
ま、士気の回復も大事なことだ。
だが、ひとりでぼうっとしていると、さっそく哀しい考えばかりが頭をよぎり出した。
琥珀のことだ。
寿命を偽って、三百年などと言ってきた。
それが過去の記憶と一致してしまったのは、きっと毎回ウソを教えられていたせいだったのだろう。三百年という数字が、やけにしっくり来てしまった。
叱るべきか。
許すべきか。
複雑な気持ちだ……。
それに、フォルトゥナだ。
結果として死にはしなかったが、いまも一人で傷ついたままのはず。彼女には、こうして一緒に遊ぶ仲間さえいない。
俺たちにできることがあればいいのだが。
錬金術師の口にした「邪悪な存在」とやらも気になる。
藤原咲耶の主張そのものは正しくないと思うのだが、それでも「邪悪な存在」についての言及を無視するわけにはいかない。
正体が知りたい。
*
翌日、俺は特に目的もなく街へ出た。
家にいると、いろいろ考えてしまいそうだったから。
天気がいい。
それは結構なのだが、日差しがキツ過ぎた。
あの太陽は、確実に人類を、大地を、すべてを焼きに来ている。アルケイナ界では太陽に勝てたのに。現実世界では手も足も出ない。
なんとなく電車に乗って、駅前の喫茶店に入ってみた。
知り合いはいない。
俺は一人でアイスティーをすすり、さも待ち合わせかのようにスマホを見た。
向井六花と上島明菜が写真を送りあっているほかは、特に目立った動きはなかった。というか、互いにファションショーを繰り広げている。どっちも美人だから絵になる。
いやいや、画像ばかり見ていたら電池がなくなってしまうな。
俺はほっと息をはいてから、ふと、人の気配に気がついた。
近い。
「うおうっ」
つい変な声を出してしまった。
誰だっけ……。
「夏休みですか?」
ごくさめた表情でそう尋ねてきたのは、藤原咲耶だった。
白を基調とした夏の涼しげなワンピース。落ち着いた雰囲気とも相まって、清楚さがにじみ出ている。
それはいいのだが、気配もなく隣に座らないで欲しいな。
「えーと、藤原さんだったよね?」
「ええ、藤原です。高校の二年。あなたのお名前をうかがっても?」
「八十村博士。同い年だよ」
「そうでしたか。どうぞよしなに」
ぺこりと頭をさげてきた。
もしかして、意外といい子なのでは……。
だが彼女は、がばりと顔をあげた。
「八十村さんは、この辺りにお住まいなのですか?」
「いや、ちょっと離れてる。ここには高校があって……。定期もあるし、ちょっと寄ってみようかと思って」
「つまりお時間があると?」
「うん……」
「でしたらちょうどよかった。じつは質問がありまして」
「質問?」
付き合ってる女の子なら、いまのところいないけど……。
いや、彼女の目つきの鋭さから察するに、そういう質問ではないのだろう。
「あちらでお会いした偉そうな方、あなたのお知り合いだったりします?」
「榎本さんのこと? まあ、いちおう知り合いだけど……」
「住所、氏名、年齢、電話番号、家族構成などを教えていただきたいのですが」
怖い!
リアルで復讐する気か?
「いやー、個人情報はちょっと……」
「私、いま思い返しても納得いかないんです。おっしゃってることはずいぶんご立派でしたけど、あんな言いぐさ。まるで自分だけはなんでも知ってるみたいに……」
それは同感。
けど、いちおうの筋は通っていた。
「んー。俺は、榎本さんの言い分にも一理あると思ったなぁ。藤原さん、自分を犠牲にしてまであの技使ってるでしょ? 寿命どれだけ残ってるか知らないけど、あまり連発しないほうがいいんじゃないかな」
「でもこの世界を守るためには、ああいった犠牲も必要ですし……」
「犠牲が過剰なんだよ。君が傷つけば、そのことで哀しむ人だっているんだからさ」
「そうかもしれませんが、それで多くの人が助かるのなら、やむをえない行為と思いませんか?」
ほかに社会へ貢献する方法を知らないのか、この子は。
なにかしたいという気持ちと、愚直な自己犠牲が直結してしまっている。
すると別の少女が、満面の笑みで近づいてきた。
黒髪ではあるものの、毛先を縦ロールにして、びょんびょん跳ねさせたゴージャスな大和撫子だ。赤と黒の市松模様になったワンピースを着ている。ちょっとこのセンスはよく分からないが。
「あら、咲耶さん。殿方とむつまじくお茶だなんて。不良にでもおなりあそばされたの? 草草の草ですわね!」
え、なんて?
草?
藤原咲耶はかすかに眉をひそめた。
「青子さん、また私のストーカーですか? いい加減にしないと、被害届を出しますよ?」
「どうぞお出しになって。それより、となりの冴えない男子はどなたですの? わたくしに紹介してくださらない?」
冴えない!?
いや、それでも未来の大統領は怒らないぞ。草とか言ってるヤツのほうがはるかにおかしいからな。
「俺は八十村博士。藤原さんとは……まあ、ちょっとした知り合いというか」
こちらがそう名乗ると、すかさず藤原咲耶が補足を入れた。
「役割は愚者のようです」
アルケイナ界のことをいきなり……。
縦ロール子は「ほう」と片眉をつりあげた。
「なら、前におっしゃっていた参加者ですのね。わたくし、百地青子と申します。役割は正義ですの。どうぞよしなに」
そして勝手に着席。
ともあれ、こいつも参加者の一人というわけだ。
チーム・スペクトラムのメンバーだろう。
俺は思わず吹き出してしまった。
「まさか、先に現実世界で会うとはね」
「なにをわろてますの? わたくしたち、敵同士ですのよ? こんなに近づいたりして、なにをされるか分かったものじゃありませんわ。ええ。わたくしには分かります。きっと口では言えないようなことをするつもりですのね。そういう顔をしています」
このとき、ミルクティーを飲んでいた藤原咲耶がブッとむせた。
なのだが、百地青子はさっとハンカチを手渡すと、平然と会話を続けた。
「なぜかウケてしまいましたわ。けれども、いまのはスルーしてくださって結構」
「そうさせてもらおう」
「いずれにせよ、あなたがデマにかかりやすい情弱であることは明白。フォルトゥナの口車に乗せられて、ホイホイ生命の樹に手を出そうなんて。いったいどうしたらそんなシンプルなお脳におなりあそばされますの? コーラを静脈注射でもしてますの?」
コーラを静脈注射したらいかんのか?
俺はつい溜め息をついた。
「こっちに言わせりゃ、騙されてるのは君たちのほうだよ。ソフィアが生命の樹を育ててるのは、自分が神になるためだ。参加者はその生贄に過ぎない。俺たちは、それを阻止するために戦ってる」
百地青子はしかし聞き入れない。
「なかなか上出来なスピーチですわね。ソースはありますの?」
「異界文書だよ。読めば分かる」
「コー……なんですの?」
どっかの誰かと同じようなリアクションするな、この子は。
俺はひとまずアイスティーをすすり、ひと息ついてからこう続けた。
「異界文書ってのは、アルケイナ界の存在を定義した契約書だ。すべてはそのルールに則って稼働している。生命の樹についての記述もある」
「珍奇なお話ですわね。で、いったいそれはどこに行ったら読めますの?」
「それは……俺の象徴を変形させて……」
「まあ、ご自分がソース? せっかく真面目に聞いていたのに、クソみてぇな虚妄をカマされるとは。これでは草だってお生えになりませんわ」
この女、しばしば妙な言葉遣いになるな。
すると藤原咲耶が、もうじゅうぶんとばかりにかぶりを振った。
「青子さん、その辺にしておきましょう。どうせ分かり合えないのですから」
「えっ? これから二時間はお説教するつもりでしたのに」
「時間のムダです。騙されている人間がみずからの非を認めるためには、インターバルも必要でしょうし」
「あなたがそこまでおっしゃるのでしたら……。ま、IQが二十違うと会話が成立しないとも言いますし。二時間じゃ済まない可能性もありましたわね」
バカにしてんのか!
そういや俺のIQっていくつなんだろ。いや、調べないでおこうか。知らないほうがいいこともある。
藤原咲耶は、百地青子の手をとってムリに立たせた。
「さ、青子さん。行きますよ」
「一緒に? つまり、このあとわたくしとデートを?」
「いえ、店を出たらそこでお別れです」
「はぁ? 草生え散らかしますわね。あなた、わたくしとデートしたがっていたのではなくて?」
「違うのですよ、残念ながら」
「んまーっ」
びっくりしてるのはこっちだよ。
すると藤原咲耶はポシェットから名刺を取り出し、テーブルに置いた。
「これが私の連絡先です。榎本さんについてなにか分かりましたら、必ずこちらへお寄せくださいね? 約束ですよ?」
「いや、約束って……」
「それではごきげんよう」
一方的に自分の用件だけ押し付けて、とっとと行ってしまった。
世間知らずというか、なんというか。
名刺を見ると、近隣のお嬢さま学校に通っていることが分かった。律儀に自宅の住所まで書いてある。信用できる相手にしか渡していないのであろう。どんな相手のものであれ、これはきちんと管理せねば。
俺は財布に名刺をしまい込んだ。
それにしても、風変わりな二人だった。
チーム・スペクトラムには、おそらくあと三人、あのレベルの人材がいるのだろう。しかもそいつらは俺たちの敵と来ている。
厄介な戦いになりそうだ。
*
帰宅すると、バニラのいいにおいがした。
「ただいま」
するとエプロンをした琥珀が駆けてきた。
「お兄ちゃん、お帰りぃー。今日はプリン作ったんだ。食べて」
「おお、いいね。もらおうかな」
朗報! アイスじゃない!
顔を洗ってリビングに入ると、瑠璃もいた。
「兄貴、どこ行ってたの? まさかデート?」
「ンなわけないだろ。ちょっとぶらついてただけだ」
「てか、そのアザなかなか消えないね? いっぺん病院行ったほうがよくない?」
「そのうちな。それよりプリンくれよ」
クーラーが効いていてじつに涼しい。
こんなことなら家にいたほうがよかった。
「はい、お兄ちゃん。どうぞ」
カップのプリンと、ピカピカに磨かれたスプーンが目の前に来た。
俺は「ありがとう」と琥珀の頭をなでてやる。
瑠璃は溜め息だ。
「どんだけ仲いいのよ。引くわ」
「そう言うなよ」
ちょうどなでやすい位置にすっと頭が来るから、反射的になでてしまう。だから俺がなでているというよりは、琥珀になでさせられていると言ったほうが正しい。
一口食べた瞬間から、プリンは最高にうまかった。
なめらかで濃厚。ミルクと卵のバランスもいい。
すでに食器類が片付いているのも最高にいい。俺は食うだけだ。
瑠璃がインスタントのコーヒーを入れてくれた。
「ほれ」
「おう」
「おうじゃないでしょ!」
「ありがとな、瑠璃」
「うん」
頭が妙な角度だ。
まさか、なでて欲しいのか?
いや、気のせいだろう。ヘタになでたら払いのけられるのがオチだ。
瑠璃はスッと真顔になった。
「いやー、それにしても夏休みだよねー。さっき外で小学生がはしゃぎ回ってたわ」
「昔のお前みたいじゃないか」
「うるさい」
小学生のころ、瑠璃はテレビで見たジャンプキックを背後からカマしてきたことがあった。そのときは俺もガキだったから、平手打ちで張り倒して泣かせてしまったが。
どんな理由であれ、妹を泣かせるのは心が痛む。
お互いに感謝しあってるのが一番いい。
「はぁ、うまかった。俺は幸せだよ、お前たちみたいな妹がいてさ」
「……」
頑張ってクサいセリフを口にしたのに、ふたりはポカーンとしてしまった。
言わなきゃよかった。
「兄貴、もしかして疲れてる?」
「かもな。もう部屋行くわ」
「うん」
まあいい。
こんな気分になるのも、妹がいるおかげだ。
いなかったら、会話さえできないのだから。
俺はそんな未来を変えたくて、いま戦っている。
(続く)