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月の裏側 後編

 上も下もない灰色の世界。

 フォルトゥナと藤原咲耶が浮いていた。

 もちろん俺も。

 他のメンバーは追ってこなかった。きっと様子をうかがっているのだろう。入ればどうなるか分からないのだ。俺が突入したのも賭けのようなものだった。


 藤原咲耶は憐れむような表情を浮かべていた。

「物好きな人もいたものですね。ですが、入ってきてしまった以上、仕方がありません。一緒に死んでいただきます」

 よほど自信があるようだ。

 俺はなるべく平静をたもち、こう応じた。

「二対一だぜ?」

「関係ありません。ここは精神世界。暴力の強さは無意味」


 体は動くが、移動できない。

 ただ浮いているのみ。

 エーテルも反応せず。


 彼女はひとつ呼吸をし、こう続けた。

「私は野蛮なのは好きではありませんから、直接手をくだしたりはしません。先ほども言った通り、ここは精神世界。ですから、ご自身のトラウマを使って精神を殺します。あらかじめ言っておきますが、もしここで精神が死んだ場合、失う寿命は十年では済みませんので」

「上等だよ。トラウマだと? 未来の大統領にそんなものあるかよ」

 いやある。

 山ほどある。

 だからこそ焦って言い返してしまった。


 藤原咲耶は俺の意見など無視だ。

「では始めましょう、夜が明けてしまう前に。月の裏側への旅路を……」


 *


 いつか見た光景が駆け巡る。


 宇宙のような景色。


「すでに『アンカー』を打ったわ」


「じゃあ、未来が見えるわけじゃないんだな?」


 自動車の座席。


「妹なら死んだよ」


 夜の花園。


「家族も守れん男が、大統領とはな」


「お前の過去をえぐってやろうか」


「あなたのことは、私が守るから!」


 山頂。


「頼む、お前の命をくれ」


 ビルの屋上。


「なんで俺だけがこんな……」


「また……失敗だったわね……」


 きっと過去の記憶なのだろう。いろんなループの継ぎはぎ。これが俺のトラウマ、というわけだ。

 俺は何度も負け続けた。

 そのたび琥珀を失った。

 仲間を失った。

 家族もふさぎ込んでしまった。


 そして過去を回想できたおかげで、ひとつ、思い出すことができた。

 琥珀の死ぬ理由。

 俺はウソを信じ込まされていた。


 琥珀の寿命は、三百年もありはしない。

 本当は三十年。

 なのに過去の俺は、まだ余裕があると思い込んで、戦いの終盤に石板タブラ・ラサを使わせてしまった。異界文書コーデックス・アルケインを書き換えるために。

 琥珀は喜んで受け入れた。

 そしてわずかに残った寿命を、その後の戦いで散らしてしまった。


 俺が命を奪ったのだ。

 俺が殺したようなものだ。

 あと三十年しかない命。

 ここからひとつもミスしなかったとして、琥珀は四十四歳までしか生きない。

 俺はクソ野郎だ……。


 *


 鏡の裏側から排出され、俺は花園へ転がった。

 夜。

 あまったるいにおい。


 生きている。

 だけど、生きた心地がしなかった。

 もしかしたら、寿命をいくらか失ったかもしれない。


 琥珀が駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」

「ああ、大丈夫だ……」

 顔を直視できない。

 心臓がドキドキして、呼吸も荒くなっている。

 絶対に守ると決めたのに。

 俺が傷つけてしまった。


 フォルトゥナの姿はない。

 藤原咲耶の姿も。

 ということは、まだ鏡の中にいるのだろう。


 助けにいかないと。

 けれども、体が動かなかった。

 もう、嫌な事実を知りたくない。ただでさえ吐きそうだってのに。


 いや、ダメだ。フォルトゥナも同じような目にあってる。いま助けないと、本当に死んでしまうかもしれない。

 あの鏡の中では、精神の死が、本当に致命傷となりえる。失われるのが十年で済めばいいほうだ。


 俺が立ち上がろうとすると、向井六花が近づいてきた。

「八十村くんはそこで休んでて」

「えっ?」

「フォルトゥナのこと、私が助けるから」

「待ってくれ! 危険だ!」

 すると彼女は、鋭い視線でこちらを睨みつけてきた。

「そう言って、いつも自分だけ。私だって戦ってるの。逃げたくない」

「だけど……」

 強く反論したかった。

 それなのに、できなかった。

 彼女は俺の部下じゃない。対等の存在だ。自分がそれをやったのに、他人にだけやるなとは言えない。


 結果、彼女は鏡の中へ突入した。

 すると、迷っていた様子の上島明菜も続いた。

 やがて榎本将記が、競うようにして服部大輔が入っていった。


 みんなそれだけ本気なのだ。

 俺だけが一人で戦っているわけじゃない。


 俺は琥珀が行ってしまわないよう、強く腕を掴んでいた。

「お兄ちゃん、痛いよ……」

「ごめん、琥珀。でも行かないでくれ」

「うん。ここにいるよ」

「いてくれ、ずっと……」

 涙が出てきた。

 ふっと突然いなくなってしまうんじゃないかという不安が、ずっと俺の心を締め付けていた。

「つらいことあったの?」

「なんでもない」

「うん。大丈夫。ここにいるからね」

 情けない。

 妹にしがみついて泣くことしかできないなんて。


 自分だけなら、この戦いを生き延びられる。

 けど、そのあとはどうだ? 俺はなにもかもイヤになって、全部ダメにして、自分のことさえ嫌いになって……。

 フォルトゥナが助けてくれなければ、俺はこの命を捨てていた。


 *


 しばらくすると、鏡の裏側からドサドサとみんなが排出された。フォルトゥナや藤原咲耶もいた。

 死者はいない。

 だけど、みんな顔色が優れない。

 みずから仕掛けたはずの藤原咲耶でさえも。

 まさかこの女、我が身を犠牲にしてまでこの技を……。


 彼女はへたり込んだまま、くらい目でつぶやいた。

「まさか、こんな強引な方法で……」

 最初に立ち上がったのは榎本将記だ。

「俺たちが、ただ手をこまねいているだけとでも思ったか? 残念だったな。お前の言った通り、俺は利己的な人間だ。そして俺は、俺のメリットのためにフォルトゥナを助けた」

「私がアマかったと……?」

「そうだ。そしてもうひとつ教えてやる。お前のやり方は間違っている。自己犠牲の精神を全否定するつもりはない。だが、犠牲にしすぎだ。お前は自分を傷つけて、なにかに貢献しているフリをしているだけだ」

 ハタで聞いていると、言い過ぎという気もしなくはないが……。

 藤原咲耶も、さすがに不快そうに顔をしかめている。

「それは利己的な人間の言い分です」

「まるで自分の方法が最善だとでも言いたそうだな。ならひとつ尋ねよう。お前が身を犠牲にすることで、お前の身を案じる人間の負担を増やしていないのか?」

「えっ?」

「お前が傷つけば、お前を救おうとするものをも傷つけることになる。これでは結局、社会はよきほうへは動かない。だからお前は、もし人類を善導したいなら、自分を傷つけずに救ってみせろ。もしいまのままなら三流だ。お前は永遠に、俺たちには勝てない」

「……」

 なにか心当たりでもあるのだろうか。藤原咲耶は、悔しそうに歯噛みしたまま、反論もせず黙り込んでしまった。


 榎本将記は帽子をかぶりなおすついでに、オールバックの髪をなでつけた。

「次は仲間と一緒に来るんだな。そしたらお前にも勝機はあるだろう」

 そしてずずっと鼻をすすったのは、藤原咲耶ではなく、服部大輔だった。

「おい、お前ぇ! たまにはいいこと言うじゃねぇか……」

「なぜお前が泣く? 面倒だ。泣きやめ」

「そう言うなよぅ……」

 脳筋だが、鏡の中でなにか見せられたのかもしれない。かなり感傷的になっているようだ。


 向井六花と上島明菜もへたり込んだままだし、フォルトゥナも哀しそうな表情で虚空を見つめていた。

 こんな誰も得しないような技、もう二度と使って欲しくない。

 いや、この技だけじゃない。武器をもって戦った場合でも、みんなは傷つく。早く終わらせなければならない。


 *


 数日後、夏休みを迎えた俺たちは、約束通り市民プールに来ていた。

 屋根付きの屋内プールだから日差しも防げる。

 あまり混んでいなかったのが不幸中の幸いといったところか。


 もちろん雰囲気はよろしくない。

 精神状態が最悪というだけでなく、俺のアザは首だけでなく背中にまでできていた。踏んだり蹴ったりだ。ちっとも気分が盛り上がらない。


 いや、変化はもうひとつあった。一緒に鏡へ飛び込んだ向井六花と上島明菜が、なぜだか急に仲良くなっていた。

「六花ちゃん、今日はめいっぱい楽しもうね!」

「た、楽しむ? いちおう訓練という建前のはずでしょ……」

「いいからいいから!」

 明らかに空元気だが、それでもいまはありがたかった。


 俺が用意したのは、去年買ってもらったトランクス型の地味な水着だ。

 女性陣は、琥珀と内藤くららがスクール水着、瑠璃と向井六花が競泳用のもの、上島明菜だけが布面積の小さな水着で、惜しげもなく肌をさらしていた。


「え、なんかあたしだけ浮いてない?」

「浮きすぎ」

 内藤くららのつっこみは厳しい。


 いずれにせよキャッキャウフフといった展開は期待できそうにない。いや期待してたわけじゃないが。俺は訓練に来たのだ。本当に。


「えーと、じゃあまず準備運動から」

 俺はいちおうリーダーとしてそう誘導した。

 体育の授業みたいだが、仕方がない。

 生きるか死ぬかの問題なのだ。

 格好はともかく、周囲からは真面目な水泳サークルと思われたかもしれない。


 端のレーンでガチ泳ぎしているおじさんがいるが、ほかには親子連れが少数しかいない。この市民プール、そのうちつぶれそうだ。


「六花ちゃん、いい体してるね」

「それ褒めてる?」

「褒めてるよ! カッコいいもん!」

 む?

 向井六花と上島明菜が、ややキャッキャし始めたような。

 あるのか、そんな展開が……。


 するとそれを見ていた内藤くららも、ここぞとばかりに動き出した。

「こ、琥珀ちゃんもいい感じだよね!」

「ホント? どの辺が?」

「え、顔とか……」

「もー、なに言ってんのくららちゃん」

「えへへ」

 ホントなに言ってんだ。

 顔なら水着じゃなくても同じだろ。

 まあ、体型があまり成長していないから、ウソでも褒めることができなかったのかもしれないが。


 瑠璃が「はぁー」と溜め息をついた。

「なんなのこれ?」

「俺に聞くな」


 だがたしかに、向井六花はいい体をしていた。運動しているだけあって、ほどよく筋肉がついている。かといってバキバキでもない。健康体だ。

 それに比べて俺といったら……。いちおう運動してるんだけどな。


 体を動かしているうちに、少しずつではあるが、みんな元気を取り戻してきた。

「じゃあ次はフォーメーションを維持したまま、方向転換の訓練。まずは右から」

 俺は脳筋のつもりはないけれど、こうやって悩みを吹っ飛ばすのもアリなのかもしれない。

「琥珀と内藤ちゃん、ちょっと遅れてるよ。急いで急いで」

 プールサイドからは瑠璃が状況を教えてくれる。

 いちおうちゃんとした訓練っぽい。


 だが、小休止のときに内藤くららが琥珀とイチャイチャし始めると、そのうちみんなもふざけ出した。というか俺も遊びたかった。

「瑠璃ちゃんもそろそろ入んなよ」

 上島明菜に誘われて、瑠璃も「はーい」と飛び込んできた。


 そこからは、もう訓練どころではなかった。

 俺たちは、めいっぱいはしゃぎたかったのだ。

 この楽しい時間は、いつまでも続くわけじゃないから。

 たとえいまだけでも、忘れたいことがあるから。


「はい、お兄ちゃんが鬼!」

「えっ?」

 琥珀にタッチされ、いつの間にか鬼ごっこが始まってしまった。

 いや待て!

 これはタッチを強制し合う闇のゲームなのでは……。

 青少年の健全ななにかが危ないのでは……。


(続く)

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