チームワーク
帰宅すると、琥珀がテレビを見ていた。
「ただいま」
「お帰り、お兄ちゃん。遅かったね。お買い物?」
「いや。ただの野暮用だ」
俺は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、コップに注いだ。
琥珀はニュース番組を見ていた。まだ中学生なのに殊勝なことだ。いずれ大統領になる俺も、世界の情勢を把握しておくべきなのかもしれないが……。まあゲームのついでにネットニュースでも眺めておけば十分だろう。
*
その夜、さっそくアルケイナに召喚された。
黒曜石のようなつるりとした球体の象徴。マーチングバンドみたいな黒の衣装。これが俺たちの装備だ。
ライオンとて例外ではない。手には黒曜石のような爪が装着されており、みんなと同じ衣装で、頭にはちゃんと帽子まである。
スタート地点は雲上の神殿。
まずはここでソフィアから、戦闘についての説明を受ける。
「森のエリアは今日で最後だよ。自動機械はいつもの感じだから安心して。たぶん楽勝だと思う。ガンバだよ」
無邪気な笑顔がウザすぎる。
他人の命を使って戦争ゴッコをしているという自覚が、このクソガキにはあるのだろうか。いやあるまい。
転移門が出現した。
白い石柱を積み上げたような大型の門だ。そこを通過すると戦闘エリアに入る。
さっさと敵を片付けて来いというわけだ。
上島明菜が近づいてきた。
「八十村くん、頑張ろうね」
「ああ。作戦は頭に入ってる。期待してくれ」
まだまともに飛行もできず、慣性に振り回されているようなザマだが、いまのところ死んではいない。精神の寿命は残り八十年。ミスしなければ長生きできる。
*
無限に広がる青空。
眼下には緑の森。
いつ見ても爽快な景色だ。
レオには、上島明菜が作戦を伝えた。言葉は通じる。俺の指示は聞いてくれないが、女性陣の言うことだけは聞く。
向井六花は厳しい表情で巨剣を構えている。
彼女はおそらく自分の戦いにしか興味がないのだろう。チームワークなど期待すべくもない。俺たちがカバーしなければ。
ソフィアから通信が入った。
『自動機械が来るよ。気をつけて』
はるか遠方に転移門が開き、スペード型の黒い自動機械が次から次へと飛び出してきた。
空を覆わんばかりだ。数だけ異様に多い。これを片っ端から壊せっていうんだから人使いが荒い。
「行くよ」
向井六花が巨剣を脇に構え、ヒュンと加速した。
すると内藤くららも高度をさげ、森へ消えた。
いつもこうだ。
勝手に始まる。
俺たちも速度をあげて敵陣に迫った。
散発的に飛来するビームを回避しつつ、敵の群れへ距離をつめる。このまま突っ込めば取り囲まれる危険があるが、大抵そうはならない。
地上から一条の光が放たれ、敵の群れを両断した。内藤くららのエーテル銃だ。
俺たちはその隙をついて仕掛ける。
象徴を槍に変形させ、加速して敵陣へ突撃。敵は次々と砕け散り、宝石のようにキラめいて消えた。
向井六花もたったの一撃でかなりの敵を薙ぎ払った。
象徴はエーテルをまとっているから、見た目より攻撃範囲が広い。物理的に破壊しているというよりは、魔法で分解している感じだ。
俺たちはUターンしてふたたび敵陣を突破した。
向井六花の攻撃パターンはだいたい把握している。同じように動けばはぐれることはない。なぜか睨まれている気がするが、無視しておこう。
レオも機動力を活かし、俺たちの討ち漏らした自動機械を爪で一層していた。上島明菜も魔法で範囲攻撃をしている。地上からの狙撃も継続されていた。
*
この世界では、時間の経過が早い。
空はすでに朱に染まっていた。
結果は圧勝!
まったく苦戦することなく自動機械を追い払えた。
ほんの少しチームワークを見直しただけなのに、かなりの成果だ。いや、そもそも、みんなが自分勝手に動いていたのが論外だったわけだけど。
おかげで今日は、向井六花に叱られることなく戦闘を終えることができた。なぜかずっと睨まれていたけれど。
神殿へ戻ると、ソフィアが雲の上でぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「すごいすごい! 絶好調じゃん! 森のエリアが解放されたよ! やったね!」
気楽なもんだ。
だが、俺たちにとっては、得るもののないタダ働きだ。しかも、寿命を人質に取られた上での。
「頑張ったんだからさ、なんかくれないの?」
少し離れたところでレオをなでていた内藤くららが、ぼそりとつぶやいた。
ショートカットだが、前髪だけがやたらと長い。一見すると少年みたいだ。スカートを履いているから男ではないと思うが。
ソフィアは満面の笑みだ。
「ないよ! あるのは栄誉だけ! ボーナスは全エリアを解放してからね!」
「……」
もちろんそうだ。
こいつがケチなのは分かりきっている。
だが、珍しく向井六花が食い下がった。
「次はどんなエリアなの? もっと強い敵が出てくるんじゃないの? なにか戦力になりそうなものをくれてもいいんじゃない? 私たちは、あなたのために戦ってるんだから」
そうだそうだ。
もっと言ってやれ。
日頃のストレスをぶつけるなら、俺ではなくソフィアに頼む。
ソフィアは「うーん」と斜め上を見た。
「たとえばなにが欲しいの?」
「もっと強い武器とか」
「象徴の強さは、君たちの強さに比例してるんだ。強い武器が欲しいなら、君たちが強くなるしかないよ」
「だったらメンバーを増やして」
この言葉が出た途端、ソフィアはにぃっと不気味な笑みを浮かべた。
「メンバー? 欲しいの?」
「なによその顔……」
「どうしても増やしたいなら増やせるよ? でもオススメしないかな」
「なんで?」
「それはあとで分かる」
「いま言いなさいよ!」
まったくだ。
俺たちはソフィアのために無償労働しているというのに、なぜか情報を伏せやがる。協力する気が感じられない。
このクソガキの言動はいちいち怪しすぎる。
向井六花はむっとした顔になってしまった。
「もういい。私、帰る」
「じゃあ解散にしようか」
「あ、その前に」
「なに?」
そう聞き返したソフィアを無視し、向井六花は強い足取りで上島明菜へ近づいた。
「上島さん。悪いんだけど、明日の放課後、学校に来られる?」
「えっ?」
「話があるから」
「う、うん。いいけど……」
「じゃあ解散して」
かなりの剣幕だ。
まさか、決闘でも挑もうというのではなかろうな。
しかし俺が確認する間もなく、視界に白いもやがかかり、アルケイナ界から追い出されてしまった。
*
朝、アラームとほぼ同時に目を覚ました。
目覚めがよかったわけではない。寝ていられなかったというのが正しい。寝ている間も、向井六花と上島明菜のことが気になって仕方がなかった。
リビングに入ると、寝ぼけ顔の瑠璃がトーストをかじっていた。
「兄貴、早いね……」
「たまにはな」
すると母親がトーストとミルクを持って近づいてきた。
「雨でも降るんじゃないでしょうね」
「気象庁に聞いてくれ」
「なに生意気なこと言ってんの」
「いて」
頭を小突かれてしまった。
未来の大統領として、完璧なスピーチをしたはずなのに。
「あ、そうだ瑠璃。博士でもいいけど。琥珀のこと起こしてきてくれない? お母さん、卵焼かないとだから」
「……」
瑠璃は寝ぼけ顔のまま「うん」と生返事だ。
ちゃんと聞いているのかいまいち怪しい。
俺は腰をおろしたばかりだったが、構わず立ち上がった。
「見てくるよ」
*
一人部屋なのは俺だけで、琥珀と瑠璃は一緒の部屋だ。だから瑠璃が起こしてくれてもよかったのだが、近ごろ早めに出るからか、あえて琥珀を起こさずに部屋を出たのかもしれない。
俺は二段ベッドのハシゴをあがり、琥珀の様子を覗き込んだ。
「琥珀、朝だぞ。そろそろ起きてくれ」
「うん……」
目をこすりながらこっちを向いた。
赤ん坊みたいにぷくぷくした頬だ。それを言うと怒られるのだが。
「体調悪いのか?」
「ううん。ちょっと夜ふかししちゃったから……」
「そうか。俺、もう行くけど、ちゃんと起きるんだぞ?」
「うん」
遅くまで勉強でもしていたのか?
しばらくテストはないはずだが。
それとも受験勉強だろうか? もしそうなら気の早いことだ。
*
リビングに戻ると、すでに瑠璃の姿はなかった。しかし家を出たわけではなく、長時間に渡る洗面所の占拠が始まっただけだ。
三人もいると、こういうことで衝突が起こりがちだ。だから俺は寝癖を直さない。俺が鏡を覗く時間を減らせば、それだけみんなの時間が増える。
ビッグな男は、こういう配慮もできないとな。
ま、俺の場合、最初から寝癖を気にしていないだけなのだが。
*
電車で移動し、そこから自転車で高校へ通う。
ほかに言うべきことはない。
なぜなら俺は、学校で勉強以外になにもしていないからだ。友達も隣のクラスに一人いるだけ。
クソ、この世界は誰かが修正せねばならぬ。
ともあれ、内容のない時間を過ごし、俺は放課後を迎えた。
まだ日は高い。
駐輪場で自転車にまたがり、校門付近へ移動した。
ここで待機。
いずれ上島明菜が来るはずだ。
そこへ向井六花も来る。
もし戦いになりそうなら、俺が止めねばならない。
ざわめきが聞こえてきた。後方から。
「六花ちゃん、今日は部活行かないの?」
「用事があるから」
ファンに囲まれた向井六花のご登場だ。
彼女たちは駐輪場にまで押しかけてきて、まるで身辺警護のように取り囲んでいる。密集方陣だ。向井六花の機動力を完全に封殺している。空気の読めぬ味方こそが最大の敵というわけだな。
「遊びに行くの?」
「誰かと約束?」
ファンというよりは集団ストーカーだ。
向井六花はそれでも曖昧な表情で対応している。俺への厳しすぎる態度とは明らかに違う。
自転車に乗った向井六花が、俺の隣で一時停止した。
「なんでいるの?」
「いちゃ悪いのか?」
自分の通う学校の校門にいたところで、誰かに苦情を言われる筋合いはない。
ファンのざわめきが大きくなった。
「あいつ誰?」
「六花ちゃんの相手?」
相手じゃないから安心しろ。
向井六花は深い溜め息をついた。
「まさかとは思うけど、ついてくる気じゃないでしょうね?」
「もしよくないことをするつもりならな」
「なにそれ? 首を突っ込まないで。用があるのは上島さんだけなんだから」
「ケンカする気だろ?」
俺がそう尋ねると、彼女はぎょっとしたような顔になった。
「本気で言ってるの?」
「そういう雰囲気だった」
「なら誤解。邪魔しないで。上島さん来ちゃうから」
「もしアルケイナの話なら、俺にも……」
そう言いかけたところで、向井六花がぐっと顔を近づけてきた。
「その話はやめて。ホントに。少し話を聞くだけだから。もう帰って」
「そこまで言うかよ」
だが、ここは従うほかあるまい。
向井六花に言われたから、というよりは、ファンどもの視線が痛かった。「あいつ、三組の八十村じゃん」などと特定しているものまでいる。
ここでヘタを打つと妹にまで迷惑がかかる。
「じゃあ帰るけど、くれぐれも、ケンカだけはしないでくれよ」
「しつこい」
なんでこんなにツンツンしてるんだか。
たしかに初対面のとき俺は全裸だったし、隠しもせず仁王立ちだったことは認める。恥ずかしがると余計に恥ずかしくなると思ったから、つい開き直ってしまった。だが、それは俺のミスじゃない。急に召喚したソフィアが悪い。
まあいい。
俺は自転車をこぎ出し、その場から離れた。
上島明菜とは連絡先を交換しているのだ。なにがあったかは、あとで聞けばいい。
(続く)