月の裏側 前編
夏休みも目前というある夜、アルケイナ界へ召喚された。
広がる白雲。
威容を誇る白亜の神殿。
絶景だ。
ソフィアはしかしむくれている。
「今日は勝つから」
「期待してるぜ」
クソみたいなお気持ち表明に、俺も皮肉で応じた。
「勝つ」などとマイルドな言葉を使っちゃいるが、要するに「殺す」と言っている。
あの錬金術師、戦災孤児にメシを与えたのは立派だったが、教育のほうも少しだけ頑張って欲しかったな。
*
転移門を抜けると、夜の世界に出た。
あまったるいにおいの花々。
体の感覚がおかしくなる。
ふと、琥珀が近づいてきた。
「ね、お兄ちゃん、相談……」
石板をぎゅっと抱きしめている。
「どうした?」
「私、あっちのチームのお手伝いに行きたいの」
「は?」
いやいやいや。
いったいなぜ?
あっちには咎人がいるんだぞ? 正直、あいつにだけは近づけたくない。脳筋の戦車も教育上よろしくないし。
琥珀は強い表情を浮かべていた。
「私、お返ししなきゃ。悪いことしちゃったから」
「それはもう済んだ」
「でも、謝ったのお兄ちゃんだけでしょ? 私、ちゃんと謝れてないから……」
かなり気に病んでいる様子だ。
前回、俺たちは死者を出さずに生還できた。
が、チーム・ホワイトには犠牲が出た。
琥珀を行かせたほうがいいのだろう。
ただ、それは、俺が虚無をアーマーにした場合の戦力比だ。琥珀がいなくなれば、またあれを使わざるをえなくなる。
俺の首のアザは、まだしぶとく残っている。
それでも、今回だけなら……。
それで琥珀の気が済むなら……。
「分かった。ただし、危険だと思ったらすぐ引くんだぞ? こまめな通信も忘れずに」
「うん。ありがとね、お兄ちゃん」
琥珀は満面の笑みを浮かべ、ひょこひょこ走って行ってしまった。
きっと大丈夫。
あいつの寿命は三百年あるんだ。
心配いらない。
内藤くららが「はぁ」と溜め息をついた。
「なんで行かせちゃうかなぁ」
「悪いんだけど、後方支援頼むよ」
「それはどっちのチームの?」
「両方」
きっと彼女ならできる。
琥珀のサポートが多めになる可能性はあるけど。
「おけ。いいよ。たぶんこうなるって思ってたし」
意外と素直な反応。
もしかすると以前から、この件で琥珀の相談を受けていたのかもしれない。
「ありがとう」
さて、リーダーとはいえ、俺の一存で味方の戦力を減らしたのだ。
その穴埋めは俺がすべきだろう。
今日は躊躇なく力を使う。
最初からフルパワーだ。
虚無を変化させ、身にまとう。
不快感はない。
というより、あまりにしっくりきすぎて、逆に不安になるくらい。きっと相性がいいんだろう。いずれ飲み込まれるときでさえ、こんな気分なのかもしれない。
各員、配置についた。
琥珀からも『ちゃんと受け入れてもらえたよ』と通信が来た。
転移門が出現し、精霊が現れた。
塔、太陽、星、そして力。前回と同じ。つまりソフィアの手持ちの駒は、これと自動機械しかないというわけだ。
まだ見ぬ六枠だけが不安材料だが……。
本日は、塔と太陽がこちらへ来た。
前回とは逆。
ソフィアも試行錯誤しているのかもしれない。
だが、負けるわけにはいかない。
「行こう!」
「了解!」
俺が駆け出すと、向井六花も並走した。
今回は俺がスピードを合わせる番だ。空で戦っていたときとは逆。
俺は体当たりで、向井六花は大剣で仕掛けた。
敵はふっと回避。
そこへ上島明菜が範囲魔法を食らわせ、吹っ飛ばす。
先に起き上がった太陽へ、内藤くららの狙撃が命中。
連携が取れている。
琥珀もうまくやっているといいが……。
さらに転移門が開き、自動機械も投入された。
数は多い。
だが、ほとんど置物だ。メインターゲットのついでに破壊すればいい。
戦いは順調。
すべてがうまくいく予感。
過去のループではどうだったろう?
同じような展開になったのだろうか?
もしそうなら、あとでなんらかのどんでん返しがあるはず。ここで気を抜くわけにはいかない。
俺はミスできない。
誰も死なせたくない。
*
がむしゃらに戦っていると、俺の叩き込んだパンチで塔が四散した。
次は太陽。
今回はチーム・ホワイトも善戦しているらしく、残りの敵がこちらへなだれ込んでくるということはなかった。
「たあっ!」
向井六花の大剣がごうとうなりをあげ、太陽の胴体を両断した。
かと思うと、パァンと散らばって粒子となった。
これで精霊は片付いた。
「フゥーハハハー!」
服部大輔が、戦車で自動機械を粉砕して回っていた。
今回は、俺たちが手を出す必要はなさそうだ。
ほぼ壊滅状態となった自動機械は撤退を開始。
俺たちの完全勝利となった。
あとはフォルトゥナの登場を待つばかり。
榎本将記が、不敵な笑みで近づいてきた。
「強すぎるというのも考えものだな」
「えっ?」
「お前の妹だ。おかげで俺の活躍する機会を奪われた。ま、礼は言わずにおく。これで完全にチャラだ。二度と話題に出すな」
「はい」
器がデカすぎる。
俺もこんな男になりたい……。
だが、なかなか琥珀が帰ってこない。
見ると、チーム・ホワイトの岩波空と仲良くお喋りしている。おっとりした感じの少女だ。この短時間で、琥珀がなついている。
内藤くららが露骨にそわそわし始めた。
「ボク、ちょっと行ってくるね」
「うむ……」
ケンカだけはしないようにな。
*
やがて、転移門が現れた。
ふっと降り立ったのはフォルトゥナと……そしてもう一人の少女。
少女の服装は俺たちと同じデザインだが、カラーは鮮烈なブルー。
「お初にお目にかかります。私はチーム・スペクトラムの藤原咲耶。月の役割を担っております」
艷やかな黒髪、切れ長の目、薄い唇。
本当に月を統べるお姫さまみたいに、凛としている。
あまり長いスカートではないのだが、それでも品性を溢れさせている。
敵でないことを願いたいが……。
望みは薄そうだ。
まるで人質をとるかのように、フォルトゥナの斜め後ろに陣取っている。フォルトゥナの表情も冴えない。
当の藤原咲耶も無表情のまま。
すると榎本将記が、仲間にハルバードを預けて前へ出た。
「俺はチーム・ホワイトの榎本将記。役割は皇帝。用件を聞こう。内容によっては歓迎できないが、了承願う」
藤原咲耶はにこりともしない。
「では結論から申しましょう。私の希望は、皆さまの死。それも一度きりではなく、寿命の尽きるまでの完全な死」
あきらかな宣戦布告だ。
だが、たった一人でやるつもりだろうか。
榎本将記はふんと鼻を鳴らした。
「では交渉決裂だ。受け入れられない。お引き取り願おう」
「あなたに選択肢はない」
「お前ひとりで俺たち全員を葬りされると?」
「ええ」
空虚な雰囲気を漂わせている。
そもそも一人で乗り込んで来たのだ。ただのバカでもなければ、なんらかの勝算があるのだろう。
ゴロゴロと音を立て、戦車が前へ進み出た。
「自信があるようだな。俺は戦車の服部大輔。お前に一騎打ちを申し込む」
こいつはホントに……。
いや、敵の能力が分からないいま、その犠牲になってくれるというのなら、歓迎してやってもいい。こいつは寿命が惜しくなさそうだからな。
藤原咲耶はかすかに息を吐いた。
「言ったはずです。あなたに選択肢はないと」
「あん?」
「では、先に手の内を明かして差し上げましょう。私の作戦はごく簡単。フォルトゥナが現れるたび、その命を奪うことです。そうすれば、あなたがたは互いに争わざるをえなくなる」
「そうか」
そうかじゃない!
お前以外の誰も納得してないぞ!
それにしても、これは盲点だったな。
フォルトゥナ以外に、審判を使役できないのだ。つまりフォルトゥナが死んだ場合、俺たちは相手チームを潰さなければならなくなる。
だが、このとき藤原咲耶はピクリと片眉を動かした。おそらく、想定外の反応を受けて動揺したのだ。
「意味が分かっていないようですね……」
「戦えってことだろ?」
「そうです」
「じゃあお前も戦え!」
「なぜ私が……」
困惑しているようだ。
しかし安心して欲しい。
俺たちにも意味が分からない。
見かねた榎本将記がひそかに溜め息をつき、前へ出た。
「だがお前は殺すつもりがない。そうだろう? もし本気なら、ここへ連れてくる前にフォルトゥナの命を奪っていたはず」
そうそう。
俺たちが聞きたかったのはそういうことだ。
戦車はさがっていてくれ。
藤原咲耶も安堵したらしく、平静を取り戻した。
「ええ。じつはそうです。皆さまがどんな人物なのか、見極めに参りました。ソフィアの言う通り、世界に災厄をもたらす存在なのであれば、私は躊躇なく作戦を実行していたでしょう」
榎本将記は肩をすくめた。
「災厄? 俺は合理主義者でな。そんなメリットのない目的のために、時間を割くつもりはない」
そう。
俺たちは生き延びたいだけだ。
藤原咲耶は、しかし警戒したように目を細めた。
「なるほど。では自覚もなく、まったくの善意で世界に災厄をもたらそうとしているわけですか……。救いはないようですね」
「どういう意味だ?」
「皆さまは、生命の樹に手を付けようとしている。それがなにを意味するのか、知りもせずに」
「お前は知っているのか?」
この問いに、彼女は神妙な顔でうなずいた。
「ええ。あれは神より託され、ソフィアが大事に育てている御神木。邪悪な存在を抑え込むための封印装置でもあります。もし手を付ければ、たちまちのうちにアルケイナ界は破壊され、私たちの世界へも甚大な被害をもたらすでしょう。決して手を付けてはなりません」
うん?
錬金術師も「邪悪な存在」がどうとは言っていたが……。彼女の主張は、俺の情報とまるで食い違っている。
榎本将記もやれやれといった態度だ。
「初耳だな。事実なのか?」
「ソフィアの言葉に耳を傾けぬものには、永遠に理解できないでしょう」
「断言するなら証拠を提示しろ」
「目をつむっている人間に、証拠を見せることはできません」
こいつ、勝手なことを一方的に……。
「話にならんな。そもそも、俺たちの命は俺たちのものだ。ソフィアに使われる筋合いはない」
「世界の秩序と天秤にかけてでも?」
「そうだ」
「利己的な人間が世界を滅ぼします。自分さえよければいい。そのようにお考えなのですね。私たちの戦いは、御神木へ奉納される尊い犠牲なのです……。だというのに、ルールをねじまげてまで御神木に手を出そうとは……」
立派なお考えだ。
だが、だったら希望者にやらせればいい。
なぜ嫌がってる人間にやらせるのだ。
そう考えるのは、俺が利己的だからか。
こちらが納得せずにいると、藤原咲耶もうんざりと飽いたような顔を見せた。
「騙されている人間は、どうしても事実を認めたがらないものです」
「お前が騙されている可能性はないのか?」
「可能性だけならいくらでもありましょう。しかしそれは、双方にとって同じこと。あなたがあなたの信じるものを変えないように、私も私の信じるものを変えるつもりはありません」
「ラチが明かんな」
「さて、そろそろフォルトゥナの命を奪います。言っておきますが、私への妨害はオススメしませんよ。巻き込んでしまいますので」
この女、漫画の強キャラみてぇなこと言いやがって……。
彼女の背後に、すっと巨大な鏡が現れた。
まさか、これが月の象徴……。
鏡はゆっくりと二人へ近づいてゆき、ぶつかることなく飲み込んでいった。
胸騒ぎがして、俺も反射的に飛び込んだ。
もちろんただ殺されるつもりはない。藤原咲耶も一緒に入っていったから、おそらく内部に入っただけで死ぬことはないはず。
フォルトゥナには救われてばっかりだった。
今度は俺が救う番だ。
(続く)