ありがとう
その晩、さっそくフォルトゥナに呼び出された。
今日はフルメンバー。
雲上。
夜の景色。
「私に用があるとか……」
ギリシャの彫刻みたいな女だが、フォルトゥナは露骨にそわそわしていた。
もしかして、俺たちとのお喋りを楽しみにしていた……とか?
いや、彼女はれっきとした神だ。
こんなことで浮かれたりはしないだろう。
「座ってお話ししましょう」
率先してそんなことを言う。
上島明菜がぷっと笑った。
「なんか話しかけちゃいけない雰囲気かと思ったけど、そんなことなかったね。あたし、上島明菜。明菜ちゃんって呼んで」
「明菜ちゃん……」
一人だけコミュニケーション能力が高すぎる。
彼女は黙っている俺たちを、一人ずつ紹介していった。
「で、こっちが向井さん、八十村くん、妹の琥珀ちゃん、その友達の内藤さん」
おそらくフォルトゥナは、そんなこととっくに知っている。
知っているはずなのだが、なぜか楽しそうだった。
「私はフォルトゥナ。人間たちには、幸運の女神として知られているわね」
「わー、ホンモノなの? 肌キレイだし、ヘアスタイルも似合ってる! すごいすごい! ホンモノだ!」
「え、ええ、ホンモノよ……」
いいのか?
実在の神に対してこの態度。
まるでサークルの新人歓迎会だぞ……。
いや待て。
もしかして、だが。
これこそが彼女の望んでいたことなのでは?
俺たちは命のかかったクソ真面目な会話しかしてこなかった。
必然、みんな思いつめた顔になるし、言葉だって辛辣になる。
俺は土下座した。
「ごめんなさい!」
「ええっ……」
「いままでよかれと思って手を貸してくれたのに、俺は自分の都合ばっかり……。甘えてたよ! 許してくれとは言わない。ただ、どうしても謝りたかった……」
まるで親に甘えるガキのような態度だった。
相手が神だから、それくらい押し付けていいと思い込んでいた。
だが、神にも神の事情がある。
「あ、頭をあげて、愚者……じゃなくて八十村博士……。そういう謝罪は、あまり慣れていないから」
「分かった。やめる。それに、今後はきちんと感謝することを誓うよ。そちらにも困ったことがあれば、俺たちでよければ協力する」
フォルトゥナはふるふると震えだした。
「な、なんでしょう……。過去にこんなことなかった……。やはり確実に、流れが変わっているようだわ……」
それは嬉しい。
嬉しいが、つまり過去の俺は、さんざん手を貸してもらったのに、礼のひとつもしてこなかったというわけだ。
俺め、なんてダメなヤツなんだ……。
向井六花も正座したまま、姿勢よく一礼した。
「私からも感謝申し上げます。あなたの協力がなかったら、おそらく悲惨な結末を迎えていたでしょう」
「けれども、過去のあなたを救えなかった」
「ご自分を責めないでください。私たちは非力な存在。あなたの力がなければ、希望を見つけることさえ叶わなかったはず」
「……」
またふるふるし始めた。
神というのは、もしかしたら、孤独な存在なのかもしれない。
思えば俺も、年末年始に神さまに「お願い」はする。だが「礼」をしたことはなかった。自分の都合で一方的に拝み倒すだけだ。
だから神も、こちらに対して一方的な態度になりがちなのかもしれない。
フォルトゥナは静かにこう告げた。
「じつは私たち神の一族は、かつては人とともに地上で暮らしていたの」
*
彼女の話はこうだ。
人々がまだ文字を持たぬ時代。
神々は、まだ地上にあった。
彼らは、ときに助け合い、ときに争い、ときに歌い、世界を分かち合って暮らしていた。
しかし別れの時が来た。
人々が、自分たちの手で大地を支配したいと望んだのだ。
神々は困惑した。
これまでうまくやってきたはず。
とはいえ、あまりに存在の違う両者は、異なる世界に生きたほうがいいのではないかという意見も出た。
交渉は長きに渡った。
やがて神々は、人間の希望通り、地上を去ることを決めた。
次に移り住んだのは、なにもない空間。
そこは最初から神界だったわけではない。
神々が移り住んだことで、ようやく神界となったのだ。
神々は、しかしこの決断をすぐに後悔した。
寂しかったのだ。
人々は、神を追い出したあと、もう神の存在など忘れ、楽しく暮らし始めた。
親と子のような関係だった。
子は親を追い出して自分たちの世界を作り、追い出された親はなにもない空間で忘れられていった。
*
歴史を語り終えたフォルトゥナは、こう続けた。
「多くの神々は忘れられたことに失望し、やがて活力を失ってしまった。神であることを終えて、象徴になってしまうものもいた。それがいま、みんなの使用する神器」
象徴は、神そのものだったのか。
「もちろん、もとの姿のまま存在している神もいるわ。けれども、みんな人間との対話を極端に避けている。この世界に錬金術師が迷い込んできたときでさえ、ただ傍観していた」
あまりに哀しげな表情をする。
彼女たちにしてみれば、言葉たくみに地上を終われ、そのまま見捨てられた気分だったろう。
俺は人類を代表する立場ではないが、申し訳ない気持ちになった。
「知らなかったこととはいえ、なんだか……」
「いいの」
「でも、だったらなぜ異界文書を受け入れたんだ? それも無視すればよかったのに」
すると彼女は、困惑気味に笑みを浮かべた。
「皮肉なことに、正式な契約書の形をしていたの。だから神々は形式的に応じたのね。きっと中身も見ずに……」
「撤廃はできないの?」
「正式な文書だから。いちど承諾されてしまった以上、書いた本人でさえ簡単に変更できない。もし変更するなら、膨大な命を捧げる必要がある」
彼女は言及しなかったが、昨日俺がやったことだ。
ふと、内藤くららが首をかしげた。
「みんなで承諾したの? それとも誰か個人が?」
「分からないわ。きっと本人も上の空だったはず」
そんなことがあるのだろうか?
まあ神が言っているのだから、そうなのかもしれない。
なにせ神をやめて象徴になるほど無気力だったのだ。中身も見ずに、反射的に承諾することもあるだろう。
だが、もしそれが誤解で、じつは悪意のある誰かが仕組んだことだとしたら……。
俺はこう尋ねた。
「膨大な命が必要と言ったけど、それがないと撤廃できないの? だったら、俺たちみんなの命が必要とか……」
すると彼女は、静かにかぶりを振った。
「いえ、命ならもうあるの。過去にソフィアが捧げてきた命が」
「えっ?」
「それは最後の領域に存在する生命の樹に蓄積されている。けれども、私が見たところ、あれは生命の樹ではない」
「じゃあ、いったい……」
「分からない。ただ、その命を使えば、この契約を終えることができると思う。神々と交渉せずにね」
楽しく談笑するだけのはずが、思いがけず核心に迫ってしまった。
ともあれ、このプランをソフィアが許可するとは思えない。
もしかすると、ソフィアを殺す必要があるかもしれない。因果律に影響が出るだろうけれど、いざとなったらやむをえない。
フォルトゥナはふふっと笑った。
「それにしても、本当に流れが変わったのね……。こんな話ができるなんて……」
「変化の原因は特定できないんだっけ?」
「そう。でも、どのループにおいても、皇帝は私のことを気に留めてくれた。感謝の言葉を口にしてくれた。けれども、あなたに相談なんてしなかったわね」
過去の俺たちは、もっと敵対的だったのかもしれない。
「まったく心当たりがないんだ」
「それでいいわ。もしかしたら、これこそが本当に予定されていた未来かもしれない。私たちが百回以上ループすることも、きっと規定の流れだったのよ。因果律を超えたメタ世界があるんだわ」
彼女たちをも超越する存在が、じつはいるのかもしれないな。
ま、分からないことを考えても仕方がない。
分かってるところだけ考えよう。
俺たちはいま、事態を前進させている。
結論に到達しかけている。
最後の領域にある生命の樹を使い、異界文書を無効にするのだ。それなら神々の力に頼らずに、俺たちだけで実行できる。たぶん。
だが、俺は念のため、定番の質問を投げることにした。
「ところで、過去の俺たちは、この生命の樹にどう対処した? 事実を知っていた? そして実行した?」
「ええ。知っていたし、挑みもした。生命の樹にも到達したわ。けれども、成し遂げられなかった」
「敗因は?」
「いまはまだ……因果律に触れる……」
またそれか。
だがいい。
今回は、前回までと違う。
「分かった。ありがとう。いつか言えるようになったら、教えて欲しい」
「ええ」
*
翌朝、爽快な気分で目をさました。
目覚ましがなるより少し早い。だが、かなりいい時間だ。
クソ暑くて汗だくだが、体は軽い。
シャワーを浴びて、俺はリビングでテレビを見た。
やがて母が目を覚まし、父も起きてきた。
「お、なんだ博士。早いじゃないか」
「うん。なぜか快眠だったよ」
「若いってのはいいな」
「毎晩、酒飲むからだろ」
「飲んだほうが体にいいんだよ」
すると母が「そんなわけないでしょ」とつっこみを入れてきた。
ま、それも日常的な会話だ。うちはきっと、みんな仲がいい。俺も瑠璃も琥珀も問題を起こさないし、親もうるさく言ってこない。
そこだけは、俺も感謝している。
父が家を出て、瑠璃が起きてきて、琥珀が起きてきて、次第に騒がしくなった。
「うわ、兄貴に寝癖がない。え、なに? モテたいの?」
「早く起きたから汗を流しただけだ」
瑠璃の皮肉にも、動じてはならない。
琥珀は「お兄ちゃん、かっこいいよ」と褒めてくれる。
「お前もかわいいぞ」
「ホント?」
「ホントだよ」
「やった。くららちゃんに自慢しちゃおっと」
それはやめろ。
後ろから撃たれる。
ま、しかし、当然のように享受しているものも、じつは誰かの善意で成立しているかもしれないんだよな。
俺の場合、父と母だ。
「はい、これお弁当ね」
「いつもありがとう」
俺が感謝の言葉を述べると、母はびっくりしたようにのけぞった。
「え、なに? 急にいい子になっちゃって。お小遣いでもあげて欲しいの?」
「あげてくれんの?」
「ダメダメ。毎月厳しいんだから」
「じゃあ言わんでくれよ」
期待させおって。
ま、感謝の言葉を述べるのはタダだ。もっと言っていこう。誰も悪い気はしない。
これが最後のループだ。
後悔のないように生きよう。
(続く)