ケイオスガーデン 前編
幾度目かのアルケイナ界。
ついに直接対決が始まった。
風が吹き抜けるたび、あまったるいかおりが鼻をつく花のエリア。
そこは夜の世界。
毒々しい色の花々が一面に咲き乱れており、その瘴気によって俺たちは空を飛べなくなっていた。
ここでは地上戦しかできない。
「いつものフォーメーションを意識して! 敵はもう展開してると思う!」
俺はそう指示を出した。
花は膝ほどもないから、視界を遮られることもない。
まっくらでもないから、人が現れればシルエットで分かる。
きちんと目をこらしていれば、奇襲を受けることはない。
いや、奇襲を受けたっていいのだ。
これはデキレース。
今回、俺たちは敗退し、命を失う。
フォルトゥナが介入してこない限りは……。
仲間たちは、いちおう作戦を承諾してくれたものの、心からは納得していなかった。
交互に勝利を譲り合い、時間を稼ぐ。その代償は十年の寿命。攻略法を手に入れない限り、俺たちの命はガリガリと削られてゆく。
もしかすると、ただ損して終わるかもしれない。
どうにかして攻略法が分かればいいのだが……。
こちらは五名。
敵も五名。
ゴロゴロと車輪の回転音が近づいてきた。
現れたのは、ワゴンに乗った戦車の服部大輔だ。今日もツンツンと尖ったスパイキーヘアをしている。
「フゥーハハハー! 相変わらずこそこそ固まっているようだな!」
すると剣を手にした向井六花が前に出た。
「一人?」
「ああ、一人だ。お前たちに、一騎打ちを申し込む!」
「一騎打ち? 正気なの?」
「もちろん正気だ。俺は榎本なんぞの命令に従う気はない。ただ死力を尽くして戦うのみ」
な、なんなんだこいつ……。
命が惜しくないのか?
高校生の発想じゃない。
いや、大人だってこんなのいないだろ……。もしいるとすれば、こいつが大人になった姿。つまりこういうヤツは、生まれつきこうなのだ。
この挑発に向井六花が乗った。
「みんなはさがってて。私が相手になる」
リベンジ、というわけだ。
いったいどうなってしまうんだ?
もし向井六花が勝ったとして、結局、俺たちは負けなくてはならない。服部大輔にとっては、なんのメリットもない戦いのはず。
俺は注意深く周囲を見回した。
これも榎本将記の策だろうか。俺たちが心変わりした場合に備えて、戦車を囮にして急襲するつもりかもしれない。
「ふん。弱い女をなぶるのは趣味ではないが、名乗り出た度胸だけは認めてやろう」
「その弱い女に負けるのよ、あなたは」
「では行くぞッ! ハァッ!」
掛け声とともに戦車を走らせた。
迅い。
突風が駆け抜けたかと思うと、花びらが舞い上がり、戦車はいつの間にか遠くでドリフトしていた。助走ナシでいきなりトップスピードが出る。
向井六花はギリギリでかわしたらしく、鋭い視線で戦車を睨みつけていた。
一瞬であれだけ距離がひらいたということは、戻ってくるのも一瞬だろう。どんなに遠くにいようと気が抜けない。
俺も周囲への警戒をおこたらない。
負ける戦いだと分かっていても、心の準備くらいはしておきたい。
また戦車が来た。
大袈裟な突風。
「きゃっ」
体をかすめられたらしく、向井六花は尻餅をついた。
「フゥーハハハー! か弱い声を出すではないか! 逃げ回っていても俺には勝てぬぞ!」
「うるさい!」
どう見ても向井六花が押されている。
このまま放っておけば、またハネられてしまうだろう。
しかし一騎打ちだ。手を出すことはできない。
身を潜めていた内藤くららが通信を送ってきた。
『もう囲まれてる』
「えっ?」
上空から、ダァンと人が降ってきた。
榎本将記だ。
大地にハルバードが叩きつけられ、花々と土砂が混じり合って飛散した。
「外したか……。次は当ててやる。お前たちも、死ぬなら一撃がいいだろう」
「……」
なんだ?
いったいどこから?
どうやって飛んだ?
『右と左、それと正面にもいる』
内藤くららはそう教えてくれたが、まったく見えない。いや、正面のシルエットだけはかろうじて……。しかし遠い。
上島明菜が「ひっ」と声をあげた。
「各務莉煌斗。咎人だ。俺が君の相手になろう」
ひょろりとした男が、いつの間にか接近していた。
いや、それだけではない。
琥珀のそばには、メガネをかけた少年が立っていた。
「僕は魔術師の広瀬真彦。君に恨みはないけど、死んでもらうね」
この野郎!
だが、榎本将記のハルバードがぶんとうなり、俺の眼前をかすめた。
「よそ見している余裕があるのか? お前の相手はこの俺だ。抵抗しても構わん。最後は俺が勝つのだからな」
「クソッ」
やるしかない。
俺は象徴を槍に変え、正面に構えた。
負けないといけないのに。
いざとなると命が惜しくなってしまう。
フォルトゥナは来ない。
やはり彼女をアテにすべきではなかった。
それに、俺はもう力を得た。
因果律を超越する力。
槍となった虚無は虹色の光を放ち、みなぎったエーテルがキィンと高い音を立てている。
榎本将記は驚いたように目を丸くした。
「く、空間を裂いている、だと……」
「えっ?」
槍を動かすと、一瞬、無関係な景色が見えた。それは他のエリアのものだろうか。青い海だったから、もしかすると前回のエリアかもしれない。
以前、チーム・ホワイトは、フォルトゥナの力で俺たちのエリアに乱入してきた。
それと同系統の力かもしれない。
だから榎本将記は、この現象を見てすぐ「空間を裂いている」と判断できたのだ。
つまりいまの俺は、フォルトゥナと同じようなことができる。
ソフィアから通信が来た。
『八十村くん、その力はなにかな? 説明してもらえる?』
「お前には関係ない」
『因果律が壊れたらどうなるか、分かってるの?』
「どうなるんだ?」
『分からないの。分からないから怖いの。特にあなたの場合、フォルトゥナと違って限度を知らないんだから……』
そうだ。
限度なんて知らない。
だが、因果律とやらは壊れないだろう。なにせ過去の俺も、これを壊してないんだ。俺はその辺のイキリ野郎と違って、節度ってものを持ってるからな。たぶん。
だが、俺のこの自信は、すぐに揺らぐことになった。
ダァンと上空から光の柱が降り注ぎ、直撃を受けた「魔術師」がミンチになった。
飛散した血液に染まり、花々は怪しく踊っている。
ちゃんと確認しなくても分かる。
即死だ。
やったのは琥珀。
「私、死にたくないよ。お兄ちゃんにも死んで欲しくない」
これも石板の力なのか。
榎本将記は溜め息をついた。
「やはりこうなったか……」
「……」
反論できなかった。
俺たちは、約束を破ってしまった。
謝罪して自害するくらいでないと足りない。
なのに、俺は応戦してしまった。
振り回されたハルバードに、槍を合わせた。
槍が弧を描くと、そこに異空間の景色が現れた。
しかしハルバードを裂くことはできない。おそらくエーテルで保護されているからだろう。
「なるほど。あながち心得がないわけではなさそうだ」
「待ってくれ、まだ修正できる」
「それはお前の妹に言うんだな」
彼がサッと飛び退くと、そこへ光の柱が降り注いだ。
まるで裁きの雷だ。
すると、榎本将記のそばに、戦車がやってきた。
「ふん。まだ遊んでいるのか」
「事態が想定を上回った」
「代われ。俺が相手する」
「……」
服部大輔は、リーダー相手にも強気だった。
彼が来たということは、向井六花が負けたということだ。
いや、「負けた」なんて表現はよそう。
殺されたのだ。
なるべく考えないようにしているが、息が上がってきた。
踏み込まれたエンジンが加速していくように。
心臓がドキドキする。
向井六花が死んだ。
殺したのはこいつ。
手にギリギリと力が入る。
「お前がチーム・ブラックのリーダーか? ふん。弱そうではないか」
「ああ、弱いさ」
「戦う前から勝負が見えたな。行くぞ。ハァッ!」
掛け声とともに、戦車が来た。
俺は逃げない。
腰をおとし、槍を構えた。そして槍を太く変形させ、柄を伸ばして大地に固定した。防御用の杭だ。
ガァンと、凄まじい衝突音がした。
戦車は完全に静止。
代わりに、乗車していた服部大輔は上空へ放り投げられた。
そこへ上空から光の柱が落ち、ズダァンと大地へ墜落した。
これで四対三。
榎本将記は振り向き、怒声を浴びせた。
「岩波! なにをやっている!?」
遠くのシルエットがちぢこまった。
そういえば、まだ姿を現していないメンバーがいたな。戦いに参加せず、遠方で眺めているだけの存在。いったい何者なのだろうか……。
榎本将記はさらに叱責した。
「傍観していればお前も死ぬぞ! 力を使え!」
「は、はいっ!」
少女の声だ。
榎本将記がハルバードを手に襲いかかってきた。
俺は形を戻した槍で受ける。
ガァンと想像以上の衝撃。
俺は転がりながら、後方へぶっ飛ばされた。
さっきより強くなっている?
顔をあげると、榎本将記はすでに眼前に迫っていた。
俺は慌てて槍を合わせる。
サッカーボールのように、いともたやすく弾き飛ばされた。
信じられないパワーとスピード。
いったいなにが……。
体が動かない。
俺は地べたに伏せたまま、しばらく体勢を立て直せなかった。
なのに、榎本将記は、凄まじい勢いでこちらへ迫っている。空から降り注ぐ光の柱を余裕で回避しながら。
次の攻撃は防げない。
ふと、一条の光が伸びた。
榎本将記は俺の頭にハルバードを叩き込もうとしていたが、光線を回避して横へそれた。
内藤くららのエーテル銃だ。
俺は慌てて立ち上がり、次の攻撃に備えた。
「こざかしいマネを……」
「チームワークと言って欲しいな」
武器を手に、対峙する。
敵は堂々とした構えだ。
対する俺は、刃の鋭さに怯えて腰がひけている。
おそらく勝てないだろう。一対一では。
だが、こちらには仲間がいる。
(続く)