ある一日
それからの数日は、何事もなく経過した。
何事もなく、というのは、つまりはなんの進展もないということだけど。
授業を終えた俺は、いつも通り駐輪場へ向かった。その途中、スマホがブルッと震えたのが分かった。
画面を見ると、上島明菜からだった。
『少し相談があるんだ』
『前に行った喫茶店おぼえてる?』
『よかったらそこ来て』
なんだろう。
俺は『分かった』とだけ返信し、自転車を走らせた。
*
クーラーの効いた店内に、上島明菜はいた。
なにか深刻な相談かと思ったが、彼女は笑顔で手を振ってくれた。
「ごめん、遅くなった」
「ぜんぜん、ぜんぜん。大丈夫」
夏服。
やはりどこからどう見てもギャルだ。ブラウスの胸元を開けている。あまり見るとセクハラになりそうだけど……。
彼女はストローでアイスカフェオレをすすり、一息ついた。
「おいしい」
「もうすっかり夏だしね。俺も汗ばっか出ちゃってさ」
制汗スプレーとかしたほうがいいんだろうか。
そんなの持ってないけど。
瑠璃のを勝手に使うわけにも……。
すると上島明菜が、少しキョロキョロし始めた。
「えーと……」
「なに? 誰かいるの?」
「ううん。そういうわけじゃないけど……。知り合いとかに聞かれたらアレかなーって」
「言いにくい話?」
「ちょっとね……」
いたずらっぽい笑みでそんなことを言う。
早く本題に入って欲しいんだけど。
俺はアイスレモンティーをごくごく飲んだ。かすかな甘みと、サッパリとした酸味。すぐに飲みきってしまいそうだ。
「八十村くんさ、アレ、結局どうなったの? 向井さんとケンカしてたやつ……」
「あのこと? いやケンカじゃないよ。ちょっと不用意な発言しちゃっただけで」
「不用意って?」
「俺の口から言ってもいいのか、分からない」
なにせ向井六花の家庭の事情なのだ。
俺が広めていい話じゃない。
すると彼女は、しゅんと落ち込んでしまった。
「秘密の話なんだ?」
「秘密っていうか……。家のことだから」
「家って? どっちの?」
「向井さんの」
「向井さんの家の話を、八十村くんが悩んでるの?」
「ま、まあそういうことになるかな」
なんかそれだけ聞くとヤバいヤツみたいだけど。
他人の家庭に土足で踏み込んでいるかのような。
「八十村くんさ、もしかして、だけど……」
「ん?」
「向井さんと、付き合ってたりするの?」
「はい?」
「こないだも、お弁当作ってきてもらってるって……」
なぜか弁当で餌付けされている感じはするが。
断じて付き合っているわけではない。
「違うよ。弁当は親のだよ。ただ、少しおかず分けてもらってるだけでさ」
「毎日?」
上島明菜は少しうつむいて、上目づかいでこちらを見てきた。
ほぼ毎日だ。
だが、なんだか言い出しにくかった。
「えーと、まあ、わりとあるかな……」
「八十村くんはどう思うの?」
「うまいと思うよ」
「ふーん……」
なんだか琥珀的なものを感じる。
そういえば彼女も妹気質だったな。兄が欲しい感じなのだろうか。だが、俺では不釣り合いだと思う。同い年だし。
「あーそうそう。今度さ、向井さんの剣道の試合あるんだって。みんなで応援に行かないか? あとプールも行きたいって言ってたな。どう?」
「それはいいけど……」
「もしかして、都合悪い?」
「ううん。行く。行くけど……」
「なに?」
「琥珀ちゃんも来るの?」
なぜそこで琥珀!?
俺はどう応じたらいいんだ……。
「えーと、いちおうメンバーだし、呼ぼうかなと……。なんかマズい?」
「ううん。でも琥珀ちゃんがどう思うだろ」
「琥珀が? どういう意味?」
「だって、あたしらが八十村くんに話しかけると、じーっとこっち見てるから。嫉妬してるんじゃないかなーって」
あー、まあ、そういうところあるな、琥珀は。
外にいるときくらい、もう少し距離感を意識して欲しいところだが。
「琥珀のことは、内藤さんに任せよう」
「くららちゃん?」
「仲いいみたいだから」
それに、内藤くららの前で琥珀にじゃれつこうものなら、次の戦場で「誤射」されかねない。また謎の魚スタンプでチャットが埋め尽くされるのも勘弁だしな。
上島明菜は、ぐっと身を乗り出して顔を覗き込んできた。
「八十村くん、シスコンじゃないよね?」
「えっ? ち、違うよ。たぶん」
「じゃあ妹に彼氏できても平気?」
「平気じゃないけど……。でも干渉しないつもりでいる。そういうのは、琥珀の自由だから。まあ、まだちょっと早い気はするけど」
しかも彼氏ではなく、彼女ができそうな気もするけど。
上島明菜は、そこでようやく席に座り直した。
「でさ、そういう八十村くんは彼女作らないの?」
「作らないわけじゃないけど……」
「向井さんのこと狙ってるでしょ?」
「狙ってないよ。だってあの子、学校のエースだぜ? 高嶺の花っていうかさ。こんなことでもなけりゃ、俺なんかと接点もないよ」
「それって表面しか見てないと思う」
「そうかも。でも率直な感想だよ」
家の事情があるから、どっちにしろ俺と付き合うことはないだろう。
彼女の真剣な横顔には、見とれることもあるけど。美人ならみんなそうだ。相手が向井六花でなくとも起きる現象だ。
なんて、言ってみたりして……。
俺はごまかすようにアイスレモンティーを飲み干した。
上島明菜は不審そうな目でじっとこちらを見ている。
「上島さんはさ、お姉さんいるんだっけ? どうなの? 彼氏いるの?」
「いる。てか別れたのかな。いつの間にか付き合ってて、いつの間にか別れてる。お姉ちゃん、モテるから」
「君だってモテるだろ」
「……」
会話が途絶してしまった。
いったいなぜ!?
見たまんまを言っただけなのに……。いや、それがダメなのか?
上島明菜は少しそわそわし始めた。
「そりゃ……たまにはナンパされるけど……。でもぜんぶ断ってるよ! あたし、ちゃんとした人がタイプだし」
「ごめん、意外だった」
「意外!? どういうこと? 八十村くん、あたしのことそういうふうに思ってたの?」
「あ、いや、いまのナシ。でもほら……わりとそういうのオープンな感じしたから……」
「ひどい!」
ギャルなのは見た目だけで、中身は全然違うのか?
いや、だったらなぜそんなカッコをしているのだ……。まあどんなカッコだろうが自由ではあるけれど……。でも周りは勘違いするのでは?
彼女はしょげて机に突っ伏してしまった。
「やっぱこのカッコのせいかな……」
「に、似合ってるよ」
「お姉ちゃんもそう言ってくれる……。でもこれ、お姉ちゃんに強制されてるっていうか……」
「そうなの?」
「明菜ちゃんはこっちのほうがかわいいよー、って。美容師だから。髪とかもやってもらってるんだ」
着せかえ人形、というわけだ。
本人がそんなにイヤそうでないのが救いだが。
上島明菜はがばと起き上がった。
「むかしの写真、見てみる?」
「あるの?」
「うん。髪も染めてなくて、パーマもかけてないときの、地味なやつ……。笑わないなら見せたげる」
「それはぜひ見たい」
「ん。じゃあ、はい」
スマホを操作して、こちらに渡してくれた。
画面には、まっすぐな黒髪の健康そうな少女が映っていた。いまと制服が違うから、中学のころのだろう。
「え、かわいいじゃん」
「ホント!? こっちのが似合う?」
「まあ、いまのも似合ってるけど。こっちもアリだよ」
「どっちかっていうと、どっちがいい?」
「うーん」
どっちもいい。スマホの中の上島明菜は、言うほど地味でもなく、清楚というわけでもなく、普通に健康的な女子という感じだ。好感が持てる。
「ねー、どっち? どっちの感じが好みなの?」
「えっ? いや、まあ、どっちもいいよ」
「ダメ。どっちか選んでよ」
め、めんどくさい……。
これが妹の資質というものか……。
琥珀を思い出す。ツインテールにするかおさげにするか、かなり悩んで、何度も俺に見せに来たっけ。
どっちもかわいいんだから、選べるわけがない。
「たまにイメチェンしてみる、とかは?」
「じゃあ黒に戻すね」
「いいの? お姉さん、納得するかな?」
「いいもん。たまには反抗するし。んー、でもそっかぁ。八十村くんは、黒いのが好みなんだぁ」
「……」
特にそういうわけではないのだが。
*
帰りの電車で、瑠璃からチャットが来た。
レオの墓参りをしたいから、一緒に行こうというのだ。
俺は地元駅につくと、ガードパイプに腰をおろした。ベンチもあるのだが、それはバスの利用者が使うものだ。
先に来たのは琥珀だった。内藤くららもいる。
「あ、お兄ちゃん。お帰りぃ」
「ただいま。内藤さんも一緒なんだ?」
「うん」
頭をなでて欲しそうにそわそわしているが、内藤くららの視線が厳しくて、応じることができなかった。
「瑠璃もそろそろかな」
「うん。ね、お兄ちゃん、なんか飲む? お金あるからおごってあげる」
「いいよ。お前の小遣いだろ」
「でもこないだ、お兄ちゃんお小遣い使っちゃったでしょ? だから代わりに」
「大丈夫。ありがとな」
つい頭をなでそうになり、思いとどまった。
だが、内藤くららは我慢がならなかったようだ。
「琥珀ちゃん、ちょっと距離近いよ」
「えー、なんで? お兄ちゃんなんだから普通だよぅ」
「普通じゃない。キョーダイでこんなベタベタしてるの、変だと思う」
「変じゃないもん」
「変だよ。異常」
「なんでそんなこと言うの? くららちゃん、もしかして私のお兄ちゃん狙ってるの?」
「狙ってないよ、そんなヤツ」
「そんなヤツ?」
「ごめん、いまのは……」
「もー」
正直、どちらにも味方したくないな。
瑠璃よ、早く来てくれ……。お兄ちゃんの精神力は限界だ。
*
「お、揃ってんじゃん」
瑠璃が駅舎から出てきた。
まっさきに駆け寄ったのは内藤くららだ。
「先輩、琥珀ちゃんに言ってやってください。お兄さんにベタベタしすぎだって」
「言っても聞かないよ、琥珀は。むかしっからそうなんだから」
「絶対ヘンだし」
「まあヘンだよね」
あんまり言うな。またヘソを曲げるぞ。
日が伸びたとはいえ、空はやや暮れかけている。
急いだほうがいいだろう。
「行こう。場所を教えてくれ」
自転車で移動した。
場所は、中学校のそばの道路だった。
生徒の姿はほとんどない。
日も落ちてきて、遠くの歩行者は、シルエットしか見えなくなっていた。
墓の場所はすぐに分かった。
土手に石が置かれ、小さな棒が刺さっていた。
「ここに埋まってるのか?」
俺の問いに、瑠璃は首を振った。
「ううん。死体は役所が持ってっちゃったって。火葬しないといけないらしくて」
「ま、それもそうか……」
なら、ここはあくまで事故現場というわけだ。
ほぼ道路側とはいえ、この土手は、おそらく付近の農家の私有地に違いない。けれども墓を撤去しないということは、生徒たちの気持ちを汲んでくれてのことだろう。
この世界には、優しい人もたくさんいるのだ……。
俺たちは、そっと手を合わせた。
俺の記憶が戻っていれば、救えたかもしれない命。
個人的な思い出はほとんどないけれど、それでも仲間として一緒に戦った。
因果律だかなんだか知らないが、あきらめることなく、レオのぶんまで戦わなくては。
内藤くららが、ずっと鼻をすすった。
そこへ琥珀も寄り添った。
この子たちは、現実世界のレオとも交流があったのだ。ショックは大きいだろう。
俺も急かすことなく、二人の気が済むのを待った。
水の張られた田んぼでは、カエルがゲコゲコと合唱を始めた。
(続く)




