枷鎖
夜、美しい月の、青白い砂浜へ来ていた。
岩には老人が一人。
「答えを聞く前に、お前の疑問を解消しておこう。聞きたいことがあるはずだ」
しわがれた声で、男はそう切り出した。
もちろんだ。
疑問は山のようにある。
「まず聞きます。あなたは何者なんですか?」
「老人だよ、見ての通りだ」
「正体は? フォルトゥナのループの外にいるということは、ただの老人ではないはず」
すると老人は、ふっと笑った。
「好きに想像してくれ。俺自身、自分をただの老人としか思っていない。ほかに答えようもない」
怪しい……。
本当に、この男を信用していいのだろうか。
俺は次の質問をぶつけた。
「目的は? 俺に力を与えて、なにをさせる気なんです?」
すると男はまた笑った。
「俺は善人が嫌いでな……。だが勘違いするな。お前を不幸にしたいわけじゃない。この戦いに巻き込まれた時点で、もうじゅうぶん不幸と言える」
「つまり?」
「俺はこの世界で、ずっと若い人間の死を見てきた。フォルトゥナのようにな。もううんざりなんだ。あんな悲惨なゲームを、何度も見せられるのは……」
あくまで善意、と言いたいのか。
やはり怪しい。
フォルトゥナのことはそこまで怪しく思えなかったが、この老人は怪しい。過去にこの老人と会った記憶がないせいかもしれない。
「俺たちが会ったのは、今回のループが初めてですか?」
「いや」
即答だ。
それも、予想外の回答。
「え? じゃあ過去のループでも、何度も会ってたってこと? そのとき俺は、どんな選択を……」
「お前は力を拒み続けたよ。そして必ず後悔してきた。そろそろフォルトゥナの『楔』も機能しなくなる。強制はできんが、流れを変えたいなら受け入れることだ」
おそらくは今回がラストチャンスってワケだ。
だったら俺の答えは決まっている。
流れを変えるんだ。
「分かりました。受け入れます」
「結構」
老人はゆっくりと立ち上がった。
背は、思ったよりも高かった。
「力を与えるとは言ったが、じつは正確ではない。しかし警戒するな。結果は同じだ。お前の象徴にかけられた枷鎖を解除する」
「えっ?」
「お前の扱う虚無は、特に可能性を秘めている。枷鎖を取り払えば、因果律を超越することもできよう」
たしか、俺たちに課せられたルールだったな。
ソフィアでさえそこから自由ではない。
つまりフォルトゥナのような力が手に入るということだ。もしかすると、彼女に頼らずとも事態を改善できるかもしれない。おそらくは琥珀の命だって犠牲にせずに済む。
老人は告げた。
「月を見よ。星を見よ。夜がお前を祝福するであろう」
青と黒が深く融け合った夜空。
模様が見えそうなほど巨大な満月が浮いている。
そして赤と青に明滅するキラキラの星々。
内側から力が湧き出す、なんて感覚はない。
逆に、喪失感のようなものをおぼえた。
俺の体に宿るなにかが、ほろほろと崩壊して、そのまま消えてしまうような……。まさか、力を奪われている?
いや、けれどもこの感覚は……。
男の言った通り、枷鎖だけが消失しているのかもしれない。
*
まっくらな部屋で目をさました。
時計の針は、五時を少し回ったところ。
俺は手をグーパーして感覚を確かめてみた。
が、特に変化はない。
しかし、おそらく力を得たはずなのだ。象徴がないから、こちらの世界でどう機能するかは不明だが。
リビングに入り、ミルクを飲んだ。
窓の外はもう明るい。
夏に向かってどんどん気温があがっている。
*
学校では、向井六花と弁当を食った。
おかずの量が日に日に増えている気がするが、気づかなかったことにしよう。
彼女の態度はいつも通りだ。
以前の出来事を気にしている様子はない。
「今度、試合があるの。よかったら見に来て?」
「行くよ」
全国まで行く実力者だ。地方の試合なら、きっと彼女の圧勝だろう。
俺は傷つけてしまったつもりでいたけれど、彼女はそのように受け取らなかったようだ。そもそも彼女の家の事情なのだから、俺が責任を感じるのもおこがましい話ではあるが。
本来なら接点のなかった剣道部のエース。
けれども、いまは仲間だ。応援に行くのも悪くない。
「煮物、ちょっと崩れちゃった……」
「そう? よくできてるよ。おいしい」
「ならよかった」
頑固なところはあるし、怒ると怖いけれど、美人で、料理もできて、成績も優秀で……。もし自由に恋愛できたなら、きっとデキのいい男をつかまえていることだろう。想像するとちょっと妬けるけど。
でも、家の都合でそれもかなわなくなっている。
理不尽な話だ。
「最近、暑くなってきたね」
彼女はふと窓の外へ視線を向け、そんなことをつぶやいた。
「うん」
「プールも始まるね」
「う、うん」
せっかく神妙な考え事をしているのに、急にプールの話とは……。健全な男子の想像力に火がついてしまう……。
まぶしい太陽!
はねる水飛沫!
楽しそうな笑い声!
健康的な肌!
いかん。
己を律するのだ。くだらんことを考えていると、また怒られる。
「ね、そのうちプールで訓練しない? 水圧があったほうが、訓練にもいいんじゃないかと思うの」
「う、うん……。いいんじゃないかな……」
「じゃあ決まりね」
「みんなにも伝えておくよ」
「……」
ん?
なぜ無言なのだ?
まあいい。とにかくプールだ。訓練のプランを考えておかねば。水圧のある状態での姿勢の制御とか、フォーメーション移動とか……。
*
帰宅すると、琥珀に出くわした。
ポテチを食べながらテレビを見ているところだ。小さな子供みたいでほほえましい。
「あ、お兄ちゃん、お帰りぃ。ポテチ食べよ?」
「ああ」
俺は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、コップに注いで一気に飲んだ。
自転車をこぐと、汗が出る。
俺は椅子に腰をおろし、そういえば琥珀の寿命を聞いていなかったことを思い出した。
「なあ、琥珀。アルケイナで寿命について説明受けたよな? 残りどれくらいなのか教えてくれないか?」
「えっ?」
困惑顔。
まさか、教えたくないような数字なのか?
すると琥珀は、すぐににぃっと笑った。
「うーん、どーしよっかなー」
「大事なことなんだから、ちゃんと教えてくれよ」
「ヒントは三だよ」
「三? え、まさか三十年……」
リアルに、顔から血の気が引いた。鏡がないから分からないが、おそらく青ざめた顔になっていたことだろう。
琥珀は「違う違う!」と手をふった。
「答えは、三百年でしたー。どう? すごい?」
「三百? そんなに? いや、ありえるか……。二百年の子もいるわけだしな……」
それに、なんとなくだが、記憶の中の数値とも一致する。
でも三百年?
そんなにあるのに、生き延びることができないのか?
この先、三十回も死ぬってことか?
*
なんだか引っかかるものを感じつつ、俺は夜を迎えた。
こないだの中間テストは散々だった。
勉強していなかったから当然なのだが。まあ赤点はまぬがれたのでよしとしよう。心の大統領は、数字なんかで人を判断しない。
せっかくシャワーを浴びたのに、部屋にいるとムシムシして汗が出た。エアコンを設置してくれないと死んでしまう。
まあドアを開ければ、リビングの冷気が少しは入り込んでくるわけだけど。でもドア開けっ放しで生活するのはちょっと……。いろいろあるし……。
俺はデスクにノートを広げてみた。
琥珀の寿命も書き込んでおく。三百年。かなりの数字だ。
俺は老人から力をもらった。
約束を破るつもりはないけれど、これならチーム・ホワイトと戦っても負けることはないのでは?
約束――。
交互に勝敗を譲ること。
メールでやり取りした結果、向こうのほうが平均寿命が短いので、こちらが先に勝利を譲ることとなった。
つまり、次の戦いで、俺たちの寿命は十年縮む。
焦燥がつのる。
本当にそれでいいのだろうか?
そんなことをして、あとで納得できるのか?
俺の残りは八十年。
年齢を足せば、九十七歳までは生きる計算だ。
十年縮めば八十七歳。
意外と悪くない気もするが……。
現状、一番残り少ないのか向井六花。
彼女の残りは七十年。
「うーむ……」
榎本将記からのメールによれば、チーム・ホワイトの寿命はこうだ。
榎本将記、百二十
服部大輔、八十
広瀬真彦、九十
岩波空、七十
各務莉煌斗、百三十
だいぶ長命という気もするが、平均となるとうちより短い。
なにせうちには二百年と三百年がいるからな。この二人のおかげで平均値がだいぶあがってしまっている。
体はそんなに生きないのに……。
なんにしても気が重い。
たとえアルケイナ界であっても、俺は死にたくない。
琥珀が殺されるのもイヤだ。
*
夜、俺だけがアルケイナ界へ呼び出された。
戦闘ではない。
今日の相手はフォルトゥナ。あいかわらず長い髪をひとつにまとめている。
「力を手にしてしまったのね……」
哀しそうな表情。
だが俺は素直に応じる気にはなれなかった。
「なにか問題でも? こうなると分かってたなら、警告のひとつでも欲しかったんだけど」
しばらく放置しておいて、いきなり出てきたと思ったら苦情だ。
彼女は無言でかぶりを振った。
まるで「もう詰んだ」とばかりに。
「いくつか質問させてもらっていいか? あの老人は何者なんだ? 俺が得た力は、どんなものなんだ?」
いまさら聞いても遅いけど。
知らないままよりはいいだろう。
彼女の回答はこうだ。
「正体は知らない。男の正体も、力の正体も……」
「なら、なぜそんな顔をするんだ? 俺が力を得れば、事態が好転する可能性だってあるじゃないか」
「異界文書を超越する力……」
「あんたもそうなんだろ?」
「ええ……」
知らないとか言っておいて、意外と詳しそうじゃないか。
ま、言いたくないならいい。
俺は質問を変えた。
「そもそもの疑問なんだけど、この世界は、いったいなんなんだ? 人間の住む世界じゃないことは分かるけど」
「それはあなたが知る必要のないこと」
「なぜ必要ないんだ?」
「ここは人間たちから忘れられたものの世界だから……。そしてもう、二度と思い出して欲しくない……」
「それはあんたの感想か?」
「住民の総意よ」
「住民?」
この雲の上に、ソフィアとフォルトゥナ以外の誰かがいるっていうのか?
だが、彼女はふたたびかぶりを振った。
答える気はなさそうだ。
いったいなんのために俺を呼んだのやら。もしかすると俺が希望したから、やむをえず会ってくれただけかもしれない。だとしたら感謝すべきなんだろうけれど。
「じゃあ次の質問。ソフィアの正体について。目的も教えて欲しい」
俺たちは、まっさきにこれを確認しておくべきだった。
ただの下っ端だと思ってスルーしてきたが、どうやらあいつが黒幕らしいからな。
フォルトゥナは少し考えた様子だったが、やがてこう教えてくれた。
「あの子はもともと、この世界に迷い込んだだけの哀れな少女よ。いまは神になろうとして、生命の樹を育てている」
「生命の樹?」
「その実を食べたものは、永遠の命を得るとされている」
されている?
伝聞だな。
「事実なのか?」
「さあ」
曖昧な笑みとともに、彼女は肩をすくめた。
真偽不明な怪しい情報、というわけだ。
彼女はすると笑みを消し、こう続けた。
「その生命の樹を育てるために、若い命を争わせ、散らしている。いわばあなたたちの命は、樹の養分なの……」
「ふざけてやがる」
「だからソフィアを止めたい……」
「止めようぜ、俺たちで。力を合わせればきっとできるはずだ」
「……」
なぜ返事をしない?
哀しげな顔で遠くばかり見て……。
「もしかして、以前もこんなことがあったのか?」
「ええ」
「どういうことだ? 俺が力を得たのは、今回が初めてじゃないのか?」
「ええ」
ウソだろ?
じゃあ、俺はあの老人に騙されたのか?
「フォルトゥナ、教えてくれ! 俺はこの先どうなるんだ? 琥珀は? 助からないのか?」
「すべてを教えることはできない」
「なぜだ!?」
「因果律が壊れれば、すべてが失われてしまう」
「だったら! あんたはなんのために俺の前に現れた!? いったいなにが目的だ! 期待させるだけ期待させて……。結局はなにもしてくれないじゃないか!」
八つ当たりだってのは分かってる。
だが時間がないのだ。
混乱させるだけなら、出てこないで欲しい。
「許してとは言わない……。けれども……助けたかったのは本当……」
「フォルトゥナ……」
彼女はひどく気落ちした様子で、すっと姿を消してしまった。
景色も消失。
薄れゆく意識の中、俺は後悔の念を感じていた。
(続く)