コーデックス・アルケイン
焦りだけがつのる中、特に進展もないまま、俺たちは戦闘に呼び出されてしまった。
青空と雲だけの世界。
レオの姿はない。
その代わり、きょとんとした顔の琥珀がいた。
「ようこそ、アルケイナ界へ。私はソフィア。名誉ある戦士として選ばれたあなたを祝福します!」
ソフィアは満面の笑みだ。
事の深刻さをまったく理解していない。
一方、琥珀は困りきって、おろおろするばかり。
「えっ? えっ? なに? お兄ちゃん? くららちゃんも……。なにが起きてるの?」
ソフィアが口を開くより先に、俺は割って入った。
「なあ、ソフィア。琥珀には手を出すなと警告したはずだよな?」
「知ってるぅー」
「だったら、なぜこうなった?」
「仕方ないじゃん。ほかに候補者が見つからなかったんだから。これも因果律のなせる業だよ」
「因果律だぁ?」
意味不明なんだよ。
サッパリ理解できんだろうが。
ソフィアは露骨に溜め息をついた。
「この戦いがどんな形式でおこなわれるかは、あらかじめ『異界文書』に記述されてるの。それに従っただけ」
「なんだそのコー……ってのは」
「とある錬金術師が記述した本だよ。契約書とも言うかな。これに従って因果律……つまりルールが働くの。言っておくけど、私だってそのルールに従って動いてるんだから。守ってないのフォルトゥナだけだよ」
またフォルトゥナ……。
やはり彼女は普通の存在ではないようだ。
ソフィアがぶんぶんと手を振って抗議した。
「ほらほら、分かったら八十村くんはさがってて! これから妹さんに個別の説明するんだから」
「……」
こうなってしまったら、言われた通りにやるしかない。
これから寿命の説明なんかがあるはずだ。
俺たちは離れているしかない。
*
本日の内藤くららは、完全にふさぎ込んでいた。
まだレオの死から立ち直れていない。
向井六花はいつも通り。
上島明菜はなぜか遠巻きにこちらを見ている。
このままではチームワークに支障をきたしかねない。
とはいえ、今日は自動機械との戦闘だ。
いちおうの余裕はある。
俺は溜め息をつき、暇つぶしに虚無をいろいろ変形させてみた。槍、刀、スクリュー、ピラミッド……。本当に自由自在だ。
あの老人から力を得たら、俺ひとりでも敵を蹴散らせるだろうか。
もしそうなら、琥珀を守れるかもしれない。
力を受け取らなければ、みんな死ぬ。
現状、生き延びるのは俺だけなのだ。それがひとりでも救えるとしたら……。それはいいことだ。人道的だし、俺の利己的な選択にはならない。たぶん。
でも引っかかる。
過去の俺は、なぜそれを選択しなかった?
あの老人は、おそらくループ外の存在だ。
となると、過去の俺は、あの老人と会っていないのではなかろうか。
だから力を手にすることができなかった。
そう考えれば辻褄が合う。
だが、こうも考えられる。
過去の俺も、じつは力を手にしていた。
そのせいで、逆にすべてを台無しにしてしまった、と……。
理屈は分からない。
*
琥珀への説明が終わると、俺たちは戦場へ送り込まれた。
海上のエリア。
今回でここはクリアだそうだ。つまり次回からは別のエリアになる。チーム・ホワイトとの直接対決だ。
「琥珀、お前は内藤さんと一緒に後衛についてくれ」
俺はちらと琥珀を見て、妙な感覚にとらわれた。
手にした象徴が、武器の形をしていなかった。
「えーと、ところで琥珀……。お前の役割は?」
「私? 『悪魔』だって」
「はっ?」
悪魔?
琥珀が?
誰だよ、役割決めたヤツ。テキトーにも程がある。
「その象徴は?」
「石板」
「魔法か? やっぱり後衛だな」
「たぶん」
返事は普通。
だが、様子がおかしい。どこも見ていない感じがする。パニックになっていなければいいが。
俺は向井六花にも声をかけた。
「悪いんだけど、今日は集中できないかもしれない」
「分かってる。安心して。私がカバーするから」
「ありがとう」
予想外の回答だ。
先日のことは怒ってないようだし、すごく力強い表情でうなずいてくれた。
こんなに素直な子だったっけ……。
嫌な予感がする。
いや、予感じゃない。
新たな情報が入ったことで、シナプスがつながりつつある。
この戦いで、琥珀はなにかをする。
転移門が出現し、ぞろぞろと自動機械が出現した。
黒いスペード型の敵。
「作戦はいつも通り! 内藤さんの銃撃で敵陣を切り裂いて、俺と向井さんで撃破する! 後衛のメンバーは身を守ることに集中して!」
本当は「いつも通り」などではない。
レオがいない。
前衛の戦力は、単純計算で三分の二になった。
もしかすると少し苦戦するかもしれない。
俺と向井六花は風を切って出陣。
後方からエーテル銃が飛んできて、敵陣を切り裂いた……ように見えた。が、弱い。出力がいつもの半分以下だ。
敵陣は少しだけ裂けたが、すぐに隙間を埋めてしまった。
「作戦変更! 両サイドから少しずつ削ろう!」
「分かった!」
唐突な戦線変更にも関わらず、向井六花は快く応じてくれた。
本当に頼もしい。
一緒に戦っていて、これほど心強い存在はない。
おそらくいつもより時間はかかるが、まっすぐ突っ込むよりは安全だ。
たぶん。
飛来した散発的なビームを回避しつつ、俺たちは二手に分かれた。
俺は虚無を槍に変え、敵陣の端をかすめた。
自動機械はパァンと散乱し、黒い欠片となった。
宝石を海に撒き散らしているようだ。
群れに飲み込まれないよう、少しずつ削ってゆく。
ただ、これでは時間がかかりすぎる。エネルギーがもたないかもしれない。
上島明菜から通信が来た。
『八十村くん! ごめん! 琥珀ちゃんそっち行った!』
「えっ?」
嫌な予感が的中した……。
琥珀はすでに、弾丸のようなスピードで敵陣中央へ迫っていた。
「止まれ琥珀! さがるんだ! お前は戦わなくていい!」
俺は喉が壊れそうなほど叫んだ。
なにも分かっていない子供が、線路に入り込もうとしている。
そんな状況に似ていた。
俺は慌てて方向転換し、琥珀を止めようと速度をあげた。
だが、あまりに遠い。
「落ち着け琥珀! お前の居場所はそこじゃない!」
琥珀は石板を手にしていた。
あんなもので、敵の大群と戦う気なのだ。
寿命が残り何年あるのか、まだ把握していない。
もしここで命を失えば、現実世界で十年の寿命を失う。
自動機械の大半は、琥珀をターゲットに決めたようだ。数体がエーテルを凝縮し、ビームとして放とうとしている。
いくら敵がアマいとはいえ、ぼうっと浮いていたら集中砲火の的にされる。
のみならず、琥珀を止めようとしたのか、後方から内藤くららまで追ってきた。
このままじゃふたりともやられる。
琥珀が石板に、なにかを書くようなそぶりを見せた。
「逃げろ琥珀! 狙われてるぞ!」
「……」
声が通じたのか、琥珀がこちらを見た。
笑っていた。
膨大なエーテルの放射があった。
光の暴走。
石板から放たれたそれは、無音の大爆発のように、自動機械の半分を飲み込んだ。
エーテルを凝縮した太陽のようだった。
光がおさまったとき、その空間にいたはずの自動機械たちは、跡形もなく消滅していた。
自動機械は撤退を開始。
戦いは終わった。
空は、まだ青いのに。
*
転移門で雲上の神殿へ帰還すると、力を使い果たした反動か、琥珀はかくりと膝をついた。
「琥珀! 大丈夫か?」
「うん。ちょっと疲れただけ」
苦しそうながらも、無邪気な顔をしている。
俺がどれだけ心配したか、分かってるんだろうか……。
内藤くららも来た。
「琥珀ちゃん! なんで前出たの!?」
泣き出しそうな顔。
彼女にしてみれば、レオに続いて、友人まで失うところだった。
だが琥珀の態度には、まるで反省が見られなかった。
「大丈夫って言ったでしょ?」
「結果はそうだったけど……でも作戦守ってよ! 後ろにいるって約束じゃん!」
「そうだけど。私、強いんだから。それでいいでしょ?」
「琥珀ちゃん!」
これだ。
過去の嫌な記憶とも一致する。
琥珀には戦闘の才能がある。
そしてまた、自分の力に溺れている。
俺は、浜辺で会った老人の言葉を思い出した。
「力に溺れ、何事も力で解決しようとする」
いまの琥珀は、まさにその状態だった。
ソフィアを倒すためではなく、琥珀を止めるためにも、俺には力が必要な気がしてきた。
*
日曜日、俺は琥珀を連れて公園に来ていた。
チームメイトとの顔合わせのためだ。
「八十村琥珀です。お兄ちゃんの妹で、くららちゃんとは同級生です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭をさげる琥珀。
こうしていると、ごく素直ないい子にしか見えないのだが……。
みんなの表情も冴えない。
まあこれにはもろもろの事情があるのだが。
前回の戦いのあと、ソフィアは言った。
「おめでとう! 海のエリアが解放されたよ! 次からは花のエリアになるから、頑張ってね!」
花のエリア――。
前に見た夢では、そこで両チームが戦っていた。
自動機械との戦いではなく、人間同士の、命の削り合いとなる。
ともあれ、仲間たちは歓迎してくれた。
「向井六花よ。あらためてよろしくね」
「あたしは上島明菜。よろしく」
内藤くららだけは、暗い顔をしている。
みんな動きやすい格好だったが、まずは訓練の前に、親睦会をやった。俺は小遣いを使い切って菓子とジュースを買ってきた。
なのだが……。
「え、こんなに? お金は? 悪いから払うわ」
生真面目な向井六花がそんなことを言い出した。
「いや、いいよ。いつも弁当もらってるし。仲間なんだから言いっこナシだよ」
「そう……」
向井六花を説得することはできたのだ。
だが、俺はこのとき、地雷を踏み抜いていた。
レジャーシートを敷き、それなりに和気あいあいと談笑していたとき、琥珀が斜め後ろから近づいてきて、ポロシャツの袖を引っ張った。
「ね、お兄ちゃん、さっきの」
「ん?」
「向井先輩からお弁当もらってるってホント?」
「えっ? ああ、まあ……作りすぎたらしくて……」
「ふーん、そうなんだ」
表情も声もフラットすぎて逆に怖い。
絶対になにか溜め込んでいる。
だが、こちらとしても、漫然と無策のまま兄をやっているわけではない。対処法は心得ている。
「なんだ? 琥珀も食べたかったのか? くいしんぼうだな」
わしわしと頭をなでると、琥珀はすぐに無邪気な笑顔を浮かべた。
「も、もう。やめてよお兄ちゃん。恥ずかしいから」
「べつにいいだろ、キョーダイなんだし」
「だからだよぅ……」
適度に構ってやれば、琥珀がすねることはない。
だがこの行為も、別の地雷を踏み抜いたようである。
*
帰宅後、俺は自室のベッドに転がり、なんとなくスマホを眺めた。
するとちょうどタイミングよく、個別チャットが飛んできた。
内藤くららからだ。
『先輩、琥珀ちゃんにベタベタしすぎ』
『ああいうのよくないと思う』
友達の嫉妬か。
少し重たいような気もするが。
『もうみんなの前ではやらないよ』
俺は軽い気持ちでこう返した。
彼女の返事はこうだ。
『は?』
『家でもやらないで』
『家ではいいだろ』
『家族なんだから』
『よくないよ』
『ボクの琥珀ちゃんに二度と触らないで』
『約束破ったら後ろから撃つから』
ん?
ボクの琥珀ちゃん?
俺がリアクションできないでいると、謎の魚スタンプが連打されていた。
わりと本気で怒ってるときのヤツだ。
反論しても火に油を注ぐだけだろう。こうなったら放置するしかない。
いや、しかし……本気なのか?
琥珀をそういう目で?
まあ当人同士がいいなら、俺が口を出すようなことじゃないが……。
戦いに集中しなきゃいけないのに。
考えることが多すぎる……。
(続く)