力の代償
一人になった俺は、帰りの電車で上島明菜にメッセージを送った。
『向井さんに悪いこと言ったかも』
返事はすぐに来た。
それも立て続けに。
『え?』
『ケンカ?』
『原因は?』
『わりと怒ってる感じ?』
こちらから相談しておいて、こんなこと言うのもなんだけど、やけに食いつきがいい。
俺はいちど呼吸をし、こう返した。
『ケンカじゃないけど……』
『またみんなで集まりたい』
『話したいことあるし』
一人で悩まない。
向井六花に指摘された通り、チームで共有するのだ。
少し間があってから、上島明菜の返事がきた。
『もしかして痴話ゲンカとか?』
女子はこのネタが好きなんだろうか。すぐにその方向へ話を持っていきたがる。
俺は思わず吹き出した。
『違うよ』
『詳しくは言えないけど』
『不用意なこと言って落ち込ませちゃったから』
『次の訓練は親睦会も兼ねようかと』
『なにかいいアイデアあれば』
次の返事までは、また間が空いた。
『うーん』
『ごめん』
『なんか』
『あたしもよく分かんない』
『二人でケンカしたなら』
『二人で話し合ったほうがいいと思うよ』
つめたいな。
ケンカじゃないと言っているのに。
まあ、こっちが勝手にやらかしたことではあるけど。
俺は『ありがとう。もう少し考えてみる』と返し、会話を切り上げた。
*
帰宅したが、妹たちの姿はなかった。
部活や委員会や遊びで忙しいのだろう。
プリンを作る趣味はないから、俺は水分補給だけして自室に入り、そのままベッドに寝転んだ。
やるべきことは山ほどある。
榎本将記を上回る作戦を提案せねばならない。
筋トレもする。
親睦会についても計画しないと。
なのに、問題が大きすぎて、どうにも無気力になってしまう。どこから手を付けていいか分からないのだ。
仰向けになっていると、またしても世界がぐるぐる回る錯覚におちいった。
いや、寝ているわけにはいかない!
俺は身を起こし、デスクについた。
ほとんど情報がない状態だが、完全になにもないわけではない。
まずは引き出しから、『アルケイナに関する調査結果』を取り出した。
ページをめくる。
うむ。
見れば見るほど、なにも分からん。
脳が受け入れを拒否する。
あまりにデータが網羅的で、ほとんど頭に入ってこないのだ。
たとえばこの事件が、西暦何年に、どの地域で起きたのか、などが載っている。アメリカ、インド、イギリス、中国、ロシア、日本……。
かろうじて日本には興味がわくのだが、それ以外はどうでもいいと思ってしまう。
普段、こういうデータを見慣れていないせいだろう。
処理能力の低い頭脳が恨めしい……。
いや、あきらめるな。
次だ、次。
ノートを広げ、知ってる単語を書き出してみる。
ソフィア、フォルトゥナ、チーム・ブラックのメンバー、チーム・ホワイトのメンバー、それぞれの役割、象徴、年齢、性別、そして寿命……。
当然だが、分かりきった情報ばかり。
ここへ、先ほどの資料から必要な情報を拾い、追記してゆく。
さらに、線を引っ張って矢印で関係図にしてみる。
なんとなく全体像が見えてきそうな気がする。
気がするだけだが……。
ここが踏ん張りどころだぞ。
シナプスの焼き切れるほど頭を使い、なんとしてもヒントを得るのだ。
いつか無関係に見える情報がつながっていって、いきなり答えが見つかるかもしれない。
運がよければ。
なにかないだろうか……。
なにか……。
「うぐぐ……」
鼻血が出そうだ。
ハッキリ言って、俺はイチからモノを考えるのが苦手だ。他人の意見に横槍を入れるのは得意なのだが……。
ふと、ドアがノックされた。
「兄貴、ちょっといい?」
「おう」
どうせ進展はないのだ。
雑談で気をまぎらわそう。
入ってきた瑠璃は、浮かない顔をしていた。
「どう?」
ふわっとした質問だ。
ぼちぼちでんなぁ、とでも言えばいいのか。
「どうって?」
「困ってることとか……」
「あるけど、自分でやるよ。昨日のことなら気にするな。お前の選択は間違ってない」
「ありがと……」
しかし納得していないのか、瑠璃はベッドに腰をおろした。
まだなにかあるようだ。
「兄貴さ、琥珀からメッセ来た?」
「琥珀? いや、来てないけど」
少し旧型だが、俺たちはみんなスマホを持っている。
瑠璃が自分のスマホを差し出してきた。画面には琥珀との会話がある。
中学校に住みついていたネコが、車にはねられて死んでしまったらしい。それを学校の先生が対処しているのを、内藤くららと一緒に見守っている。だから帰りが遅くなる。
そんな内容だった。
「兄貴、たぶんこのネコ知らないよね?」
「知らんな。有名なのか?」
「あたしがいたころも、一部の女子がこっそり餌やってるみたいな感じで、ほとんど中には入ってこなかったんだ。たぶん名前もなかったし」
胸騒ぎがした。
俺はこの先の展開を知っている。
瑠璃は、遠慮がちにつぶやいた。
「いまはレオって呼ばれてるみたい」
「……」
精神の寿命は残り百年。
だが、体がそこまで生きるとは限らない。
俺は言葉を失った。
流れを変えることはできないのだ。
今回もまた、過去と同じ結末を迎える。
やがて「楔」は機能しなくなり、未来が確定する。
流れを知らない瑠璃は、それでもまだ楽観的だった。
「レオがいなくなったら、別の誰かが呼ばれるのかな……」
「たぶんな……」
事実を告げることはできない。
このあと琥珀が命を落とせば、瑠璃は自分を責めて、登校拒否にまでなってしまう。せっかく友達もいて、楽しい高校生活を送っているのに。
俺のせいだ。
俺が記憶を取り戻していたら、レオを救うことができたかもしれなかった。
自分をライオンだと思い込んでいた哀しいネコ。
男である俺にはあまりなつかなかったが、それはきっと、現実世界での出来事が関係していたのだろう。
男子がいじめていたわけではない。
単に、餌をやっていたのが女子だけだったから、それで女子になついたのだろう。
野良ネコなんだから、警戒感が強いのは当然だ。
「琥珀、きっと哀しんでると思うから、優しくしてあげよ?」
瑠璃は去り際、そんなことを言った。
*
一人になった俺は、ノートを凝視しながら思った。
ない頭をひねって新しい作戦を考えるより、過去の自分がなにをしてきたのか思い出すほうが、はるかに有用なのでは、と。
うんざりするほどの蓄積があるはず。
知識は俺自身の中にあるのだ。
未来が見えるわけじゃないが、それに近いことができる。
問題は、どうやって思い出すか。
新たな情報が手に入った瞬間、関連した記憶を思い出すことがある。いまだって、レオについていくらか思い出した。
俺はノートに書き足した。
レオ、学校に住みついたネコ、車にはねられ死亡。
残酷だが、すべて書き出さねばならない。
なにをキーにして記憶を取り戻すか分からないのだ。
琥珀についても書いた。
レオの代わりに召喚される予定の戦士。役割や象徴、寿命は不明。だが、細かく書き足していけば思い出すかもしれない。
なにか情報が欲しい。
フォルトゥナに会って話を聞きたい。
過去の俺たちはどんな選択をしてきた?
ソフィアの目的は?
あの世界は、そもそもなんなのか?
素直に答えてくれればいいのだが……。
*
あらためて榎本将記の資料を眺めていたが、やっぱりなにも頭に入ってこなかった。筋トレだけでなく、脳も鍛えたほうがよさそうだ。
琥珀が帰ってきた。
かと思うと、瑠璃が部屋を飛び出す足音がして、もごもごとした会話が聞こえてきた。会話の内容までは分からないが。
きっと慰めているのだろう。
俺はスマホを拾い、内藤くららにメッセージを投げた。
『レオのこと、聞いたよ』
『大変だったな』
だが彼女からの返信は、そっけないものだった。
『なにもいいたくない』
軽率だったかもしれない。
彼女は特にレオと仲がよかった。
俺の想像よりも、はるかにダメージを受けているかもしれない。
事故にあったのが人間じゃなくてよかった。
正直、俺の心の中にはそんな気持ちもあった。
だが内藤くららにとっては違ったのだ。
動物を家族のように思っている人もいる。
だからこちらも、そういうつもりで接しないといけなかった。
俺は愚かだ。
記憶が曖昧とはいえ、何度も時間をループしているというのに。まったく成長していない。頭の悪いガキのままだ。
榎本将記に論破され、向井六花に叱られ、内藤くららに軽蔑されるのも、当然のことだ。
ほかにも誰かを傷つけているかもしれない。
強くなりたい。
そして賢くなりたい。
なにも失いたくない。
*
夜、夢を見た。
巨大な月に照らされた、青白い砂浜。
俺は一人、ぼうと海を眺めていた。
例のマーチングバンドみたいな服装になっていたから、ここはアルケイナ界なのかもしれない。
波のさざめきは静かだ。
ザザー、ザザー、と、赤ん坊の入ったゆりかごのように優しく揺らいでいる。
ふと脇を見ると、フードをかぶった老人が岩に腰をおろしていた。
目が合ったので、俺は小さく頭をさげた。
見知らぬ顔。
瞳は青だし、彫りも深いから、日本人ではないのかもしれない。なんて、見た目で判断するのもよくないとは思うのだが……。
「お前は、自分の住む世界をどう思う?」
「えっ?」
老人のしわがれた声がして、俺は思わずぎょっとしてしまった。
「お前の住む世界だ……。儚くもままならぬ、人間たちの世界……」
「俺の……住む世界……」
意図は不明だが、質問の意味は理解できた。
回答もある。
「俺は、なんだか最近いろいろあって……素直に好きだとは言えません」
「変えたいか?」
「変える? それは、まあ、可能であれば……」
レオを生き返らせて欲しい。
向井六花の事情もなんとかしてやりたい。
それと、もし叶うなら、琥珀の双子の姉を生き返らせて欲しい。たぶんだけど、あの一件があったから、父も母も、家族に対してどこか遠慮がちになっている。俺たちもその影響を受けた。
だけど、そんなのはズルだ。
みんな取り返しのつかない哀しみを抱えながらも、毎日を生きている。
老人は疲れ切っていた。
フォルトゥナを思わせるような、無気力な表情だ。
「そのための力を与えてやろうか?」
「力を!?」
「ごく粗暴な力だ。気に食わぬ相手を、ひねり潰すたぐいのな。破壊の役にしか立たぬが、人の成し遂げんとすることは、これでだいたい成就するだろう」
「ソフィアを倒すことも?」
「そうだ」
背筋が寒くなった。
こいつは誰なんだ?
いったいなぜ俺にそんな話を持ちかける?
老人はかすかに溜め息をついた。
「不安か? お前はいつもそうだ。善人であろうとして、力を遠ざける。その結果、あらゆるものを失う。何度も、何度も……」
ループの記憶がある?
ならば、ソフィアより上位の存在か?
いや待て。
もしそんな力を得られるのなら、過去の俺はソフィアを倒しているはずではないか?
だったら、なぜループしている?
その答えはひとつ。
俺はこの提案を、いつも、断ってきた。
「善人であることは、人としての名誉ではあろう。だが名誉は、眼前の力にはあらがえない。力を制するのは、より大なる力のみ」
未来を変えるなら、俺はこの提案に乗るべきだろう。
レオは死んだ。
次からは琥珀が参加する。
遠からずチーム・ブラックとチーム・ホワイトも激突する。
その結果どうなるかは、すでに何度も聞かされた。
力が要る。
ソフィアを倒す力が。
「デメリットは? なにか代償があるはず」
俺は必死だった。ここで罠にかかるわけにはいかない。
老人はしかし冷静だ。
「お前が考えるような代償はない。もしあるとすれば、お前自身が力に溺れ、何事も力で解決しようとすることだ」
「そんなことはしません……」
「だが迷いがあるようだな。また別の夜、ここで会おう。答えはそのときに聞く」
にわかに老人が霧散し、景色も消失した。
俺の意識も遠のいていった。
ほぼ無条件で力が手に入る。
なぜ?
なにが目的だ?
これまでの俺は、どう選択してきた?
知りたい。
すべてを知りたい。
(続く)