楔
帰宅後、俺は琥珀に気付かれないよう、チャットツールで瑠璃に事実を確認した。
いったいどこまで事情を把握しているのか。
フォルトゥナという存在に心当たりはあるか。
だが、収穫はほとんどなかった。
ただ単に、チーム・ブラックの初期メンバーであり、役割が「星」だったこと。
残りの寿命が五十年しかなかったこと。
恐怖に耐えかねてソフィアに訴えかけたら、代わりに俺か琥珀を差し出せと言われたこと。
そして瑠璃は俺を差し出し、そのまま戦線から離脱したこと。
フォルトゥナの話はまったく知らないこと。
以上。
かなり初期の段階で離脱したから、知識は俺より少ないようだ。
などと意見をまとめていると、向井六花から個別チャットが飛んできた。
『あれからいろいろ考えたんだけど』
『八十村くん』
『もしかしてフォルトゥナって人と付き合ってる?』
なんだこの質問……。
相変わらずというか。
俺が女性と少し話をしていると、すぐに疑いをかけてくる。妹にまで。厳格な家で育ったのは分かるけど、ちょっと勘弁して欲しい。
俺の返事はもちろんこうだ。
『付き合ってないよ』
そもそも、どこの誰かも分からないのだ。付き合うもなにもない。
すると彼女は満足したのか、それきり追求してこなくなった。
代わりに、榎本将記からメールが来た。
簡潔な文章で『了解した。また新たな情報が入ったら共有してくれ。こちらもそうする』とだけ。
朝に出したメールがいま返ってくるということは、かなり忙しいのだろう。
彼は進学校だから、ほとんどの時間を勉強に費やしているはず。その中でアルケイナの戦いもこなしているのだ。分刻みのスケジュールで動いているのだろう。
俺はベッドに大の字になった。
瑠璃に泣かれたときはどうしようかと思ったが、丸くおさまってよかった。
もちろん、いい気分じゃない。
だが、俺か琥珀かを選べと言われたら、そりゃ俺になるだろう。
それに、瑠璃が五十年しかない寿命をすり減らすなんて、俺にはとても許容できない。
やはり俺が戦うべきなのだ。
せめて一言くらい相談して欲しかったところだが……。ま、その辺はあいつも反省しているはずだ。もうなにも言うまい。
それよりも、フォルトゥナだ。
彼女が協力的になってくれない限り、俺たちの将来は決して明るくない。
いまの領域を完全に解放したら、そろそろチーム・ホワイトとの直接対決になるだろう。そうなれば、計画はどんどん崩れていく。
フォルトゥナの話では、俺は生き延びるらしいが……。
ほかのみんなはどうなんだ?
思案を始めると、なぜか必ずよくない結末に行き当たった。
それも、ぼんやりとしたイメージではなく、本当にそうなってしまうという確証が……ある気がする。
始めは両チームとも、交互に勝利を譲り合うだろう。
しかし寿命がすり減るにつれ、死にたくないという欲求が高まってくる。
やがてメンバーの中から、約束を破って攻撃を繰り返すものがでてくる。
リーダーが命令したところで聞き入れられない。
秩序は失われ、みんな自分勝手に殺し合い、結局は命をすり減らす。
生き残るのは俺だけ。
その先の未来も、なんとなく、ぼんやりと見える気がする。
どんよりとした、薄暗い未来が――。
いや、そんなわけがない。
きっとよくない妄想だ。
こんな考え、忘れたい。
忘れたい。
忘れたい。
なんとなく天井を眺めていると、世界がぐるぐると回転している気がしてきた。興奮して過呼吸にでもなったか。
俺はゆっくりと息を吐き、リラックスしようとつとめた。
体の力が抜ける。
次に大きく息を吸い込んだとき、眠りに誘われるように、意識が薄れていった。
*
宇宙のような景色。
「すでに『楔』を打ったわ」
「じゃあ、未来が見えるわけじゃないんだな?」
自動車の座席。
「妹なら死んだよ」
夜の花園。
「家族も守れん男が、大統領とはな」
「お前の過去をえぐってやろうか」
「あなたのことは、私が守るから!」
山頂。
「頼む、お前の命をくれ」
ビルの屋上。
「なんで俺だけがこんな……」
「また……失敗だったわね……」
*
俺は飛び起きた。
不快な夢だった。
いろんなヤツが、いろんな場所で、いろんなことを言っていた。過去の話か、未来の話かは分からない。いや、そもそも夢だから、過去でも未来でもないか……。
なのに、なんだろう。
心がもやもやする。
頭が変になってしまったのだろうか?
それとも心が?
戦争に参加した兵士たちは、PTSDというものになるらしい。強いトラウマのせいで、いろいろおかしくなってしまうのだとか。
いや、大丈夫だ。
しっかりしろ。
俺は勝つ。
仲間も守る。
とにかく、フォルトゥナをなんとかしなければ。
遠慮しながら遠回しに聞いていてはダメだ。もっとガンガン行かなければ。人の命がかかってるんだ。もたもたしていたら、大事なものを失ってしまう。
*
その夜、俺はアルケイナ界に呼び出された。
黒の制服を着ているし、手には虚無もあるから、おそらくそうだと思うが……。しかしいつもと雰囲気が違った。
そう。
夜なのだ。
空には燦然たる星々が、キラキラとまたたいている。
あまり暗くはない。
雲の上ということ以外、なにもかもがいつもと違う。
参加者もいない。
俺だけだ。
ふっと空から女が降り立った。
フォルトゥナだ。
長い髪をひとつにまとめた大人の女。豊かな体に白い布を巻いている。夜の青白い光に照らされて、神秘的な存在にも見えた。
「来たのね……」
どこか哀しげな表情で、そうつぶやいた。
「あんたが呼んだんじゃないのか?」
「呼び合ったのよ、きっと」
「……」
思わせぶりなことを言う。
だが、俺は感傷的な会話をしたいわけではなかった。
「こんなところで堂々と会ってたら、ソフィアに怪しまれるぜ」
「ここは平気よ」
「じゃあ質問に答えてくれないか。あんたは誰なんだ? なぜ俺の記憶にいる?」
「記憶……」
なぜ答えない?
俺は少し語気を強めた。
「以前、どこかで会ったことがあるのか?」
「ええ」
「どこだ?」
「ここよ。でも、以前じゃない。いま」
「そういうのはいいんだ」
「事実よ」
俺は思わず頭に来ていたが、彼女の憐れむような表情を見てハッと我に返った。
事実だ。
いま、ここで出会った。
彼女の視線は、はるか遠くを見つめていた。
「でも……もういいでしょう。あなたは生き延びるのだから」
「その予言は当たるのか?」
「ええ。そしてあなた以外は、みんな死んでしまう」
不愉快な予言だ。
またイライラがぶり返してきた。
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないだろ!」
「そうね。やってみたら分かるわ」
「手を貸してくれ。俺にはあんたの力が必要なんだ」
「……」
彼女は夜の空気を、ゆっくりと、深く呼吸した。
「手を貸したの。何度も、何度も。けれどもあなたは、そのたびに失敗した」
「えっ?」
「あなたの戦いは、これで何度目かしら……。もう数えるのもうんざりするほど……。私が時間軸に打ち込んだ『楔』は、そろそろ限界を迎える……」
「どういう……」
「あなたは何度もループしているの。この戦いは初めてじゃない。だけど、誰のことも救えなかった。ソフィアのゲームも壊せなかった。一人だけ生き延びて、そしてここから去るの。この会話だって初めてじゃない。私たちは、飽きるほど同じことを繰り返してきた」
ウソだろ?
俺だけが特別に?
なぜ?
こちらが尋ねるより先に、フォルトゥナはこう続けた。
「私はこの世界で、ソフィアの仕掛けた無意味なゲームをずっと眺めてきた。誰も彼も、最後は醜く争って死ぬわ。けれども、たまにいるの。自分を犠牲にしてでも誰かを守ろうとする人間が。そういうとき、つい気まぐれで、私は手を差し伸べてしまう……。それでも……誰も……やっぱり救われない……」
ようやく理解できた。
彼女が無気力で、哀しそうな顔をしている理由が。
俺のかすかな記憶とも一致する。
「俺の記憶は? どうなってるんだ?」
「ループするたび、忘れるの」
「でも覚えてる!」
「そうね。少しだけ」
「ウソだろ? 何度繰り返してもダメなのか? 俺はあいつに勝てないのか?」
「勝てなかったわね、これまで一度たりとも……」
なんだよそれ?
じゃあ、俺以外みんな死ぬってことじゃないか!
向井六花も! 上島明菜も! 内藤くららも! レオも!
いや、それだけじゃない榎本将記も死ぬ。その仲間も。
そして……。
なんでこんなことだけ思い出すんだろう。
琥珀も死ぬ。
「あーっ! あーっ!」
感情がぶっ壊れそうだ。
なんで! 急に! そんなことを思い出すんだ!
いや、違う。
こんなの事実じゃない。俺が勝手にイヤな予想をしただけだ。チームメンバーに欠員が出て、その代わりに琥珀が召喚されて、そして戦いの中で命を落とすなんて……。
だけど……。
だんだん思い出してきた。
事実だ。
俺は一度目の戦いのとき、すべてを失った。
無気力のまま戦いを終えた俺は、どこかのビルの屋上に入り込み、ぼうっと過去を振り返っていた。
寿命を失った琥珀は、ある朝、ベッドでつめたくなっていた。
瑠璃は自分のことを責め続けて、登校拒否になってしまった。
俺は学校へ通い続けた。
でも、なんらの未来も思い描けなかった。
高所から身を投げて、琥珀のところに行ってしまおうとさえ思った。
フォルトゥナが初めて姿を現したのは、その夜のことだった。
「私が時間軸に『楔』を打ったのは、あなたが妹と交代した瞬間。けれども、その『楔』も、そろそろ壊れかけている。いずれ戻れなくなるわ」
心がぐちゃぐちゃで、どうにかなりそうだ。
心臓がドキドキする。
大事なものがすべて奪われてしまう。
なのに、なにをしたところで、無駄なあがき。
俺は両手で自分の頬をピシャリと叩いた。
夢の中だが、痛みはある。
「俺は大統領になるんだよ!」
「……」
「なるんだよ。べつにいい。笑えよ。誰だって笑う。俺は人の上に立ちたいんじゃない。心の大統領になるんだ。やれることをやるんだよ」
「……」
なぜ彼女が無言なのかは、なんとなく分かった。
きっと俺は、何度もこうして気合を入れていたんだろう。
けれども、状況は変わらなかった。
ソフィアには勝てない。
みんな死ぬ。
「フォルトゥナ、俺の命くらいなら喜んで差し出す。だから、なんとか状況を変えられないか?」
もし回答が「イエス」か「ノー」で終わったなら、まだ救いもあったろう。
だが、彼女の返答は違った。
「必要なのは、あなたの命じゃない」
「はっ?」
「鍵となるのは、八十村琥珀の命……。そこに手を付けられないなら、あなたは絶対に勝てない……」
もうダメだ。
なにも考えたくない。
それは……それだけは……俺が絶対に手を付けたくないものだ。
なぜそんなひどいことができる?
神は寝ているのか?
それともこれが神の選択か?
俺は……だったらそんな神なんていらない。
もう手段なんて選ばない。悪魔と手を結んでもいい。
不可能だからってなんだ。おとなしくしてるなんてまっぴらだ。
邪魔になるものは、全部ぶっ壊してやる。
(続く)