忘れて
昼食は無事に終わった。
別れ際、こちらが聞いてもないのに、向井六花は「作りすぎただけだから」と念押ししてきた。
なので俺も追求しなかった。
聞いたら切られそうだったので……。
*
それからの数日は、比較的穏やかに経過したと思う。
もう夏になりかけている。
ある夜、俺たちはアルケイナ界に呼び出された。
一面の白い雲。
どこまでも広がる蒼穹。
まばゆくも神々しい光景だ。
欠席者はナシ。
まあ強制参加だから当然なのだが。
マーチングバンドみたいな制服も久しぶり。象徴の「虚無」はちゃんと手になじむ。
青い髪のソフィアが、パタパタと翼を動かしながらやってきた。満面の笑みで、ぶんぶんと手を振りながら。
「おひさー! 元気してた?」
「おかげさまで」
俺は心にもないセリフで応じた。
こいつが消え去ってくれたなら、もっとすこやかに日々を過ごせるのだが。
レオをなでていた内藤くららが前へ出た。
「ソフィア、戦いの前にひとつ教えてよ。レオの寿命ってあとどれくらいなの?」
長い前髪でも隠せないくらい、不安そうな表情をしている。
だがソフィアは、きっとこういう表情が好物なのだろう。一瞬、許しがたいほどにニヤリとした顔を見せた。
「知りたい?」
「知りたいから聞いてんでしょ」
「んー、でもどーしよっかなー。基本的に、本人にしか伝えてないんだ」
「ふざけるな。本人が喋れないからオマエに聞いてんだろ!」
内藤くららも情緒不安定なところがある。少し挑発されるとすぐ応戦してしまう。
俺はふたりの間に割って入った。
「待てよ。争ってる場合じゃない」
チャットのときみたいに、ただ傍観しているだけなんてできなかった。
内藤くららは、すると俺に矛先を向けた。
「入ってくんな!」
「ここは俺に任せてくれ」
「なに勝手に……」
「君の言い分はあとで全部聞く。だけどここは、俺と代わってくれないか? いちおうリーダーなんだし」
「……」
同レベルで言い返すとケンカになる。
しかしリーダーという「立場」を出せば、個人同士が衝突するよりいくらかスムーズに進むことがある。少なくともなんらかの「動機づけ」にはなる。
ひごろから妹たち相手に、兄という立場で対抗してきた俺にとっては慣れた手段だ。もっとも、その兄という立場は、うちではそんなに強くないのだが。たまには哀れんで話を聞いてくれる。
瑠璃、琥珀、お兄ちゃんはこっちでも頑張ってるぞ。
内藤くららは「ふん」と鼻を鳴らした。
「なんだよ偉そうに」
「言っておくけど、下に見てるわけじゃないんだ。君のことは尊重してる。でも、これはチームの作戦に関わる重要な話だから」
「分かってる! 分かってるよ……。兄貴ぶっちゃってさ。そんなんだから琥珀ちゃんがブラコンになるんだ、バカ兄貴……」
すねてしまったが、場を譲ってくれた。
これを楽しそうに眺めていたソフィアも、すっとすまし顔に戻った。
「寿命ね……。なんで知りたいの?」
「寿命の短いメンバーを前に出すと、欠員になる可能性がある。そうすると戦術を見直さなきゃならない。内藤さんも言っていたように、レオは喋れないから、君に聞くしかないんだ」
「欠員にはならないよ。すぐ補充するから」
「でも戦術に影響は出る」
「分かってる。あと百年だよ、そのネコ。言っておくけど精神の寿命ね。体がそこまで生きるとは限らないから」
ライオンをネコ呼ばわりとは。
きっと俺たちのこともサルかなにかだと思ってるんだろう。
ソフィアはかすかに溜め息をついた。
「満足した? 今日の領域も前回と同じ。海のエリアだから。頑張って解放してきてよ」
*
空も青、海も青。
青、青、青……。
うんざりする。
遠方に転移門が出現し、そこからクローバー型の自動機械がわらわらと現れた。
青い空が、みるみる黒点に侵食されていく。
俺は象徴を槍に変え、みんなに告げた。
「作戦通りやろう。何度も訓練したんだ。俺たちは強い」
筋トレの成果はあまり出ていないけど、チームワークだけは格段によくなった。まあそれはギスギスしてない上での話だけど。
でも戦闘になったら、きっとみんな気持ちを切り替えてくれると思う。
作戦はこうだ。
上島明菜が内藤くららのガードにつく。内藤くららはエーテル銃で敵陣を両断する。俺と向井六花、レオはタイミングを合わせて突撃。
以上。
しかしこれは、各員の能力だけを見た場合の戦術だ。
本当に頭のキレるヤツは、ここで仲間の寿命も加味するんだろう……。たとえば、寿命のありあまっている上島明菜を、みんなの盾に使うとか。
いまはまだ、死が遠くにあるかもしれない。
けれども寿命は十年単位で削られる。残り五十年、四十年、三十年、もしそうなってきたら、きっと冷静ではいられなくなる。
自分が死ぬくらいなら、他人に犠牲になって欲しい。
そんな感情が湧いてこないとも限らない。
*
戦闘は順調に進んだ。
作戦通り、エーテル銃が敵陣を切り裂き、俺たちは距離を詰めて自動機械どもを蹴散らしていった。
砕け散る黒。
空が次第に暮れてゆく。
ふと、新たな転移門が現れた。
またチーム・ホワイトの乱入だろうか。ひとつだけだから、自動機械の援軍ということはなさそうだが……。
俺は槍で敵を粉砕しつつ、横目で乱入者の姿を確認した。
女だ。
ひとり。
長い髪を結ってまとめた、大人の女。
フォルトゥナ……。
うかない表情。というより、あらゆるものに興味のなさそうな貌だ。
ソフィアのように白い布をまとっただけの衣装。武器などは所持しておらず、手足は無気力に垂れ下がっている。
そしてやや高い位置から、俺たちの戦いを眺めている。
邪魔をする気はないようだ。
「誰!?」
向井六花が動きを止めた。
もし敵であれば、仕掛けるつもりなのだろう。
だが俺は静かに応じた。
「敵じゃないよ。味方でもないけど」
「えっ?」
「いまは自動機械に集中しよう」
*
空が朱色に染まったころ、自動機械は撤退を始めた。
フォルトゥナはただこちらを見ている。
なにもかもをあきらめたような、それでもまだ望みを捨て切れていないような、あまりに疲れ切った表情。
こちらへは近づいてこず、かといって撤退しようともしていない。
俺はなんとなく、彼女の気持ちを理解した。
迷っているのだ。
俺たちに話しかけるべきかどうかを。
確証はないが……。いや確証があるような気もする。分からない。
そもそも、なぜ俺が彼女の存在を知っているのか、その点からして分からない。
俺はフォルトゥナに近づいた。
間違いなく大人の女なのだが、あまり年上という感じがしなかった。俺がなんとかせねばという気持ちになってくる。
「フォルトゥナ……だよな?」
「……」
返事はない。
その代わり、なにかを確認するように、彼女はただ俺の顔を見つめた。
「じつは俺、あんたのこと知ってるような気がするんだ。前に、どこかで会ったかな」
「……」
「言葉は分かる?」
「ええ」
きちんと意思疎通できているようだ。ならさっきの質問にも答えて欲しいんだけど。
彼女は海に身をゆだねるイルカのように、くるりと回った。特に意味はないのだろう。風に吹かれた草花が、揺れているのと変わらない。
「なにしに来たんだ?」
「……」
「なにも教える気はないと?」
「……」
じっと俺の顔を見ている。
不気味な感じはしない。
彼女は不安なのだ。
俺を信じていいのか迷っている。迷子の子供のように。
「手を貸してくれるんだよな?」
「……」
「違うのか? じゃあ目的はなんだ?」
「……」
俺は少し距離をとった。
「答える気がないのなら、なぜここへ? あっちのチームにはいろいろ手を貸してるんだろ? 黙ってちゃなにも分からない。せめて返事くらいしてくれよ」
さすがに少しイライラしてきた。
敵意がないのは分かるのだが、こんな態度をとらなくても……。
すると彼女は、瞳を哀しげにうるませて、こうつぶやいた。
「愚者、私のことは、もう忘れて……」
「は?」
「忘れてしまえばいいの……。あなたは……あなたはどうせ生き延びるのだから……」
「生き延びる? 俺が? それはどういう意味だ? あんた、未来が見えるのか?」
「さようなら……」
背後の転移門に吸い込まれるように、彼女はふっと消え去ってしまった。その転移門もすぐに消失。
俺たちは夕闇の海上に残された。
*
神殿は夜ではなかった。
というより、ここに夜は来ないのかもしれない。ずっと昼だ。
ソフィアが近づいてきた。
「ねえ、八十村くん、フォルトゥナのこと知ってるみたいだったね。どこで会ったのかな?」
にこりと笑顔を浮かべているが、気配はかすかに殺気立っていた。
こいつにとっては想定外の事態だったのだろう。
だが俺に答えられることはない。
「知らない」
「ごまかさないで」
「知らないんだ、本当に。ただ、なぜか顔と名前を知ってて……。でも、君もさっき見てただろ? 向こうは俺のことなんて、ちっとも相手にしちゃくれなかった。だからどっかで似たような女を見かけただけなんだ。たぶんな」
「ふぅん」
どう受け取られたかは知る由もないが、ウソをついたつもりはない。
だいたい、もし面識があるのなら、あんな態度はとらないだろう。いや、でも「忘れて」ということは、面識があったということだな。
忘れるもなにも、そもそも知らないってのに。
いや、待てよ。
もしかして俺、以前もこの世界に来たことがあるのか?
そこでフォルトゥナと会っていた?
あるいはフォルトゥナは現実世界にもいて、そのとき会ったか……。となると、彼女はイギリス在住ではないということになる。あるいはイギリス人だが、たまたま来日して俺と会ったか。
もうひとつ考えられるのは。
彼女はソフィアの動きを察知して、そのつど戦いのある地域へ引っ越している可能性もある。
どれも根拠のない想像だけど。
*
朝、目覚ましが鳴る前に目をさましてしまった。
時刻は五時半過ぎ。
あまりに早すぎる。
俺はリビングに行き、窓の外を眺めた。
すでに夜ではなく、朝の景色だ。
誰もいない。
電線に小鳥が二羽いるほかは、なにもなかった。
冷蔵庫からミルクを取り出し、カップにそそいだ。
ごくごくと飲み干すと、栄養が体に満ちた感じがした。ボウルにシリアルを入れて、さらにミルクをそそぐ。味付けされた甘みだけでなく、噛んでいると小麦の味がした。
気がつくと、食事は終わっていた。
俺は軽く体を動かしてから、自室へ戻った。
いまのうちに寝癖を直してもいいのだが、それで家族にあれこれ詮索されるのもイヤだったので、あえて放置することにした。
スマホには通知もない。
俺はフォルトゥナについて、ネットで検索することにした。なのだが、神話に出てくる女神というほかは、ゲームやマンガのデータしか見つからなかった。
榎本将記からもらった資料も読み返した。
しかし結論はこうだ。
『詳細不明』
街にいるかもしれない。
アルケイナでフォルトゥナに遭遇したことは、榎本将記とも共有しておこう。いまは少しでも情報が欲しいだろうから。
情報を簡潔にまとめ、俺は榎本将記にメールを送信した。チャットツールは使っていないが、メールなら受け取れるという話だった。連絡先は先日の車内で交換した。
フォルトゥナ……。
彼女は本当に、俺たちの力になってくれるのだろうか。あの感じだと、俺に別れを告げに来たような印象を受けたが……。
忘れて欲しい、か。
人はそう簡単に、なにかを忘れることができるのだろうか。
(続く)