領主との昼餐会
その後は私が呪術師だと噂されないよう三人で打ち合わせてから医師たちを呼び入れる。
呪いを受けたに近い状態の魔力酔い(体調不良や情緒不安定で起こることがあるそう)だったので魔力が正しく流れるようにしたと説明すると、お付きのメイドは明らかにほっとしていた。医師は魔力酔いではなかったことに気づいたようだが、さすがに口を挟まなかった。
執事が領主から昼餐会の誘いがあるというので、そのまま館の奥へと案内されることになる。表館とは違って絵画などは飾られていないところを見ると、私生活では節制しているということだろうか。いまのところは好印象だが、領主なんて世襲制で政治や会合のプロフェッショナルだ。異世界人に敬意があるとしても、変に言質を取られたくないから基本的に黙っておこう。
いったん応接室へ通されたのだが、そこには領主が書類を広げて待っていた。年の頃は六十手前か、ブラウンの髪で力強い眉毛のダンディだ。健康的に日に焼けた肌で体が分厚い。屋外スポーツか、貴族的な武術訓練でもこなしているのか、体育会系の雰囲気を持っている。
「やあ、クイル殿に会うのは久しぶりだな。お元気そうで何よりだ!」
張りのある声はでかい。席を立ってクイルの手をがっしりと握っている。握力も強そうだ。
「ブライト殿、お久しぶり。まだまだ若い者には負けないよ……と言いたいところだけど、有望な新人が入ったんだ。報告も兼ねて、紹介させてもらえるかな?」
「もちろんだ。サリーがたいへん世話になったようだな。私がこのフローレの領主、ブライト・ラインズ・フローレだ」
「ショウです。昨日からクイルのところで厄介になっています」
クイルから私に視線を移して右手を差し出してくる領主。そろりと握手をすると、両手で力強く握りこまれた。痛いのが顔に出ないように気を付けるが、クイルにはバレているようだ。
「さあ、座って詳しい話をさせてくれるかい?」
「うむ。エル殿も朝早くから動いてもらい助かったよ」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
クイルのフォローの甲斐なくエルさんの右手も犠牲になってから、事の顛末を説明した。主にクイルとエルさんが。
調査だけではなく呪いの解除も済んでいることに驚かれたが、弟につらい知らせを送ることにならず良かったとブライト領主は安堵していた。サリーは後妻さんの生んだ子で政治的に養子に出したが、とても気にかけているそうだ。
サリーが受けていた呪いについての危機は去ったが、完全な解決はしていない。サリーに何かあれば至急対応をとることと、領主館の結界の確認を頼まれた。結界については魔術ギルドから専門家を手配するそうだ。術師としての仕事は呪詛返しの結果が出てからにしておきたかったので、私がやることにならなくてよかった。……と思ったら、都合がつく限り同行するよう言われた。立派な結界を見ておくのは今後の役に立つからとのことだ。
私が新任の呪術師になることはすでに執事から報告されていたため、クイルと統括ギルドをよろしくと頼まれた。前任の呪術師は統括ギルドの相談役で、クイルどころか領主も相談事を持ち込んでいたのだとか。どんなひとだったのか、また暇なときには聞いてみよう。
昼餐はブライト領主の奥さんや子供との和やかな会になった。領主の上の息子二人は領内で仕事をしているそうだが、末の娘さんは首都の学校が長期休みで帰ってきていると紹介してくれる。娘さんはチラチラとクイルに憧れの視線を向けていた。見た目通りの歳ではないと知っていても、美少年だもの。可愛いものだ。
食事も湖でとれた魚を香辛料多めに焼いたものや、クリームソースの平たいパスタなど手の込んだものでおいしかった。濃い味付けだったということは、淡水魚の調理はこちらでも難しいのだろうか。デザートのグレープフルーツのようなものを気に入ったと伝えると、籠いっぱいにお土産だと持たせてくれた。領主館の奥庭で採れたものらしいが、明日にはまとめてジャムになるところだったそうで運がよかった。何個かは自分の分に貰ったら、ほかは統括ギルドの人達に分ければいいだろう。
領主一家はわざわざ表の玄関ホールまで見送りに来てくれて、クイルと良い付き合いを長年続けてきたことがうかがえた。来た時のようにエルさんが運転する魔動車に乗り込むと、中がグレープフルーツもどきのいい香りになる。このまま各ギルドの視察というわけにはいかず、統括ギルドへ戻ってエルさんの使い魔の情報を待つことになった。
なんだかクイルもエルさんもブライト領主も良い人で、私は呪術を使えなくなっているんじゃないかと心配しだしていた。
昨日の感触からすると、私の呪術は私自身のストレスを力の源としているようだ。呪詛返しは私が呪うわけではないので魔力へ干渉するだけでよかったわけだが、今日のストレスメーター(があるとすれば)の数値は底値に近かったことだろう。一から呪うことはおそらくできなかった。
最大級のストレスだった就活が終了し、こちらのご飯はおいしくて生活も近代的で不便ということもない。置いてきたものに心残りはあるが、大量の採用お断り通知はもう見なくてもいい。
ストレスフリーな生活のためにはストレスを飼いならさなければならないという矛盾だ。
せめて呪術が使えなくなっても統括ギルドの雑用くらいには置いてもらえるよう、仕事を覚えなければならない。常識の違う異世界で貨幣の単位から覚えなおさなければならない。ほどほどに自分を追い込みつつ、楽しく暮らしていく匙加減を覚えなくてはならない。そんなことを魔動車から見える街並みを見ながら考えていた。
ちなみに後日の酒の席でエルさんにこの話をしたら、目頭を押さえて「奢るからなんでも食べて」とメニューを渡されることになった。