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8章 叫び-4 血に濡れた彼女が起こした最後の抵抗

「これくらいなら、我慢(がまん)できます」


 修司は「落ち着け」と自分に言い聞かせながら縛られた腕を確認した。律の怪我した場所よりも少し下。痛みさえ消えないが、肉を貫通(かんつう)した感覚はないし、指も動かすことが出来る。

 彼女との出血量を比べたら、恐らく(かす)り傷のようなものだろう。


 律の攻撃はスピードさえ速かったが、もはやいつもの覇気(はき)を感じられるものではなかった。


「修司くんを傷つけて本望ですか? 今日はもう終わりにした方が賢明(けんめい)ですよ」


 苦言(くげん)(てい)した彰人の言葉に、律は明らかに不快な顔を見せた。


「まだ……退避する時じゃないわ」


 はっきりと否定する声にも疲弊(ひへい)を感じてしまう。しかしこれでも彼女はホルスの幹部(かんぶ)で能力者なのだ。

 次の攻撃に備えて修司が趙馬刀(ちょうばとう)を構えると、彰人が立ち尽くす律に微笑みかけた。


「僕は、逃げ時を見極めることも強さだと教えられて育ったんですけどね」


 それを言ったのは彰人の父親だろうか。

 かつてキーダーとしてアルガスに監禁(かんきん)され、解放と共に外へ出た遠山浩一郎(とおやまこういちろう)。彼は二年前、息子である彰人と共にアルガスへ復讐(ふくしゅう)(くわだ)てたのだ。


「一つ話をさせて下さい」

「何よ」


 律は眉をひそめた。彰人は「これだけは言っておきたかったんです」と前置きして、その話を口にした。


「貴女を監視する役目ですけど、これって元々は僕の仕事じゃなかったんですよ。ところが、律にヤキモチ焼いちゃう上司がいましてね。生憎(あいにく)僕にはそんな相手いないので。前々から貴女には会ってみたいと思ってたんで、引き受けたんです」


 「本心ですからね」と付け加えて、彰人はすっきりした顔ではにかんだ。


 元々それは桃也の仕事だったようだ。

 京子は修司のトレーナーを桃也で適任だと言っていた。そのことに不服はないが、彼女の気持ちを含めての事情だったのかもしれない。


「何よ突然。告白のつもり?」


 律は表情を陰らせるが、彰人は「愛を語ったつもりはありませんよ」と肩をすくめて見せた。


「律、貴女はいつまで過去に囚われようとするんですか。元恋人と、貴女を(かば)ったバスクの男と。貴女がどう思おうと二人とも戻っては来ないんですよ?」

「ちょっとやめてよ。あの男の話はしないで」


 足元をふらつかせて、律は声を荒げた。小さく(くす)ぶる気配が乱れたことに気付いて、修司はジリリと片足を引いて攻撃のタイミングを見計らう。


「私は、高橋が貫いたホルスへの意思を継ぎたいのよ」


 盾の奥に見える律の(ほお)に涙が伝うのが分かって、修司はいたたまれなくなって声を張り上げる。


「何でですか、律さん! そんなことして、どうなるっていうんですか?」


 彼女やホルスの事情など、自分は全く知らない。思い込みの発言なのは重々承知(じゅうじゅうしょうち)だ。

 けど、彼女の状況に感じた違和感をどうしても吐き出したかった。


「ホルスは本当に律さんの仲間なんですか? 律さんがこんなに苦しんでるのに、誰も助けに来てくれないじゃないですか!」


 下の階にはホルスが何人もいて、その中には能力者も居るらしい。こうしている今も、(いく)つもの気配が足元で殺気を振り乱しているのだ。

 それなのに、屋上で倒れていた入れ墨坊主も、瀕死(ひんし)の状況でここにいる律も、修司には一人で戦っているようにしか見えなかった。


 これがホルスの実態なのか。能力者でさえ捨て駒にすぎないのだろうか。


「それでも、律さんは俺たちの敵なんですか?」

「貴方がそれを選んだんでしょう? 私の仲間にはなってくれなかったじゃない」


「俺は、同じ境遇の仲間が欲しいと思っていました。律さんと一緒に居た時間が楽しいと思えたのに……何でホルスなんですか? それじゃあ俺には貴女を選ぶことが出来ません」

「だったら……」


 律は出し掛けた言葉を飲み込んで、瞳を強く閉じた。痛みの間隔が狭くなっているのが見ていてよく分かった。


「律、折角(せっかく)治ろうとしている自分の身体に逆らうのは良くない。ボロボロですよ?」


 彰人の残念そうな声に、修司はふと頭を押さえた。

 脳裏をかすめた古い記憶が、その言葉に(うず)く。


「ボロボロ……?」


 呟いて律を見る。彼女は本当にボロボロだ。その言葉をどうして思い出せなかったのだろうと修司は彰人を振り返り、頭を駆け巡る平野の言葉を復唱した。


「そんなにボロボロになったら、暴走するぞ……?」


 パアンと屋上の端で照明の管が破裂(はれつ)した。力なく仁王立ちしたまま、律は表情一つ変えず冷たい視線で二人を見据える。


「ボロボロって。疲労(ひろう)も暴走を引き起こすってこと?」

「昔、平野さんに何度か注意されたことがあって……」


 流石の彰人も首を(ひね)った。修司にも確信はないが、事実なら今の状況が危険だということは明確だ。


「けど、可能性があるなら予測して動くのは大事だね」


 彰人は気配を強めて構えを取り、律と対峙(たいじ)する。


「修司くんに初めて平野さんの話をされた時は驚いたけど、あの人も相当危ない橋渡ってるんだね。僕は身を削るような戦いはしたことないから分からないけど。律、さぁ貴女をどうしようか」

「私の事は構わないで。戦って殺す気がないなら、ほっといてよ」

「他人を巻き込みたくないでしょう? 貴女が暴走したら……」

「しないわ! もうやめて。暴走だなんて言って、あの男を思い出させないで。アイツは、死ぬ間際に私に自由になれって言ったの。けど、アイツは高橋を殺したのよ? そんな男が言った言葉なんて、受け入れられるわけないじゃない……嫌よ!」


 頬を掌で強く押さえ、律は首を横に振った。もう一度パンと音が鳴って、彼女の周りで光が弾ける。


「もうやめて下さい。本当に暴走しますよ」

「私は、ホルスのまま死んでもいいの!」

「死ぬとか簡単に口にするものじゃないよ。望まない死を受け入れなければならない人が、この世に数えきれない程居るんですよ?」


 彰人が強い口調でたしなめた。感情的になる彼を見るのは初めてで、修司は肩を震わせる。

 律は乱れる呼吸に目を細め、改めて人差し指を構えた。


 「律!」と彰人が叫んで、通信機のマイクを素早くオンにする。


「屋上に絶対近付かないように!」


 目の前の盾が消え、彰人が掌を胸の前に構えた。

 律へ向かって放たれた四つの光は大きな面となってくるりと彼女を囲み、四方を塞ぐ。彼が手を横に広げるよりも若干狭い直方体が、轟音(ごうおん)を立てて地面に突き刺さり、透明の壁が律の動きを(はば)んだ。


 描きかけた円から指を引いて、「何するの?」と律が目を剥く。

 彼女の必死の抵抗。なけなしの力の気配が壁の中に膨張(ぼうちょう)する。


 ドンと大きな音を立てて現れた光が律の身体から放射して、空いた天井へと噴出(ふんしゅつ)した。ばら撒かれた光はあちこちで細いハレーションを起こし、悲鳴もろとも彼女の姿を隠す。


「修司くん、離れて!」


 彰人が修司の前に出て声を張り上げた。

 光に奪われた視線から我に返り、修司は慌てて後ろへ下がる。


『暴走しそうになったら私を殺して』


 彼女はこの状況を予想していたのだろうか。たとえバスクでいる覚悟がそう言わせたのだとしても、


「そんなこと、できるわけないじゃないですか! 律さん!」


 本当に暴走が起きてしまうのかと悟って、修司は目を見開く。けれど光の激しさに身の危険を感じたところで、攻撃することも逃げることもできなかった。

 四角い壁がミシミシと鳴り出して、彰人は「全く」と悲痛な声を漏らす。


「彰人さん、律さんをどうするんですか?」

「いいから、今はとりあえず堪えて。一気に来るよ!」


 彰人が律を取り囲む拘束(こうそく)を緩めのが分かった。その瞬間、時限爆弾のリミットがゼロを示したかのように、光が壁を突き破ってあらゆる方向へと放出したのだ。


 修司は声すら出せず、なけなしの力で必死に自分を(かば)う。

 咄嗟(とっさ)に胸の前で構えた手から盾を出すことができたような気もしたが、はっきりと自覚できないまま正面から(あお)ってきた光に身体が宙へ放り出される。


 白い光に視界を覆われ、死を予感して強く目を(つむ)った。


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