8章 叫び-3 空へ飛び立つ彼女たちの意思
先導する彰人を追い掛けて、五人の後ろを修司が守る。
少女たちは踵の細いハイヒールで必死に階段を駆け上がった。
屋上へ差し掛かったところで一番後ろを走っていた少女が速度を緩めて、不本意な感情を顔に滲ませながら修司を振り返る。
色で分けられた彼女達のうち、青色を身に纏うポニーテールの少女だ。
「本当は私たちだって逃げたくないんだからね?」
自分たちの本意を代表するかのように伝え、彼女はプイと再び進行方向へ向く。
外に出た所で彰人が全員揃うのを待っていた。
修司が横に走り寄ると、彰人は屋上を見据えて眉をひそめた。けれどそれは一瞬で、ジャスティの五人を誘導して奥のヘリポートへ急ぐ。
「きゃあ」と前を行く赤色の少女が、低い位置で結わえたツインテールを揺らしながら暗がりを指差した。桃也と戦った入れ墨坊主が地面に転がっていたのだ。
白目を剥いたまま仰向けになっているが、胸の位置は上下している。足元に転がった彼の武器である長い棒は、中心から無残に折られていた。
そして、修司は彼の手首にあっと目を見開く。
戦っていた時にはなかったはずの銀環が付いていたのだ。きっと桃也の仕事だろう。力の拘束は能力者の義務だが、彼を仲間だとは到底思えず、修司は「お前はトールになれよ!」と小声で念を送った。
ヘリは準備万端で五人を待ち構えていた。巻き上げる風が少女たちのスカートをバタバタとはためかせる。
「どうぞ」と彰人に促され、低いタラップに足を掛けた緑の少女が、上るのを躊躇って地上へと視線を落とした。青色の少女が言った言葉が物語っているのだろう。
会場の周りは人で埋め尽くされていた。駅の方角へゆっくりと誘導されていくのが分かる。
ライブが終わって突然キーダーが現れた状況を想像すると、混乱は少ない方だろう。
「早く行かないとホルスが追ってくるかもしれません。あそこに居るファンの為にも、貴女達を無事に行かせなきゃならないんです。抵抗するなら力を使いますよ?」
事は一刻を争う。念動力を操るキーダーに、華奢な五人を力ずくでヘリへ押し込むなど容易いことだ。脅しのように口にするものの、彰人は顔を見合わせる少女たちの行動を待った。
彼女たちの気持ちを通すわけにはいかない。ここにもし譲が居たら、彼女たちを必死に説得するはずだ。譲の気持ちを代弁して、修司はヘリの起動音を逆らって声を張り上げた。
「あの人たちの事は、俺たちに任せて下さい。君たちに何かあったら、もっと悲しませることになる。だから乗って下さい」
頭を下げて懇願する。それだけじゃ気が済まず、「お願いします」と土下座までした。
黄色担当のえりぴょんが、そんな修司に「全く」と言葉を掛ける。
「それって、ドラマか何かでよく聞くセリフだよね。ここから自分たちだけ逃げるってことはさ、当事者になってみると馬鹿げてる行動にしか思えないんだよ。けど、客観的に見れば、やっぱり正しいのかな。私たちが今ファンのみんなの為にできる事って、それだけだと思うから」
面と向かって訴えるえりぴょんは、話し方も雰囲気も修司が想像していた彼女とは違っていた。
ヲタクフィルターが掛かった譲のせいで、彼女たちを手の届かない別次元の神聖な存在のように思っていたが、実際は動画や写真で見るよりも現実的で自分たちと変わらないんだなと実感する。
「だから、守ってね。みんなの事」
鋭く怒りさえ籠らせたえりぴょんの勢いに恐縮しつつ、修司は「はい」と返事する。他の四人を先に乗せて、えりぴょんはクルクルに巻かれたロングヘアをかき上げながら、少しだけ唇を尖らせて修司を振り返った。
「近藤さんはあんな男だけど、それでも私はあの人の歌が歌いたくてジャスティに居るのよ」
その言葉を残して、えりぴょんはヘリの中へと軽やかに飛び乗って扉を閉めた。彼女たちとの空間が遮断された状態で、彰人が「ヘリごと落とされたら大変だね」と悪い冗談を口にする。
「やめて下さいよ、彰人さん!」
「あはは。でも律はそんなことする人じゃないよ」
彰人はにっこりと笑んで少女たちに手を振ると、コクピットのコージに手を上げて合図を送った。
離陸を待って、修司は彰人に習ってヘリを離れる。起動音が増して機体が地面から浮き上がった。
あっという間に目線を超えて空高く上る機体を仰ぎ、修司はふと足元に起きた衝撃に足を取られる。下からの突き上がる気配に「うわ」と足を踏ん張らせ、彰人と顔を見合わせた。
「これは激しいね」と言いながらも、彰人に慌てた様子は感じられない。「俺たちも行きますか?」と修司は尋ねたが、彰人は「いや」と断った。
「修司くんは、もうちょっとアンテナ張る努力しとかないと駄目だよ」
「アンテナ?」
それが敵への注意だと理解して、修司は言われるままに闇へと感覚を研ぎ澄ます。
風がやみ、ヘリの音が遠のいて静寂が広がる屋上。時折吹く風の音に耳を傾けると、燻ぶるように沸く小さな気配を掴むことができた。
ヘリポートとは反対側の階段の死角。明かりの届かない闇の中だ。
「それ、隠れてるって言いませんからね」
闇を見据えて、彰人が声を掛けた。
「居たよ」と彼が告げた相手は、通信機の奥の仲間だ。
「あぁ大丈夫だよ。こっちでやるからね」そう言ってスイッチを切る。
硬い地面をずるりと引きずる足音がして、闇に現れた黒い輪郭が彼女を模るのと同時に、その中心に白い円がぐるりと描かれた。
突如溢れた光と気配の強さに修司は目を細める。
「修司くん!」
彰人の声に目を見開き、修司は反射的に趙馬刀を腰から抜くが、コンマ一秒の速さで光は針のように細く伸び、修司の腕を貫いた。
「うわぁぁああ!」
痛みよりも衝撃に我を忘れて叫ぶ。出し掛けた未熟な刃などあっという間に消えてしまうが、代わりに別の光が現れて修司の正面を塞いだ。
「ごめんね、油断した」と彰人が前へ出る。
押さえた傷口から血が滲む感触が伝わる。
下ろしたての制服に穴が開いていた。
左腕の、桜の刺繍がしてある位置だ。十センチ横にズレていたら心臓をやられていた。
とりあえず生きていることに安堵すると、今度はジリジリと患部が自己主張を強めてくる。
「ああぁ」と痛みを声に逃がそうとするが、効果は薄い。
「感覚はある? 生憎、僕はヒーラーじゃないから治癒は担当外なんだよ」
そう言って彰人は自分の胸元に結ばれた緑色のタイを外し、修司の腕の付け根に「このくらいしかできないけど」ときつく縛り付けた。
目の前に律が居た。彼女もまた、修司と同じように肩を負傷している。
血みどろの傷口を押さえながら力なく微笑む彼女は、身体のあちこちを赤く染め、艶のない髪を振り乱し、もはや修司の知っている姿とは程遠いものになっていた。




