7章 突入-3 彼女がダサいと言っていた服
譲からのメールを思い出し、修司は背中をぞっと震わせた。
「まさか、ジャスティのライブ会場ですか? 観客が居るんですよね? 今日友達がそこに行ってるんです」
「好きな奴がいるって言ってたもんな。近藤が突然今日で指定してきたんだ。ライブの後とは言われてるけど、ホールには昼間から別支部のキーダーが入って警戒してる」
「別支部って、平野さんもいるんですか?」
「いや、キーダーが一人の支部は外してある」
険しい顔で説明し、桃也はそこに平野が居ないことを加えた。
「キーダーだけで本当に観客を守ることが出来るんですか?」
横浜のそのホールと言えば、国内外を問わず大物スターが毎日ライブをしているような場所だ。収容人数なんて考えただけで恐ろしいと思ってしまう。
「それでも守るのがキーダーの仕事だ」
「時間だぞ」と促す桃也。既に開演から一時間経った頃で、向こうは興奮の真っ只中だろう。
「趙馬刀は持ってるか? あと、その格好だとキーダーだって分からねぇな」
学生服の裾を捲り、修司が「あります」と趙馬刀を見せると、タイミングを計ったように部屋のブザーが鳴る。
桃也が入口で応答すると、『修司くん居ますかぁ?』と緊張感のない声が修司を指名し、見覚えのあるメガネの施設員がモニターいっぱいに映し出された。
『貴方の制服持って来たわよ』
そういえば最初の朝に採寸されたことを思い出し「あぁ」と声を上げると、桃也が「流石だな、セナさん」と扉を開いて彼女を迎えた。
「もぉ、二人で京子ちゃんのトコ行くんでしょ? 間に合ってよかったわ」
華やかな香水の匂いを振りまいて、セナは「急ぐわよ」と修司に詰め寄り、制服のボタンに手を掛けた。
「うわぁあ。俺、自分でできますから、向こう向いてて下さい!」
初めて自分の制服を手にする感動もないまま、修司は急いで服を脱いだ。テーブルに置かれたズボンを履いて、シャツのボタンを締めつつ「もう大丈夫です」と声を掛ける。
もたつく修司の手から深緑のアスコットタイを奪って、セナは手早く襟元に結んだ。開いていたシャツのボタンをきっちりと留めて、「胸を張りなさい」と修司の背中をドンと叩く。
壁掛けの大きな鏡の前まで手を引かれ、修司はそこに映る自分の姿に「うわぁ」と零した。
採寸の時に一度袖は通しているが、改めて着替えた自分が別人のように見える。
「何か、着せられてる感じだな」
感慨深い思いに浸る修司の脇から、桃也がボソリと呟く。率直な感想にセナまでもが、「ちょっと若い子には地味なのよ、この服」と肩をすくめた。
律が言っていたように、この制服は女子ウケが良くないらしい。一緒に渡された身分証の写真は学生証と大差なかった。上に書かれたキーダーという肩書を恐れ多く感じてしまう。
改めて見たキーダーの自分に照れ臭くなって目を反らすと、桃也が「本当にキーダーになるんだな?」と確認した。「はい」と即答すると、セナが二人の間に入り込んで修司を見上げた。
「ねぇ修司くん、貴方はここに来たばかりで戦いなんてまだ見様見真似でしょう? 美弦ちゃんのこと心配かもしれないけど、助けようなんて思わずにパートナーになってあげて。彼女、貴方が来てからとっても楽しそう。だから、ね?」
その言葉を噛み締めて、修司は「わかりました」と頭を下げると、「行くぞ」と走り出す桃也を追い掛けた。
☆
敢えて聞きはしなかったが、二階から階段を上へと移動した桃也の背中に修司は緊張を走らせた。
『キーダーは』という山で聞いた話への不安を口にすることができず、牽引される車のようにそのまま駆け上がっていく。
四階を超えたところで重低音を響かせるプロペラの振動と不気味な音を感じた。恐怖に引き返すこともできず、開け放たれた扉を潜る。
開放された空にヘリコプターの激しい音が響き渡る。もうすっかり夜の空が広がっていて、遠くに慰霊塔の白い光も見えた。
中央の地面に印されたヘリポートの文字に乗った機体は、山で見たよりもずっと大きく足がすくんでしまう。
「へ、ヘリコプターで行くんですか?」
わんわんと回るブレードに息を呑む。別の手段が用意されているとは思えない。
「緊急時は車や電車じゃ間に合わない時があるからな。キーダーはヘリでの移動が三割くらいだ。別に嫌なら今日はここに残ってもいいんだぞ?」
「いえ、行きます! けど、パ、パラシュートはちょっと……」
空にパラシュートを咲かせるというキーダー。足手纏いになりたくないのは山々だし、別に高所恐怖症なわけでもないが、空から飛び降りる勇気だけはどうしても出なかった。
「ロープで降りる時もあるし、俺がタンデムしてやってもいいんだぜ? それなら訓練してなくても行けるだろ?」
宙へ身を投げ出す以外の選択はないのだろうか。
「タンデム、って。桃也さん、そういうの資格とか持ってるんですか?」
「いや、持ってねぇけど。ベルト付けとけば、どうにかなるんじゃないか?」
「無理ですってば! しかも夜ですよ? 遠慮させてもらいます……」
真顔の桃也に全身で大振りに否定して、修司は小動物のように目を潤ませた。
「まぁ近藤に感謝するんだな、あっちにもヘリポートがあるらしいから」
「やったぁぁあ! ありがとうございます!」
不本意ながらも、修司は近藤に向けて大声で礼を言った。
桃也に続いて初めての搭乗。四人乗りの座席に桃也と向かい合わせで座る。シートベルトを留めると、先に乗り込んでいた操縦席の男二人がこちらを振り向いて桃也に合図を送った。マイクが付いたヘッドセットが横にぶら下がっているが、それは使わないらしい。
プロペラと風の音で閉塞感すら覚えるが、顔を近付けると互いの声をどうにか理解することはできた。
「空からの眺めはいつ見ても爽快だぜ。着いたら戦場だから、少し休んでおけよ」
それだけ言うと、桃也は姿勢を戻して暗い外の風景へと視線を向けた。
次第に高まる音に、修司は「テイクオフ?」と小声で呟き、両手を固く膝の上で握り締める。
フワリと地面を離れた感覚が全身に伝わった。旋回しながら機体はゆっくりと高度を上げる。
今日が無事で終わりますように――そう祈りながら桃也の視線を追った。
譲が今日を『決戦の日』だと言っていたが、修司にとってもそんな日になってしまった。




