7章 突入-2 「俺、キーダーになります!」
一度食堂に戻るがやはり桃也の姿はなく、修司はその足で彼の自室へ向かった。
マサを挟んだ、彰人の部屋と逆隣。ここに居なかったら下の事務所へ行こうと考えながら呼び出しボタンを押す。
扉の向こうで電子音が遠退くが、諦めかけた時にガタリと物音がして入口が開かれた。
中から現れた桃也は困惑の表情を見せる。修司が訪ねてきたのは想定外という顔だ。
修司もまた桃也の姿に眉をひそめた。いつも着崩したシャツ姿の彼がタイを締め、ジャケットを着ていたのだ。桜の刺繍が肩に入った、キーダーの紺色の制服だ。だからきっと、この状態は彼にとっての『仕事モード』。言われなくても、そのくらい分かる。
「桃也さん今夜待機だったんですよね? どこかに行くなら、俺も連れてって下さい」
「お前は正式なキーダーじゃないだろう? 巻き込むわけにはいかねぇよ」
他人の要望など跳ね除ける気迫で、桃也の瞳が冷ややかに修司を睨んだ。
「一人で京子さんを助けに行くんですか? 今日のアルガスは静かすぎます。どこで何が起きてるんですか? 律さんが……ホルスが関係してるんですか?」
桃也はすぐに口を開こうとはしなかった。何故だろうと考えたところで、それは自分がキーダーでないことの一択にしか思えなかった。
「彰人さんの部屋を見つけました。彰人さんもキーダーなんですか?」
その名前を出すと、桃也は「気付いたのか」と表情を緩めた。
「彰人さんのお父さんも、昔キーダーだったんですよね? 苗字は変わってるって言ったけど、伯父さんが顔がそっくりだったって。そうなんですか? 須釜浩一郎って人は……」
けれど桃也はその名前に不快感たっぷりの表情を示す。
颯太より年上で、当時大舎卿と仲が良かった浩一郎は、アルガス解放の時にトールになった一人らしい。遺伝が全てではないが、能力者の出生率に血は僅かながら影響するという。だから二人が親子だと知ったところで素直に納得することができた。
「結婚して相手の姓に入ったらしい。アイツの親父--遠山浩一郎は、今牢屋に入ってるよ。いいか、浩一郎とあのヤロウは二年前のアルガス襲撃を起こした張本人なんだからな?」
このところ衝撃的な話が多すぎて事実に対する驚愕の度合いは減ってしまったが、それでも十分に驚いている。それこそ、彰人が自分を『悪人』だと言った理由だろう。
「でも、トールは力が使えないんですよね。バスクの彰人さんが一人で戦ったんですか?」
「銀環のない彰人の力は桁外れだった。けど浩一郎の攻撃も凄かったんだ。奴はアルガス解放の時、銀環を外してアルガスを出たが、細工して力を消さずにいたらしい。つまり――禁忌を犯したんだよ。二年前の襲撃は、三十年膨らませたアルガスへの執念だ。あれを収束させたのは結果的にキーダーだけど、たった二人相手にあの有様だ」
「禁忌って、そんな……銀環を外した能力者っていう事は、キーダーからバスクになったってことですか?」
アルガスの常識的に言えば、銀環を付けた能力者が選べる道は、キーダーか、全てを放棄するトールでしかありえないのだ。
アルガス解放でトールを選んだ颯太が力を蘇らせたことに綾斗は細工を疑っていた。結局そうではないらしいが、前例あっての疑念だったようだ。
桃也は伏し目がちに「そうだ」と答える。
父親への荷担だからと、彰人がそんな大それたことをするだろうか。そう思う反面、穏やかにはにかむ彼の笑顔とは別に、どこか冷ややかな馴染み辛さを感じてしまうのも事実だ。一つ一つ疑問を解消していくと、彼を疑う要素が何一つ消えてしまう。
二年前、テレビに映し出された光景は、今もはっきり覚えている。ほんの僅かの時間だったが、建物を包む光や、落ちていく鉄塔に興奮しつつ恐怖を覚えた。
「けど、それは終わった話だ。アイツはもうキーダーで、きちんと仕事しているのは認める。ホルスの安藤と繋がってるお前に本当のことを教えられなかったのは分かってくれよ?」
美弦がバスク上がりのキーダーをエリートだと言った意味が分かった気がする。桃也や平野もそうだが、彰人の力を目の当りにしたら自分を卑下してしまう気持ちにもなるだろう。
律の所で彰人のしたことは仕事だ。彼から見たら修司など『ホルスの女に洗脳された哀れな男』くらいの認識だったのかもしれない。
「慰霊塔に行った時、彰人さんは亡くなった女の子が好きな花だからって、ガーベラを供えてたんです。それって桃也さんのお姉さんのことですよね?」
彰人は人伝いに聞いたと言っていた。けれど桃也は面食らった顔で、「そんなこと覚えてたんだな」と苦笑する。
「お前をアルガスにって保護を求めたのはアイツだからな」
ホルスが迎えに来たあの日、どうして綾斗と美弦があそこに居たのか不思議だった。
「だから、アイツを恨むなよ」
「恨めないですよ、俺には……。ここに来れて良かったと思ってます。けど俺はまだ宙ぶらりんで、ここの事も今日の事も何も知りません。もし俺が今ここでキーダーを選んだら、一緒に連れて行ってくれますか? この力を持って生まれてきて、ずっと迷ってたけど。真実を隠されることが一番辛いってことが分かりました」
悲痛に込み上げる涙を堪えて、修司は桃也に訴えた。
「銀環を付けているのに。他のみんなは今戦っているかもしれないのに。俺だけ何も知らずに、アホみたいに待ってるだけなんて耐えられません」
「けど全部知ってキーダーになるってことは、命を懸ける仕事をするってことだぞ? 明日お前が生きてる保証なんてないんだからな?」
もう覚悟はできている筈だ。律と決別し、キーダーとしてここで美弦の側にいると決めた。
「分かっています。それでも俺、キーダーになります! 決めたんです! だから俺も連れて行って下さい」
「安藤律と戦えるのか?」
その名前に動揺する気持ちを断ち切るように、修司は「戦えます」と言い切った。そしてやはり律が今日のターゲットであることを知って、迷うなよと自分に言い聞かせる。
「今、アルガスに何が起きてるんですか?」
「ホルスと接触するんだよ。ホルスは組織的に財政難で、そこに近藤武雄が付け込んだんた」
知ってるかと聞かれて、修司は頷く。綾斗と京子も始めて修司がここに来た日の夜に近藤の話をしていた。
「近藤とホルスが落ちあう場所でキーダーが張ってる。そこを狙う」
「それって、アルガスが近藤と組んでるってことですか?」
「そんな友好的なものでもないけどな。アルガスはホルスに対してあと一歩踏み込むタイミングを狙ってる。それが旨いこと近藤の欲望と合致したってだけさ」
「何かそれって、汚い大人の事情みたいな話なんですね。アイドルのコたちは何も悪くないのに、『そんな近藤の』ってレッテル貼られちゃうんですね」
修司も彼の曲に励まされた。それをどんな気持ちで書いたのかと想像すると哀しくなる。
「近藤は前々からホルスの力に目を付けてたんだろうな。金策を持ち掛けたらしいけど、ホルスの奴等だってホイホイ頷くようなバカじゃない。色々あったみたいだが、直近の要求を蹴ったことで、近藤は何を思ったか今度はアルガスに向こうの情報を売ってきた。上官らが乗り気なんだよ。失敗するわけにゃいかないからな」
ホルスが敵だと言いながら、この件での一番の悪人が近藤に思えてくる。
「いいか、こんな説明じゃ頭が混乱しちまうだろうけど、俺たちはキーダーで敵はホルスだ。近藤を裁くとしたら、それは警察の仕事だからな、間違えるなよ」
戦う相手は律であると頭で復唱して、修司は「はい」と返事する。
「それで、近藤は今どこに居るんですか?」
「横浜のコンサートホールだ。近藤がそこにホルスを呼びつけたらしい」
「ホルスは近藤の誘いを断ってるのに、それでも行くっておかしくないですか?」
「まぁ俺たちも売られてるんだろうよ。キーダーが来るってな」
つまり、仕組まれたどころか戦場を故意に与えられたという話だ。
修司は緊張を走らせる。状況を整理しようと桃也の言葉を振り返って、「あれ」と首を傾げた。
「横浜のコンサートホール? その場所って……」




