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1章 上京-4 俺がバスクになった理由(わけ)

   ☆

 修司が生まれる十日前、父親は横断歩道の渡り掛けに信号無視で突っ込んで来たトラックにひかれて即死した。

 産褥期(さんじょくき)に入っていた母親はその事実を受け止めきれず、狂乱(きょうらん)状態だったと伯父の颯太は言っていた。


 母方の祖母が助産院を細々と経営していて、息子である颯太(そうた)が後を()ぐ為にと産婦人科医になって間もなくの頃だ。

 閑散期(かんさんき)の助産院に産声(うぶごえ)を響かせたのは、元気な男の子だった。病弱で心臓を(わずら)っていた母親からの遺伝を危惧(きぐ)されていたが、それは杞憂(きゆう)に終わったと喜んだ矢先に状況は一変する。


 国からの指示である出生検査を(ほどこ)した瞬間だ。

 重要だと言われながらも、毎度出産からの流れで作業にしか過ぎないのは、引っ掛かる赤ん坊など見たことがないからだ。

 国が開示(かいじ)しているデータでは、現存するキーダーは二十余人。一億数千万人いる日本人の中で、その出産に立ち会うなど奇跡に近い。


 少量の血液が示す潜在能力(せんざいのうりょく)

 颯太どころか七十過ぎの祖母でさえ試験紙の変化を見たことはなかったのに、身内が産んだ子供がそのマーカーを青色に染めたのだ。

 能力がマーカーに示された場合は即刻国へ通知するのが義務だ。それを(おこた)った場合、医者は罪を問われる。禁固刑(きんこけい)か医師免許の剝奪(はくだつ)か。いずれにせよ重罪だ。


 けれど、それを知っていながらも二人がその決断を下すまで時間はかからなかった。


 キーダーは英雄だ。

 しかし、キーダーの特殊能力は国のもの。有事が起きれば最前線で壁となり、国の駒として戦わねばならない。

 生まれてすぐに力を制御するための銀環が手にはめられ、十五歳になったら国に使えるために家を出るのが決まりだ。

 拒否(きょひ)することもできるというが、その権利が与えられるのもまた十五になってからなのだ。


 二人は赤ん坊の能力を隠蔽(いんぺい)した。

 彼を産んだのは二人にとって娘であり妹なのだ。夫の死から抜け出すにはあまりにも時は短く、彼女から息子を奪うことなどできなかった。


 東北の片田舎が(こう)(そう)して、修司が十歳になり母親が病に倒れるまでは誰に見つかることもなかった。


 平野に出会ったのは、母親の葬儀が終わって一月ほど経った春の事だ。


   ☆

 東京での新居は、アルガスのある駅から大分離れた場所にある中古のマンションだった。


 今日から仕事だと言って朝一の新幹線で上京した颯太の終業時間まではまだ早く、修司は渡されていた鍵でオートロックを解除し、エレベーターを上っていく。新居は十階だったが、中のボタンは二十五階まであった。

 少し長く感じる圧迫感(あっぱくかん)から解放されると、建物の中心が吹き抜けになっていて、頭上を(あお)ぐと遥か高い位置に青い空が見えた。


 玄関に見慣れた黒い革靴があって、修司は「伯父さん?」と廊下の向こうに声を掛けた。突き当りのリビングにはダンボールが積み込まれていて、颯太が「お帰り」と顔を覗かせる。


「もう来てたんだ。てっきりまだ仕事の時間だと思ってたけど」

「今日は午前中だけ。昼から荷物下ろしてもらったんだよ。朝言っただろ?」

「あれ、そうだっけ? 手伝えなくてごめん」

「運び込みって言っても、俺は指示してただけだから気にすんなよ」


 颯太は顔のラインまで伸ばした(くせ)のある髪をかき上げて、カウンターの上に置かれた炭酸水を口に含んだ。前の家で使っていた折り畳みの細い椅子に腰かけ「お前もちゃんと飲んどけよ」と、少し温くなった麦茶のペットボトルを渡す。

 去年の夏に颯太が熱中症になり、そこから口煩(くちうるさ)くなった次第だ。


 周りの水滴を払って修司は少しだけお茶を飲む。

 カーテンのない窓から時折そよぐ風は、まだ春だというのに初夏を思わせる暑さで、颯太が「あっちいな」とシャツの袖を(まく)った。


 「東北とは違うね」と前の部屋の鍵を渡して、修司はペットボトル片手に新居を探検した。

 高校が決まってから颯太が一日で決めてきた物件で、修司が入るのは初めてだ。


 築十年の中古物件ということだが、目につくような劣化(れっか)はない。

 窓が大きく開放感のあるリビングに二人の部屋がついた、今までより部屋の一つ少ない間取りだが、大した荷物もない男の二人暮らしにはこれくらいが良いのかもしれない。


「アルガスに行って来たんだろ? どうだった?」


 再びリビングに戻った修司に、颯太はカウンターに開かれたノートパソコンのキーボードをカタカタと叩きながら声を掛けた。


 「うん。大きかった」と率直な感想。思い出す外観にすら圧倒される。


「お前らしいな。でも無事帰って来れて一安心。油断すると見つかるぞ」

「わかってる。でも、そのことだけど……見つかっちゃったんだよね」


 美弦とのことをサラリと報告すると、颯太は「はぁ?」と素っ頓狂(すっとんきょう)な声で修司を振り返った。


「見つかった? アルガスの連中に、お前がバスクだってことをか?」


 気を高ぶらせて修司の両肩を(つか)んだ颯太に、修司は両手を広げて美弦の事を説明した。


「大丈夫だと思うよ。彼女、明日が着任だからって、今日は見逃してくれるって言ってくれてさ」

「この春に着任ってことは、お前と同じ歳か」


 颯太は「参ったな」と短く伸ばした顎髭(あごひげ)を撫でながら、「可愛かったのか?」と茶々を入れる。

 緊迫した空気が緩んで、修司は「まぁね」と本心を述べた。


 頭に再現された美弦は眉間(みけん)(しわ)を寄せて修司を(にら)み上げているが、目や唇や髪の毛、その一つ一つの素材はテレビに出て来るアイドルのように可愛い。

 それを言葉や態度が打ち消してしまっているのが残念だ。


 「そうか」と安堵(あんど)する颯太。浮いた腰を椅子に戻し、「気をつけろよ」と加える。


 颯太が新居にこの場所を選んだ理由は、最初に地図を見てすぐに分かった。

 大きな駅に出るのでさえ乗り換えが複雑で、ましてや海に近いアルガスまでなど、『東京のあっちからこっち』と一口で言えてしまう程遠いのだ。


 修司の持つ力は本人が無意識のうちに『能力者だ』という気配を身体の外へと放出してしまう。

 平野が心配したように、それを自ら食い止める術を身につけなければ、別の能力者に容易く気付かれてしまうのだ。


「もし見つかってキーダーが俺の事捕まえに来たら、どうすればいい?」


 平野を待ち続け、熱で倒れたという若い女キーダーの話は間抜けにも聞こえるが、あの頑固な平野をキーダーにさせたその女を、正直怖いと思ってしまう。


「まぁ覚悟するしかねぇだろうな。十五になったんだ、トールを選べば力だって消せるさ。ただ、戦おうなんては思うなよ? 銀環(ぎんかん)付きのキーダーはバスクに勝てないとかいう奴もいるが、キーダーを敵に回すっていう事は国と戦うってことだからな」


 やはり美弦が言ったように、トールへの選択も視野に入れるべきなのだろうか。


「不安な顔するなよ。お前が捕まったところでお咎めはないさ。キーダーの力は国の宝だ。俺のことだって命を捕りゃしないだろうし。世の中、生きてりゃなんとかなるよ」


 キーダー隠しは重罪だ。

 修司の出産に係わった祖母はもう他界したが、そこには颯太も立ち会っていたのだ。


 表情の晴れない修司の片頬を小突いて、颯太は「お前は何も悪くないからな」とカウンターへ身体を回した。


「試験紙の色が変わった時、婆さんは俺に部屋から出て行けって言ったんだよ。自分一人が罪を(かぶ)ろうと思ったんだろうな。でも、俺にゃできなかった。大事な妹が一人ぼっちで腹痛めて産んだんだぜ? 横で見てた俺がその記憶をなかったことにするなんてよぉ」


 颯太は深く息を吐き出して、改めてパソコンのキーボードを叩く。


「力を持つ奴はさ、出生検査さえすり抜けちまえばバスクとして生きられる。見つかりさえしなければ、いつだって自分の未来を自由に選べるんだ」


 陰ったモニターが明るくなり、フォルダから三人のバストアップ写真が現れた。

 「見とけよ」と促されて修司は横から覗き込む。

 ハッキリと見覚えのある老父と二〇代前半ぐらいの髪が長い女性、それに修司より少し年上に見えるメガネを掛けた男だ。


 「大舎卿だいしゃきょう?」と老父の名前を呟くと、颯太は「そうだ」と頷いて彼の顔を画面いっぱいに拡大させた。


 日本人なら誰もが知っている、キーダーの代名詞のような男だった。

 三十年前、監獄(かんごく)と呼ばれていたアルガスの闇を解いたと言われる、隕石(いんせき)から日本を救った英雄だ。


「年末くらいまではアルガスのサイトも結構オープンだったんだけどな。年明けの襲撃事件からずっと閉めたままだ。平野も含めて最近バスクからキーダーに移った新人が数人いるって噂だけど、元々いるメンバーの写真を拾ってくるのが精一杯だったよ」


 何者かに襲撃されたというアルガス。その目的も、事件の結末も一般人には伝えられていないが、颯太は「バスクだろうな」と言っていた。


 また同じことが起きる可能性は幾らでもある。

 国の定めた厳しい出生検査だが、修司のようなバスクは何人もいるのだ。

 国に捕らえられる位なら真っ向から戦いを(いど)んで思想を(くつがえ)そうと思うのだろうか。逆に考えれば、キーダーを選んだ場合、その戦いに自分は備えなければならないのだ。


「今日の女子も含めて、お前の仲間になるか敵になるか。どちらにせよ関わってくる奴等だよ」


 美弦は強くなりたいと言っていた。彼女はバスクと戦うためにそうなりたいと思うのか。

 ふと、写真に写る髪の長い女に、美佐子の話が(よみがえ)る。


田母神京子(たもがみきょうこ)……この人が平野さんを連れて行ったのかな?」

「年末の時点で三人とも本部所属だから、東北とは管轄(かんかつ)が違うかな。本部所属だから、襲撃の時は三人ともこっちの戦力だった筈だ。こういうの見ると、死んでないだろうなとか思っちまうよな」


 例え国の為に戦って死しても名前は誰にも伝えられないのかもしれない。

 複雑な気持ちを見透(みす)かしてか、颯太はにやりと立ち上がり、「来いよ」とベランダへ修司を誘った。

 修司はそれを追い掛けて、用意してあったサンダルを引っ掛ける。テーブルが一組置けそうな、広めのベランダ。そこから見える風景に、修司は「わぁ」と感嘆の声を上げる。


「ここを選んで正解だろ?」


 修司は温い空気をいっぱいに吸い込む。

 ここからの風景は決してどこまでも開けた開放的なものではない。ひしめき合う建物が視界を遮り窮屈(きゅうくつ)さしか感じられないのに、それでも力の気配がないというだけでホッとしてしまう。

 颯太は風に乱れる髪をかき上げて、連なるマンションの隙間(すきま)から(のぞ)く街を見据(みす)えた。


「修司。東京に来たんだ、覚悟はできてるな?」


 ぴりりと引き締まる空気が流れて、修司は颯太の視線を追って「はい」と頷いた。


「今までとは全く違う。アルガスの腹ん中に居るようなもんだ。けど、バスクは寸での差でキーダーから逃げられる希望もある。だから、最後まで諦めるなよ」


 キーダーとバスクの差なんて想像すらできなかったが、平野が一度だけ誰も居ない山奥で技を見せてくれた事がある。

 映画の特殊効果さながらの光にただ圧倒された。

 あれと同等の力を身に着けることができれば颯太の考察(こうさつ)も納得できるが、今の自分では無理かなと思ってしまう。


「伯父さんはアルガスとかキーダーに詳しいよね」

「そりゃよぅ、詳しくもなるさ。大事な(おい)っ子の為だもんな」


 「だろ?」と目を細め、颯太はくるりと身体を回し、褐色(かっしょく)の柵に背を預けた。


「俺はさ、お前の父親が嫌いだったんだ。自分が言うのもなんだが、シスコンでよぉ。俺の前からあっさり千春(ちはる)をかっさらっていったんだぜ? それでも好きな奴となら、って許してやったのに、腹がでかいアイツ残して死にやがって。最後の最後まで好きになれなかった」


 千春は修司の母親の名前だ。

 そういえばカウンターの上にフォトフレームが出ていたことを思い出して、修司は室内へ視線を向けた。修司がダンボールにしまった筈だが、小さな水入りのコップと共に両親の笑顔が飾られている。


「死ぬ前の日に、千春が俺に言ったんだ。悪い役押し付けてごめん、でも、好きなようにさせてやれって。だからお前は好きなように選べ。絶対守ってやるからよ」


 二人でこんな話をしたのは初めてかもしれない。

 母の死んだ五年前から一緒に住んでいる伯父は千春の兄で、そろそろ五十歳になる長身の男前だ。

 自他ともに認めるプレイボーイで女の話は尽きないが、特定の女性との話はサッパリ聞かなかった。


「本来ならお前も、今日会った女子みたいにキーダーとしてアルガスに入る時期だもんな」

「もし伯父さんにも力があったら、トールを選んでた?」

「当たり前だ。身内でもない他人の為に命掛けるほど出来た神経してないからな。俺は少しでも遠い未来を見てから死にてぇんだ。でも、お前は俺じゃないんだからな。いつか答えを出す時の為に、ゆっくり考えときな」


 本当にそんな日が来るのだろうか。

 答えを保留にしたまま、あっという間に時は過ぎ、気付いた時には上京して三度目の春が過ぎ去ろうとしていた。



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