6章 真実-5 その事件で奪ったもの、奪われたもの
資料庫と聞いて、陰気なかび臭い部屋を想像していたが、中は空調が管理されていて想像以上に快適だった。一階奥の階段を少しだけ降りた半地下で、桃也の身分証を鍵に入室する。
教室より少し狭いスペースの壁を埋める本棚にはファイルがぎっしりと詰め込まれていて、中央に置かれた長机には天窓からの日が差し込んでいた。
「ここにある資料を見れば、アルガスの全てがわかるんですか?」
桃也は「大体な」と答え、持ってきたファイルを棚に戻していく。
「俺が読んでもいいんですか? キーダーになるって、まだちゃんと返事してないけど」
大晦日の白雪や、二年前の襲撃について書いてあるものがあるなら読んでみたいし、颯太がいた解放前のことも知りたいと思うのは、純粋な興味本位からだ。
「キーダーになるなら事実を把握することは悪いことじゃないと思うぜ。機密事項は多いけど、アルガスの変遷を辿るにはこれ以上の場所なんてないからな」
修司はこくりと頷いて本棚を見渡した。
一つ一つに貼られたレーベルにはナンバリングされた番号と日付のみが書かれていて、パッと見ただけでは内容を知ることはできなかった。
そんな中ふと入口の扉の内側に貼られたポスターが目にとまって、修司は「あっ」と声を上げた。
ここには不釣り合いなビールの宣伝ポスターだ。
色あせた紙は所々破けていて、セロテープで修繕してある。よく見るメーカーのビールだが、懐かしさを思わせるレトロなデザインだ。何よりも、ポスターの中央に写るジョッキを持った男の顔に見覚えがあった。
「大分昔のだよな。今じゃ白髪の爺さんだもんな」
近所のおじさんの話でもするように桃也は笑うが、修司から見れば彼は偉人だ。
「大舎卿ですよね? 九年前あの隕石から日本を救ったっていう」
「そうそう。こんな仕事もしてたのかって思うと同情するよ。たまに変な依頼通すんだよな、ここの偉いオッサン達。この人、普段はこんな風に笑ったりしないんだぜ」
太陽を真上から浴びた爽やかな笑顔は、確かに今まで見た資料の写真にはなかった表情だ。
「英雄っていうかスターですよね、これは。俺もいつか会えたらいいなって思います」
「ここに居りゃ会えるだろ。何てったって今は有給休暇取って休んでるだけだからな」
持ってきたファイルの整頓を終え、桃也は空になった机の椅子を引いた。
「修司は自分がバスクだってずっと知ってたんだろ? 俺は父親の仕事の関係で、海外の病院で生まれたんだ。だから検査しなかったのは偶然だったんだと思う。そのせいでずっと能力の事を知らなかったんだよ」
そういうこともあるのかと頷いて、修司は桃也の向かいに座り、彼の言葉に耳を傾けた。誰にでも話せるような明るい話題でないことを、その表情が示している。
「けど、それで覚醒を逃れられるわけじゃないからな。銀環の抑制がない分、力は早く目覚める。少しずつ能力の断片を自覚できるようになって……」
そこまで言って、桃也は言葉を一旦閉ざしてしまった。深く息を吐き出して、肩肘をついた手で自分の額を覆った。重い空気が流れるのを彼自身感じたのか、「悪いな」と顔を上げる。
「桃也さんは、二年前のアルガス襲撃の時、キーダーとして戦ったんですか?」
「まぁな。初陣って言ったらカッコ良く聞こえるのかもしれないけど、訓練もほとんどしてなかったから大して役に立たなかったけどな」
「そうなんですね。じゃあ、大晦日の白雪の時は、まだバスクだったんだ」
軽い気持ちで口にしたその言葉が、桃也の表情を一変させる。テーブルの中央を見つめる困惑した瞳に、修司は戸惑った。彼のトリガーを引いた言葉を状況の逆回転で探り、それが大晦日の白雪だと修司が理解した時、桃也は急に「よし」と突然吹っ切れたような顔で立ち上がった。
「京子には、まだお前に話すのは早いって言われてさ。でも俺、アイツに一生分の嘘ついてたから、もうそういうの隠さないって決めてたんだよ」
大晦日の白雪と桃也の過去が結びつくのだとしたら、その接点は何処だろうと修司は記憶をめいっぱいまで遡る。
あの大晦日の夜、初詣に行けなくなった原因の、テレビに映った白い風景。死者四人に負傷者八人を出した大惨事。それ以外の情報は、アルガスや国がメディアと手を組んで隠蔽させた、前代未聞の事件だ。
「本当のことが知りたいんだろ? アルガスにとっちゃ機密事項だけど、これは俺のプライベートの事だから教えてやるよ」
「聞かせてくれるんですか? 俺、知りたいです」
興味本位なところが半分。残りは、自分の覚悟の為に。
桃也は「分かった」と吊り上がった目尻を下げ、隅の棚から五センチ分の紙が挟まれた分厚いファイルを抜いてきて、修司の前にドンと置いた。
黒い表紙に貼られた、白のシンプルなラベル。年数の記憶は曖昧だったが、年の瀬を示す日付に修司は息を飲んだ。
「ここの人たちは、ほんと紙が好きでさ。データ化させたくないのは分かるけどよ」
桃也は青いインデックスの位置を開いた。そこには『大晦日の白雪に関する報告【まとめ】』と題目が書かれている。記入日らしき日付は表紙より一年以上後のものだ。そこに綴られていた内容は確かに大晦日の白雪のものだったが、修司にとって目新しい内容ではなかった。
バスクの力の暴走によって起きた惨事だと書かれているが、犯人についての記載はない。アルガスにおいてもこれほどまでに情報が乏しいのかと疑ってしまうほどだ。
ページをインデックスまで戻して記入者欄を見ると『佐藤雅敏』と書かれている。
「修司が泊ってた部屋の持ち主だよ。マサは京子や綾斗のトレーナーだった人だ」
「そして」と桃也は読み進めた先にある赤いインデックスを捲った。横から覗き込む視線に急かされて、修司は文章に目を走らせる。
被害者名簿だった。
負傷した八人に続いて、死亡した四人の一覧。爆心地と言われる慰霊塔が立つ場所には、かつて大きな一軒家があって、その家に住む家族が三人も犠牲になっているのは一般的に公表されている情報だ。しかし個人情報は伏せられていて、修司はここで初めてその名前を目にした。
唐突に知らされた現実に鳥肌が立った。そして抑えることのできない涙が一気に溢れてしまう。
「この三人って、桃也さんの……?」
桃也の本名は高峰桃也。そしてこの亡くなった三人の家族もまた『高峰』の姓が付いていた。
桃也は「お前が泣くなよ」と笑い、修司の予感を肯定して頷いた。三人の年齢と性別から両親と姉だろうか。
桃也を残して家族が一瞬で亡くなったというのか。その悲劇を想像しただけで、止めようとした涙が再び流れ落ちてしまい、修司は腕で目を強く押さえつける。
「すみません。でも、こんなことって。大晦日の白雪を起こしたバスクは一体……」
感情が高ぶって取り乱す修司に、桃也は三呼吸分ほど長く目を閉じ、「俺も駄目だな」と目尻を指で拭った。「落ち着けよ」と前置きしてから、彼はその事実を口にする。
「大晦日の白雪を起こしたのは、俺なんだ」
「……えっ?」
その事実は修司の予想を遥かに超越しすぎて、簡単に受け止めることなどできなかった。頭の中が真っ白になるというのはこのことだと実感する。何度頭で彼の言葉を繰り返しても、感情のどこにも引っ掛かってはくれなかった。
長い夜が始まろうとしている。
修司はまだその状況に気付いてはいないけれど。




