6章 真実-2 あの夜へ帰ろうと思って
学校では思いの外周囲の反応が落ち着いていた。特にキーダーになったことを報告することなかったが、噂が広がるのは一瞬だとよく言ったもので、誰もがそのことを知っていた。
昨日の夕方に綾斗がアルガス代表で事情を説明に来校したらしいが、生徒の多い下校時刻にキーダーの制服姿で現れたことが情報漏洩の元凶らしい。
クラスの女子が「本当にキーダーなの? 凄いじゃん」と何故か雄叫びを上げ、教室中が沸き上がったのも朝のホームルームまでで、後はいつもの空気に戻ってしまったのは、今朝中間考査の結果が出たからのようだ。美弦の通う東黄までとはいかないが、そこそこの進学校の為、皆テスト結果には敏感だ。
修司はどうにか免れたが『見送り』と呼ばれる追試組が多く出て、キーダーどころではないらしい。
☆
アルガスへ戻る快速に乗って、三つ目の駅で乗り換える。次の発車までしばらく時間が空いてしまい、修司は人もまばらのホームでベンチに座り、雲の多い青空の風景を眺めていた。
この駅で降りたのは今日が初めてだ。ホームが二階で、カーブした線路の奥に『大晦日の白雪』の慰霊塔が見える。律と彰人と三人で訪れた日の記憶が修司の衝動を掻き立てる。
頭上の時計はまだ三時。桃也に告げられた帰宅時間まではまだ三時間以上ある。
「律さん……」
キーダーを選んだら二度とバスクに拘るなと彰人に言われた。けれど、まだ決断したわけではない。
魔が差した、と言うのだろうか。
反対側のホームに、あの町へ向かう電車が入ってきた。脳裏に蘇るあの夜の風景に哀しさが込み上げて、修司は階段を駆け下りた。
☆
何度も来た駅。放課後には修司と同じ高校の生徒が溢れている。ガイドブックに載るような華やかな場所ではないが、カラオケやボウリング、本屋や服屋といった店は一通り揃っていて、この街に来れば必要なことは全て済んでしまうのだ。
人だかりの夜を駆け抜けたあの日。
律を追い掛けることに必死で道筋なんてうろ覚えだったが、アパートの側にあったトーテムポールの居酒屋は、ネット検索で場所を確認済みだ。
町は駅前こそ学生で溢れていたが、奥へ歩くにつれ開店準備中のシャッターが連なる。雀の鳴き声が届くひっそりとした路地の奥に修司はそのアパートを見つけた。
暗がりの風景とは少し違って見える、コンクリートのビルに挟まれた窮屈そうな木造二階建て。この間は良く見えなかったが、入口の上には外観とはちぐはぐな『東京荘』の名前が掲げられていた。息をすることを忘れるくらいにその佇まいに見入って、修司は急に込み上げた不安に唇を噛み締めた。
『ここに来てどうする?』
自分に問いて左手首に触れる。彰人の忠告も聞かず、キーダーの銀環をはめたまま彼女に会いに来た理由は、仲間になるわけでも敵対しようというわけでもなく、真実を知りたいだけなのだ。
意を決して扉にはめられた薄い格子ガラスを覗くと、人の気配はなかった。そっとドアノブを引いた自分の姿が泥棒のような気がして、平静を装って中へ入る。下駄箱横のポストを確認すると、『安藤』の名前があった場所はぽっかりと空白になっていた。
頭上で音がして、階段を下りてくる人物に身構えると、律の部屋の隣に住んでいるという大学生風の男が姿を現す。この間と同じ派手なТシャツ姿で、すぐに気付くことができた。
訝し気な表情を向けてくる彼に、修司は思い切って律の事を尋ねた。
「あぁ、引っ越したんじゃないですかね。最近全然見掛けないし、音とか気配もないような」
分かりましたと礼を言って、修司は彼を見送ってからアパートを出た。彼女がいないと聞いてしまった以上、階段を上っていく度胸はなかった。けれど、その事実は不明確なままだ。
「律さん!」
律の部屋の方向へ向けて、一度だけ大きな声で呼びかけるが返事はない。
次に建物の壁に触れ、修司は彼女の気配を探った。例え居たとしても気配など消しているだろうが、藁にも縋る思いで感覚を研ぎ澄ます。
しかしその気配を拾い取ることはできずに、修司は一度手を振り下ろして力をリセットさせた。そして今度は少し考えてから自分の気配を解放する。今の修司では、それもほんの少しの力だ。このアパートに律以外のバスクが潜んでいる可能性さえあるが、誰かが気付けば律に辿り着くことが出来るかもしれない。
彼女に会わせて下さい――祈るように目を瞑ると、壁の奥にバタバタと足音が響いた。希望を込めて相手を待つと、窓の向こうに現れた姿に涙が込み上げた。
「こんなトコで何してるのよ!」
荒々しく開かれた扉と同時に、憤然とした彼女の顔が修司を睨む。いつも通りのふわふわした長い髪に長いスカートに薄いニットのカーディガン。怒っている顔もどこか柔らかい。
「律さんこそ、何やってるんですか」
押し黙って修司を見つめ、やがて「もおっ」と吐き出すと、律は修司に詰め寄り、その腕をきつく掴む。その物腰からは想像できない握力で、強引に修司を二階へと引き入れたのだ。




