5章 過去-9 首都高を走る軽トラの助手席で
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昼までの晴天が嘘のように曇天へ変わった夕方。いつもより暗く感じる街を、修司は軽トラの助手席からぼんやりと眺めていた。
桃也と二人でマンションに戻った。
昨日の朝、家を出たままの状態。見慣れた筈の窮屈なビルの風景に名残惜しさを感じていると、「また来ればいいんだからな?」と桃也は言ってくれた。
着替えや学校の支度を詰め込むと持参した五つのダンボールでは足りず、大きな旅行用のスーツケースもパンパンになってしまった。八割方が自分のもので、残り二割は颯太の着替えだ。最後に両親の写真をバッグのポケットに入れ、玄関のブレーカーを落としてから部屋を出る。
桃也は優しい人だった。釣り目のせいか無言でハンドルを握る横顔は機嫌が悪そうにさえ見えるのに、いざ話してみると初対面の修司にも色々と気を遣ってくれる。
行きの車内、修司は黙って過酷な訓練の体験談に耳を傾けていたが、帰路につく頃には会話をする余裕が出てきた。
暗くなる車内に流れるFMが、首都高に入るタイミングを見計らったようにジャスティの軽快な音楽を奏でた。メロディに乗せて音にならないリズムを刻むと、「ジャスティ好きなのか?」と桃也が尋ねてくる。『アイドルおたく』を代名詞に持つ譲のようなファンと一緒に括られるのは意に反するが「あんまり詳しくはないですけど」と、当たり障りのない程度に肯定した。
「友達がファンで、聞かされてるうちに好きになったっていうか」
「へぇ」と少し長めに返事して、桃也は修司を一瞥した。再び進行方向を捕らえた瞳が、微かに困惑の色を宿す。
曲が終わり、お笑いタレントのトークを聞き流しながら車窓を見つめていると、ビルの隙間から白銀の高い塔が見え始めた。九年前に起きた『大晦日の白雪』の慰霊塔だ。大分距離はあるが、無駄にライトアップされているせいで、それが意味する悲劇など忘れて綺麗だと見入ってしまう。
「桃也さんはどうしてキーダーになることを選んだんですか?」
今なら話してくれる気がして、率直に聞いてみる。断られる覚悟もしていたが、「俺は京子を守るためだよ」と桃也は悩むことなく即答した。
予想外の答えというか、妙に納得してしまう。「そ、そうですか」と修司のほうが照れてしまい、視線を足元へ落とした。
「恋人同士なんですよね?」
帰りを待ちわびる京子が彼の話題で一喜一憂する姿を微笑ましく思ったが、再会の涙は見ていた自分さえ胸が痛む。
「俺はアイツが嬉しいと思ったことや、哀しいとか怒りも全部、側で受け止めてやりたいんだ。暫く忙しくて戻れなかったけど、お前のお陰で帰ってこれたよ。ありがとな」
桃也は礼を言うと、今度は彼から修司へと質問してきた。
「俺の事、どんな奴だと思ってる?」
「桃也さんですか? 優しい人だと思います」
唐突すぎて、感じたままのありふれた言葉で答えてしまった。もっと気の利いた返事をすればよかったのだろうが、それ以上の言葉もすぐには浮かんでこなかった。京子への思いを聞いた後では尚更だ。
けれど桃也は「大分高評価してくれるんだな」と笑い、続けて「そんなんじゃ駄目だぞ」と注意する。
「悪いことする奴は大抵優しい顔してるから、先入観を持たないこと。イメージや憶測で判断するんじゃなくて、疑うくらいが丁度いい。俺だってそんなに優しい人間じゃないぜ?」
律の笑顔が脳裏をよぎる。ふわりと笑う花のような彼女がホルスだなんて未だに納得できないし、騙されたとも思いたくない。
「キーダーになる決心が付かない気持ちはわかるけど、俺の敵にはなるなよ?」
「そんな、敵だなんて――」
なるわけないだろうと否定しかけて、修司は息をのんだ。
自分の選択肢は三つだと思っている。キーダーとして律の敵になるか、律の仲間になってキーダーと戦うか。もう一つはトールとして全てから逃げるか。一番楽であろう三つ目を選ぼうとは思えないけれど。
車が首都高を降り信号に止まったところで、桃也が横から修司を覗き込んだ。
「京子がお前のトレーナーに俺を選んだ意味が分かったわ。適任か。アイツ……」
苦笑交じりに声を立てて桃也が笑う。
「そうなんですか?」と尋ねると、桃也は「あぁ」と答えて軽トラを発進させた。
「聞いてるかもしれないけど、俺もバスクだったんだ。それで、初めてアルガスに来てからキーダーになるって気持ち固めるまで、七年かかったからな」
「七年もですか? どうしてそんなに……」
気が遠くなる程長い時間悩んで、出した答えが『恋人を守るため』の力だというのか。
桃也は「色々あってな」と言葉を濁し、それ以上その件を語ってはくれなかった。
高峰桃也――彼が大晦日の白雪を引き起こした張本人だと修司が知るのは、あと数日先の事だ。




