5章 過去-2 彼をバスクにした二人の決断
綾斗の配慮で、夜は荷物がいっぱいの修司の仮部屋に二人で泊まることになった。明日、上司である田母神京子が来てからの正式な指示待ちという事だ。
簡易ベッドを二つ入れてもらうと歩く場所もままならない程部屋が狭くなり、修司はとりあえずその上に乗って足を伸ばした。
「相変わらず甘いな、ココは」
颯太はそう漏らすが、逃げ出す選択肢はないようだ。言われた通りここでの夜を受け入れて、脱いだ靴下を丸めるとシャツのボタンを上から二つまで外した。
「――本当なの?」
修司が改めて尋ねると、颯太は「あぁ」と一言だけ返事して、入り口のドア横に置かれたワゴンを指差した。綾斗が運んで来てくれた二人分の夕飯だ。
「先にいただこうぜ」
颯太はいつも、食べる事や飲むことを優先させる。話の続きが気になるところだが、言われてみれば最後に口にしたものが譲と食べたテリヤキバーガーだったことを思い出した。
食事中、颯太が「食事は相変わらずうまいな」とカツレツを突きながら、他愛ない昔話をしてくれた。質問したいことはたくさんあったけれど、修司は颯太のタイミングを待って相槌を繰り返していた。
人間の身体とは不思議なもので、腹が満たされると気持ちが落ち着いてくる。そういえば、彰人も食は大事だと言っていた。
颯太が食べ終わるのを待って、修司は「ご馳走様でした」と一緒に手を合わせる。
ワゴンを廊下に下げると、ドア横に帽子を被った制服姿の男が仏頂面で立っていた。彼の制服は綾斗のものとはデザインが少し違い、銀環もない。
訝し気に見つめる修司に、男は敬礼を示した。
「え、あ、どうも」と意味が分からないまま中に戻ると、颯太が「監視だよ」と説明する。
「護兵だな。門のトコに居る奴と同じだ。敬礼だなんて、キーダーは敬われる存在になったもんだな。何てったって、有事になりゃ命張って助けてくれる英雄だからな」
「話には聞くけどさ、そんなに昔は酷い扱いされてたの?」
「酷いって定義は人それぞれだろうけど。まぁ、話せるだけ話してやる」
ソファに深く座り、颯太は水を一口だけ口に含ませて修司へと顔を回した。
ようやく語られた過去の颯太は、修司の知っている伯父とは別人のようだった。
☆
出生検査は、この能力が世間に認知されてすぐに始まったらしい。
「人間の技術ってのは称賛ものだよな。銀環も蝶馬刀もノーマルが作ったものなんだぜ」
暗い窓の外に虚ろな目を漂わせながら、颯太は話し始めた。
修司は時折向けられる視線に緊張を走らせながら、一つ一つの言葉を噛みしめるように聞いていた。
颯太がキーダーとして解放前のアルガスに入ったのも、今の制度と変わらない十五歳の時だったらしい。外へ出る事は一切禁止だったというが、アルガスでの生活は修司の想像していた監獄とは大分違っていたようだ。
「中に居たキーダーにも二種類いてな、隙ありゃ出て行こうとタイミングを狙ってる奴等と、チャンスさえあれば功績を上げてキーダーの存在意義を知らしめてやろうという奴等。俺は若かったからノーマルとの共存なんて考えもしなかった。早く出て自由になりたかったよ」
それでもノーマルはキーダーをただ閉じ込めておいた訳ではない。力を利用することもあった――そんな話を始めた途端、颯太の表情が険しくなった。
アルガス解放へのきっかけになってしまった、颯太と一緒に居たという一人のキーダーの話だ。
「何かの作戦でキーダーを一人志願させたら、手を上げたのがそのヤスって男と大舎卿だった」
そして、二人のうち選ばれたのは後の英雄である大舎卿ではなく、まだ若いヤスだったらしい。
「作戦は大成功だったって俺たちは結果だけ知らされた。ヤスが何をしたのかなんて誰も教えてくれなかったが、その時俺は初めてキーダーの力を凄いって思ったんだ。ヤスを称えてみんなで喜んだ。けどよ……アイツは帰ってこなかった」
颯太は背中を低く屈め、肩を震わせる。
緩くほころんだ笑顔に悲壮感を垣間見て、修司はベッドの上で正座した両膝を強く握り締めた。
「良くやったと称えて、盛大に供養はしてたけどな。俺に言わせりゃ犬死だ。アルガスは今だって根本的なトコは変わっちゃいねぇ。命令が下れば、最前線で壁になって戦うのがキーダーだよ」
颯太は水分補給を繰り返し、再び視線を漂わせる。
「大舎卿はヤスが死んだ後、塞ぎ込んでよ。ずっとその時を待ってたんだろうな。隕石が降ってきて、真っ先にすっ飛んでった。俺はテレビ見てるだけだったのによ。ほんと、あの爺さんには感謝してる。俺はアルガス解放で真っ先にトールになったんだぜ」
力を失う事なんてあっという間だったと笑い、颯太は銀環の消えた手首を撫でた。
「力を拒絶しながらも、解放までトールへの選択という切り札の存在を出さなかった国は、結局キーダーを道具だと思ってたってことだよな」
トールを選んだ颯太を、家族は笑顔で迎えたという。
祖父と祖母が互いに子連れで再婚したのは、颯太が十歳で、修司の母である千春が四歳の頃。
「解放前のキーダーなんてノーマルには悪魔みたいな存在だったのに、初めて会った時も、トールになって帰って来た時も、あの二人は俺を受け入れてくれたんだ」
「伯父さんは、力を失ったことに後悔はしてないの?」
「してねぇよ」と笑って、颯太はキーダーの過去を断ち切ろうと、家族全員で母親の旧姓である『保科』になったと説明した。
「俺はシスコンだったって言ったろ? 俺はあの家に帰って千春の側に戻れた事が本当に嬉しかった。それなのに暫くして、お前の父親が突然アイツを奪っていきやがった。あいつは生まれつき心臓が弱くて、出産なんか以ての外だったんだ。それなのに妊娠して、周りの心配も聞かずに産むって言い張るし、アイツを守るって言った男は勝手に死んじまうし。身重のアイツをあんな顔で泣かせて――」
颯太は目を閉じて、手の甲でそっと瞼を押さえた。
「あの男が死んで千春はどん底だったけど、出産から五年も生きられないだろうって言われてたアイツが、息子の十歳の姿を祝うことができたんだよ」
修司の髪をてっぺんから掴んで、颯太はぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「お前が産まれた時、塞いでたアイツがやっと笑ったんだ。もう、お前を国に差し出してやることなんてできなかった。アイツを看取った後、平野に会ってからの事は、お前が知ってる記憶のままだと思う。同じ境遇の元に居るのは悪い事じゃないと思って任せてみることにしたんだ」
修司は漠然と理解して大きく頷いた。
現実でありながらも、どこか遠い世界の話を聞いているようだった。そして何故か、話を聞いた上で一番衝撃的だったことが、颯太がキーダーであったことよりも彼と自分の血が繋がっていない事実だった。
産まれた時既に亡くなっていた母方の祖父の事は、あまりよく知らない。けれど、数枚残っている写真で見た表情や彫りの深さが颯太と良く似ていた。
自分にはそのイケメンDNAが一滴たりとも流れていないことを痛感して、修司は『やっぱりな』と長年の期待が打ち砕かれてしまったことに何所か納得してしまう。
けれど、颯太が伯父であることに変わりはない。
「あのマンションに二人で帰れるのかな」
「すぐは無理だろうな。少なくとも俺は暫く出してもらえない筈だぜ。けど、そんな心配そうな顔すんなよ。ただのエゴかもしれんが、俺はお前の父親だと思ってるんだぜ? だから、絶対に帰る。なぁ修司、トールになれよ。悩むことないだろう? いいか、キーダーになるってのは戦って死ぬ覚悟があるかってことだ」
颯太が感情を高ぶらせている。右の拳を修司の心臓に向かって真っすぐに押し当てた。
「こいつを掛けるんだぞ? 簡単に死んでいいとか思うなよ? ヒーローになってどうする。英雄だと称えられたところで、死んじまったらこの世界に戻っちゃ来れないんだ」
生きることに貪欲で、『長生きしたい』と言っていた颯太のルーツを知ることができた。
「血縁だとキーダーの力を得る確率は僅かに上がるんだとよ。けど、そうでもない俺たちが家族になったことは奇跡に近いんじゃないのか?」
そんな凄い確率で得た力なら、余計に今この場所に居ることを運命だと思ってしまう。
「木崎って男が言ってたように、今は昔と違う。けど昔の俺たちには今のこんな未来を描くことなんてできなかった。だから俺の過去もお前の力も隠した。恨んでもいい、お前の気持ちはきちんと受け止める覚悟はできてる。けど、俺の気持ちも分かってほしい」
頭の整理なんて暫くできそうにもなかった。




