1章 上京-2 不機嫌な彼女との出会い
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颯太と半日遅れで上京した修司は、新居とは逆方向の海側へ向かう在来線に乗り換えた。
幾つかの駅を過ぎた所で、風景の奥に際立つ塔が現れる。
青空から降り注ぐ春の日差しを受けて白銀に輝く背の高い三角錐は、『大晦日の白雪』の慰霊塔だ。
その詳細は一般人にきちんと公表されていないのに、慰霊祭だけは毎年盛大で、テレビ中継を見た平野が興味なさげな顔で「馬鹿はするなよ」と言っていた。
彼の言葉は推測ではなく確信だ。
どこかのバスクが四人の命を奪い、八人の負傷者を出したと思うと恐怖さえ込み上げてくる。
力で誰かを傷つけようと考えたことはない。キーダーと同じ能力があると言われてはいるものの、それを自覚する程の能力はまだ身についていなかった。
十五の今になってようやく光を生み出すことができるようになったが、気持ち程度のささやかなものだ。
ビルの陰へ消えた慰霊塔から車内へ視線を返すと、程良く電車は目的の駅へと辿り着く。
開かれたドアを潜る人はまばらだ。修司は走り出す車両を見送り、ホームからの風景を眺めた。
ここはキーダーの町だ。彼等の本拠地である「アルガス」の本部がある。
全国にアルガスの施設は点在していて、ここに平野がいる保証はないが、もし会えたら迷わず自分もキーダーへ名乗り出ようと決めていた。
自分の場所だと思っていた平野の傍らを失って、出生検査を逃れて闇へ潜ませてきた力をどう導いて良いのか分からなくなってしまったからだ。
アルガスの茶色い建物を目視することができず、スマホで地図を確認しながらホームを歩き、示された改札から外に出た――その時だった。
「ねぇ、ちょっといい?」
背後から掛けられた声に思わず足を止めた。聞き覚えのない若い女の声。
普段なら駅で呼ばれたとしても、まず自分にではないと思うのに、閑散とした駅には他に殆ど人が居なかったのだ。
「俺……ですか?」
そろりと身体を向けると、視界の下に顔があった。
小柄な体躯にブレザーの学生服姿。中学生だろうか。
「アンタしかいないでしょ?」
偉そうな女だ。
顎を突き出すように修司を見上げる彼女の両手は、バランスを保つように腰に据えられている。
少し釣り目で可愛い顔なのに、なんて高飛車なんだと思いつつ、修司は「そうですね」と返す。
丁寧な言葉を選ぶが、抑揚のない単調な音で気持ちを表しているつもりだ。
女は深緑色のジャケットから覗く清々しい程短い格子柄のスカートを揺らしながら、「ねぇ、アルガスってどこにあるかわかる?」と、修司の心を見透かしたように、その場所を尋ねてきた。
「知らないならいいけど。この駅に下りるくらいだから知ってるんでしょ?」
「そのセリフ、そのまま返してやってもいいんだぜ? 文句付けるくらいなら、駅員に聞いた方が早いんじゃないのか?」
「だって、貴方がすぐ近くに居たんだもの」
なんか文句ある? と言わんばかりに頬を膨らませ、女は両腕を組み合わせて仁王立ちになる。
真っすぐに突き付けられる大きな瞳を睨み返し、修司は「あのなぁ」と溜息を吐き出した。
「側に居たら誰だっていいのかよ。第一お前、初対面の人間に対してその態度はないんじゃねぇの? しかもそっちが道聞いてるわけだし」
「たいして歳も変わらないのに、文句言うんじゃないわよ」
引き下がる気は全くないようだ。修司は半分呆れ顔で彼女を足元から見上げていく。小豆色のローファーに真新しい緑色の制服。サラサラのボブヘアのてっぺんは、修司の顎の高さだ。
「歳も変わらないって、お前中学生だろ? 一年生か?」
その見た目から確信を持ってそう言ったが、彼女はみるみると鬼の形相へと変貌させ、「私の事チビだって言いたいの?」と怒号を吐いた。
チビだとは思ったが、口にしてはいない筈だ。彼女は更に踏ん反り返って修司を見上げ、自分の胸元に絞められたえんじ色のタイをバンバンと叩いた。
「この制服が分からない? 東黄学園の制服よ。こう見えても十五なんだからね」
「えっ、俺と同じ歳? 本当に?」
彼女は「ほうら、言った通りじゃない」と勝ち誇った顔をする。
膝上二十センチのスカートから伸びる生足も、身長と童顔のせいで色気を微塵も感じ取ることはできない。
「で、その十五歳女子が、アルガスなんかに何の用だよ」
修司は強がって視線を反らし、地図検索したままのスマホを起動させる。
別々に目的地へと向かった方が得策だと思ってアルガスの位置を確認するが、彼女は突然「あぁっ」と声を零し、西の方を向いたまま「やっぱりいいわ」と呟いた。
そして訝し気に眉を寄せ、修司に視線を返す。
「そういえば同じ歳って言ってたわね。アンタもしかしてキーダーなの?」
ぽつりと出たその言葉に修司は背筋を震わせる。
平野に習った技を素直に使って、苦手ながらも日常的にずっと気配を隠していたつもりだ。
「何言ってんだよ。同じ歳だとキーダーなのか? 見ただけで分かるのかよ」
思わず声が上擦ってしまう。けれど女は眉をひそめて、
「十五歳はキーダーが家を出てアルガスに入る歳よ? 見ただけで判る程、私はまだ敏感じゃないわ。もしかしてって思っただけよ。そうよね、今回は私だけだって聞いてたし……」
そんな話を昔颯太がしていた気もするが、はっきりと覚えてはいなかった。それより、
「私は、って。お前……」
彼女の視線が修司の腹の辺りへ落ちた。
何か言いたげな唇を押さえた彼女の左手首に銀色の環を見つけ、修司は息を呑み込む。
時計かと思って、しかしそうでないことは彼女が語った通りだ。
国がその力を抑制するために付けさせるという、キーダーの証。初めて見る実物に驚くのも束の間、彼女の視線が鋭く修司を突き刺してくる。
「ちょっとアンタ……まさか、よね?」
声が震えている。
一瞬怯んだ表情に目を奪われていると、彼女の左手が躊躇なく修司の右手を掴んだ。
状況が読めず、「おい!」と振り払うように手を引くと、彼女は放れた自分の掌をじっと睨みつけている。ほんの一瞬触れ合った手の温もりに、修司もまた違和感を感じた。
懐かしいような不思議な感覚。微々たるものだが、平野と同じ気配を彼女から感じることができて、確信と共に修司は愕然とした。
「何でバスクがこんなトコにいるのよ」
嫌悪感をたっぷり含んだ彼女の視線と声。
「キーダーなら俺の事捕まえて、手柄にしてくれて構わないぜ」
そう言って修司は警察に投降する犯人よろしく、両手を彼女に向けて差し出した。
こんな形でアルガスへ行くことになることは予想していなかったが、気持ちのどこかで安堵している自分が居て、修司はそっと胸を撫で下ろす気分だった。
けれど彼女は即座に修司を捕まえようとはせず、眉間に皺を刻み込む。
「はぁ? 何それ。刑事ドラマの見過ぎじゃないの?」
「何それって、お前キーダーなんだろ? キーダーはバスクを捕まえるもんじゃねぇのか?」
「アンタはここへ捕まりに来たの? だったら自分で行きなさいよ。それとも何、本当は捕まりたくないのに見つかったら仕方なくキーダーになってやろうとでも思ってたわけ? ゲームか何かだと思ってるなら迷惑極まりない奴。馬鹿じゃないの?」
非難する彼女の言葉に修司は言い返すことができなかった。
彼女と同じ力を持って生まれた。それは類まれなことなのだ。
それなのに銀環をして縛られた彼女と、自由なはずの自分の立場が逆な気がして、急に自分の運命を呪いたくなってきた。
誰にも言うまいと縛り付けていた感情が、彼女との出会いでするすると解けていく。
駅に入って来た電車の音に掻き消えそうになる修司の声に、彼女は「え?」と耳を傾けた。
「お前は小さい頃からキーダーだったんだろ? ちやほやされて生きてきたんじゃねぇか。そんな奴に俺の気持ちが分かるかよ」
自由に生きるためにと閉ざしてきた力には窮屈さを感じるばかりだ。もし最初からキーダーとして周囲に受け入れられていたら、どれほど楽だっただろう。
しかし彼女の口から返された言葉は、頭上のアナウンスをぶった切るような鋭い罵声だった。
「ふざけんな! アンタにだって私の気持なんかわかんないわよ!」
一瞬涙を引き起こすように歪んだ表情が、次には怒りの形相へ戻る。
逆鱗に触れるどころか鷲掴みにしてしまったような反応。
押し黙る修司に詰め寄り、彼女はいきり立った声を上げる。
「そんな曖昧な気持ちでキーダーになろうとしないでよ。今度会ったら絶対に捕まえてやるんだから。そしてとっととトールになればいいのよ」
「トール? って、何?」
彼女の言葉に気圧されつつ、修司はどうにかその単語を聞き返した。初めて耳にする言葉だ。
「そんなことも知らないの? キーダーの力はキーダーの力で消すことができる。そうやって力を失った人間のことをトールって言うのよ」
力を持って生まれた能力者のうち、銀環をはめて国の管理下にあるのがキーダー。
国の管理を逃れて身を潜めるのがバスク。
トールはそのどちらでもない、元々力がありながらもその能力をキーダーの力で消失させた人間の事――と彼女の説明を聞いて、修司は納得しながら頭を整理した。
「別にトールになるのは悪いことじゃないと思ってる。キーダーの仕事は特殊だし、なりたくないならならない方がいいと思うの」
少し落ち着きを取り戻し、彼女は呆れ顔を浮かべたまま手首の銀環を逆の手でそっと撫でた。
「でも何で捕まえるのが今じゃなくて次なんだよ。見逃す気か?」
「私は正式な着任が明日なの。今日はまだアルガスの人間じゃないし、挨拶に来ただけよ」
キーダーの仕組みとやらが修司にはまだ良く分かっていなかった。
そういうものなのかと頷くと、彼女はまた仁王立ちのポーズで小さな胸を張って見せた。
「だから今日だけだからね。バスクは危険だって言うけど、アンタのこと信じるから。何かしたら今度こそ私が捕まえるわよ?」
「わかった」と頷いて、修司はアルガスの方向を仰いだ。
建物に阻まれて姿は見えないが、彼女が感じ取ったように修司にもその気配ははっきりと分かる。
「少しだけ付いて行ってもいいか?」
一目見てから帰ろうと思った。そしてまだ躊躇っている。
もう少し近付いたら、平野に会えるかもしれない――その可能性を捨てきれなかった。
「変な奴。好きにしたら?」
彼女は否定せず、青灰色の石畳が敷かれた道を先に歩き出した。