4章 再会-2 彼の危機を救った運命
「保科修司さんですね?」
中央に立つ初老の男に名前を呼ばれたことに戸惑って、修司は一歩後退る。
さっきこんな場面を予行練習したような。サングラスさえ掛けていないが、黒っぽいスーツ姿の男たちは人の良さそうな笑顔で修司へと手を差し伸べてきた。
譲が横からこっそり「知り合い?」と聞いてくるが、修司は首を横に振る。さっきの寸劇のせいで彼等の正体が修司の中で一択に絞られた。キーダーかとも一瞬思ったが、誰一人と手首に銀環はなく、力の気配も感じられない。
「俺が保科修司だったら、そっちは何なんだよ。俺はあんた達の事なんて知らないぜ?」
男たちは薄く笑みを浮かべるだけで答えようとはしなかった。
修司は譲を一瞥し、男たちを睨んだ。
覚悟を決める時なのだろうか。動揺を逃がすように深呼吸し、やはり自分は受け身でしかないことを呪う。相手がどこの組織の人間であれ、こんな日が来ることは予測していた筈なのに――。
「譲、逃げろ!」
咄嗟に声を張り上げた。けれど譲は「は? お前は?」と疑問符を投げかけてきて、その場から動かない。一緒に逃げるのも得策かと踵を返すと、横に回ってきた若いスーツの男に右腕を取られた。意思を感じる力強さに頭が冷静になっていく。
この状況は不味い。相手がノーマルである確証はないのだ。気配はなくとも訓練していれば消すことなど容易い。
対して、バスクとはいえ修司は戦闘訓練の経験など皆無に等しい。覚えたての光を無理に出したところで、繁華街のど真ん中で制御できるとも思えない。
暴走は『大晦日の白雪』と同じ力を引き起こしてしまうかもしれないのだから。
勝ち目のない戦いをするのなら、いっそ大人しく自分が一人で連れて行かれた方が良いのかとさえ思ってしまう。
譲を巻き込むわけにはいかない。彼等がホルスなら、欲しているのはバスクの力だ。だから、ついて行った所で命に係わるわけではないだろう。
けれど、修司が三人に向けてホルスかどうかと尋ねようとしたところで、
「貴方たちは何なんですか? そこに交番あるんで、そっちで話しませんか?」
痺れを切らした譲が、横から訴えた。凛とした態度に、三人は僅かだが困惑の色を見せる。
状況の物々しさに周囲の視線が集まり始める。譲にこれ以上隠し通すことはできないのだろうか。できるならノーマル同士の関係で居たかった。
「俺は、行きません」
修司はそれだけをはっきり告げるが、三人は立ち去る素振りも見せず、強行突破と言わんばかりに今度は左に居た大柄の男が譲の腕を捕まえて、その手を高く引き上げた。
「痛ぇっ!」
譲の悲鳴。男の剛腕に軽々と身体を持ち上げられて、宙を掻いた爪先が地面をこする。
痛みに全身をバタつかせる姿に、修司は「やめろ」と叫んで拘束された自分の右腕を引き千切るように逃れた。
修司は間髪入れず再度向かってくる男に「うわぁああ!」と声だけで威嚇して、構えだけを立派に取って見せる。
初老の男がニヤリと口角を上げた。
「ここで騒ぎを起こしたいのなら、お相手しますよ?」
修司一人が本気で戦ったところで、勝ち目などないのは目に見えている。
ここに律か彰人のどちらかが居れば、その力で助けてくれるだろうか。
「律さん! 彰人さん!」
きっとその声は本人に届かないが、助けを求めずにはいられない。今頼れる人間が彼等しかいないのだ。けれどその名前を聞いて、初老の男は哀れだと言わんばかりに表情を歪めた。
「そんな名前を叫んだところで、誰も助けになど来ませんよ」
クツクツという耳障りな笑いに、後悔が先走る。
「私たちをここに来させたのが誰か知りたいですか?」
答えを予想して、全身がその言葉を拒絶する。けれど男は「嫌だ」と喚く修司の返事を無視した。
「安藤律ですよ」
背後で男の太い悲鳴が上がる。譲が大男の腕に噛み付き、地面に転げ落ちた。解かれた腕を押さえながら駆け寄ってくる譲に、修司は「駄目だ」と声を荒げ、男たちに構える。
「ふざけるなよ、お前ら。そんな冗談で俺を騙そうとしても無駄だからな!」
事実を受け入れようとする自分を否定したかった。もしここで勝つことが出来れば、男の言葉を覆すことが出来る気がしてしまう。
「下がってて」と肩越しに振り返り、困惑した表情の譲に「ごめんな」と頭を下げる。
「律が、そっち側の人間なわけないだろう? お前たちホルスなんだろう? 一緒にするなよ」
「ホルス?」
背後で呟いた譲の声に、動揺が混じる。
初老の男は含みのある笑みを浮かべた。
「何も分かってないのは君のほうじゃないですか」
粋がったガキだと自嘲しながら、修司は「この野郎!」と右手に白い力を宿す。
「修司?」と呟かれた譲の疑問符に続いて、どこか離れた場所に強い力の気配が沸いた。
「なん……だよ、この力は……」
歴然とした力の差。委縮した修司の手から、生まれたばかりの光がポンと弾けてしまう。
律なのかと絶望感に頭を垂れると、初老の男が「何だ?」と修司の動揺に眉間の皺を深くした。
修司以外の誰もがこの気配に気付いていない。ここにいるバスクが自分だけだと悟るのと同時に、スーツ姿の男たちが何か見えない壁に衝突したかのように、その場で全身を震わせた。瞬きもできず瞳を見開いたまま、壁に杭で撃ち込まれたように手足の先までもピンと硬直させている。
こんなことをできるのは、数知れた人間だけだ。律が本当に敵だというのなら、
「彰人……さん?」
望みを込めて小さく呟いたその声は、急に騒めいた雑踏の音にかき消されてしまう。
周囲の視線が駅の方角へ一斉に向いて、人々が左右へ別れて道が開いた。
「こんな所でアンタが力を使っていいと思ってるの?」
苛立ったその注意が自分に向けられたものだと理解して、修司は耳を疑った。忘れ掛けそうになっていた音が耳の奥で蘇り、その主を確信させる。
「でも間に合って良かったよ、ほんと」
これは男の声。その顔を見て、修司は全身の力が抜けてしまう。ふらついた足に譲が後ろから腕を掴んで支えてくれた。譲の視線は現れた二人の姿に釘付けだ。
その状況は今の修司にとって最悪かもしれない。けれど、正直ほっとしてしまった。
「良かった……本当に」
それが自分の本心かどうかは分からないけれど。そうなのかもしれないと納得して、修司は紺の制服姿で現れた木崎綾斗と楓美弦に「ありがとうございます」と頭を下げた。