3章 仲間-7 彼と彼女の電話の相手は
駅前をきょろきょろと警戒する修司に、彰人が「そうやってる方が怪しいですよ」と声を掛けた。
「大丈夫。何かあったら戦えばいいんだから」
最悪の事態さえ問題視していないのは、律にそっくりだ。
律を待ちつつトイレを済ませて改札前のベンチに戻ると、彰人が少し離れた場所に立ち、スマホで誰かと話をしていた。
修司には気付いているだろうが彼の声は筒抜けだ。気まずさを感じながらもそのままベンチに腰を下ろし、修司はあさっての方向へと顔を向けた。
「悪ふざけは良くないよ。僕の事何だと思ってるの?」
少し尖った物言いは今日初めて会った彼の、まだ見ていない一面だった。
恋人だろうか。
いけないと思いながらも耳に全神経を集中させるが、詮索する暇もないうちに店から律が飛び出てきて、彰人は「また後で」と一方的に通話を切ってしまった。
「聞いてた?」と背中から掛けられた声にバッサリと切られた気分だ。修司が「すみません」とうなだれて恐る恐る首を回すと、彰人は「内緒だよ」と人差し指を口元に近付けた。
いつになくバタバタと足音を鳴らしながら、「お待たせぇ」と律が両手に白いビニール袋をぶら下げて、甘いタレの匂いと共にやってきた。程よくして彼女の背後で弁当屋の電気が二段階ほど暗くなる。
律は両手の袋を高く掲げ、
「今日頑張ったご褒美。九時過ぎると半額になるから、おにぎりまでつけちゃいました」
値段も律の心遣いも有難い。修司が「ありがとうございます」と頭を下げると、「こちらこそ」と、律は疲れもぶっ飛ぶ満面の笑みを見せてくれた。
三人でベンチに座り、誰に聞かれても問題ないだろうと思える他愛ない話をした。
律一押しのハンバーグ弁当と紀州梅のおにぎりを食べ終えて、発車時刻の十分前にホームへ上がる。上りの電車を待っているのは、自分たち以外にも何人かいた。
「ちょっと休憩」とホームのベンチに深く腰を下ろした律が「あ」と突然背を伸ばし、ポケットからスマホを取り出した。慌てた表情で画面に親指を滑らせるが、ふと我に返ったようにその動きを止め、そのままスマホをポケットへ戻してしまう。
修司はベンチの斜め後ろから、そんな彼女をぼんやりと眺めていた。改めて美人だと思う。年上ではあるけれど、バスクとして彼女の側に居る選択は、楽しそうな自分の未来を思い描くことができた。
ところで、律がいつも連絡を取っている電話の相手は彰人のような気がしていたが、彼がそこに居る以上そうではないようだ。
大切な人だろうかと考えると、部屋に飾られていたツーショット写真の相手が浮かんだ。今より少し若い彼女に寄り添った、年上の男――そんなことを考えていると律が修司を振り返り、「そろそろだね」と微笑んだ。
☆
暗い夜を走る電車は、遠くに都市の煌びやかなネオンを捕らえて真っすぐに進んでいく。
ボックス席の向かいで彰人は再び本を広げ、律は駅を出てすぐに寝てしまった。大振りに揺れた身体が隣の修司に倒れかけたが、期待を込めた心臓の音に弾かれたように向こう側へと傾いでしまう。
時間は十時を過ぎている。夜は飲み会だと言っていたが、一応颯太へ遅れる旨を伝えようと、修司は自分のスマホを取り出した。しかし、メール画面を開いたところでモニターが暗転する。
電池が切れかかっていたことをすっかり忘れていた。予備の充電も持ち合わせていない。仕方なしに外を眺めながら音にならないメロディを小さく口ずさんだ。
ジャスティのいつもの曲は美弦を思い出させる。二年分の髪が伸びていた彼女は、その間どれだけの力を得たのだろうか。
『これからアルガスで訓練して、絶対に強くなるんだから』
彼女はあの駅で会ったことを覚えているだろうか。
キーダーを選んで彼女の横に居る未来も、悪い事だとは思わない。けれど――。
何度か流れた、停車駅を示すメロディがようやく目的の駅を告げるのと同時に、律の目がパチリと開いた。本当に寝ていたのか? と疑ってしまう様な正確さに驚きつつ「おはようございます」と声を掛けると、「こんばんはだよ」と返事が返ってきた。
☆
いつも修司が使っている駅とは一区間離れていたが、その駅からマンションまでは程よく歩ける距離だ。別の路線へ乗り換える二人と別れようとしたところで、修司は彼がそこに居ることに気付く。
人の流れに逆らって、背の高い男が両腕を組み合わせ、仁王立ちで修司を迎えた。見間違いかと目を凝らしたが、そうそう彼に似た人物などいない。
「伯父さん?」――修司の声を受けて、彼の瞳が優しく細められる。偶然にしてはできすぎているが、生憎修司のスマホは電源が落ちていて、GPSで追う手段もないだろう。
「どうしたの? こんなトコで。俺が来るって知ってた?」
「たまたまだよ。酔い冷ましに風に当たってたらお前を見つけたんだ。俺だって驚いてるんだぜ?」
颯太は酒の匂いをプンとさせて「悪いな」と断ると、修司の後ろで顔を見合わせていた律たちに歩み寄り、深めに頭を下げた。二人がお辞儀を返すと、颯太は修司を振り返り「この間言ってた?」と確認する。
「あ、うん。律さんと彰人さん。ちょっとだけ訓練に連れてってもらったんだ」
名前を出されて、先に挨拶したのは彰人だった。
「遠山です、初めまして。遅くまで連れ回してしまって申し訳ありません」
颯太は「いやぁ」と顔の前で手を振り、修司の横に並んだ。人の流れが途切れ、互いの声がよく聞こえた。短く深呼吸の音がして、颯太の右手が修司の肩を叩く。
「こいつはそろそろ十八だし過保護に育ててるつもりじゃないから、そんなのは本人に任せてるつもりです。それより、自分の運命に対してはまだまだ未熟だ。変なことしないように見ててやってくれませんか? 何せこの力は下手したら自分以外の命にも係わる」
「それは僕自身も肝に銘じているつもりです」
頷いた彰人に「よろしく頼みます」ともう一度頭を下げる颯太。律とも少し話をして、そこで解散となった。
☆
ゆったりと駅を出た夜道は人通りが殆ど無く、修司は颯太に今日の事を話した。
「初めて大きな力を使ったけど、凄かった。ちょっと怖いくらいで……」
正直、これが素直な感想だ。自分が放つ力は、他人の力の何倍もの恐怖を叩きつけて来る。
「そりゃそうだよなぁ。人を護れるってことは、攻撃もできる力ってことだもんな」
酔いの分、いつもより陽気に颯太は笑う。
「まぁ、その力で自分が何をしたいかを考えるんだぞ」
そんなポジティブなセリフを口にした彼が、突然「あれ」と表情を陰らせて背後を一瞥した。
「どうしたの?」と尋ねると、颯太は一瞬止まった足を再び動かして首を捻る。
「あぁいや、さっきの、遠山さんだっけ? 男の方。誰かに似てるような気がするんだよなぁ」
あの顔はそうそう幾つもあるものではないと思うが。
颯太は顎を撫でながら何度も首を横に往復させて、あれやこれやと片っ端から人物を当てはめていくが、結局家に着くまでそれらが一致することはなかった。
けれど。
その答えがすぐに出ていたら、未来は少し変わっただろうか。
運命の日というものは、突然やってくるもので――。