3章 仲間-2 花束を抱えた美青年が現れて
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提示された待ち合わせ場所を見て、修司は一瞬戸惑った。
上京してから、その姿を毎日のように目にはしていたが、なるべく近付かないようにと警戒していたからだ。
しかし彼女に会いたい一心で『わかりました』と返事を送った。
検索した経路のままに目的の駅に辿り着くと、出口に彼女の姿が見えた。耳に当てていたスマホを放し、「修司くん」と柔らかいロングヘアを揺らして、律が大きく手を振ってくる。
修司がリュックの肩ベルトを両手で握りながら会釈すると、律は「いやぁん」と喜々して駆け寄ってきた。
ふんわりと漂う甘い香りが記憶と同調する。最初会った日に着ていたものと似た、ロングスカートにスニーカー姿。羽織ったカーディガンは相変わらず彼女の豊満な胸を強調していた。
「本当に高校生だったんだ。しかも楚山なんて、頭いいんだね」
「俺の恰好見ただけで、学校が分かるんですか?」
地方ならまだしも、首都圏の何の変哲もない男子制服で学校を見当てるなんて、ある意味特殊能力のように思えてしまう。
律は「へへっ」と口角を上げながらくるりと横断歩道に向いて歩き出した。
「昔ファミレスでバイトしてた時、同じ制服着てる子が一緒だったから」
そう言って律は修司の制服に刺繍された星形の校章を指差した。
「へぇ。今はどこかで働いてるんですか?」
「今? そりゃあ働かないと食べていけないしね。聞きたい? 大人の世界の話だよ?」
何かを企むような小悪魔っぽい笑みを浮かべる律。夜の街の片隅に暮らす彼女の仕事を何となく予想すると、頭いっぱいにピンク色の妄想が膨らんでしまう。
「あのっ、えっと、それより今日はどうしてここなんですか?」
煩悩を振り払って修司は話を切り替えた。
来る途中ずっと考えていたことだ。この場所はキーダーのテリトリーと言っても過言ではない。
「私は良く来てるけど、一緒にどうかな、って。迷惑だった?」
「いえ、来たことなかったんで。ちょっと驚いたっていうか。見つかったりしないんですか?」
「機械やモニターじゃ力を嗅ぎ付けることなんてできないわよ。キーダーかバスクに見つかったら、逃げればいいでしょ?」
辺りを警戒する様子もなくにっこりと微笑む律に、修司は「そうですね」と頷いた。
町の中心部にある記念公園。大晦日の惨劇を忘れないようにと建てられた慰霊塔が物々しくそびえ立つが、すれ違う殆どの人は散歩や運動を目的とする人たちだ。
「俺、本当に律さんと会ってたんですね。この間の事が何か夢みたいで。今日の連絡貰わなかったら、明日こっそり律さんのアパートに行こうって思ってたんです」
「電話かメールでもくれれば私から会いに行ったのに。けどそれなら、今日連絡して良かったってことよね。あそこに居られるのも時間の問題だと思うから。もし私が居なくなったら別の所に引っ越したか、捕まったと思って」
「前の所もそうやって逃げてきたんですか? 雨漏りする所に住んで居たんですよね?」
「そうそう、間一髪だったのよ」と律は楽観的に笑う。
そんな話をしているうちに新緑の道が切れ、広場に辿り着く。反対側の緑の奥には、さほど遠くない位置に真っ赤な東京タワーがひょっこりと顔を出していた。
大丈夫だとは理解していても、修司はとりあえず辺りに一通り視線を巡らせる。
ここの管理はアルガスではなく区だった筈だが、先日律を追い掛けていた綾斗の顔が頭にチラついて、念入りになってしまう。
それらしき気配がないことを確認して安堵すると、「慎重ね」と律に笑われて、修司は眉をしかめつつその慰霊塔を仰いだ。
固い地面に突き立てられた白銀の慰霊塔。細い三角錐は遠くから見るとただの細長い塔だという認識しかなかったが、間近で見上げると遥か先のてっぺんが空を貫いているようだった。
「こんなもので亡くなった遺族への供養になるのかしら。惨劇を美化してるだけみたい」
高いその塔を見上げ、太陽に反射する光に律は手を翳しながらそんなことをぼやく。
慰霊塔の前にある常設の献花台にはたくさんの花が置かれていて、修司は少し後悔した。ここに来るのが分かっていたのだから、花の一つくらい持ってくれば良かった。
律はそっと修司の傍らに立ち、ぼんやりと慰霊塔を眺めていた。
修司は触れるか触れないかギリギリの距離で頭上を仰ぐが、左半身に伝わってくる彼女の気配に落ち着くことができず、込み上げてくる衝動に気付かれまいと細く息を吐いて逃がしていた。
「ここは、大晦日の白雪が起きた中心の場所。もう九年も前になるのよね。私は日本に居たけど、やっぱりすぐにはここに来れなくて。初めて来た時も怖かったの覚えてる。国は公表していないけれど、この事件が力によるものだってことは明確だわ。事件からしばらくこの場所に強い気配が残っていたもの。キーダーだって承知してる筈よ?」
「あれは、ただの爆発の跡なんかじゃないですよね」
大晦日の夜の記憶。
あの日テレビで見た光景は鮮明に残っている。平野も颯太も『大晦日の白雪』はバスクが起こしたものだろうと言っていた。
律も「うん」と同意する。
「本当、そんな辛いことがあったなんて忘れてしまうくらい、ここは平和よね」
外から慰霊塔だけを見つめていた時よりも、中は穏やかだと感じる。
「大晦日の白雪は二度と起こしちゃいけない。失わなくていい命を消しちゃいけない。分かってる。けど――もし私が正気を失ってしまったら、修司くんが止めてくれる?」
その意味をすぐに理解することが出来ず、背後を通り過ぎていく鬼ごっこ中の子供たちの声に修司は一瞬気を奪われてしまった。改めて彼女の言葉を頭の中で繰り返し、修司は息を呑みこむ。
「力の暴走、ってことですか? 銀環で繋がれていないバスクは、きちんと自分で力を抑え込んでおかないと、その威力に負けてしまうって聞いたことあります」
平野や颯太がずっと懸念していたことだ。
――「頭に血が上るといけねぇな。カアッとなっちまう。だから、我を忘れるんじゃねぇぞ」
暴走する程の力が自分に秘められているとは思えないが、律にはその可能性を感じてしまう。戦いに縁がなさそうなのに、時折見せる鋭い表情が普段の彼女を打ち消してしまうからだ。
「ちゃんと分かってるのね。感心、感心。それに、これはもしもの話よ――あっ、来たみたい」
律は突然「こっちよ」と手を上げた。パッと咲いた笑顔の矛先は、修司を通り越して背後へと向けられる。
二人きりじゃなかったのか? と拍子抜けしてしまうのと同時に、深く考える隙も与えない、心臓のど真ん中を撃ち抜かれたような敗北感。
修司も溜息をつく程のイケメンだ。
男はこちらに気付くと、一度立ち止まって会釈し、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「彰人よ、バスクの」
世の中『イケメン』というタグを付けられる顔が身近に幾つもあるものだ。
彰人は若い分、ダンディという一言で総称させる颯太とは毛色が違った。テレビで見るアイドルのような華やかさはないが、それらと並べても遜色のない麗しさが滲み出ている。
「こんにちは、修司くん。遠山彰人です」
目の前で足を止め、彼が先に挨拶した。
「保科修司です」と頭を下げると、「うん、聞いてるよ。よろしくね」と爽やかな笑顔が返ってくる。
律と同じ二十代半ば位だろうか。成長期真っ盛りの修司が少し見上げる程の目線から、はにかんだ笑顔を振りまいてくる。
律同様パッと見は全然バスクに見えない。
更にイメージを強調させるように、彼は手に大きな花束を抱えていた。
場所柄違和感はないが、百合や菊ではなく、ピンクやオレンジの色鮮やかな花とカスミソウという女子が好みそうなもので、律が横で「わぁ、可愛い」と更に愛らしい笑顔で絶賛していた。
「ここで亡くなった少女が好きだった花らしいですよ」
「そうなの? これってガーベラよね。そっか、ここで犠牲になった四人のうち三人は家族だったって言うものね」
大晦日の白雪の犠牲者は、破壊された民家に住んでいた家族のうち三人と、たまたま通りかかったという一人。
被害のあった半径八十メ-トルの殆どは元々あった公園で、大晦日の夜に大雪という条件が重なって最小限の被害で済んだと言われている。
「二人とも、そんなしんみりしないで下さい。僕自身、四人には会ったこともないし、この花のことだって人伝いに聞いただけなんですから」
急にしゅんとなる律を宥め、彰人は献花台に花束を重ねた。彼に習って修司も律も手を合わせる。
安らかにお眠りください、と形式ばかりの祈りを唱えて修司は早々に顔を起こす。
しかし二人はまだ目を閉じたままで、修司は改めて会ったばかりの彰人をこっそりと伺った。
物腰が柔らかく、女子が嫉妬してしまいそうなキメ細かい肌。
あぁ――世の中の女子はこういう人に恋するんだろうなと実感させられる。現に彼が現れて、律の表情がホッと緩んだのを修司は見逃さなかった。
彼が来たことに対する『嬉しい』という感情が、自分へのそれとは明らかに違っている。律の事を好きなわけではないけれど、少しだけ寂しいと思ってしまった。
律がいて、彰人がいる。そこに自分の入る余裕なんてあるのだろうか。
「自分はここに居て良いのかな? って顔してるよ、修司くん!」
いつの間にか目を開けていた律と視線が合って、心境をズバリ言い当てられてしまった。
「あっはは。僕の事なら気にしなくていいからね」
彰人が笑うと、細められた瞼に瞳が隠れた。気恥ずかしくなって修司が肩をすくめると、律が「それじゃ」と今日の目的が『慰霊塔への祈り』ではなかったことを、胸を張って発表した。
「修司くん、帰り遅くなるけど平気?」
夕暮れ時にはまだ早い空の色。
確認した腕時計が示すのはまだ五時前だ。
「時間は問題ないですけど……」
何の不信感も抱かずに承諾したのは、行き先がきっと律の家や近郊だと思っていたからだ。
「よしっ、決まりね」
指を鳴らす真似をして、律は詳しい説明もしないまま駅へ向かって足を弾ませた。