3章 仲間-1 彼はアイドル好きの塩顔男子
3
次の金曜がやってきた。
律に会ってまだ数日。進展といえば、アドレス交換にとメールを送ったことくらいだろうか。
あの夜の礼を短く添えて名前と電話番号を送信すると、数分置いてから、
『了解 (はあと)これからもよろしくね(はあとはあと)』
と、ハートの絵文字満載で短い返事が来たのだ。
そこから何か気の利いた言葉でも返せば進展もあったのだろうが、若い大人の女性を相手にしたコミュニケーション能力は、皆無と言って良い程にしか持ち合わせておらず、そこで交信はぷっつりと途絶えてしまった。
修司はようやく訪れようという休日に胸躍らせて、覚えたてのメロディを口ずさみながら帰り支度をしていた。律に会った日のカラオケで、クラスメイトで友人の譲が熱唱していた曲だ。
国民的アイドルグループ『ジャスティ』の新曲。
普段アイドルには興味もなかったが、同じ曲を五回も六回も連続で聞かされては、その気がなくても覚えてしまう。
それに、カラオケで流れたPVを見ながらその一節を聞いた時、修司の心がチクリと疼いた。
――『私は貴方が好きじゃないけど、貴方と一緒に運命を突き進みたいの』
「だから、勘違いしないでぇ」
メロディラインを外れたダミ声が重なって、修司はあちゃあと閉口した。
右斜め後ろの席を振り返ると、譲がニヤニヤと拳をマイクに歌を繋げていて、歌詞への想いも霧散してしまう。
溜息を漏らす修司に、譲はうんうんと一人満足気に立ち上がり、
「お前にもようやく、えりぴょんの可愛さが理解できたんだな」
と、首にぐるりと腕を回してくるが、修司は三秒だけ我慢してから面倒顔で引き剥がし、「帰るぞ」とリュックを背負って早々に教室を出た。
知らない土地への不安もあった入学当初に席が前後という理由だけで、見えない壁を一気にぶち壊してきた譲のお陰で、それなりに楽しい日々を過ごせている。
「えりぴょんは、競争率激しいぜ?」
えりぴょんはジャスティのメンバーの一人で、この新曲ではメインボーカルを担当している少女だ。
別に彼女を恋人にする気じゃないだろうというツッコミを喉の奥に留めていると、譲は握手会で列に並ぶ時間の長さやグッズの入手率の話だと勝手に説明してくれた。
駅まで徒歩十分の熱弁。ぱっと見はモテそうな草食系塩顔男子なのに、趣味のせいで女子に距離を置かれている感は否めないが、幸せそうに話す譲を見ているだけで飽きなかったし、オープンに話せる話題が少なかった修司にとってはうまく相互関係が取れる相手として申し分なかった。
混雑する電車の窓際。停車したホームの向こうに見える商業ビルに、ジャスティの新曲をPRする巨大なポスターが貼ってあった。黄色の衣装を着てセンターで微笑むえりぴょんに、譲が「うぉう」と歓喜の雄叫びを上げる。
「「すすみたいの」って言った時アップになる、えりぴょんの唇がたまんないんだよね」
「そういうの声に出さない方がいいと思うぜ」
側に居た他校の女子が、いつしか離れた場所へ移動して、チラチラとこちらへ不快感たっぷりの視線を送ってくることに譲は気付いているだろうか?
譲の妄想メーターを最大値まで上げるえりぴょんのPVだが、修司には彼女がどんな表情で歌っていたのかすら思い出すことができなかった。スマホにダウンロードして何度も繰り返し聞いたそのメロディに乗って脳裏に浮かんでくるのは、えりぴょんではなく美弦だからだ。
律に会った時、一瞬視界に飛び込んだ美弦が脳裏から離れない。彼女に会いたいと思う率直な気持ちと、バスクとして律の所に行きたいという後ろめたい気持ちが交錯して胸が痛むが、それでもその曲を聴いていると、純粋に美弦に会いたいという想いだけが溢れてきた。
乗換駅で譲と別れ、修司はスマホにイヤホンを挿して、その曲に耳を傾けた。サビのパートを何度も繰り返し、電池の残量がヤバいと思った所で一通のメールが入る。
この週末に修司は密かな計画を立てていた。
それは律のアパートに自転車で行ってみようかという事だ。彼女がそこに居なくてもいい、ただあの夜をきちんと納得したかった。
同じ路線でたった四駅――運命さえ感じている。
送り主の名前に修司は慌てて音楽を切った。
改まってメールを開くと、ハートマーク満載の画面が現れる。
脳裏に描かれていた美弦が一気に舞台裏へと下がり、次の役者が登場した。