2月始めの出来事
2月3日
私は何事も無ければ必ず決まった時間に目を覚ます。
この時間ターニャは朝練でいないのでいつものようにメリルの頬へキスをする。
私の国では他人にキスをする時に場所によって意味が変わる。
額へのキスは深い信頼。そういった意味合いが強い。
真逆なら喉仏。意味合いとしてはお前を決して許さない。
もし喉にキスをされたなら即座に距離を取らねばそのまま噛み千切られても不思議ではない。それだけ強い敵意の意味合いを持つ。
喉仏は悪意だが、首筋へのキスは性的な意味合いがあるので具体的な意味合いは割愛しよう。
頬へのキスはおはよう、また会いましょう等の挨拶としての意味合いがあると同時に気をつけて。やありがとう等の意味合いもある。
耳へのキスは愛している。ただしこれは一方的な部分がある。
要するに片思いであり、あなたは私をどう思ってくれていますか?と聞いたのと同じ意味合い。
唇へのキスも性的な意味合いがあるのは確かだけれど、深い愛、相思相愛の者でなければまずしない。
身分の関係で結婚はしたが、唇へのキスだけは絶対に許さない関係になるというのも少なくない程には唇へのキスは特別なモノだ。
私がメリルの頬へキスをするのは油断してるとメリルが起きている時にしてしまいそうなので1日1回と習慣付け、不意にしてしまわないようにしているから。
本当は起きている時に挨拶をしたいのだが、この世界の者達は平和主義者が多い癖して他人との距離を一歩多目に離している印象がある。
殺し合いの多発する私の世界の方が他人との距離感が近いというのは皮肉な事だと思う。
この世界ではそれが普通なのだろうけど、私はもっと間近で感じていたい。
だからと無理矢理詰め寄ると嫌われるかもしれないのでゆっくり距離感を縮めていて、少し前までしつこいと言われていた距離感までメリルの方から縮めて来るくらい自然な状態へとする事にできた。
この調子で挨拶くらい許してもらえる関係になりたいね。
可能ならメリルからもされたい。
………さて、いつものように起きたは良いけど今日もやること無いね。
私は部屋を見回す。
閉めた窓の隙間から僅かに日差しが入ってきている。
少し前まではまだ真っ暗だったが、2月になっただけあって明るくなるのが早くなってきている。
部屋の中にはメリルの可愛らしい小さな吐息が聞こえるばかりでこのまま寝顔を眺めてても良いかもしれないけれど勿体無い。
私はメリルが起きないよう音を立てずに部屋を出る事にする。
階段を降りて宿屋の店主に適当に挨拶をして外へと出た。
「……また雪が降りそう」
「そうだねえ、困ったもんだねえ」
扉を出て真っ先に空を見上げると、如何にも雪を降らすよと主張している雲が遠くに見えて思わず独り言を呟いたら返事が来た。
別に求めていた訳じゃなかったが……まあ、店主のおばちゃんも雪にはかなり困っているからなぁ……
「ん~……本当は私の魔法でどうにかできるんだけど、派手にやるとメリルに叱られそうだしな~……」
「なに?セリスちゃんなんとかできちゃうの?
雪を溶かす時も湯気が凄かったけど似たような感じかい?」
「いいや、曇そのものを散らすんだよ」
「ハハハ、そいつは凄いね。
それじゃちょこっと散らしてもらって良いかい?」
なんで笑ったのか良く分からないが主人はとても上機嫌だね。
「メリルに叱られたくないから嫌」
「メリルちゃんには私が頼んだって言っとくからさ。
ほら、曇をどうにかできたらヤギのチーズを使ったグラタンでも無料で作ってあげるからさ」
「私の分だけじゃなくて二人分増やしてくれるなら手を打とう」
「よっし分かったから頼んだよ!」
「それじゃ行ってくるよ」
ネグリジェからいつものローブに帽子を被った姿へと瞬時に変え、杖に乗って一気に飛行する。
「ハァッ!」
今使用したのはマジックブラストと呼ばれる魔法。
手に魔力を集めて一気に放出するだけで正確に言うと魔法とは呼べない魔法であり、魔法使いにとって初歩中の初歩の攻撃魔法。
シンプル故にその込められた力で威力が格段に変わる。
僅かに白く見える無色透明なエネルギー波が真正面に広がり凄まじい音と共に強烈な突風が巻き起こる。
魔力を魔法にして放つよりに魔力による衝撃で発生する二次的突風の方がずっと強力だったりする。
まあそれは私と同等の魔力を放てればの話だけど。
「これで良いか」
パンパンと手を払った頃には雲は完全に四散している。
ちゃんと魔法で爆音が町へ響かないようにしたし完璧だね。
ここまでやればメリルに叱られない。
今の私は周囲への気配りも完璧だね。
「戻ったよ店主」
「え……えぇ、本当に消しちゃったんだねぇ……
今作るから待っててね」
「それなんだけど、2時間後で良いかい?
それまでにはメリルも起きてくるだろうし」
「はいよ」
2時間後、メリルとターニャも集まって三人で朝食を済ませた。
・
身支度を済ませ、最近は一人で化粧をするようになったメリルと共に商業ギルドへ訪れた。
魔力付与は最早日課である。
お陰で精密な魔力操作の感覚を完全に取り戻している。
二時間と少しで魔力付与を済ませた。
よくもまあ毎回希少な金属なんかを用意するもんだよ。
今回はメタルリザードの爪もあって商人って人種は凄いねぇ。
そうそう、もう店の見取り図なんかも渡してね、何事も無ければ私達の希望通りの店が手に入る。
商人としての契約もしたが魔法使いとしての契約もさせてもらった。
破ればミカエルは死ぬ事になるし、そんなリスクを負ってまで破ろうとは思わないだろう。
商業ギルドを後にして冒険者ギルドへ行き、ターニャを捻ってからお昼を食べる為に天空城へ向かう。
メリルにドレスを着させてスープ等を出し食事にし、音を立てる事も無くなっている。
技術を上げるには周囲の環境をそれっぽくする方が良いだろうと考え、それには天空城へ行くのが一番手っ取り早いのでこうしている。
メリルと昼食を取る時は必ず幻覚の魔法で私の姿を違う人物に誤認させるようにしている。
魔力への理解力が異常に特化した種族であるメリルには正直に言って効果が薄いのだが、ある程度の緊張を持っていても変わらない振る舞いができなければ意味がない。
実際に幻覚の魔法をトレーニングに追加した初めの頃はできていた事を繰返し失敗するようになっていたからね、効果はちゃんとあったよ。
地味だがこの積み重ねは本番で大きな力になる。
私自身その努力の積み重ねで命を繋ぎ止める結果になった事が何度あるかどうか……
食事を終えたら魔法の練習を行い、休憩してからダンス等の体を動かす練習に入る。
私も強さばかり追い求めていたのにいきなり王様に祭り上げられてねぇ、物凄く偉そうに「静にしろ」と配下に言う練習なんかに苦戦した記憶があるからメリルの気持ちが良くわかるよ。
私の時は一人で鏡に向かって練習していたのもあって、教えてくれる人物のいるメリルの成長速度には時々嫉妬する。
私がそれを身に付けるのに倍以上の時間が掛かったのにってね。
天空城から戻る先は泊まっている宿の部屋だ。
行く時もここから転移している。
この町へ来てからは毎日こんな感じだ。
・
夜は天空城で食事をする時もあれば酒場で気楽に飲む時もある。
というより酒場の方が多い。
メリルも私も酒場の方が気が楽だと思っていてね、
「プハァ!あ~好きに飲めるって幸せですねぇーっ!!」
「メリルはホットエールが好きだねぇ」
「うん、大好きです!味も甘くて美味しいし、奥の方からポカポカ来る感じが凄く好きですし!」
最近のメリルはお酒の席では敬語を殆ど使わないというより変になっている。
私が数日おきに敬語はいらないよと言い続けていた結果が実ったというか、酔ってると外そうとして変な言葉遣いになる。
メリルは敬語がデフォルトなのか抜けきる事は無さそうだし、言葉を崩した方が喋りにくそうにしている時があるんだよねぇ。
「まあこの時期のホットエールは旨いよな」
「本当ですよ!最初シャンパンや白い葡萄酒なんか飲めて幸せだって思っていましたけど、あんな見繕って外見ばかり気にして味がわかるんですかねぇ?本当に皆わかってるのぉ?」
「本当の意味合いではわかってない人の方が多いんじゃないかな?
身分の肩書きを気にするようにお酒の肩書きも気にして味もわからない癖に……」
「なんて勿体無い……けどそれ以上にお貴族様は大変ですねぇ……」
「でた、最近の口癖」
「え?あれ?そんなに言ってました?」
「うん」「言ってる」
けどまあ、その意見には心の底から同意するよ。
本当、大人であること、肩書きを背負い自分を棄てる事は面倒で嫌になる。
本当はもっと沢山飲みたいところだけど、お酒もほろ酔い程度に押さえてこの後は魔法の練習。
集中の乱れやすい状態でどれだけ上手く魔力を扱えるかという目的で、この練習に入るとターニャはまだ黙って集中しないと上手くできないのだけど、メリルに関しては1月中旬辺りで軽い雑談くらいならできるようになった。
今日なんて魔力玉を維持しながら魔法でコップに水を入れて飲む余裕まであった。
もうメリルは種族魔法使いになると言うならギリギリ許可が取れるレベルだろうね。
まだまだ戦闘面では役に立ちそうに無いけど……
そもそもメリルは戦闘に向いてない。
けれど、魔法具を作るのが楽しいのか作る事に関しては飲み込みが早い。
この世界の平均的な魔法使いのレベルを考えたらメリルは既に高いレベルまで到達していると思う。
私が作ればやり過ぎになるが、メリルなら作ったモノを売っても問題無いんじゃないかな?
私が作ったモノを既に売ってはいるが、1つや2つは良いんだよ。
それが1000、2000となれば市場が混乱するからね。
・
夜、眠る少し前に日記を書き始める。
どうでも良い話だが、この本は千ページ存在し一ページでだいたい四日分の内容を書いている。
この本のタイトルは覇王セリスの後日談と名付けてはいるが、最近タイトルを変更したくて仕方ないと思っている。
覇王の肩書きはもう必要無い。けれど、覇王であった私を否定するつもりも無い。
まあ、どうでも良い話だけども。
「…………そんなところに居ないで用があるならノックして入ってきたらどうだい?」
日記を書く手を止め、扉に向かってそう口を開く。
二段ベットの上で寝転がるターニャは私の言葉に興味無さげだが、下の段に腰かけていたメリルは不思議そうにこちらを見ているので人差し指を立て口元に近づけ、しーっと声を出さないようにジェスチャーで伝えたのだが………
「いきなりどうしたんだよ、誰かいるのか?」
「……フフ」
メリルは頷いていたが、ジェスチャーを見てなかったターニャが返事すら無い事を疑問に感じたのか、興味無さげに聞いてくる。
唖然とした顔でターニャを見上げているもんで、その姿が何故か可笑しくて小さな笑いが漏れてしまった。
「安心してメリル。
静かにした方が良かったのは確かだけど、この程度の相手にそこまで警戒しなくて良いから。
でも、急に窓から飛び出すとかあんまり変に動き回られると守りきれないからね」
「え?」
「何とち狂ったらそうなるんだよ」
メリルの頭を撫で、困惑しつつも頷いたのを確認してから手を離し、扉を開ける。
「熱烈なアプローチだけと在り来たりだねぇ。
もっと過激でも私は構わないのだけど?」
扉が完全に開かれる前に隙間から飛んできたナイフを指で挟んで止め、カウンターとしてマジックバインドで捕らえた。
ナイフには毒が塗られているようだけれど弱いね。
こんな低位のモンスターの毒じゃ体内に入ってもすぐに魔力に変換されるだろう。
しかし……暗い廊下の中で淡い紺色の光りを放つ魔力の柄は我ながら不気味だなと苦笑してしまう。
そんな風に考えていると私の服が引っ張られる。
「あの……大丈夫ですか?」
「メリル……?」
引っ張ったのはメリルで、私は上機嫌だというのにとても不安そうな表情を見せている。
あれ……そんな不安になるような事……あぁ、もしかして……
「見ての通り指で挟んでいるだけだから大丈夫。
貫通なんてしてないよ」
「違いますよ……」
あれ?違ったのか。それじゃ……
「そうじゃなくて……なんで襲われたのかわからないけど……セリスはもう………人を殺さない方が良いと思う。
言うの遅れたけど……止めた方が良い………」
「大丈夫だよ、そう言うのは万一の時にするから」
「万が一も駄目です!」
初めから殺す気なんて無かったがメリルに心配させてしまい、大丈夫だと答えた。
しかしメリルにこんなにも強く否定されるとは思わなかった。
メリル自身、自分が出した声に驚いたようで、弱々しく言葉を続ける。
「セリスは、私が、人が死ぬところを見たくないから言ってると思ってるかもしれないけれど、そうだけど、そうじゃなくて、セリスはもうこれ以上傷付かない方が良いです。
確かに、私はセリスが人を殺すところなんて見たくないというのもありますが……
それよりも、セリスは優しいから、殺してしまうと……
たぶん、忘れられるのかもしれない……
けど、普通はそんな簡単に忘れられるものじゃ無いはずですよ?
それでも忘れられる。
それってすごく負担になっていると思う、だから……」
メリルは緊張か恐怖かわからないが震えながら、涙を流しながら必死に言葉を探して私に伝えた。
私を案じて。
こういう時、どうすれば良いのか、どうやって感謝を伝えれば良いのかようやくわかるようになってきた。
私はメリルの頬を触れながら顔を近付け……
「……そんな風に言われたのは初めてだよ……ありがとう、メリル」
抱き締めた。
……っと、危ない。危うく頬にキスしてしまう所だったねぇ。
完全に油断していた。
変わりに強く抱き締めてメリルを撫でる。
「うん……どういたしまして……」
まだ涙が出ているのにメリルは笑顔で返してくれた。
無理矢理作ったその笑顔に私は確かな愛情を感じてとても暖かな気持ちになれた気がする。
「………さて、せっかく捕まえたんだけど、どうしよっかねぇ」
気を取り直して現状をどうするか考える。
私は殺戮を楽しむ奴と違って殺す事が気持ちの良い事だなんて思えない。
戦いが好きなのは認めるが、勝敗がハッキリさえすれば殺す必要なんて無いと思っているのが私だからね。
「とりあえず連れてくるとするよ」
「連れてくるってこの部屋にですか?」
「それじゃ廊下に放置するかい?」
「それは……」
「マジックバインドに捕らわれている間は私の許可無く喋る事すらできないから安心して」
マジックバインドはメリルも使える。
私ほどの魔法使いが使用し捕らえたのだから、その効力はメリル自身も良く分かっていると思うがそれでも悩んでいる様子。
もしかしたら、メリルが心配しているのは私が無くそうとしている心配とは別の所にあるのかもしれないと……
「わかりました。ターニャも良いですよね?」
「問題無いよ」
「はい。それでも気を付けてくださいね」
……考え始めたタイミングで頷いてくれた。
メリルの考えていた短さ的に杞憂である可能性が高いと判断したのかな?
それなら私も深く考えなくても良いだろうと、黒装束を身に纏う男を部屋へ引き摺り入れ、椅子に座らせる。
念のためにターニャに武装してもらい、メリルを守ってもらう形にした。
「大声を出さない変わりに喋る事を許可する」
「くそ、悪しき魔女め……ティナ様を解放しろ」
「………ティナ?」
真っ先に疑問符を上げたのはメリル。
ターニャも首を傾げているが、私はその名に覚えがある。
「……なるほど、私の方が格上だから大人しく言うことを聞いてると思っていたけど、抜け出していたのか。
こう言うのが油断って言うんだろうね……浮かれすぎていたかも、これは面倒だね」
「抜け出したって……あ、もしかしてミィさんみたいに誰か閉じ込めていたのですか?」
メリルが質問してきたので男は黙るようにした。
「似てるけど全然違うかな。
ミィは良い奴だからほぼ共同という感じで置いといたけどティナ……皇女のネックレスなんて貪欲に魂を喰らおうとする奴を私は野ざらしにはしないよ」
そう言い私は血のように赤く大きな石のはめられたネックレスを取り出した。




