02 奄美剣星 著 夜明け 『騎士ジャック・ド・ララン武勲録』
一四四五年春、アントウェペン(別名アントワープ)。
「――ジャック・ド・ララン! アラゴン王国(現スペインの一部)から、おまえと刃をあわせたくてきてやった。この俺を解放してみろ!」
わめいたのは、バケツのような兜を被った身の丈七十九ゾエ(二百センチ)はあろう、筋肉隆々たる男だった。その港町に、三角帆の交易船であるカラベル船がスヘルデ川右岸の港町に接岸し、渡し板が掛けられるやいなや、男は勢いよく桟橋に躍りだしてきたのだ。
商館、石積みの倉庫、それに柱や梁を浮き立たせた中世特有・木骨式建物の旅館が並んでいて、舗装されていない路地には、市場が開かれ、賑わっていた。並んだ露店を物色する町衆はといえば、ドイツ系、フランス系といった連中がおり、さらにはイングランドやイタリア、はたまたアラブ系の商人までいた。
町衆男性の格好は基本、上半身が、ゴネルと呼ばれる長衣に、カラブイと呼ばれるフード付きの外套を羽織り、下半身がタイツとゲートルといった姿。女性はワンピーススカートをさらに長くしたようなローブの上に外套を羽織ったような格好だ。
群衆がわめき散らす騎士を取り囲んで顔を見合わせた。
「奴をみろよ、足枷をつけているぜ。それも黄金球に金鎖をつけて、手に持っていやがる」
「果たしあいのときだけ、足枷を外すってわけだ」
「だから果たしあいになると、『解放』することになるわけだな」
「それにしても、ララン卿を指名したか。欧州最強の騎士に挑戦するとは身のほど知らずな」
一四四五年、アントウェペンは、現ベルギー王国の港町だが、当時は、フランス王家の分家筋で、本家を凌ぐほどの富強を誇ったブルゴーニュ公爵の領国であった。公国が宮廷を置いていたのは、そこから西へ五十三マイル(八十五キロ)いったところにあった、ブルッヘ(別名ブルージュ)だった。
アントウェペンでの騒ぎは、すぐに、君侯の耳に届いた。
中庭に面したブルッヘにある宮殿回廊。そこにチェス盤と椅子とを持ってきて駒を動かしていた貴紳が二人いた。
五十歳近い痩身の人ルークの駒を動かした。しゃなしゃなとした感じで女性的にみえるのだが、その人こそ痩せた金羊毛騎士団長にしてブルゴーニュ公爵・フィリップ三世。通称を善良公という名君だ。
相手をしていたのは男盛りの騎士だった。現ベルギー国境に近い現フランス領にドーゥエイという町があるのだが、近いところに知行地がある。白いものが混じり始めた騎士は、噛んでいた親指の爪を放し、口を開いた。君侯がフランス王族の出なので、宮廷語もフランス語だ。その人もフランス系だから宮廷語は流暢だ。
「して、主公、騎士が勝った場合の要求は?」
「ビゼンチン(現イスタンブール)に、十字軍をだせていっておる。ローマ教皇の意を受けたアラゴン王の正式な国書も携えてな」
「馬鹿な、オスマン・トルコ帝国の軍勢がビゼンチンを取り囲んでいる。いかなる国が駆け付けても犬死するだけのこと。国力を浪費し、こっちの命運が危うくなる」
「左様、ちょうど、このチェスのようにな」
ラランが並べたいくつもの駒が、善良公のキングを狙っていた。
「しかしこれは受けて立たねばならぬ。戦ってくれるか、ララン?」
「御意の召すままに」
馬上槍試合。
それにはいくつもの様式があった。
大司教がいるケルンで催されるような、騎士たちが日ごろの鍛錬を競う武術大会が主流だが、大勢が東西両陣に分かれてやる軍事演習、それから誰それの名誉のために決闘する神前裁判まであった。
この馬上槍試合は、国家の命運をかけた、神前裁判だ。
ただちに善良公が布令をだし、アントウェペン郊外には、芝居小屋のような桟敷きが設けられて、君侯随臣はもとより臣民に至るまでが押し掛けたのだった。
はじまるぞ!
ブルゴーニュ国旗は、青地に白抜き十字だが、凪で西からくる風が停まっていてはためいていない。静かな朝だ。やがて、スヘルデ川の水面にオレンジ色をした陽が映った。
ファンファーレが鳴り響き、観衆がどっとどよめく。
貴婦人が熱い目線を送った先で、黒の甲冑をつけた巨体の男は、従者である徒士に鍵を手渡し、足枷の黄金鎖を外させた。
「わが名はジャン・ド・ボニファース。シチリア生まれの冒険騎士だ。義あってアラゴン王のご意向のため、欧州一の誉れ高きジャック・ド・ララン卿にお手合わせ戴くことになった。この機会を賜った善良公に一言お礼を申し上げる!」
ラランはヘルメットを被った。
騎馬は、色とりどりの金刺繍が入った布を身に纏い、頭部だけはマスクをつけている。
双方の馬は興奮し、盛んに土を蹴っていた。
会場のど真ん中には、縄もちの小物たちがおり、審判員たる司教配下の司祭がテープカットをやった。馬上槍試合につかう槍は、飛槍といい、折り畳んだ傘のような形をしている。時速四十キロで駒が駆けだせば、我彼双方の騎士はそれを風に遊ばせ互いにぶつけ合う。衝撃は時速八十キロでぶつかったのと同じだ。試合用の盾は木製で、木端微塵に砕け飛ぶようになっており、鞍ときては背後なく、一撃をくらったらこれまたド派手に後方に弾き飛ばされる趣向になっていた。
ボニファースの胸甲が槍撃で凹み、後方に弾き飛ばされた。
しかし不敵にも挑戦者は立ち上がり、ラランを誘うように手招きした。
戦場なら、引き返して槍でもう一突きすればよいのだが、そこは作法だ。
ラランも馬を降りた。
双方は四十七ゾイル(百二十センチ)強はあろう、腰の長剣を引き抜き、間合いを詰めてゆく。
観衆が固唾を呑んだ。
エスコフォンという被り物を被った公妃が、ローブ姿の君侯の手に、自らの手を重ねた。
ラランが敗ければ、自国兵をトルコの精鋭に立ち向かわせなければならない。
白いものが少し混じった騎士ラランと異国からきた挑戦者ボニファースが肩のところで長剣の先を天に掲げる「屋根の構え」をとった。こうして並ぶとラランとボニファースには歴然とした身長差があった。当時の彼の地の人の平均的身長が六十五ゾイル(百六十五センチ)そこらだった。ラランは少し高くて七十ゾイル強(百八十センチ)あったのに対し、ボニファースはさらに八ゾイル(二十センチ)以上は高かった。身長差の分だけ、上からの攻撃は有利になる。
挑戦者は袈裟懸けに一撃をくらわそうとした。
しかしラランは右手を柄から放して、大胆にも相手の小脇に手を回し、脚に引っかけてむこう側に弾き飛ばした。
相手は背中から地面に落ちて土煙を巻き上げた。
観衆が総立ちになる。
「なっ、なんだ、あの技は?」
「あれか、『駆け込み』って技だ。さすがはララン卿、鮮やかに決めた!」
ラランが左手を柄に残した長剣を、相手の鼻先に突きつける。
「ま、参った!」
審判団がそろってラランに勝旗を揚げた。
しばらくして喝采が起きた。
戦争にならなくて良かった。
ラランは君侯夫妻の面目を果たした。
北欧ルネッサンスが始まろうとしていたころ、欧州に一大勢力を誇ったブルゴーニュ公国。そこの君侯、善良公・猪突公の三代に渡って仕えたジャック・ド・ラランは武勲をまた一つ増やした。
陽がさっきよりも高くなっている。
了
【引用・参考文献】
教皇・アラゴン王が十字軍派遣をブルゴーニュ公国・善良公に要請したあたりはフィクションだが、作中の事件及び剣技、風俗などは極力史実に忠実になるよう努力した。引用参考文献は下記ほかである。
ホイジンガ著・堀越孝一訳『中世の秋』中央公論社1976年
長田龍太著『中世ヨーロッパの武術』新紀元社2012年
【おまけ】
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――余談。
観客のなかに、なぜだか東洋人らしき青年がいた。平均より少し高い流し髪の高校生と、長髪を後ろで束ねたノッポな相棒の二人だ。
「愛矢、感動した」
「そうだなあ、恋太郎」
二人には仲間がいた。黒縁眼鏡の委員長と、ショートカットの副委員長・加奈で妄想劇団を結成し、授業の空き時間に上演している。四人は一様に腕を組んでうなずいていた。そのすぐ後の座席には、いつもならコメンテーター役をやっている、おさげの学年トップ・チエコと、エルフ顔の化学教師・麻胡先生がいて拍手を送っていた。
麻胡先生は、仙女の系譜をひいており、その恐るべき方術によって、生徒たちを引き連れ、中世ヨーロッパにタイムトラベルし、歴史の目撃者となった。




