05 紅之蘭 著 裏道 『ハンニバル戦争/トラジメーノ会戦』
【あらすじ】
紀元前三世紀半ば、第一次ポエニ戦争で共和制ローマに敗れたカルタゴは地中海の覇権を失った。スペインすなわちイベリア半島の植民地化政策により、潤沢な資金を得たカルタゴに、若き英雄ハンニバルが現れ、紀元前二一九年、第二次ポエニ戦争勃発が勃発。ハンニバルは、ローマ側がまったく予期していなかった、海路からではなく陸路を縦断し、まさかのアルプス越えを断行、イタリア半島本土に攻め込んだ。ローマのスキピオ一門と激闘、ここに始まる。
紀元前二一七年四月。
トレビア会戦で、ローマ軍を相手に完全勝利をしたカルタゴのハンニバルは、倍増した大軍を率いて、ローマ共和国内部深くに侵入した。そのときまでに、ローマ側では次の動きがあった。
ローマ側執政官二名が、シチリア軍団のロングスと英雄スキピオの父・コルネリアスから、セルヴィニウスとフラミニウスに代わった。ロングスは処罰こそされなかったが不選出・引退となったが、コルネリアスは前執政官として一万の軍勢を預けられた。
またスペインではコルネリアスの弟がカルタゴ軍を破り、地中海において、ローマ海軍がカルタゴ海軍を撃破している。
大敗はしても、ローマ側にはまだ光がみえていた。
春とはいっても水はまだ冷たい。
あの吹雪のアルプス越えよりはましだったが、アペニン山脈という裏街道というのも、けっして生易しいものではない。カルタゴ軍は、森林地帯で春の長雨の影響により沼地になったところに迷い込んだ。結果、人馬ともそれなりに消耗することになる。
馬に乗った少年の面影の残る将領・マゴーネは、部下たちが、死んだ馬や輜重車につかまって休息をとらせ、行軍が再開されると励ました。
目指すはトスカーナ地方。
マゴーネの兄・カルタゴ軍の総大将ハンニバルは、ローマと強固な関係を築いているエトルリア人諸都市があり、そこで、敵を撃破すれば、楔を撃ちこめる可能性大と判断したからだった。
やはり馬に乗った、ギリシャ人軍師シレヌスが、マゴーネの横にきて声をかけてきた。
「ローマ軍の新しい執政官二人は、それぞれの軍団を表街道と裏街道の二つに分けたようです。ハンニバル閣下の思惑通りに事が運びましたぞ」
「ならば、半分ずつになったローマ軍を各個撃破できるというものですね」
「さよう」
「ときにシレヌス殿、兄上の容態は?」
「守備上場にございます」
と笑みを浮かべ高らかにいったのだが、周囲に兵士がいるため、士気に影響がでぬようにと軍師は配慮したのだ。
マゴーネは己が軽率を恥じた。
アルプス越えで一頭だけ残ったマケドニアのアレキサンダー大王愛馬にちなんでつけた戦象ブケパロスの背につけられた輿にもたれ、三十歳になったばかりの、隻眼の総大将はなおも眼病に苦しんでいたのだった。
リビア人・スペイン人歩兵を前軍に、中軍をガリア兵、後軍をヌミディア騎兵が進んだ。
沼地から脱出するのにカルタゴ軍は四日を要し、フィレンツェでようやく一息つくことができた。そこでヌミディア騎兵の斥候を放った。マゴーネも斥候部隊の一つに混じって敵情を視察した。
フィレンツェから歩兵移動に七日を要する地点にフラミニウス執政官麾下のローマ二個軍団がいるのを発見し兄に報告する。また、生かして同行させているローマ人捕虜から、執政官の人となりを知った。
執政官は四十半ば。平民出で、質実剛健、信義に厚いということだ。
大軍を前にしてハンニバルは、病状をおくびにもみせず、こう命じた。
――次の戦場にゆくまで、焦土作戦をとる。エトルリア人どもの町を、集落を、焼き尽くせ。奪い尽くせ。
「おのれ、ハンニバル。われらがローマの盟友・エトルリアにあのような仕打ち。許さぬ。断じて許さぬ」
無念の煙は空高く昇り、義に厚いフラミニウスを憤激させた。
ハンニバルは、フラミニウスと麾下のローマ二個軍団を、トラジメーノ湖畔に誘い込むことに成功した。
街道は湖の北側の水辺に沿っていて、ローマ軍はそこを通ってくる。
行軍隊形をとるローマ軍の横っ腹を衝く格好で、カルタゴ軍が山際から全軍で踊りかかった。
ローマ軍の背後は湖。三方をカルタゴに囲まれ、袋の鼠となった。
包囲殲滅陣形。
三十歳になった天才将軍ハンニバルが編みだした戦術はここでも活かされることになる。
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……カルタゴの名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。この将領はハンニバルの親族だが、カルタゴには、ほかに同名の人物が二人いる。カルタゴ将領に第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った同姓同名の人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておくことにする。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。ローマの名将。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……カルタゴ本国上陸を睨んで元老院によりシチリアへ派遣された執政官。




