03 奄美剣星 著 車 『高速警察・雪風』
高速警察・雪風
――会津発新潟ゆきの高速バスが、喜多方市山都付近で、突風に煽られて、阿賀野川の谷底に転落。現在、自衛隊が出動して救出にあたっていますが、猛吹雪のため作業は難航。生存者はほぼ絶望的となっています。
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ニュースをきいたとき、気の毒だとは思っていたのだが、そのバスの中に彼女がいたとは思っていなかった。
安寿。
僕の婚約者だった。
それから二年の月日が経った。
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冬。
会津若松インターチエンジに、福島県警高速道路警察隊の分隊駐在所がある。覆面パトカー・スカイラインに乗り込んだ僕にはとあるミッションがあった。
分隊長は悲惨というより豪快なくらいの禿げだが、ヘルメットはそれを隠すのに便利にできている。分隊長が〈その人〉を紹介した。
「福島の科研で心理学を扱っていらっしゃる星名萌さんだ」
可愛らしい名前だが、切れ長の目はちょっときつめに感じる。長い髪が地吹雪ではためいている。古風な刑事ドラマに登場する女刑事ばりにトレンチコートを着ていた。
「判ってるね、君? 彼女を無事に送り届けるんだ。ゆく先は山都」
山都っていうと山奥にある田舎町だ。赤字ローカル線・磐越西線が走っている。昔は林業で栄えたこともあったが、いまは蕎麦屋くらいしか産業がない。そんなところだ。
「よろしく。萌ってよんでね」
彼女が手を差し出したので、高速度警察隊隊員の僕は、遅れて手をだし握手した。
女は冷え性になりやすい。この美女もそうなのだろう。それにしてもなんて冷たい手なんだ。
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R34スカイラインGTR(V-specII)。
高速道路警察隊特別仕様車両。
RB26DETTエンジン内蔵・2ドア・クーペ。四人乗り。
一般車両では内蔵されているコンピューターによる速度制限装置・リミッターが初めから取りつけられていない、覆面パトカーだ。これにより、かつて日本を熱狂させたスーパーカー並みの速度を発揮させることができ、時速三百キロ走行を可能たらしめている。
銀色の車体。
ナンバー0465。――4・6・5。4でシ、6でロは五十音のラ行だからル、5はファイブだからフ。シ・ル・フ。「シルフィー」ともいう。他の車種・ブルーバード・シリーズにその名があるから〈シルフィー〉ずばりは避け、昔日のSF小説の傑作『戦闘妖精・雪風』に引っかけ、僕は〈雪風〉と呼んでいた。
きわめて稀なケースだが、「爆走スーパーカー」と称してランボルギーニみたいなレース車両を高速道に乗り入れて、暴走する奴がいる。そういう阿呆を捕まえるのが僕の役目。
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〈雪風〉の助手席に萌さんが乗り込んだ。
禿げの分隊長が苦笑しながら、僕のいる運転席側に回っていった。
「――今回の標的はいつものイカレタ野郎どもじゃない。〈風評〉って奴だ。君は萌さんと一緒に、山都に出没するっていう、アレの尻尾をつかんできて欲しいんだ」
極限状況において、人がみる夢。死人が微笑むのは、死に伴う苦痛を和らげるために、脳内麻薬を体内に放出するからだという。――萌さんはそのあたりの専門家らしい。
『よろしく、萌さん』
「え?」萌さんが意外な顔をした。
――とういうのも、そういったのは、僕じゃなく、〈雪風〉だったのだから。
「なんだか、すごいカーナビを積んでいるのね?」
「あ、萌さんはご存じない? この車は、情報衛星を介して、地上・スーパーコンピューターに連結されています」
「なんだかSF映画みたい」
「そうですね」
僕らは一緒に笑った。
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外は地吹雪だ。
真っ白で視界がかなり悪くなっている。
こんなときに軽のミニパトなんかで走ったりしたら、たちまちのうちに、強力な横風に煽られて、ガードレールに押しつけられてしまうだろう。
そして、僕らを乗せた〈雪風〉は、強風を突っ切る感じで料金所を背にしつつ、ジャンクションのカーブに入っていった。バックミラーに分隊長が映っている。どういうわけだが、今日に限っていつまでも見送ってくれている。
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分隊駐在所がある会津盆地。
そこから西にむかうと喜多方になり、さらに奥に入ると西会津になる。西会津には、僕のいる福島県と新潟県との県境になっている飯豊山地・越後山脈が横切っているところだ。……旧・山都町はそんな西会津にあったのだが、平成の市町村大合併で喜多方になった。
高速道路の標識は五十キロ規制になっている。
この季節で平日だと、道路の複線化工事をしているトラック以外は滅多に通らない。視界といったら三十メートル先は白一色で、窓からみる景色はみえない。現在地を知るのもナビだけが頼りになる。
会津盆地の平坦面は喜多方が終点だ。そこからの路面は緩やかに上がってゆくことになる。そのあたりで、萌さんがいった。
「ねえ、雪女のこと知ってる?」
「綺麗どころの鬼」
「鬼ってなに?」
「えっと……妖怪みたいなものでしょうか」
「妖怪ってなに?」
「幽霊のようなもの」
「違う。どちらかといえば妖精でしょ」
「人を殺しますよね? 〈精気〉を吸うとかいって。……生命エナジーというか、そういうものを喰う、一種の吸血鬼。つまり亜人」
「しかしあまり邪悪な感じを受けない。どちらかというと自然法則の番人みたいな感じがしない?」
「そういわれればそんな気もします」
助手席にいる萌さんの横顔をみると微笑んでいた。
あと少しで県境になる。
地吹雪が酷くなってきた。
分隊長のミッションを思いだす。
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「――地吹雪があるとき、山都の路上で、よく重大な死亡事故が起こる。だが稀に生き残った奴がいて、事情聴取にゆくと、『雪女』に出くわしたっていうんだ。二年前、君の婚約者だった安寿さんを乗せたバス事故のときにも、唯一の生存者から、そういう証言があったんだ」
「それで科研の萌さんを呼んだんですね」
「そういうことだ」
現場は、切り立った山岳地帯の谷間を走るハイウェイ。
冬になると、低気圧が谷筋で圧縮され、強烈な横風となって高架橋を走る車両を、容赦なく谷底に突き落とすのだ。
風の音とワイパーの音、そしてエンジン音だけがきこえる。
エアコンだけは効いている。
眠くなってきた。
視界がなくなる三十メートル先。
そこで長いスカートにブラウス、カーデガンを羽織った女性が、くるくると、回っているようにみえた。
かろうじてみえる黒地に黄色い光で文字が描かれた電光掲示板に、「この先、雪の為、通行禁止。津川ジャンクションで下車」と書かれていると、助手席の萌さんがいった。
しかし、その前に、雪が積もって、車が動かなくなった。
除雪車がくるにはあと三十分はかかるだろう。
なにが時速三百キロで、高速警察隊が誇る、実質はスーパーカーな〈雪風〉だ。たかだか五十センチの積雪。自然を相手にしたらこのザマか。全くの無力ではないか。
僕は自嘲気味に思った。
それにしても眠い。
エンジンが停まった。
エアコンも停まった。
身体が足のつま先から冷えてきて感覚がなくなった。
き、君は……。
横にいる〈その人〉が、首筋に萌さんが唇を寄せている。いや萌さんではない。
――安寿!
いいさ。君になら。血を吸いたいならいくらでもやるよ。
意識がもうろうとしてきた。
僕は瞳を閉じた。
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山都。
考えてみれば、冥府の異称で、閻魔大王が総べる冥界・仙山の王都を意味する。
そこに死んだ婚約者・安寿がいて、僕を迎えにきたっておかしくはない。
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しかし。
『生きろ!』
R34スカイラインGTR(V-specII)。
銀色のボディーをした〈彼〉がナビのスピーカーで、僕に強くそういった。
牙と化した彼女の前歯が、僕の頸動脈を食い破りかけたときだ。
「雪風……」
情報衛星を介し、スーパー・コンピューターを頭脳とした〈彼〉には意志がある。
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シュルルルル……。
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助手席側にある天井蓋が勢いよく吹っ飛び、ジェット戦闘機の脱出システムみたいに、座席が外に跳ねだされた。途中からはロケットエンジンが噴射して、さらに高く飛翔。そこでようやくパラシュートが開いた。
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横風が吹く。
ふわふわ舞い降りてくる彼女の長いスカートがめくれてパンティーがみえた。
顔をまっ赤にしつつ、マリリンモンローみたいに思わず前を押さえている。
「もお~、まいっちんぐ!」
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ズコオオオ~ンっ。
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休憩時間の高校・科学室だ。
顕微鏡、フラスコ、試験管、アルコールランプが、大テーブルに置かれている。
黒板前の教壇で、四人の生徒が妄想劇を演じていた。
吊目でエルフ系な顔立ちをした化学教師・麻胡先生。三つ編みに丸眼鏡をかけた学年トップのチエコを最前列に、二人を取り囲んで他の女子生徒たちが観劇していた。
若い高速警察隊員〈僕〉役が田村恋太郎、科研の星名萌役が川上愛矢、禿げの分隊長が黒縁眼鏡の委員長。そして、雪女の安寿役が副委員長・西田加奈である。
頬杖をついた麻胡先生と、眼鏡をずりあげたチエコの二人はコメンテーターだ。
エルフな化学教師が横にいる学年トップにいった。
「おお、加奈ちゃん、またヒロインへの道を一歩進めたわね。凄い!」
「そうですよね、先生。地道な努力って重要なサクセスですよね」
三つ編み・眼鏡のチエコは、ともかく友人をたてる賢い女子生徒であった。
片や。
劇団員の一人、ショートカットの副委員長が教室の隅で拳を震わせていた。
「あ、あと一歩よ。そして私がヒロインになるの!」(←副委員長・加奈の野望、学園版)
. FIN
【キャスト】
♦僕……田村恋太郎
♦科研の女・星名萌……川上愛矢
♦禿げの分隊長……黒縁眼鏡の委員長
♦安寿……副委員長・西田加奈
【コメンテーター】
♦塩野麻胡……シオサイ高校化学担当教諭
♦芳野彩……通称「チエコ」、シオサイ高校生徒・学年トップ