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自作小説倶楽部 第10冊/2015年上半期(第55-60集)  作者: 自作小説倶楽部
第59集(2015年05月)/「子供」&「城館」
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01 奄美剣星 著  子供 『佐渡汽船』

挿絵(By みてみん)

 写真/Ⓒ奄美剣星 「佐渡汽船フェリー」




   佐渡汽船


 明治時代、日本を巡業していた欧州のサーカス団が新潟に立ち寄った際、イタリア人料理人が病気になったため、一人、置いてきぼりを食った。男気のある明治人たちはこういう異邦人を放置はしない。料理人のために資金を出しあって、洋食屋を開業させた。それが新潟市にあるイタリア軒で、現在はホテルになっている。

 三月末、前回の仕事を満期完了した私は、四月になって会社側からまた声がかかり再契約するに至った。赴任して最初の週の日曜日、ランチを楽しんだ後、なんとなく港がみたくなって、車をフェリー埠頭にやった。フェリーは佐渡島にむかう。そこの係員に話しをきいて、フェリーターミナルビル三階にある窓口にゆき、ツアーの予約を入れた。

 GWの初め午前七時集合。

 埠頭の立体駐車場に車を停めた私は、連絡通路をつかって、例のビル三階にある改札ロビーに足を進めた。遊びに行くときは、新入社員のころクレジットの分割払いで買ったリーボックの靴を履き、叔父からもらった英国製ジャケットを羽織って繰りだす。精一杯のお洒落というわけだ。

 連絡通路は白く、両壁には大きな窓があって、一万トンのフェリーやせいぜい数千トンというところのジェットホィールといった船舶が停泊しているのがみえた。前後を歩いている人たちはリュックサックにスニカー姿で、いかにも登山ツアーに参加するような格好だった。

 佐渡ってそんな物凄いところなのか? 軽装備できたんだが……。

 少し不安になった。

 そういう私を後ろから追い越して十歳くらいの女の子たちが駆けて行った。ツーピースにした長い髪で、ボーイスカウトがしているような上下の服を羽織っている。ジャケットにスカーフ、半ズボン、ハイソックス、スニーカー。背中に紅いリュックというところだったか。

 後から両親が、「ほかの人の迷惑になるから走らないで」とたしなめる声がした。

 フロアにはファストフードコーナーがある。いくつもある丸テーブルの席の一つに座って、カツカレーと珈琲とを注文した。すると、改札前の向こう側で賑やかな声がした。リュック姿の人々が百人くらいはいる。そのなかに、新潟在住の漫才師で地元放送局主催の登山ツアーのインストラクターの青年たちがいた。

「こんにちは今日一日皆様とご一緒するお笑い芸人カツオ&タラです」

 二人は引率する登山客たちと佐渡山脈のどこかにある山に登るらしい。私はテレビをみないので細かいことは判らないから、国民的漫画である『サザエさん』のキャラクターの名前を拝借してカツオ&タラと仮称しておくことにする。二十代半ばくらいで背の高い青年たちだ。

 船渡橋を渡る途中、対岸に、機銃の付いた白い海上保安庁巡視船が停泊しているのがみえた。ジェットホィールはどちらかというと中小船舶だ。それでも二百席以上はあると思う。内装は旅客機を意識したデザインで、二つの通路を挟んで、中央と両窓際にずらりと席が並んでいた。二階の中央列の先端にはトイレがある。私はそこに近い二階左舷側の席に座った。

『本船は時速八十キロで航行いたしますが、障害物を発見した場合、衝突を回避するため、急停止することがあります。どうぞ座席にございますシートベルトをご着用ください。昨日鯨の通過が確認されました』

 天気はいいのだが朝もやがかかっていて視界は悪い。それでもロシアからのものか、LPガスタンカーとすれ違ったときはちょっと楽しく、デジタルカメラで何枚も写真を撮った。 正面に大スクリーンの液晶テレビパネルがあって大リーグ中継されていた。イチローが内野フライをやってアウトになっていた。ゆきの船旅は一時間そこらで終わった。

 私が参加した佐渡島日帰りツアーとテレビ局主催・登山ツアーの人々とはそこで別行動になった。

 島ではバスツアーで客の三分の一は中国人だ。日本人は家族連れや中高年夫婦、中国人は学生なんかが多かった。砂金採り体験施設、江戸時代の集落景観をそのまま残す港町、タライ舟体験施設、トキ繁殖施設の順に回った。

 砂金体験施設は植物園のようなガラス張りの建物で入場料がかかる。内部には水路があり、そこに多量の砂金をばらまいておくのだ。横には実際に砂金採集をしていた小川が流れており、こちらは無料。

 私は川原に降りて、バスが出るまでの四十分間、川砂をすくってみたが一粒も採れない。コツというのもあるが砂金含有率はきわめて少ないことを知った。奴隷労働でもなければとても採算が採れない作業だ。

 有料のタライ舟体験をやっている港では、私は、すぐ後ろにあった歴史資料館と和船の保存施設に入った。資料館には縄文時代から近代までの考古遺物・寄贈品で埋め尽くされており、和船は昭和三十年代あたりまで実際に使われていた交易船がそのまま展示されており楽しめた。――観光客の財布の口をできるだけ緩めようとする旅行社は、そのあたりのことを伏せている。

 午後四時。

 佐渡市両津港のフェリーターミナルにゆくと、朝方・新潟港にいた例の登山ツアーの面々も戻ってきていた。そこのベンチに座って、紙カップの珈琲を飲んでいると、青年漫才師コンビカツオ&タラのうちの一人タラ君の横には、四人の少女がまとわりついて離さないでいた。ボーイスカウト風の装いをしたツーピース髪少女もいた。

 改札が始まり船渡橋からフェリーに乗りこんだ。一万トン級の大型船舶で二時間半の船旅になる。キャビンは五階からなり、カウンターと食堂それに二等室のある三階から出入りして、四階がダブルベッドのある一等室、五階がスィートルームにあたる貴賓室になっている。

 私のチケットは二等室だが仮眠するほど疲れてもいないので、四階の船尾にあるデッキ丸テーブルの席に座って、景色をみながら小瓶のウィスキーをあけていた。

 ウィスキーのラッパ飲みは性に合わないので、持参したグラスに注いで飲む。肴は開かれたフランス窓から船尾デッキ越しに眺望す海だ。

 遠ざかりゆく佐渡島の海岸線。

 自衛隊のレーダー基地もある残雪が戴きに残る山並み、新緑の木々に覆われた山裾が、突然落っこちる感じで海に突入する急斜面となる岸辺。海中から突然顔をだしている絶壁の小島。それらが春の終わりの霞の中に消えてゆく。

 登山ツアー組は、四階船尾側にあるホールを貸切りにして漫才コンビが司会するビンゴゲームで盛り上がっていたが、一時間ほどで終わった。

 十羽ばかりいるカモメは船に棲んでいる様子で、佐渡から新潟までずっとついてくる。どこでもそうだがそういうのをみると客たちは面白がって、ビスケットやポテトチップを風に飛ばしてやる。カモメは器用にそれをくちばしで受け取っていた。

 バスツアーに参加した日本人たちにいた若夫婦の御亭主はダンスが上手で、奥方に披露していた。その後ろを相変わらず四人の少女がバタバタ駆けまわっていた。女の子たちに手を引かれたり腰を押されたり、屋上デッキから大義そうに昇り降りしていたのは父親ではなくタラ青年だ。

 西に傾いた太陽が、船を追跡するかのごとく、海面に橋のような輝きをみせていた。

 ツーピースの少女がベンチに座った青年の髪を横に立つ格好でしばらく指に絡めて弄んでいた。

 タラ青年はぼんやりと夕陽をみていた。

 少女が冒頓にいった。

「解放してあげる」

 それから仲間のところに駆けていった。

 青年は船が接岸するまでベンチに座っていた。

 ほどなく、やたらに長く伸びた新潟港の防波堤の先端にある真っ赤な灯台がみえてきた。

          了

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