02 紅之蘭 著 嘘 『ハンニバル戦争トレビア会戦4/4』
【あらすじ】
紀元前三世紀半ば、第一次ポエニ戦争で共和制ローマに敗れたカルタゴは地中海の覇権を失った。スペインすなわちイベリア半島の植民地化政策により、潤沢な資金を得たカルタゴに、若き英雄ハンニバルが現れ、紀元前二一九年、第二次ポエニ戦争勃発が勃発。ハンニバルは、ローマ側がまったく予期していなかった、海路からではなく陸路を縦断し、まさかのアルプス越えを断行、イタリア半島本土に攻め込んだ。偵察隊によりハンニバルの意図を知ったローマ側は急きょ、新軍団を設立。シチリアに駐屯していた別働隊をも呼び寄せて、対抗するのだが……。
嘘
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――嘘だ!
こんな戦い方ってあるか。
はじめ、ローマ軍の軽歩兵及び重歩兵は、精強で、戦闘開始時点の二万からさほど数を減じていない。左右を固める同名都市軍八千も同じだ。カルタゴの精鋭部隊に蹴散らされたものの、逃げ場のない外縁にいたガリア同盟諸部族の軍勢が、加わってきて総勢三万五千になった。兵数だけからいえば、まだ、両勢力は拮抗しているといえる。
しかしカルタゴ軍は、游兵を作ることなく両側面と背後に強兵を配して、六方向から同時に攻めたてられては、さしものローマ軍も防戦のしようがない。
日に焼けた猪首の執政官ロングスが、返り血で汚れた若い騎兵将校の荒い息で、近くにきていたのに気づいた。
「スキピオ、来ていたのか? この窮地を脱する策を教えにきたとでもいうのか?」
「お分かりだとは思いますが、やはり、敵陣で最も弱いところを食い破るしかないかと――」
カルタゴ勢の弱点はどこか。
単純だ。いま、ローマ軍・重装歩兵が正面で火花を散らしている、真正面の壁になっている、カルタゴ側・ガリア歩兵を食い破るのだ。
若い将校は話を続けた。
「僕が、生き残りの騎兵全部を率いて、正面突破に風穴を開けます。執政官閣下は、重装歩兵を率いて、敵陣の背後に回り込ませて欲しいのです」
「それで、一人でも多くの兵士を脱出させるというのだな?」
「はい」
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スキピオが槍を掲げる。
「ゆくぞ――」
中軍の前面にきた騎兵一千弱が、最後の力を振り絞るように、カルタゴ方ガリア歩兵の陣に突入してゆく。
「縦列隊形をとれ、ドリルのように、騎兵が開けた壁の穴を押し拡げ、向こう側に突き抜けるのだ!」
身体が冷え切り、空腹だったローマ兵は、それでも強かった。局所的に見れば横隊陣形をなしているカルタゴ中軍の突破を図った。
騎乗の青年将校は、途中、三頭の戦象とすれ違った。
敵戦象の背中・籠に乗っかっている隻眼の総督と、横にいる白髪の軍師がみえた。
――ハンニバル!
槍を喰らわせようとしたが、三メートル強の高さがある象の背・籠には届かない。
「戦象には構うな、突き抜けて、浸透作戦に移るぞ」
戦象ブケパロスの鼻が、続くローマ騎兵を横にぶっ飛ばし、足で踏みつけ蛙のようにペシャンコにした。
戦友の死をみるたびに双眼から涙がこぼれる。いや、正確を期するならば、もはや枯れて顔だけが泣きじゃくっているようにみえるだけだ。
ハンニバルの親衛隊をなす戦象三頭と、合間にいる、麾下の軽歩兵三百が絶え間なく弓矢を放っている。その蛮勇が、蛮族である帰参したばかりのガリア諸族の兵士一万弱を勇気づけ、かろうじて瓦壊を防いだ。
カルタゴ中軍に風穴は開いたものの、戦象の正面を突破するのは、恐怖そのものだ。
隊伍中央にいたロングス執政官は、精強とはいえども初めて向き合う戦象に戸惑い思わず立ちすくむ麾下のローマ重装歩兵を、押しのけるように前にでてきた。
「指揮官を最前列に立たせるとは、生意気な」
ロングスが振り返って白い歯をみせた。
筋肉質である百人隊長たちが、ロングスに追いつき、追い越した。
「閣下を死なせでもしてもり。おまえたちは、女房子供から永久に馬鹿にされるぞ」
――突き破れ!
ローマ市民からなる重装歩兵は、やはり精鋭であった。
騎兵に続いて重装歩兵・軽装歩兵が「風穴」を突き抜けてゆく。合わせて左右の同盟市軍も抜けた。
縦列陣形をなしたローマ軍のうち三分の一にあたる一万人が中央突破に成功した。
残る二万は、カルタゴによる六方向同時攻撃を受けて、抵抗らしい抵抗もできない。
ローマ軍のケツにかじりついた、カルタゴ軍分遣隊のマゴーネは、麾下二千のうち軽歩兵一千の矢箭で痛めつけ、矢が尽きたところで騎兵一千をくりださせた。
「これは戦いじゃなくて、もう、虐殺だ」
ローマ勢の横腹に食い付いた猛将ハンノが、槍を片手に自ら敵をなぎ倒しているのがみえた。
脱出できなかったローマ勢二万が嬲り殺されていった。
カルタゴ側の損害はどうか。
最も弱いガリア歩兵が数千人の被害を受けたものの、左軍スペイン歩兵、右軍リビア歩兵にほとんど損害はない。トレビア川東岸に陣取っていたローマ軍をおびき寄せるため、緒戦で少し戦ってからすぐに引いた騎兵九千も、実はほとんど被害を受けていない。
カルタゴ側の圧勝であった。
ただ後世の歴史家たちは口をそろえていう。
――ロングス執政官はともかく、あの大スキピオを逃がしてしまった。
そしてこう続ける。
――大スキピオは、ハンニバルを師として戦術を学んだ。
のだと。
(トレビアの戦いEND)
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……カルタゴの名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。この将領はハンニバルの親族だが、カルタゴには、ほかに同名の人物が二人いる。カルタゴ将領に第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った同姓同名の人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておくことにする。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。ローマの名将。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……カルタゴ本国上陸を睨んで元老院によりシチリアへ派遣された執政官。
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※自作小説倶楽部・小題4か月分です。小題が決まりましたら、順次キーワードと挿入と物語に若干の変更を行います。そのあたりはご了承くださいませ。




