01 奄美剣星 著 嘘 『百万本の薔薇』
〝仮想都市〟
登録者はサイトの〝市民〟になりペイジに相当する〝島〟が与えられる。〝島〟で家を買い、野菜や花を育て、町に繰り出したとき、服などのショッピングを楽しみ、催物に参加することもできる。
私と主人は歳の差夫婦というのに当てはまる。歳の功というのか、主人は一回り歳下の女の扱い方というものを心得ているらしく、夫婦仲はけっこういい。
主人は、ストレス解消になるといって、インターネット・コミュニケーション・サイトに登録しブログ小説を書いていた。
私が、主人の〝島〟に出入りするようになったのは、野菜や花の栽培ができるというのに魅力を感じたからだ。いつの間にか、主人はブログ、私は畑とガーデニングが役割分担になった。
主人の小説レベルときたら……誤字は多いし、登場人物の内面描写も少ない。はっきりいって下手な小説だった。余計なお世話だとは思うのだけれども、小さな出版社で校正の仕事をしている私は、読んでいてどうにも許せない箇所をみつけるとついつい添削してしまう。
勝手に文章を直す私に対して、主人は文句をいわない。むしろ逆で、
「さすが、フユミさん、才媛だ。プロの文章は違うねえ」
とかいって持ち上げる。
私は、ついつい嬉しくなって、また手を加えてしまう。
ある年、そんな主人が東北に単身赴任にゆくことになった。
「フユミさんも〝仮想都市〟に登録しておけよ。毎日、分身で会話できるじゃん」
分身というのは、〝仮想都市〟における登録者自身を表現するイラストだ。パソコンのマウスを動かすと画面上でも動き、文字を打ち込めば漫画みたいに〝吹き出し〟に会話内容が打ち込まれる。主人は髭を生やした紳士風に描かれていた。
それで……。
私も登録し、一日一回はINするようにした。私はショートカットでシンデレラみたいなドレスを着た姫君みたいな恰好の分身だ。絵本のような絵の町並を歩くと、BGMに、旧ソビエト連邦時代ラトビアの歌手アラ・ブガチョワの『百万本の薔薇』が流れていた。――グルジアの貧しい画家ニコ・ピロスマニが、マルガリータという名の女優に恋し、なけなしの金をはたいて、多量の薔薇を買い贈ったという逸話に基づいている。
「ケンさん、おはよう、いってくるね」
「一日、仕事お疲れさん」
「ねえ、今度の週末、そっちに遊びにいっていい?」
「いいよ。フユミさんが好きそうなフレンチ・レストランをみつけて、偵察しておいた」
新幹線をつかってリアルの主人がいる町を訪ねるときは、〝仮想都市〟はお休み。主人が車を運転して、素敵なレストラン、名所とか映画館にもいった。
そして……。
主人が三・一一大震災で亡くなった。建物の崩壊によるのではなく、津波にのみこまれたのだ。遺体は町の公民館で確認した。遺族の応対をした方も御自身が家族を亡くされたなかでの職務とうかがった。線香と腐臭が漂う停滞した空気、ときおりすすり泣く人たちの声。百以上も並べられた柩の窓を片っ端からのぞきこんで、主人の顔をみつけた。
〝分身〟とは違って髭を剃った面長の顔だ。
――やっと会えたね。……ケンさん、帰ろう。
家族葬をやってからしばらく経った。
バルコニーのある白い家。二階部屋にある寝室で全身を映す鏡でみると痩せっぽっちな私。長くなった髪をとかしたり、マスカラをつけてみたりした。それから、デスクのパソコンを立ち上げ、久しぶりに〝仮想都市〟にINしてみた。
するとだ。
「フユミさん、調子はどうだい?」「最近、連絡がないな。忙しいのかい?」「またいいレストランをみつけたよ」
伝言板にメッセージが書き込まれているではないか。
――悪戯に違いない。
震災の後も、主人のブログが更新されているのに驚く。主人の登録パスワードは控えてあるので、自分のパソコンから主人の〝島〟にINしてみると、ブログは一週間に三本以上必ず更新されている。そればかりか、生前からお付き合いしていた訪問者の皆さんと、伝言板で書き込みし合っていた。
〝仮想都市〟の街路には、おびただしい赤い薔薇の花がまき散らされいた。相変わらず華やかな光景。――それはそうと。
私は、サイト運営会社の方にメールを送って、事情を説明して調べてもらうことにした。
(送信されてくるデータは、ユーザーID・アドレスより、ご本人様のパソコンから入力されているとしか考えられません)
あのパソコンは主人と一緒に津波に呑みこまれたはず。……いや、波が退いた後、誰かが拾って、データを読みこんで悪用しているのに違いない。
それで主人の〝仮想都市〟を脱退させることにした。
またしばらく経った。
私の〝島〟に、主人を名乗る訪問者からの伝言が、毎日書きこまれていた。――新規登録されたようだ。これは誰かの悪ふざけか? それとも、ホラーか?
数年経ったのだけれども、主人を名乗る人物は、一週間に三回以上ブログを更新し、伝言板に挨拶めいた書き込みをしているほかは、特に悪用している気配はない。私たち夫婦でしか知り得ないこととか知っているし、句読点の打ち方・文体とかまでもそっくりだ。
このごろふと。
主人は〝仮想都市〟では生きていて、私を気遣い、会いにきてくれる――このまま騙されてみるのもいいかもしれない、と思うようになってきた。
(了)
曲名
アラ・ブガチョワの『百万本の薔薇』
https://www.youtube.com/watch?v=zDjotWBFi4Y




