01 紅之蘭 著 欠片 『 ハンニバル戦争トレビア会戦3/4』
【あらすじ】
紀元前三世紀半ば、第一次ポエニ戦争で共和制ローマに敗れたカルタゴは地中海の覇権を失った。スペインすなわちイベリア半島の植民地化政策により、潤沢な資金を得たカルタゴに、若き英雄ハンニバルが現れた。紀元前二一九年、第二次ポエニ戦争勃発が勃発。ハンニバルは、海路からではなく陸路を縦断、不可能と考えられていたアルプス山脈を乗り越えて、イタリア半島に雪崩れ込むという長征に成功する。
古代ローマVSカルタゴ。ついに互いの文明の命運をかけた激突が始まる!
欠片
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古代における戦闘方法はまず、軽歩兵が放つ弓矢の射程距離まで、互いの間合いを詰めてゆくところから始まる。距離にしておよそ百メートル弱くらいだ。
――放て!
最前列に突出したローマ軽歩兵四千だ。一分間に一、二本の間隔で矢を射た。実際に矢を放っているのは半数で、残りの予備兵は、交替まで、革張りの長い盾を持って天にかざし、宙空から降り注ぐ矢から、自分と弓矢を放つ戦友を守る。それでも天井にしていた盾の隙間から矢が飛び込んできて、死傷者をだしてゆく。
しばし敵味方軽歩兵による矢の応酬が続く。
最精鋭たるローマ軽歩兵の弓矢は正確で、矢が尽きるまで放った。カルタゴは二千ほどの死傷者をだした。
ローマ軽歩兵が矢を放ち尽くすと、執政官ロングスはこれを下がらせた。代わりに、後方で横列をなしている重装歩兵を後詰として前面にだす。当時の重装歩兵は、百人隊を基本とした密集方陣隊形をとっている。その中核にいる馬上のロングスも麾下とともに前にでた。
合わせて左右の同盟市、さらに外縁の同盟ガリア部族の歩兵が前にでた。
距離百メートル。
横列をなした敵の前面に陣取っている戦象三頭の姿をとらえることができた。
あれが噂にきく象という生き物か。ハンニバルは戦象を望楼代わりとして指揮をとるという。
――あの生き物の上にいるのが敵の総大将だ。ハンニバルの首級をあげろ!
ローマ軍四万の兵は、朝方・緒戦での騎兵戦と、今しがたの弓矢戦で若干の消耗はあったが、なお三万五千を下らない陣容を保っていた。
真正面にいるカルタゴのハンニバルがいる中軍は、その数一万二千だが、最も弱い新参者のガリア歩兵が主体になっている。ローマ側が放った矢箭を受けて二千ばかりを消耗させていた。カルタゴ傘下のガリア歩兵は、恐怖に引きつった顔になっていた。
しかし、二十九歳である隻眼の総督のカリスマが、浮足立った連中をかろうじて敵前逃亡から防いでいた。
ローマ重装歩兵が、カルタゴ中央軍・ガリア兵を蹴散らし、一時は、ハンニバルの戦象に迫った。
カルタゴにわずか三頭だけ残った象だが、その皮は分厚い上に、マスクと前掛けをつけているので、弓矢や槍によって正面から象を傷つけるのは困難だ。象一頭につき弓矢を手にした軽歩兵百名がつき従い隊伍をなしている。
スキピオのいる最右翼の騎兵二千弱が、最左翼の騎兵と連動して、カルタゴ中軍の後方に回り込んで、背中側から衝こうとした。
刹那。
降雪に姿を隠していたカルタゴ軍の伏兵が姿を現した。
視界の届かない背中を衝かれるということは、練度の低い兵士をパニックに陥れる。
――け、ケツに、敵が!
ハンニバルの末弟マゴーネが指揮する分遣隊だ。騎兵と軽歩兵の各一千、合わせて二千から成っている。トレビア川の岸辺・灌木林に身を潜め、ローマ全軍が動き出してから、静かに後をつけてきたのだ。
挟み撃ちとなった状況に、まず浮足立ったのが、ローマ軍側の弱兵・ガリア歩兵だ。左右の隊伍は各六千で合わせて一万二千。
外側にいる左右二千弱の騎兵、合わせて四千。
これらローマ側諸隊の各個に。
カルタゴ側は、左右の敵騎兵に対して、倍する四千五百からなるヌミビア・スペイン・ガリア人混成部隊の騎兵・合計九千で衝く。
同時に、カルタゴ側は、左右のローマ麾下のガリア兵に、北アフリカにあるカルタゴ本土から渡ってきた左軍・リビア歩兵八千、右軍・スペイン歩兵からなる左軍八千といった、アルプス越えをして生き残った精鋭が襲い掛かった。
カルタゴ一の猛将ハンノが、麾下の左軍・スペイン歩兵を率いて躍りかかった。
「者ども、続けえ!」
横槍。
隊伍の側面から不意に襲われるということは、背後から襲われることの次に恐怖である。
倍するカルタゴ側騎兵に押しつぶされたローマ側騎兵に続き、恐怖におののいたローマ傘下のガリア歩兵の隊伍が瓦解した。
うわあああ……。
ローマ勢がバタバタ討ち取られて雪原を血で染めた。
「中軍へ合流する。生き残った者はわれに続け!」
騎兵隊長が戦死したので、若き騎兵将校スキピオは、乱戦の最中に、生き残りをかき集めて、中軍に向った。それにしても……。
――な、なんだ、この陣形は!
包囲殲滅陣形。
それは軍史に名を残す、あまりにも有名な、楕円形をなした包囲隊形だった。大軍をなしていたローマ軍がだんだん小さく〝欠片〟のようになっていった。
戦いは第三段回、カルタゴ勢によるローマ勢への掃討作戦に移行する。
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カルタゴ軍・混成軍騎兵 カルタゴ軍・スペイン歩兵
↘ ↓
カルタゴ軍・ガリア兵 → ← 【ローマ軍】 ← カルタゴ軍・マゴーネ分遣隊
↗ ↑
カルタゴ軍・混成軍騎兵 カルタゴ軍・リビア歩兵
【登場人物】
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《カルタゴ》
ハンニバル……カルタゴの名門バルカ家当主。新カルタゴ総督。若き天才将軍。
イミリケ……ハンニバルの妻。スペイン諸部族の一つから王女として嫁いできた。
マゴーネ……ハンニバルの末弟。
シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。
ハンノ……一騎当千の猛将。ハンノ・ボミルカル。この将領はハンニバルの親族だが、カルタゴには、ほかに同名の人物が二人いる。カルタゴ将領に第一次ポエニ戦争でカルタゴの足を引っ張った同姓同名の人物と、第二次ポエニ戦争で足を引っ張った大ハンノがいる。いずれもバルカ家の政敵。紛らわしいので特に記しておくことにする。
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《ローマ》
コルネリウス(父スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名将。大スキピオの父。
スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。ローマの名将。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長する。
グネウス……グネウス・コルネリウス・スキピオ。コルネリウスの弟で大スキピオの叔父にあたる将軍。
アシアティクス(兄スキピオ)……スキピオ・アシアティクス。スキピオの兄。
ロングス(ティベリウス・センプロニウス・ロングス)……カルタゴ本国上陸を睨んで元老院によりシチリアへ派遣された執政官。