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自作小説倶楽部 第10冊/2015年上半期(第55-60集)  作者: 自作小説倶楽部
第56集(2015年02月)/「恵方巻き」&「夜明け」
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04 ぼうぼう 著  夜明け 『卒論』

   卒論

.

 波打ち際に私は立っていた。まっくらな中波音だけが足元に響くだけで自然の脅威に触れている気がする。しかし、私はこの場所のこの時間が嫌いではない。もう少しすると太陽の光がオレンジ色になって海を染め始める。

 ふと気づくと十メートルほど向こうにカップルが浜辺に座って、話し込んでいた。

「また先生に駄目だしされた」

「また駄目だしっって、二回目じゃん。俺、まだ論文どころかデータ取り直しだし」

「今回の駄目だしで私もデータ取り直しするよ」

「え、まじ?」

「っていうか、今実験最中だよ~」

 そういうと彼女はいきなり砂浜に顔を突っ伏し、彼は途方に暮れて固まった。

 その必死さがなつかしくもあり、滑稽でもあり、思わず私は噴き出した。それに気づいて砂まみれの顔と途方に暮れた顔が私に視線を突き刺してきた。しかし、私は笑いがとまらないまま、二人に顔を向けた。

「ご、ごめんなさいね…あ、ぷっ、おもしろ、いや、ごめ……」

 さすがにこの態度は失礼にもほどがあるー私自身、自覚はあった。

「あ、謝るぐらいなら盗み聞きしないでくださいっ」

 砂まみれの顔を上げ彼女が私に怒った。彼の方もむっとしている。二人の険悪な空気を感じながら、それでも私はどうしても笑いをこらえることが出来なかった。

「ご、ごめ……あはっ、いや、も、申し訳ない……で、でも」

 面白いというのではない、彼らの苦悩があまりにもなつかしくて、可愛くて私は笑う。それを説明する前に彼らは声を荒げた。

「とても、申し訳ないという態度には見えないのですが」

 彼が異議を唱えた。今どきの若者は草食系どころか絶食系といわれてるにしては、立ち向かってくるな、と私は少しだけ彼らを見直して、なんとか笑いをこらえた。

「たぶん、私、あなたたちと同じ大学の卒業生」

「え?」

「この場所で今の時期、卒論でうなってるならS大の学生さんでしょ?」

「確かに僕たちS大ですし、ここらへんうろついてるのってS大生が多いけど、でも…」

 彼の方が尋ねてきた。

「学生がここらへんうろつくならわかるけど、あなたはどうしてここにいるんですか?」

「あなた達と同じ頃の自分がなつかしくて、ちょっと立ち寄ったのよ」

「学校でなくてなぜこの海岸なんですか」

 今度は、多少顔の砂をはらった彼女が尋ねてきた。

「学校はけっこう建物が変わっているし、この風景の方が変わってないから、かな」

 二人は一瞬首をかしげた。

「建物自体はここ三十年ほど変わってないときいていますけど……」

「ようやく改修の話がでてきたぐらいだし」

 彼らの言葉を無視して私は話を続けた。

「教授に卒論突き返された時、私もやっぱりここに来たから。あせったり落ち込んだりした時にここに来るのが大好きだった。そして、やっぱりこれでしょ」

 私は海岸線を指差した。暗闇の中から水平線がうっすらオレンジ色の弧になってきていた。

「夜明けのこの光りが大好きだったの。あなた達はどう?」

「私たちもここが好きで、よく二人で来ます」

 私は笑ってうなづいた。

「若い人たちとしゃべるのはやっぱり楽しいわね」

 彼が再び怪訝な顔になった。

「僕たちとそんなに年齢差あるようにお見受けできないんですが」

「あら、嬉しい。若作りしたかいがあったわ」

 朝日は私たちの全身をオレンジ色に染め上げる。

 広がる光を浴びながら、この若い二人に幸多かれと、私は願った。ここに寄り道してよかったな。オレンジの光が私をやさしく包み込み、私はどんどん光と一体化する。驚く二人の顔を見ながら私は笑った。

「卒論の作成は、もがけばもがくほど、苦しむめば苦しむほどに、あなた達の糧になる、信じていいわよ」

 二人はただ呆然と私を見つめている。

「最期にあなた達に出会えてよかった」

 私は光と同化しながら、この世に別れを告げた。

.

 数年後。

「ああ、もうっ!引っ越しは来週なのに、全然片付いてないじゃない!いつまで寝てるのよ!」

休日、合いカギを使って入ってきた彼女は部屋の惨状に声を荒げた。

「ん、ん~~~」

 布団がちょっとだけもぞもぞ動いたがそれ以上の変化の気配はない。あと二か月で結婚するっていうのに、やることが山のようにあるっていうのに。むっとしながら彼女はダンボールに彼の物をどんどん放り込んでいたが、その手がとまった。

「これ、卒論だ」

「おっ、なつかしい」

 それまで彼女を無視していた彼がむくりと起き上がった。

「わざわざ、プリントアウトしていたんだね」

「親が仏壇に報告しろっていうからさ」

「そうだったんだ」

 論文をパラパラめくっていた彼が一つの数字を見て言った。

「この数字、なつかしい。再実験でようやくとれたデータだ。そういえば、お前もデータ取り直ししてたよな」

「あの教授、意地悪よね。わざわざ、論文締切の二週間前にやり直しさせるんだもの」

「あれって、絶対わざと、だよな~」

「うん、ほとんどの学生、データ取り直していたものね」

 彼女は笑った。

「論文の内容って、今の仕事と何にも関係ないけど、論文仕上げたことってのは、今の仕事の役にたってるよね」

「あの時より書類提出の期限、もっときっついけどな」

 卒論に書かれた数字を触りながら、彼も苦笑した。そしてぽつりとつぶやいた。

「あの時だよな、海岸でさ」

「うん…」

 二人は、あの海岸の出来事に想いを馳せた。

「やっぱり幽霊だったんだ…よな?」

「たぶん?思いっきり私たちのこと腹抱えて笑い飛ばしていたわよね」

「幽霊っぽくない幽霊だったよな」

 しばらくして彼が口を開いた。

「あの人の言ったこと、今になってちょっとだけ、わかるようになった気がするんだ」

「うん」

「まぁ、今の俺たち見ても、あの人笑い飛ばしそうだけどな」

「ふふっ、確かに」

 そこで彼女は現実に戻る。

「起きたんなら、さっさと荷物詰め込む!」

 彼は肩をすくめ、卒論をダンボールにいれると、もそもそ片づけを開始した。

 いつか二人であの夜明けの海を見に行こう。

.

.   (おわり)

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