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とある一種のネガティブキャンペーンとある一種の気配による一種の感情について 副題、正しい人の殺し方~恐怖の研究~ 

作者: 羽生河四ノ

エッセイ風ね。エッセイ風。

間違っても真面目に読んだらダメだよ。

テンションが上がっちゃっただけなんだからねっ!

 僕の後輩は、ゲームとかそういったモノにある、

 「やりこみ要素」

 というものが、いまだに本当にゲームにだけしか存在しないと未だに頑なに信じているきらいがある。

 僕はその後輩に対して何度となく「そんなことはないんだ!本にだって、二周目三周目の面白さがあるんだよ!僕はそのことを君に言っているんだよ!お前コノヤロウ!燃えろ!燃えろドラゴン!燃え盛れ!」

 と、口を酸っぱく熱く情熱をかけて語っているのに、その後輩は何度それを伝えても「ハイハイ」みたいな感じで信じてない。それだから僕自身がそういう思いを抱くのも仕方ないことであると思う。

 しかし、熱くなると見境がなくなる僕であるからして、大抵あとで冷静になって考えてみると、自分にも非が、多大な非があったのかもしれないと思うこともある。

 例えば僕が熱く語ることが、その後輩に対して何かしらの後ろめたさや、嘲笑、軽蔑とかそういったものを感じさせて、「こんな暑苦しい奴の言うことなんか死んでも聞いてやらん!偉そうに何言ってんだ。死ね!糞が!キ●●イが!全身の皮が剥がれろ!」と思わているのかもしれない。ということだ。

 というもの僕自身が同じだから分かることであるのだけども。

 僕自身、他人から口うるさく、高圧的に、押さえつけるように言われるような立場だったとしたら絶対にそうなるであろうから、それは少なくとも理解できていると思う。悲しくなるほどに理解できる。人は一生かけても、他人の言うことなど聞き入れたりはしない。絶対に。それは自分で気づいて修正することなのだ。人から言われたのはただの何種類かの音階に過ぎない。それを後で自分の言葉にして人は聞き入れている、に過ぎないのだから。だいたいなんでそんな高圧的で偉そうな奴の糞みたいな事を聞き入れれるものか。


 僕は学生時代に親から「本を読め、本を読め」学校から「本を嫁、本を嫁」今まで一度も会ったことも無い奴からすら「ホント本を夜目、ホント本を夜目」とスイッチをいれた掃除機のように言われ続けてきた為に、絶対、絶対に死んでもほんの少しもほんのちょっぴりも一切ほんの一文字も読まなかった。

 本はあなたの人生を豊かにする、という言葉の意味がわからなかったし腹がたった。本だけが人生を豊かにするわけじゃないだろう。大体に置いて、人生に大きく関わることをそんなに気安く簡単にインスタントのように消費するなんて頭がおかしいんじゃないか?と思えた。

 本を読むことより重要なことが僕の学生時代には満載していた。例えば空気を読むといったようなことだ。

 空気も読めない僕という、不透明な存在に対して本を読めなどと言う成人以上の自分が行うことは全てが善と思っているような連中は何となく頭が悪いんじゃないか?という気がした。人生を生きるときに大切なのは本を読むことよりも、空気を読むことだし、才能のある人間に対していかに効果的に媚を売るかを考えることだし、年齢を重ねるごとに発生して自覚する不可能とかうしようもないことに素直に諦観がしかもスムーズに出来るかどうかだ。それに死を受け入れて様々な準備をすることだ。誰しも何となく自分は、自分だけは死なないと思っているような気すらする。自分は危ない目には合わないと思っている気がする。男であれば、自分だけは妻に突然に離婚届けを突きつけられないと思っているし、女にとっては、自分だけはレイプ犯にレイプされないと思っているような気がする。

 大人達にとって幼い存在に本を読ませるという行為は、単にそいつの理解力を上げて、自分の都合のいいように作っていくという行為でしかないのではないのか?それと何が違うのか?

 僕が信じているこれらのことは学生時代から変わらないままに僕の中に存在している。ましてや僕自身、年を取るごとにそれらの感情の数値は増大を続けてすらいる。

 子供の頃からこんな嫌な奴ではあったが、それが大人になると本当に手に負えないものである。そして僕ももういい大人なのだ。当たり前だけどもまったく嫌な大人だ。少なくとも今のポジティブを推奨するこの国においては僕は全く嫌な大人なのだだろうと思える。

 当たり前のようにに嫌な大人になった。

 若い世代の人間に対して、どうしようもない憎しみを抱く大人になった。

 子供の頃に絶対になりたくなかった大人になった。

 僕もまたそれになった。

 なってしまった。でももしかしたら自動的にそのような大人になるのかもしれない。そうなるのが誰しも運命なのかもしれない。そう思える。思っている。


 さて、あらかた個人的な僕の譜の感情は言い終わった。それでは遅まきながら、この話のスタート地点に戻ろうと思う。いまの僕と後輩に向けた話をしようと思う。

 学生時代一切の本を読まなかった僕は、今では180°くらい逆の生活を送っている。今の僕は学生時代の僕が知ったら引くほどに、それを知ったら今の僕を殴りつけてくるほどに本を読む人間に成長した。なので後輩にあんな馬鹿なことを熱く真面目にウザイくらいに語っている。後輩はいまだにそんな事を一切、一霊霊対霊で信用しないけども、今の僕は本にも二周目三周目があるとたしかに確信に近い思いでいる。そう確信していると言ってしまってもいいかもしれない。そしてこの文章を後輩や少しでも多くの人に読んでもらって、少しでも理解をいただけたのならば、それにまさる喜びはないかもしれないと思うのだ。


 

 それが一体全体、何度目なのか?多分三度目か四度目かそれくらいになると思うのだけれどもトリイ●イデンの「●霊のような子」をまた改めて読んでいた時に面白い記述を発見した。

 未読の方もおられるであろうから、簡単に。


 ある少女を救うために色々と奔走する主人公はその最中、自分そっくりのバービー人形みたいなものを自分の車で轢いてしまう。そして主人公は「これはきっと黒魔術の類だ」と考えて、その知識のある人間にその行動と行為(自分そっくりの人形を車で轢くという行為)の意味を求めるというシーンが作中のある部分に存在する。


 そして主人公は「普通ならその人形を踏むことは全く予期できないことだったし、絶対に気づかないだろう、それでは私を怖がらせるという観点からいえば、意味のないことなのではないか?」みたいなことをその知識のある人物に質問する。それに対して、


 「これは黒魔術なのよ、ゲームじゃなくて。肝心なのはあなた自身にその人形を壊させることなの」

 とその相談されたブレ●ダ(白魔術師)は答えている。

 

 そんで僕はそれを読んで、目からウロコ、もしくは何かそれらしいものが落ちた。なんでもいい。ここでは僕が何かを落涙したという事実が重要なのだ。

 そして僕がその部分を読んで自分なりに、身勝手に、無責任に、ざっくばらんに、翻訳すると次のようになる。


 「本当に誰かを殺したりするつもりなのなら、相手に対して危険を感じさせるやり方はマヌケのすることであって、(ここからが僕の本領発揮地点)ホラー映画で貞●や伽●子や富●や●優霊やそんなのが時々映像のどこかに写りこんで、その話の主人公が「オレ(もしくは私)、なんか身の危険が迫っているのかもしれない」と感じさせるのは全くの不純な動機や見ている人に「ホラー映画だから怖いというおもしろさ」を提供する行為であって真面目じゃない。そんなヤツに殺されたり、人生をダメにされたのではやってられない。全くやっていられない。相手を殺すということを真面目に真っ直ぐに純粋に突き詰めれば、突然に通りすがりにサバイバルナイフで指すのが最も相手に対して、誠実で堅実で理解があり真面目なものである。相手は「アレ、もしくはアタイなんで死ぬのかしら?」と考えているうちに死ぬ、もしくは何もわからないままで死ぬのが、人を殺す時に最も正しい行為だと言える」


 と。

 僕は、あくまでも僕はそう理解をしたし、そのように読解した。あくまでも僕は。悪魔でも僕は。悪魔でも。

 これは儲けた。と、僕はそれを読んで考えたし、思わず膝をうったし、「へー、そうかホラー映画って真面目じゃないんだ、あれは娯楽としての恐怖なのだ」と考えるに至った。

 本当の恐怖とは何もわからないままに死に至ることだ。と。感動的な話も何もなく、死ぬことで、誰かを救うわけでもなければ、何の意味も無い死。自分がいつ死んだのかも分からない事が本当の恐怖なのだと。危険を察知できずに死に至るのが本当の恐怖だ。と。

 これを僕はこの本を読んだ一周目もしくは二周目には感想として持たなかったし、三周目もしくは四周目の感想で初めて考えたことである。どうだろうか?これだけでも本は二周目、三周目も面白いという、その証明になるものでは無いだろうか?まあ、結局なんであったとしても、例えば間違いだらけの零点だったとしてもそう僕は思っている。そう信じている。それが重要なのだ。

 それにきっとまた、もう一度読んだらまた何かを発見するだろうとも思う。一周目に発見できなかった様々なこと、それが後々で、僕の脳にいいと錯覚させれる発見をもたらしてくれるのであれば、それは素晴らしいことでは無いだろうか?

 これを読んで僕の後輩が少しでもそれについて考えてくれれば、幸いなことだけも、どうだろうか?本にも確かに二周目がある、三周目がある。これは事実だ。そしてもう一つこれは別に君に強制とか、そんな風に押し付けようとか、そんな風に考えてもらいたくないんだよ、僕は。君にそのことをわかって欲しくて絶対読め、とか、読まないと殺す(↑娯楽的な恐怖)とかそういうことを言いたいわけじゃないんだよ。君が僕の発言に対して絶対に読まない。というかたくなな気持ちでいるのならそれを少しだけでも和らげて欲しいということなんだ。そして本というものの二週目、三周目の発見もすごい面白いものなのだということをわかってほしいんだ。本当だよ。読んでみる本は何でもいいんだ。騙されたと思って一度手元の本をもう一度読んでもらいたい。それを実際に自分の目で発見できれはきっと君もわかってくれると思うんだよ。頼むよ、お願いだ。それを僕は土下座しても君に伝えたい。それを君に伝えておきたかったんだよ。君は絵を描くことで生きようと思っているだろう。きっと二周目、三周目は君の絵に役立つ物を君にもたらしてくれるはずだ。僕はそう思うし、そう願っている。

 僕も今からもう一度、トリイヘイ●ンの「幽霊●ような子」を読んでみようと思う。きっとまた新しいコトを僕は発見するだろうと思う。トリイとジュ●ィとルー●ーという登場人物で何かのお話を書いてみたいとも思う。幸せな話を書いてみたいと思う。とても明るい話だ。きっと天国みたいな話だ。みんなが幸せな話を書きたいと思う。

 

 でも・・・、

 でも、きっと僕には・・・もうそれだけの時間は無い、かもしれない。

 今僕はこの文章を書いている最中にきっともうすぐ僕自身は何かとてつも無い目に出会うだろうという、そういう確信がある。そういう直感が今僕はこの文章を書いているとき、背中の方にに感じる。今、僕の後ろにそんな存在の物を、とてもおぞましいものの存在を感じるのだ。

 きっとこれは僕がこの文章を書き始めたことと関係があるのだろうと思う。僕は全くの遅筆のためにこの文章を書き始めてから二週間程立っているのだけれども、実は、

 「本当に誰かを殺したりするつもりなのなら~(中略)人を殺す時に最も正しい行為だと言える」

 まで書いてから、しばらくこの文章を放置していた。全く先が見えないこの文章を面倒だからと、ボツにしようとすら考えていたのだ。

 そしてこの困った文章を放置してから、

 それから僕の家におかしなことが起こり始めた。

 気配がする。

 誰か知らない何かの気配がこの家の中に濃密に漂い始めた。最初は自身の勘違いだと思っていたが、どうもそうではないだろう。だって知らないうちにTVがついたり、鏡が割れたり、金縛りにあったり、電話に妙な伝言が残るのが偶然なわけがないだろう。どれかひとつだけならわかる。でも全部だ、全部事実なのだ。これが気のせいの訳が無い。定番中の定番がいま僕の家で実際に起こっている。まったく滑稽な話じゃないか?

 その中でも、一番おかしいことが、気配だ。濃厚で濃密な何かの気配がする。目では見えないけども気配がする、間違いなく誰か?ナニカがこの家に、僕以外にこの家にいる。

 しかしだ、皮肉なことにそうなってからこの文章をまるっきり後輩のために当てようと先の羨望が見えたのも事実だ。それでこの文章、もしくはただの文字の羅列か分からないが、出来上がっている。タイトルも今つけた。タイトルはいつも最後に決めていたけど、最後にそのような時間があるかわからないからだ。それでそうなった。まあこれはこれでいいかと今の僕は思っている。

 話を戻そう。

 何かの気配は毎日この家のどこかに移動をしている。あの気配はこの家で僕を探しているのだろう。そして一度探したところはもういないようだ。きっとそこはもう既にアイツのテリトリーになっているのだろう。きっと僕は今時間を掛けてアイツに殺されている最中なのだと思う。

 僕がこの文章の前のほうで書いた「正しい人の殺し方~恐怖の研究~」からすると、これはなんとも失礼な『殺され方』になる。相手に察知させる殺され方は真面目じゃない。そしてそれこそが僕がアイツに殺される理由になるのだろう。僕はその文章の中で直訳すると、


 「幽霊はバカだ、ただの娯楽だ」


 そう書いたに等しいからである。そんな風に言われていい気持ちのやつはいないだろう。それは幽霊でも変わらないらしい。全く暇な幽霊(まだそうと決まってはいないが)もいたものだと思う。

 人によって本当の恐怖とは全く違うらしいけども、それは人のその時のタイミング、体調でも変わるのだろうという事がこのことで僕には分かった。書き始めたときの僕は「いつ死んだのか分からない死」が最も怖いものだと思っていたのに、今この瞬間は、今の自身の事が僕にはたまらなく恐ろしい。とても怖い。後ろにいるソイツの気配がとても恐ろしい。その恐怖を今、言葉にできないのが残念だ。

 実際「ただの娯楽としての恐怖」であるはずなのに今背中に感じるこの恐怖は尋常では無い。死ぬ前に自分がどうなるかを考えさせられる時間が、場合によってはとても怖いこともあるのだと今は思っている。なんでもやってみないと、体験してみないと、わからないものだ。これはこれで貴重な体験だな。僕はこの瞬間、そう素直に考えられた。

 

 最後に後輩へ向けて一言

 最近あなたの絵を拝見しておりません。僕はこれからどうなるかわかりませんが、是非にも新しい絵を拝見させていただきたいと思っております。本の二周目三周目についての記載も、是非一度試していただけますようわたくしから深くお願いともうい上げますことと、あなたのおかげでこの話ができたことへの深い感謝で、この話を締めさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。


 本当に最後の最後に一言

 そして最後まで書かせてくれた後ろのナニカにも僕は感謝をしなければならないだろう。アイポットを聞きながらこの文章を書いていた。しかしそのアイポットも今、電源がなんだか知らないが切れた。さっき充電したのにどうしたのだろう?そろそろタイムアップということなのだろうか?もう僕に助かる道はないのだろうか?

 じゃあ、それでは僕は今からナニカに振り返ってみようと思う。何が僕にこの文章を書かせたのか、ソイツがなんであれ、僕がそれを見たらどうなるのであれだ。

 僕は今から後ろを振り向いてそねお@ねりれいpjんぴねにぺtん@おえ@の@trじあhhぺtjjgmmぴえthぱぴhぱhtjんぴげぴhにgぱhぴあhbp@j@まgぴんjbぴんめjpbじゃぴphpらんpばいppyhpwrj「あkl「pyhk@おえも@へろjhr「えww・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。

関係各位のみなさまに心からの謝罪をいたします。

姉さんに最後が定番すぎて、萎えられました。

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[良い点] 奥が深い小説ですね。人の殺し方、とても参考になり実行に移す次第ですし、本を読めのアドバイスに逆らいたい主人公にえらく共感しました。 「読め」▶「嫁」▶「夜目」の遊び掛詞、気がきいています…
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