◆ストーカーの潜む高校
秀泉高校につくと、衛は昇降口で雫と別れた。
長い歴史を歩んできた校舎だが、近年改装されたのもあって外見は綺麗だ。
本校舎を挟むようにして、北校舎と南校舎が川の字に並んでいる。
衛のクラスは南校舎の二階だ。
窓側の一番後ろから三番目が衛の席だった。
そこに向かっていると、窓側の一番後ろの席に座る男子生徒と目が合った。
男子生徒の名前は桐嶋王子。
高校一年時から付き合いのある友人だ。
衛より、僅かに王子の方が身長は高い。目鼻立ちが整った顔で、男前と言われる部類に入るだろう。これで髪が長ければ、名前の通り童話に出てくる王子様みたいなのに、というのが周囲の意見だ。
しかし本人はそれが気に入らないらしく、髪を短くしていた。
「よっ、衛。遅かったな」
「よう、たまご」
「だ~か~ら、たまご言うな! 俺の名前はオ・ウ・ジだ!」
「おうじよりたまごのが可愛くないか?」
「可愛いとかそういう問題じゃねえ! 頼むから名前で遊ぶな」
「わかった、桐嶋たまこちゃん」
「…………」
王子の眉毛が右側だけつり上がった。ぴくぴくしている。
怒ると眉をつりあげる癖が王子にはあった。
これ以上弄られると左眉も上がり、眼球が飛び出しそうなほど瞳が開かれる。そうなったら怒りが爆発した合図だ。
以前、王子を怒らせてしまったことがあったのだが、それはもう凄惨なものだった。
辺りにあるものを手当たり次第投げてくるのだ。
そのときはなんとか逃げ延びられたが、二度とあんな思いはしたくない。
「わりぃ、冗談が過ぎた。怒るなって王子」
「お、おう。別に怒ってないから衛も気にしなくていいぞ」
やせ我慢もいいところである。
だが今はその気遣いに感謝する。
ふと、黒板の近くに向井季理の姿が見えた。数人の女生徒に囲まれている。
奇しくも想い人の季理と、衛は同じクラスだった。
けれど会話をしたことはない。
いつも、ただ見つめるだけだった。
学園での季理を見ていると、誰にでも優しく口調も柔らかい。
皆からも慕われている。
美貌だけでなく性格も完璧だった。
まさに高嶺の花である。
はぁ……今日も綺麗だ……。
衛が季理に見惚れていると、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。
示し合わせたように担任の教師が教室に入ってくる。
アップスタイルの髪、吊り目が特徴的な若い女性教師だった。短めのタイトスーツから伸びる脚はむっちりとしている。
成熟しているからこその魅力がそこにはあった。
「席についてください。出席確認と連絡事項を伝えます」
王子を一瞥してから衛は自分の席に向かった。
他の生徒も自分の席につく。
衛がスクールバックを机の横に引っ掛けていると、前の席に見慣れた後ろ姿が現れた。
季理だった。
クラスが同じだけでなく、席も近いのだ。
季理の甘い香りが衛の鼻孔をくすぐる。
「今日は休んでいる人はいませんね。では連絡事項を――」
舐め回すように衛は季理の後ろ姿を見つめた。
髪は細く艶もある。そして華奢な背中は儚さを感じさせる。
どれも美しかった。
だが、ここからでは窺えない箇所があった。それは季理の脚である。
机が邪魔になって堪能できないのだ。
この席順になったとき、本気で机を取り払おうかとも思ったが、さすがにそれはまずいので我慢した。
しかし諦めたわけではない。
脚――というより、脚に食いつくサイハイを見たいがために、衛は徐々に体を沈ませていく。
と、体が机に当たった拍子でペンを落としてしまった。衛の足元に転がる。そのペンを取るのになんの躊躇もせず腕を伸ばした。
手がペンに届いたそのとき、あることを思いつく。
これは季理の脚を最高の角度から見るチャンスではないか、と。
ペンを取るのに、手間取っている風に衛は装う。あくまで自然に。
一方、季理の脚を目に焼き付けようと、眼球は限界を超えて今にも目尻から躍り出そうだった。
も、もう少し……。
突然、近くの床にもうひとつペンが降ってきた。
衛の身体がびくりとする。
「ごめんなさいっ」
背後から消え入りそうな声が聞こえた。
椅子が床を擦る音が教室に響き渡る。
直後、後ろの席に座る女生徒が立ち上がり、ペンを取りに来た。
しゃがみ込んで自分のペンを取り終えた女生徒が、今度は衛のペンも取る。
「……どうぞ」
衛にペンを差し出してきた。
腰まであろうかという長い黒髪が女生徒の顔を覆っている。
そのために表情も窺えない。 だが、衛は彼女の名前を知っていた。
日野楠葉。
身長は衛より頭一つ分、低いぐらいだった。肌は白いのだが、季理とは違って健康的なものではない。胸も平らで特筆すべき点はどこにもなかった。
楠葉のイメージは有り体に言えば根暗だ。
実は、衛の家と楠葉の家は隣だった。楠葉は中学二年の半ば頃に引っ越してきて、それからというもの、一度たりとも違うクラスになっていない。
そんな関係であるというのに、未だにまもともな会話をしたことがなかった。
「ありがとう」
断る術も理由もないので、差し出されたペンを衛は受け取り、黒板に身体を向けた。
あともう少しで脚が見えたのに……。
衛が嘆息していると、教師からホームルームの終了が告げられた。
哀愁を漂わせながらも衛は挨拶を済ませる。
担任教師と入れ替わるようにして現代国語の教師が教室に入ってきた。
頭に毛がないお爺ちゃんだ。
虚ろな瞳で衛が教師の頭を眺めていると、反射した蛍光灯の光に瞳を射抜かれた。
途端、閃く。
皆が忘れた頃にまたやればいいか、と。
憑き物が落ちたように衛は元気を取り戻した。