ドライブ
数週間経過していた。大人になる、と言うことはそれだけ時間の経過が早く過ぎるものかもしれないと千鶴は思った。そんな半ば風化を望むように日々が過ぎたことに自分のずるさをそこに見るような気がした。そんなずるさの解決の助けを求めるように、勤務の終わった会社の駐車場の自分の車の中で千鶴は携帯電話のメールを開いた。
永田英明とのメールは途絶えつつあったが、過去のメールを見返すと、自分が気にしているのは常に乃莉のことだと改めて思った。魔ミキにまでその話は飛び火していたが、魔ミキは自分の恋愛に忙しくなった為に結論めいた文章のないまま途切れている。その時、突然手の中で着信の振動が始まった。相手は乃莉だった。間違えて切ってしまわないように慎重に通話ボタンを押した。
「ああ、びっくりしたあ!?どうしたあ?元気?」
我ながら、間の抜けた声を出したなあと千鶴は思う。
「うん、元気……電話してみてって言われて……魔ミキから。メールじゃなくて電話だ!って」
久しぶりに聞く乃莉の高い声は戸惑いを帯びている。だけど、以前より明るさを僅かに感じる。
「魔ミキから?え、あんたと魔ミキっていつ仲直りしてたの!?」
一番気まずいはずの二人なのに不思議だった。でも魔ミキはこういうところがあるかも知れないと思った。
「……先週かな。千鶴は私が魔ミキのことをヘンに言ってたってこと話さないでいてくれたんだね」
「言わないよ、あんなこと……」
「だから普通に話せたんだろうけど、真剣に千鶴のこと初めて話したよ二人で。今迄、考えてみれば千鶴抜きで話したことなんて中学生以来殆ど無かったからね」
「なにそれ、なんかそんな事言われたら緊張するんだけど……!!」
嬉しいような、怖いような複雑な気持ちになる。でも、千鶴は電話が来た時点で十分に嬉しかった。
「ずっと、水面下で千鶴の取り合いをしていたんだねって話をしたよ」
「えっ!?……それを言われるとちょっと照れるけど、フフ」
取り合われていたと考えれば、そうかも知れない。魔ミキが私にキスをすれば乃莉が常に怒っていたし、一緒にキノリと行動していれば魔ミキが面白くないと言い……千鶴はそう思いながら笑うと乃莉の笑った声が聞こえた。安心した。これで元通り…元通り…?本当にそうなのだろうか?
「だからごめん。……ごめん、それだけだよ」
「ううん、私もごめん……ねえ、今仕事終わったところだったんだけど会えない?」
千鶴は思わずそう言っていた。なんだか、複雑な私達の関係は言葉を交わす以上に会って話したほうがよさそうに思えた。ただ、自分でも会って何を言い表そう、読み取ろう、そして解り合おうとしているのかハッキリとは解りにくかった。わかりづらい感情を持ってしまっていると言うことだけは自覚していた。
「え?いいよー!」
「今どこにいるの?」
「家、今日は仕事も残業無かったから」
「そしたら、家に行くよ!」
「ご飯?」
「ああ、そそ!晩御飯……食べるのに向かえに行くから」
何だか少し慌ててしまった。車の中が妙に熱く感じ、ヒータを止め千鶴は少しだけ窓を開けた。やけに、ドキドキしてしまう自分が居た。スムーズに会話は進んだように思えたが、乃莉は重大なことを認めたのだ。
魔ミキとのベタベタを同性愛だと晒しあげていた乃莉だったが、取り合いだったと認めたことで千鶴への気持ちを暗に認めた風でもあったからだ。
千鶴はそのことに甘美な喜びにくすぐられるような気分になっていた。
◇
乃莉が助手席に座ってシートベルトを付けた。いつもどうりの仕草ではあったものの車に乗り込む前、久しぶりに目が合うと、お互いに食い入るように見つめ合ったような瞬間があった。その後、キノリの短めの睫毛は揺れたかと思うと目を細めて笑った。それに釣られるように千鶴も笑った。
「さてー、何食べるかあ?」
ウインカーを上げ、後方を確認しながら道路に出る。
「なんでもいいよー」
「でも、話するんだったらラーメンとかじゃないよねえ」
千鶴は冗談ぽく言った。
「ウフフ、ラーメンでもいいよー、それで場所変えてもいいし」
「じゃあ、そっかー!それじゃあラーメンにする?Sがいいかな?」
Sはここから車で15分ぐらいのところにあった。時々、魔ミキとも行ったり3人で行ったりしていたお気に入りの店だった。
「そうだね!そうしよう」
変わった様子のない店に入り注文し終えると、狭いカウンター席で二人で待った。千鶴はその待ち時間を埋めるように口を開いた。何を言おうとしているのか自分でもよく解らない。ただ、どんな会話があったのかも知りたい気持ちもある。
「ねえ、キノリ……」
「なあに?」
「ああ、あの、良かったよ! いつの間にかその、解決しててさ」
「私ももうダメっていうか、正直死にそうだった……電話だって魔ミキと話さなかったら出来なかったと思う」
それはキノリの本音だと言うのは痛いほどにわかるような気がした。普通の喧嘩とはちょっと違っているということを表している。
「…… そっか……あの、もう絶対アイツにキスとかも軽々しくしないことにしたよ。でもホント、電話かけてきてくれて有難う」
本当はもっと踏み込んで話さなければいけないような気は十分にしている千鶴だったが、うまく言葉に出来なかった。その代わり、千鶴の手は何故か一瞬乃莉の艶のある黒い髪を撫でようと動きかけていた。
いつも、独り思い悩むキノリだったのに、それなのにと千鶴は自分が情けなくなる。
「……キスね」
乃莉が一言そう言うとそっと苦笑いを浮かべた。
「う、うん……やっぱり、ちゃんとした方がいいよね、そういうことはね。反省してます」
乃莉に気が付かれないうちに手を引っ込めると、千鶴の気持ちは落ち着かなくなった。半ばしどろもどろに言い終えると、注文したラーメンが二人分揃ってやってきた。
「なんか、思ったより早かったね!」そう言うと、乃莉は割り箸を割った。
「そうだね!よーし、頂きます!」
千鶴は一旦話を止めて、食べることにした。だが、何かどこか気もそぞろでラーメンの味どころでは無くなっていた。ハッキリ言って味がしなかった。千鶴はこの際、乃莉の本当の気持ちと自分の本当の気持を確かめなければならない状況だからだ。そうでなければ、魔ミキと乃莉が真剣に話し合った意味がなくなるんじゃないかと思う。そして、大体何を具体的に話したのかそこも知りたい。
「ねえ、乃莉から魔ミキに連絡したの?」
「ううん、そうするべきだったかも知れないけど、死んでたし、気が進まなくて……先週、電話が来てね、合うことにしたの」
「うん」
「でも、魔ミキは千鶴の共通の知り合いの男の人から、仲直りを進められてって言ってた」
「知り合い!?」
千鶴は思わず声を上げた。
「あの時の喧嘩の時に居た人みたいなんだけど……ねえ、その人さ千鶴のこと好きなんじゃない?」
「な……永田…か」
永田が好きなのは私という訳ではない。初めから言っていたがあの男は、百合萌えだ。百合の為に私達を仲直りさせようとしている変わった男なのである。あの、ハチャメチャな喧嘩を見られてしまった事で複雑化した私達3人の関係について相談しやすかったのが事実だ。
「その男の人は……何というかその、とにかく!そんなんじゃないよ!」
千鶴は、続けて否定した。永田の話を説明すると、ややこしくなるしここでは言い難い。
「本当に?千鶴が気がついてないだけじゃないの?」
「あのね、その話はその…ラーメン残すの?」
千鶴はラーメンの方に目配せした。
「残さない!」
キノリはそう言うと、ラーメンをすすり汁まで全部飲んでいた。容姿からはとても汁まで全部飲むタイプには見えないので、千鶴は「それで太らないんだから」と冷やかしてみせた。
ラーメン店から出て、車を出した。一旦、話の流れが途切れたことで、千鶴もキノリも現実逃避するように目の前の問題より適当な世間話に花を咲かせた。別に今、話しにくいことを話さなくてもまたこうやって仲良く出来るのだからいいような気がしてくる。
千鶴は少し離れた港まで車を走らせた。もともと車の運転は好きなので苦にはならない。暗くなった港に隣接する公園の街頭がさみしげに灯を点しているのが見えた。駐車場に入ると、男女の二人連れの車が他にも一定の間隔を取ってポツリポツリと停車していた。そのことが、何かキノリの気持ちを騒がせたのかこう口火を切った。
「私は、……男の人好きにならないと思う」
千鶴はその言葉にギクリとした。